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2018年4月

2018年4月29日 (日)

ローマ引き回しの刑

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人ばかりのトレビの泉

チビタベッキアは古くからローマの外港として知られ、ローマ市街の西80キロに位置する。いまはチビタベッキアは地中海クルーズ拠点港の一つで、飛鳥Ⅱが一泊停泊する間にも、多くの外国クルーズ船が発着していた。ここで我々は船から出る「ローマ1日観光とバチカン・システィーナ礼拝堂貸切見学」に参加することにした。寺社仏閣、教会や宗教画にあまり興味ない私だが、妻のバチカン美術館を貸切でゆっくり見る事ができるツアーに行きたいというたっての希望を汲んでの申し込みである。


朝8時に飛鳥Ⅱを出発して観光バスでローマに行く途中、サービスエリアでのトイレ休憩がこれからの長い一日を予感させる光景となった。なにしろチビタベッキアに早朝に着いた何隻ものクルーズ船から降りた何千人もの観光客が一斉にローマへ同じ高速道路で向かうのだからトイレは長蛇の列である。各車トイレ休憩の10分ほどではまったく埒が明かず、やむなくトイレ番が男子トイレに女性を誘導するという連休の東名高速の様な状態だ。洋の東西を問わず人間やることはそう変わらないものだと古都を前に妙な事に感心する。


お目当てバチカン美術館とシスティーナ礼拝堂の貸切までは、お約束のローマ市内見学である。ところがこの日は祝日とあってスペイン広場やコロッセオなどの名所はどこへ行っても大変な人出で、トレビの泉では噴水より人混みを見にきたようだ。サンピエトロ寺院は入場するのにセキュリティーチェックもあって1時間以上行列し、内部を見学できたのはスケジュールの都合でたった9分。最後にローマに来た15年ほど前に比べて、中国人やインド人の団体が増えたのも時代の流れだろう。


修復後のシスティーナ礼拝堂を貸切でゆっくり見学できた妻は感激していたが、ローマ観光は中心部に大型バスが乗り入れられないため、名所を見るにはとにかく歩くしかない。結局この日スマホの万歩計によると2万歩以上、13キロも混雑の中を観光したのだった。飛鳥Ⅱのツアーはふつう「健脚向き」でも大した事がないと思っていたが、この日のツアーは本当に「健脚」と忍耐が必要であった。チビタベッキアの飛鳥Ⅱに戻ったのは夜9時過ぎ、大浴場に入って夜食の「上海ヤキソバ」でも食べようかとも思ったが、その元気もなく早々にベッドにもぐりこんだのであった。

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1時間以上待ってたどり着いたサンピエトロ寺院の長蛇の列の先頭

2018年4月26日 (木)

マルタの旧帝国海軍戦没者墓地

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マルタといえばティファナ・ブラスが演じたヒット曲「マルタ島の砂」くらいが思いうかぶ場所であった。今回、飛鳥Ⅱで地中海に浮かぶ小さな島、マルタ共和国の首都バレッタを初めて訪れたところ、そこは中世の騎士団が築いたみごとな要塞都市であることがわかった。イスラムの脅威にさらされた欧州キリスト教国より派遣された騎士たちが、最前線の砦として築いたのがバレッタの町なのである。港を取り巻く見事な石造りの要塞をみると、あらためてイスラムとキリスト教の対立の激しさや根深さに驚き、わが国が有史以来、先の戦争を除き永年にわたって安寧の地であった僥倖をただ喜びたくなった。


そのバレッタでは午前中に中世騎士団の守護聖人であるヨハネをたたえる大聖堂や騎士団長の宮殿を見学した。個人的にはキリスト教の歴史や教会にはさほど興味はないものの、バレッタを観光するといえば騎士団に関連した建物群である。定石通り一応これらを見学した後に昼からは、かねてより計画していた旧帝国海軍の戦没者が奉られている日本人墓地を訪れることにした。マルタは第一次大戦時中は地中海における連合国の基地で、連合軍に加わった日本も対独戦のためにここに第二特務艦隊の12隻の巡洋艦や駆逐艦を派遣していた事を知る人は少ない。


当時バレッタの日本艦隊は地中海で連合軍の輸送船や病院船の護送、潜水艦の制圧に活躍したが、1917年6月駆逐艦”榊”がドイツ潜水艦の魚雷攻撃に会い、上原艦長以下59名戦死している。バレッタの日本人墓地は”榊”の犠牲者の他に、第一次大戦中に地中海で戦没した旧帝国海軍軍人の合計71名がまつられており、安倍首相も先年ここを訪れたとおりである。飛鳥Ⅱの着いたクルーズターミナルからは、タクシーを拾い約15分でカルカーラ地区の英連邦海軍墓地の一角にある日本人墓地に行くことができた。墓地の一角にある事務所備え付けの訪問者台帳を見ると、ここを訪れる日本人もしばしばいるようだ。我々は墓碑に持参の日本酒をたむけ英霊に手をあわせ、加えてこのクルーズの安航を祈ったのであった。

2018年4月23日 (月)

ミコノス抜港なれど・・・

抜港となったミコノス島遠望

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ここまで好天に恵まれたクルーズだったが、ヨーロッパ最初の寄港地ギリシャのミコノス島に来るとそこは強風が吹き荒れるしけの海上であった。ミコノスでは乗客は沖合いに停泊した本船から出るテンダーボートで上陸する予定だったので、この天気ではとうていテンダーボートに乗り移れそうにない。船長の「抜港にします」のアナウンスに、船内あちこちで「残念!」の声が挙がるも、これも仕方ないところで、「こういうのも含めてクルーズ!」と思うことにした。かつて仕事で港の沖に停泊する貨物船に通船から乗り移る事がよくあったが、少しでもうねりがあると飛び乗るのが怖かった思い出がある。世界では年に幾人かのパイロットが船に飛び移る際に落ちて亡くなるから、荒天の海で小さい船に乗るのは命がけの仕事である。なにごとも「万全」の飛鳥ではこの措置も止む終えないところだろう。


という事で飛鳥Ⅱは予定を変え次の港マルタに向かうこととなったが、この予定変更も残念なことばかりではなかった。港に停泊日にはお休みになるダンス教室が急遽開かれ、特別メニューでサルサを習ったのは思わぬ経験であった。なにより本来はマルタまで夜間に通過するはずのキクラデス諸島を日中じっくりと見ながら航行できると云う余得も大きかった。エーゲ海に浮かぶキクラデス諸島は大小220の島々からなり、そのうち39の島に8万8千人の人が住んでいるそうだ。ここでは紀元前3000年ごろの初期青銅器時代から文明が発達しており、とりわけミロス島から発見されたビーナス像はミロのビーナスとしてつとに有名である。またアンティキテラ島の沖に紀元前1世紀ごろに沈んだ船からは、古代の複雑な計算機が引き揚げられており、これは”アンティキテラの機械”として知られている。歯車などで構成されるこの器具は天体の動きを計算するものと云われており、さしずめ人類史上最古のコンピューターとも云ってもよいのではなかろうか。


というようにこのあたりは古くから開け、その後もローマ帝国やオスマン帝国などイスラム圏とキリスト教圏の勢力が歴史を通じて支配・被支配を繰り返した海域である。古来、さまざまな勢力がこの海をベースにその覇権を競ったかと思うと、世界史の教科書で読んだ西欧の歴史もなにやらそう遠いものではない気がしてきた。もっともこれほど歴史舞台の中心だったギリシャはじめ南欧の国々が、今や財政難でEUのお荷物になっているのがまことに皮肉なものである。島々を眺めつつそんな感慨を抱く事ができたのもミコノス島に寄らず昼間にエーゲ海を通過できたおかげと今回は思う事にしよう。いつの日かどこかの船で、ミコノス島だけでなくサントリーニ島などにゆっくり来ることを望んで、エーゲ海をあとにしたのであった。

アンティキテラ島

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2018年4月21日 (土)

砂漠を船で行く

さてスエズ運河である。パナマ運河はすでに何回か通ったことがあったが、スエズの通航は人生初めての体験だ。地図をよく見ればアラビア半島とアフリカ半島の付け根にあるスエズ地峡は紅海と地中海の距離が約150キロあまりで高い山もない。途中には自然の湖もあるから運河を掘削すればインド洋とヨーロッパの海が大幅にショートカットされる事は明らかである。現に千年前のペルシャ王朝ダリウス大王時代には、ここに運河があったようだが、現在の運河は1869年にフランス人のレセップスによって造られたものである。


ソマリア沖海賊の活動が盛んだった2011年の飛鳥Ⅱのワールドクルーズは、横浜を出て喜望峰を廻り39日目にポルトガルのリスボンに着いたのに対して、今回は25日目でスエズを通過し地中海に入ることができたからやはりこの運河は便利なものだ。飛鳥Ⅱの船内紙ASUKA DAILYによるとナポレオン時代にもスエズ地峡に運河が計画されたものの、当時はなぜか紅海の水位が地中海より9米高いとされたため、運河の開通で紅海の水が地中海に流れ大災害をもたらすと考えられ計画が挫折したそうだ。その後この測量が誤りと判ったため、現運河が建設されることになったと云う。


運河は北行きの船と南行きの船が、複線になった水路地帯ですれ違えるように当局の指示に従って船団で通峡する。飛鳥Ⅱは4月19日の北行き船団の一番船としてパイロットを乗せ早暁に紅海側の錨地を出発したが、本船の右舷側は荒涼たる砂漠地帯、左舷側は灌漑された土地に畑や木々が見られる大地であった。砂の世界と反対側に広がる人工的な緑の景色を見ていると、自然は征服するものとする西欧の原理主義・合理主義やイスラムやキリスト教などの一神教が、この地で生まれた理由が判る気がする。良くも悪くも緑や水に恵まれ八百万の精霊に囲まれたわが国の自然とは、あまりにも違う風景の中を日本の船に乗って行くスエズの旅である。

砂漠の中をコンテナ船が行く

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2018年4月18日 (水)

アデン湾の観艦式

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ソマリア沖海賊問題を描いたトム・ハンクス主演の映画「キャプテン・フィリップス」は、今回寄港したオマーンのサラーラのコンテナターミナルから話が始まる。ケニアのモンバサに向かうマースクラインの米国籍コンテナ船”マースク・アラバマ”号のフィリップス船長が、海賊に誘拐される実話に基づいた話題作だったが、いよいよ飛鳥Ⅱもこの辺りからソマリア沖海賊に対する警戒海域を航行することになった。


以前我々が乗った2011年の飛鳥Ⅱワールドクルーズも、海賊問題のため急遽アフリカの喜望峰を廻る航路に変更となった経緯がある。その折にはいつの日か紅海を渡ってスエズ運河を通り地中海に行きたいものだと思っていたところ、今回やっとその願いがかなう事となった。そのためにはまず海賊多発海域であるアラビア半島の南端イエメンとアフリカ大陸のソマリアの間にあるアデン湾を通航する必要があり、ここを飛鳥Ⅱは他の数隻の商船とコンボイを組んでジプチに駐在する我が海上自衛隊の護衛艦に守って貰うことになる。


今回コンボイに加わるのは飛鳥Ⅱの他、商船三井のVLCC(超大型タンカー)”IWATESAN”、それに外国船主のハンディ・バルカー(ばら積み貨物船)の三隻で、速力は最も船速の遅い満載のVLCCに合わせ12ノット強である。サラーラ沖から始まって紅海の入り口までの間、まる2昼夜を青森県の大湊基地から派遣された護衛艦”せとぎり”を先頭にして、左側に”IWATESAN”、右側に飛鳥Ⅱ、後方2マイルほどに位置するバルカーによる護送船団で進んだ。この間、飛鳥Ⅱには英国の警備会社のガードマンが乗船したうえ、夜間の灯火管制、暴露甲板への立ち入り制限などの対策が都度取られた。


もっともここ数年ソマリア海賊の発生件数はめっきり減っており、外国の貨物船やタンカーはコンボイに加わらないのが多いようだがそこは飛鳥Ⅱである。万全の措置の甲斐あって何事もなく無事に紅海に入る事ができた。コンボイ解散の朝、4月15日は飛鳥Ⅱに接近した”せとぎり”が観艦式のような大回頭で一旦後ろに廻り、再び速度を上げて飛鳥Ⅱを追い越しつつ登舷礼が行われた。飛鳥Ⅱからは多くの乗客が手を振り、護衛してもらった自衛艦に礼を述べる感動の場面である。我々もこの日のため日の丸と旭日旗(軍艦旗)を持参し、”せとぎり”から視認できるように懸命に振ったのである。日本を遠く離れたアデン湾で出会う日本の軍艦は何とも頼もしく胸の熱くなる瞬間で、これだけでもこのクルーズに乗船してよかったと感じたのだった。

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飛鳥船上の持参の旭日旗。”せとぎり”がマストに大旭日旗を掲揚するまで当初は”危ない人?”のような他の乗客からの視線を感じた。


2018年4月14日 (土)

サラーラにて

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マースクラインのコンテナターミナル

これまでのところ奇跡的なほど凪いだ日々が続いている2018年飛鳥Ⅱワールドクルーズである。クルーズ20日目、インド洋を西に向かって航海を続けた飛鳥Ⅱが到着したのはオマーンのサラーラ港であった。サラーラに入港するとインド洋やアラビア海を航海する独特の小型船の傍らに、多くの巨大なコンテナ船が荷役している光景が見られた。ここは世界有数のコンテナ船会社マースクラインの一大ハブ港である。地図を開けばサラーラはインド洋やペルシャ湾、遠くは西豪州などの東半球各地とヨーロッパの間の結節点のような場所にあり、なぜマースクラインがここに積み替えの拠点を設けたのかが改めて理解できた。


船乗りシンドバッドの話はオマーンの船員をモデルに描かれたという通り、この辺りは古くからアジア・中東とヨーロッパの文化、物流が交差する海域だったのである。以前にも何度かアップしたが海外でも国内でもクルーズ船に乗って旅すると、なぜそこに町ができたのか、初めてなるほどと気付かされることが多い。近世以降に発達した鉄道や飛行機などの交通手段に乗っていては判らない地理を船旅は教えてくれるのである。その要衝であるサラーラはかつては乳香の一大積み出し港として発展したそうで、町の郊外には中世に栄えた都市アルバリードの遺跡がある。キリストの生誕に東方の三賢人から送られた物の一つが乳香で、木の樹液から生成される乳香は以前は香や香水のほかに医薬品として珍重されたと云う。


町を観光するツアーに参加すると、そこはやはりアラブの世界である。西欧的な高層建築はあまり見られず、町のあちこちにモスクの尖塔が目につく。男はクーフィーヤと呼ばれる白いかぶりもの又はターバンを頭に乗せ、白い衣装を着けている者が多い。なにより女性が町の中にあまり見れらないのが何とも異様である。港を離れると椰子やバナナの畑以外は周囲に砂漠の様な景色が広がっているが、現地ガイドの説明では石油などからの収入で医療費・教育費は無料という羨ましい国でもある。もっともここから1000キロ離れた首都マスカットにいる商社やトヨタなど日本人の駐在員は、休暇にはドバイに息抜きに行くそうで日本人にはやはり遠い国という感じがしたオマーンであった。

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アルバリード遺跡

2018年4月 9日 (月)

モルジブと中国

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現役時代は海外といってもなぜかアブラに関連するビジネスには縁がなかったから中東に出張に来た事はなかった。よって飛鳥Ⅱがインド洋を東に進むにつれ未知のゾーンに初めて踏み入れるようなワクワクとした気持ちになる。もっとも飛鳥Ⅱの船上は正に「日本!」そのものであり、港に着いて上陸しても乗客の行動は船が施した万全の対策の下で行われるからこちらは気楽なものだ。その万全の対策の一つとしてモルジブの首都マーレ沖に錨泊した昨日は、マーレ市内での自由行動は禁止となり、ドーニーと呼ばれる通船に揺られて乗客が運ばれたのは、パラダイスアイランドリゾートという小さなリゾート島であった。


1,190の小さなサンゴの島から成り立つモルジブは、人口40万人のスンニ派モスリムの国で観光や漁業が主な産業である。海外からの観光客は首都マーレを素通りして、島全体がリゾートとして開発された各離島へボートや水上飛行機で渡って過ごすと云う。そこでは飲酒が許されているので、イスラム国という感じはあまりしないらしい。首都マーレは政変のため非常事態宣言が出されていたところ、この3月に解除されたのだがそこは「万全」の飛鳥Ⅱのことである。制限解除直後の首都には乗客を行かせず、治安の安心なリゾート島へ通船を出すのが飛鳥の飛鳥たる所以であろう。リゾート島での滞在時間はわすか40分と極めて短かかったものの、人口密度が世界一だというマーレでなく、リゾートを垣間見る事ができたのは、典型的モルジブの体験とも云えよう。


マーレ沖に錨を降ろした飛鳥Ⅱの船内から目の前に見えるのは、小さな島の上で盛んに進められている土木工事であった。マーレの海抜は1米、国全体でも平均海抜が2米のこの国は、いま地球温暖化による海面上昇に悩まされている。港内に停泊中のバラ積み貨物船から粉塵とともにはしけに揚げられている荷物は砂利のようで、これを使って護岸工事や埋め立て工事が行われるのだろう。ここでも一路一帯の構想実現を目論む中国が港湾整備に手を貸していると報道されており、目の前の島の土木工事も中国資本で為されているのだろうか。いまマーレには多くの直行便があることが中国との関連を物語っているようだ。2016年の南極・南米ワールドクルーズの際には、南米各地の港湾整備に中国が関わっているのに驚いたが、ここでも覇権を目論む中国のプレゼンスが大きいのが些か気にかかる。

砂利を艀に荷揚げするばら積み船

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2018年4月 6日 (金)

シンガポール・プーケット・インド洋

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横浜を出て12日目、シンガポールとプーケットに寄港し飛鳥Ⅱはインド洋に出てきた。これまで幸いな事に海はなぎ、天候も良好である。さて本クルーズ初寄港地のシンガポールではセントーサ島にできた各種施設を散歩してみた。ここはディズニーランドやユニバーサルスタジオ、後楽園ラクーアに東京のお台場を一緒にしたような新しい施設で、シンガーポール名物のマーライオンまである。以前は仕事でしばしば訪れたシンガポールも、最近はクルーズなどで数年に一回訪れる程度である。近頃ますます開発スピードも早まっている様で、来る度に新しい高層ビルやショッピングセンターが出来ていることに驚いてしまう。ただそのあまりの変化の早さには、却って落ち着かないような気もする。


シンガポール基点クルーズのスーパースター・ヴァーゴ号で2度ほど来た事のあるタイのプーケットでは、象に乗るエクスカーションを体験してみた。まるでインディアナジョーンズのハリソン・フォードになったような気がしたが、普通の旅行ではまず行かないような場所に、気軽に行ってみようかという気になるのも船旅ならではである。さてロングクルーズも第一ステージが過ぎ、これから船内で何の教室に行こうか、どこで過ごそうか、何の本を読もうかと改めて見直そうという頃になった。「何だか疲れた!」とこぼすお年寄りの乗船客もいるとおり、あまり船内の行事を欲張らず7~8分目のエネルギーで活動し、ゆったりする時間をなるべく多くするのが楽しい船旅の秘訣ではないだろうか。


マラッカ海峡を抜けインド洋を西に向かうと、乾舷を高くした大型タンカーがペルシャ湾に向かって同航し、逆にそれらが同地で喫水線一杯まで原油を積んで反航してくるのにしばしば出会う。原油タンカーや大型コンテナ船の隊列を見ていると、ここがアジアの経済を支えている基幹航路、現在のシルクロードである事をひしひしと感じるのである。水平線の彼方、発達した入道雲の下に降るスコールを眺めていると地球の水の循環に思いを馳せて自然の驚異を感じ、その下に展開するタンカー銀座を見ると中国がなぜ南シナ海からペルシャ湾にかけて自らの勢力を伸ばしたいのかあらためて実感できる。船旅はほかの旅では見えない様々な視点を与えてくれるものだといつも思うのである。

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2018年4月 2日 (月)

船上のピアニスト

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横浜を出て一週間、国内クルーズならそろそろ下船の準備と云うところだが、最初の寄港地・シンガポールは明日である。船では一日が飛行機の一時間の行程にあたっているから、数日前から船の周囲は南洋モードで、マラッカ海峡を前に行き交う船舶の往来も頻繁になってきた。日本を出た直後の船内のよそよそしい雰囲気もすっかりほぐれ、そこかしこで新しくできた友人や再会した船友たちの談笑の輪が広がっている。ここまでの気象や海象は穏やかで、夜は満月が夜の海を煌々と照らしてまずは順調な船出といえよう。


船内の様々なアクティビティも始まって、それぞれの乗客が自分のペースや落ち着き場所を得始めているようである。私達も例によって午前・午後2回行われるダンス教室に通い始めたが、午前中の初心者コースはまあ余裕なるも、午後は周囲が上手い人ばかりでちょっとおっかなびっくりといったところだ。家で毎日練習していたピアノはマリナーズクラブというバーのグランドピアノを空いてる時に使えるので、さっそく1時間づつ数回試してみた。


久しぶりのグランドピアノは我が家の電子ピアノとは迫力がまったく違っている。3年がかりで何とかかんとか怪しげながらも弾けるようになったモーツアルトのピアノソナタも、グランドピアノで弾くとぐっと上手に聞こえるのには感激するが、逆にグランドピアノの響きが良い事に却って戸惑ってしまう。鍵のタッチも滑らかならばピアノ(弱音)のところは本当に小さく弾かねばならないなど、家で電子ピアノで力任せに飛ばしていた部分も繊細なタッチを心がけないと曲にならない。それでも窓の外に見える引き波を背にグランドピアノを奏でると「船上のピアニスト」の気分となって嬉しくなる。

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