ミコノス抜港なれど・・・
抜港となったミコノス島遠望
ここまで好天に恵まれたクルーズだったが、ヨーロッパ最初の寄港地ギリシャのミコノス島に来るとそこは強風が吹き荒れるしけの海上であった。ミコノスでは乗客は沖合いに停泊した本船から出るテンダーボートで上陸する予定だったので、この天気ではとうていテンダーボートに乗り移れそうにない。船長の「抜港にします」のアナウンスに、船内あちこちで「残念!」の声が挙がるも、これも仕方ないところで、「こういうのも含めてクルーズ!」と思うことにした。かつて仕事で港の沖に停泊する貨物船に通船から乗り移る事がよくあったが、少しでもうねりがあると飛び乗るのが怖かった思い出がある。世界では年に幾人かのパイロットが船に飛び移る際に落ちて亡くなるから、荒天の海で小さい船に乗るのは命がけの仕事である。なにごとも「万全」の飛鳥ではこの措置も止む終えないところだろう。
という事で飛鳥Ⅱは予定を変え次の港マルタに向かうこととなったが、この予定変更も残念なことばかりではなかった。港に停泊日にはお休みになるダンス教室が急遽開かれ、特別メニューでサルサを習ったのは思わぬ経験であった。なにより本来はマルタまで夜間に通過するはずのキクラデス諸島を日中じっくりと見ながら航行できると云う余得も大きかった。エーゲ海に浮かぶキクラデス諸島は大小220の島々からなり、そのうち39の島に8万8千人の人が住んでいるそうだ。ここでは紀元前3000年ごろの初期青銅器時代から文明が発達しており、とりわけミロス島から発見されたビーナス像はミロのビーナスとしてつとに有名である。またアンティキテラ島の沖に紀元前1世紀ごろに沈んだ船からは、古代の複雑な計算機が引き揚げられており、これは”アンティキテラの機械”として知られている。歯車などで構成されるこの器具は天体の動きを計算するものと云われており、さしずめ人類史上最古のコンピューターとも云ってもよいのではなかろうか。
というようにこのあたりは古くから開け、その後もローマ帝国やオスマン帝国などイスラム圏とキリスト教圏の勢力が歴史を通じて支配・被支配を繰り返した海域である。古来、さまざまな勢力がこの海をベースにその覇権を競ったかと思うと、世界史の教科書で読んだ西欧の歴史もなにやらそう遠いものではない気がしてきた。もっともこれほど歴史舞台の中心だったギリシャはじめ南欧の国々が、今や財政難でEUのお荷物になっているのがまことに皮肉なものである。島々を眺めつつそんな感慨を抱く事ができたのもミコノス島に寄らず昼間にエーゲ海を通過できたおかげと今回は思う事にしよう。いつの日かどこかの船で、ミコノス島だけでなくサントリーニ島などにゆっくり来ることを望んで、エーゲ海をあとにしたのであった。
アンティキテラ島
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