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2018年3月13日 (火)

三田の山

20180313
三田演説館と現在ここに置かれる福沢先生像

三寒四温の今日このごろ。昨日は、職場からほど近い港区三田の慶応義塾・三田キャンパスに昼休みを利用して行ってみた。三田は塾監局が置かれる慶応義塾の本部で経・商・法・文など文科系の塾生が3・4年時に学ぶキャンパスである(文学部は2年から三田校舎)。会社員生活も最終行程となると、なぜか若き日の思い出が蘇る場所が懐かしくなってきて、昨日も陽気に誘われてふらふらと三田の山に来てしまったのだ。もっとも学生時代の私は、グランドのある横浜の日吉に足が向いてしまい、三田は必修講義や試験に来ただけの場所なのだが、それでも若き日に過ごした場所と云うのは懐かしい。


最近ここに来ると、自然と脳裏に慶應賛歌の歌詞がうかんでくる。

一、
光あふるる三田の山
我等が校庭(にわ)に集いたる
希望(のぞみ)に充ち氏し若人(わこうど)は
独立自尊の城南健児
我等が若き力以て
理想の祖国(くに)を打建てん

慶應 慶應 慶應義塾
その名讃えん我が母校

三、
ああ美(うるわ)しき三田の山
第二の故郷 三田の山
共にむつみし幾年は
心に永くとどまらん
月去り星は移るとも
夢に忘れんその名こそ

慶應 慶應 慶應義塾
永遠(とわ)に讃えん我が母校



作詞・作曲をした平岡養一氏のよれば、終戦後の混乱期に書かれたこの歌は「第一節は敗戦日本の将来の再建を塾生に期待して、・・・・・第三節は学窓を出た我々塾員達がいつまでも母校を偲び、塾員である事を終生の誇りとして歌えるものとして書き上げたのがこの歌詞である。」(慶應歌集.昭和50年2月発行)だそうだ。


今から50年前に入学した当初は、歌詞があまりにも「クサイ」と感じたが、野球の応援など事ある度に悠揚たるテンポで流れる慶應賛歌を聴いているうち、あまたの慶應カレッジソングのなかで最も好きな曲になってしまった。昨日は、春休みだというのに塾生や教職員で賑わうキャンパスに一人佇み、「慶應賛歌」を一番から三番まで口ずさんで午後の仕事に戻ったのであった。

20180313_2

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