環状四号線
環状四号線の建設工事(豊島区・高田付近で神田川を渡る架橋建設工事)
都内の環状道路といえば外側の環状八号線(環八)や、かつて公害や喘息でその名を馳せた環状七号線(環七)が知られているが、その内側にも環状六号線(山手通り)や明治通りと呼ばれる環状五号線がある。明治通りの内側には都内を輪のように横に結ぶ道がないのかと云うと、お堀の周囲をぐるっと廻る内堀通りや日比谷通りが環状一号線であり、その外側の外堀通りや最近やっと開通した虎ノ門から汐留に向かう通称マッカーサー道路などが二号線なのだと云う。
これら都心を巡回する環状道路は、関東大震災の復興計画として当時の内務大臣だった後藤新平が帝都復興院総裁を兼任した際に計画されたそうだ。環状道路を利用するとその便利さが良くわかるが、モータリーぜーションの到来など予想もつかなかった時代に、都市の近代化を図り道路整備計画に熱意を燃やした後藤の慧眼には目を見開かされる。しかし後藤が練った環状道路計画も様々な事情でなかなか完成せず、環七が全通したのは昭和60年、環八にいたって平成18年に全通しているとおりである。
当時考えられた環状三号線は現在の外苑東通り・言問通り・三つ目通りを結ぶ道路であったが、この計画路線は本郷弥生から早稲田鶴巻町までの区間が播磨坂地区を除いて今だに手付かずの状態で、いったいいつ完成するのか不明である。一方、環状四号線の方は外苑西通りや不忍通りなどを結ぶ道路で、こちらの方は現在あちこちで道路の建設・拡幅や用地買収などが行われ、徐々に環状線らしき道路ができる事を周囲に示している。先のオリンピックで環七が出来るなど見違えるほど道路事情が良くなった東京だが、今も環状四号線の建設など、余り人々の目に付かぬ場所で着々と道路の拡幅や新規整備は行われているのである。
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