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2018年3月

2018年3月29日 (木)

飛鳥Ⅱ 2018年世界一周クルーズ「マイ出港セレモニー」

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横浜・神戸を経てクルーズは5日目、飛鳥Ⅱは台湾とフィリピンの間のバシー海峡を南下中だ。北回帰線も越えて海は群青色に変わり、シンガポール時間に合わせて時計を一時間遅らせて、やっとクルーズも本番という気分になってきた。今回は満船状態の699名が飛鳥Ⅱに乗船とあって食事も完全に二回に分かれて出されているが、船内は覚悟していたほどどこも長蛇の列というという訳でもない。船内生活や各種レクチャーのオリエンテーションに加え、知り合いの飛鳥Ⅱの船友に、またその船友を紹介されたりしておしゃべりをしているとあっという間に過ぎてゆく一日である。


横浜に見送りに来てくれた友人達から頂いたお餞別の品を前に、昨日は我がキャビンの出港儀式を執り行った。先ごろニッカ十年浪漫倶楽部で届いた2本の十年ものシングルカスク・マイボトルのうち、船内に持ち込んだ最初の1本の開栓式が我が家の出港セレモニーである。様々な事情があったがそれを乗り越えて無事に100日余のクルーズに出かける事ができたら、この59度もする濃いマイ・ウイスキーボトルの封を切ろうとかねてから妻と話していたが、いよいよその夢が実現する瞬間になった。開けたボトルは航海中のイベント毎に少しづつ乾杯し、10回ほどで飲もうと思っており、本日本の領海を出る昨日は待望のセレモニー実行日である。


という事で昨夕はふつうのウイスキーよりよほど厳重な封を開き、琥珀色に輝く10年ものマイ・ウイスキーを慎重にグラスに注ぐ事にした。ニッカ浪漫倶楽部では3万円の会費を払い何人かで共有した樽の中で熟成した5年もののウイスキーを1本、10年ものは2本貰える事になっていたから、5年ものは0.5本と換算すると1ミリリットルが約18円くらいになる。シングルでは高々500円ほどの価値だが、十年も待ったボトルである。これを一滴でもこぼすまいと慎重にキャビンのグラスに注ぎ、一口目はおもむろに生で、次にオン・ザ・ロックで口にはこぶと、えも云えぬ芳醇な香りとともにほのかな甘さのウイスキーが口内に広がった。船の揺れと相まって気持ちよい酔いが身体を巡るうち、とにかくクルーズに来て良かったという実感がわいて来た。

2018年3月24日 (土)

飛鳥Ⅱ 2018年世界一周クルーズを前に(2)

今回、飛鳥Ⅱの世界一周に乗船する事を決めた背景は昨日の通りだ。その上で実際に申し込む動機になったのはコースの良さに加え、早期割引代金などが従来より割安だった(最安のプランは1泊3万数千円から)事による。さて代金の事はさておき、コースが過去2回のワールドクルーズと比べてどうなのかを比較したのが自作のエクセル表(下の写真)である。


これは前に乗船した①2011年の飛鳥Ⅱによる喜望峰周りの世界一周クルーズ②2015年末-2016春乗船の南極・南米ワールドクルーズ③今回の世界一周④参考のため外国船を使ってかなり割安な料金設定で人気のJTB・サンプリンセス号の2019年世界一周クルーズの寄港地と航海日を比較しまとめたものだ。


この表から判ったのは ①(2011年)は104日間で23港寄港(運河通過・フィヨルドはそれぞれ1港とカウント)しており、前港と次の港の間の終日航海日、すなわち洋上のみの日が平均すると3.6日間、最長の無寄港日間隔が8日間が1回、7日間が2回という設定であった。②(南極・南米)は101日間で25港寄港(南極・氷河・運河はそれぞれ1港とカウント)平均終日航海日が3.7日となっており、7日間無寄港が2回、6日間無寄港が2回とこちらも洋上の時間が多かった。


それに比べて今回の2018年世界一周は103日で28港寄港(運河は1港とカウント)平均終日航海日が2.5日、無寄港は8日が1回、6日が1回、5日間が4回と寄港地の滞在が増え、洋上日数が減っているのが判る。特筆すべきは④のサンプリンセス号による2019ワールドで、100日間で35港寄港(運河・フィヨルドなどを1港とカウント)、平均終日航海日が2.2日、無寄港は7日が1回、5日が1回とこちらは圧倒的に港での滞在時間が長く、終日航海日が少ない。


港に寄れば船社には通常のポートチャージの他に、入出港に関わる本船燃料(バンカー)の追加費用はじめ乗客用のシャトルバスなどや歓送迎の為の諸費用がかかる。それを考えるとサンプリンセス号の来年の世界一周クルーズは、圧倒的に見所が多いうえ、値段設定も飛鳥よりはるかに割安でお得なクルーズとも云えよう。ただ飛鳥Ⅱの高い乗客年齢を考えると、サンプリンセス号並に寄港地が多いと疲れるというクレームも多数出るかもしれない。いずれにしても今回の世界一周は外国船よりはゆったりしているが、今までの2回の飛鳥Ⅱワールドクルーズより港と港の間の航海日が少なく、それも今回選択した理由であった。

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2018年3月23日 (金)

飛鳥Ⅱ 2018年世界一周クルーズを前に(1)

飛鳥Ⅱ 2018年世界一周クルーズを前に、多くのするべき事がやっと一段落して後は乗船を待つのみとなった。100日余り船内で過ごす間の衣類・持ち物のパッキング、留守中の家の管理や税金などの諸支払い、クルマの管理に歯の治療などにここのところ忙殺されていたが、やっとまた乗船できるという実感が湧いてきた。これで2011年のワールド・クルーズ、2015年末~2016年の南極・南米ワールドクルーズに次いで三度目の飛鳥Ⅱでの世界一周クルーズとなる。


一介のサラリーマン出身者としては大枚をはたいての重なるワールドクルーズ参加とあって、いくら何でも贅沢すぎない?という周囲のそしりは免れないところだろう。しかし65歳を超えても働ける職場が私にあり、妻も昔の職歴を活かした仕事がある。なにより周囲に病人や介護が必要な人がいないという僥倖。自身の健康は年齢相応にガタが来ているものの、医師の許可も得た。先の事はあまり悩まずに、遊べるうちに遊んでおこう!の気持ちなるも、すべて周囲の理解やサポートあってのクルーズで、お天道様に感謝しつつ出発を迎える。 


2011年に乗船した際、ソマリア沖の海賊問題で航路が喜望峰周りとなり、それはそれで貴重な体験だったものの、いつの日かスエズ運河を越えてエーゲ海・地中海に行ってみたいという夢もこれでかなう事になる。今回はこれまでのクルーズで知り合った船友も多数乗船するようだ。ダンスもこの2年間レッスンを受けたからそれなりに上手くなっているかもしれない。今回も船上で新しい習い事にチャレンジしてみようかと意欲もあるが、まああまり欲張らず、まずは波でも眺めながらゆったりと船上生活を楽しむ事にしたい。乗船した日にはとっておきのウイスキー(リンク ニッカ十年浪漫倶楽部)をキャビンで開けよう。

やっとパッキングが終わり船に送るばかりとなった衣類などのダンボール箱
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2018年3月21日 (水)

環状四号線

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環状四号線の建設工事(豊島区・高田付近で神田川を渡る架橋建設工事)

都内の環状道路といえば外側の環状八号線(環八)や、かつて公害や喘息でその名を馳せた環状七号線(環七)が知られているが、その内側にも環状六号線(山手通り)や明治通りと呼ばれる環状五号線がある。明治通りの内側には都内を輪のように横に結ぶ道がないのかと云うと、お堀の周囲をぐるっと廻る内堀通りや日比谷通りが環状一号線であり、その外側の外堀通りや最近やっと開通した虎ノ門から汐留に向かう通称マッカーサー道路などが二号線なのだと云う。


これら都心を巡回する環状道路は、関東大震災の復興計画として当時の内務大臣だった後藤新平が帝都復興院総裁を兼任した際に計画されたそうだ。環状道路を利用するとその便利さが良くわかるが、モータリーぜーションの到来など予想もつかなかった時代に、都市の近代化を図り道路整備計画に熱意を燃やした後藤の慧眼には目を見開かされる。しかし後藤が練った環状道路計画も様々な事情でなかなか完成せず、環七が全通したのは昭和60年、環八にいたって平成18年に全通しているとおりである。


当時考えられた環状三号線は現在の外苑東通り・言問通り・三つ目通りを結ぶ道路であったが、この計画路線は本郷弥生から早稲田鶴巻町までの区間が播磨坂地区を除いて今だに手付かずの状態で、いったいいつ完成するのか不明である。一方、環状四号線の方は外苑西通りや不忍通りなどを結ぶ道路で、こちらの方は現在あちこちで道路の建設・拡幅や用地買収などが行われ、徐々に環状線らしき道路ができる事を周囲に示している。先のオリンピックで環七が出来るなど見違えるほど道路事情が良くなった東京だが、今も環状四号線の建設など、余り人々の目に付かぬ場所で着々と道路の拡幅や新規整備は行われているのである。

環状四号線(新宿区・余丁町付近、これで外苑西通りと不忍通りが将来繋がる予定)
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2018年3月13日 (火)

三田の山

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三田演説館と現在ここに置かれる福沢先生像

三寒四温の今日このごろ。昨日は、職場からほど近い港区三田の慶応義塾・三田キャンパスに昼休みを利用して行ってみた。三田は塾監局が置かれる慶応義塾の本部で経・商・法・文など文科系の塾生が3・4年時に学ぶキャンパスである(文学部は2年から三田校舎)。会社員生活も最終行程となると、なぜか若き日の思い出が蘇る場所が懐かしくなってきて、昨日も陽気に誘われてふらふらと三田の山に来てしまったのだ。もっとも学生時代の私は、グランドのある横浜の日吉に足が向いてしまい、三田は必修講義や試験に来ただけの場所なのだが、それでも若き日に過ごした場所と云うのは懐かしい。


最近ここに来ると、自然と脳裏に慶應賛歌の歌詞がうかんでくる。

一、
光あふるる三田の山
我等が校庭(にわ)に集いたる
希望(のぞみ)に充ち氏し若人(わこうど)は
独立自尊の城南健児
我等が若き力以て
理想の祖国(くに)を打建てん

慶應 慶應 慶應義塾
その名讃えん我が母校

三、
ああ美(うるわ)しき三田の山
第二の故郷 三田の山
共にむつみし幾年は
心に永くとどまらん
月去り星は移るとも
夢に忘れんその名こそ

慶應 慶應 慶應義塾
永遠(とわ)に讃えん我が母校



作詞・作曲をした平岡養一氏のよれば、終戦後の混乱期に書かれたこの歌は「第一節は敗戦日本の将来の再建を塾生に期待して、・・・・・第三節は学窓を出た我々塾員達がいつまでも母校を偲び、塾員である事を終生の誇りとして歌えるものとして書き上げたのがこの歌詞である。」(慶應歌集.昭和50年2月発行)だそうだ。


今から50年前に入学した当初は、歌詞があまりにも「クサイ」と感じたが、野球の応援など事ある度に悠揚たるテンポで流れる慶應賛歌を聴いているうち、あまたの慶應カレッジソングのなかで最も好きな曲になってしまった。昨日は、春休みだというのに塾生や教職員で賑わうキャンパスに一人佇み、「慶應賛歌」を一番から三番まで口ずさんで午後の仕事に戻ったのであった。

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2018年3月 7日 (水)

山手線 E235系に乗る

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山手線に乗ったらラッキーなことに新型のE235系電車がきた。車内の妻面にある製造者銘板をみると2018年製とあるから走り始めてまだ2カ月未満の車両である。先頭車の顔こそどこか別の場所からとってつけたようで不細工だが、この電車にはいろいろな新機軸が盛り込まれているのが乗車するとすぐわかった。網棚の後ろはデジタル・サイネージとか呼ばれる液晶ディスプレーが並んでいて、走りながらも盛んにCMを車内に流している。もっともこの新アイデアも、大きな荷物を網棚に乗せたら、画面が見えなくなってしまうのではないのかと思われる。


このE235系にはパナソニックの空気清浄機が備え付けてあったり、座席の一人当たりの幅が少し広がったりと工夫がこられされているほか、車体強度の見直しや車内の騒音軽減も図られているそうである。車内の音といえば今回たまたま飛び乗った車両が「サハ」だった事もあって、なおさらジョイントを刻む走行音も軽やかな気がしてきた。そういえば通勤電車のモーターはVVVF制御になって、人間の感性に反してずいぶんうるさくなった。リニアーに音が変化せず変調するかの電車のモーター音を聴くと、技術の進歩によってかえって快適性が損なわれたと思っていた。最近の車両はこのあたりについてはかなり改良されたが、まだまだ通勤電車のモーター音はうるさいものだ。なのでE235系に至って本格的に音対策を実施するというのもうなづける。


ただこの編成は、製造者が新潟にあるJR系の総合車両制作所というのがちょっと白けてしまうところだ。電車に乗るとなにげなく見るのは車端に掲げられた製造者の銘板である。かつて一世を風靡した汽車会社、帝国車両、ナニワ工機、新潟鐵工などもなくなり、今やなんと東急車輛も存在しないところを見ると、車輛製造というのは非常に厳しいビジネスなのだろうと想像できる。最近はどこへ行っても東急車輛から事業を譲渡されたJR系の総合車両製作所の電車ばかりが目につく。かつてのようにメーカーと鉄道会社が特色を出そうと競いあうより、限られたメーカーによる標準化設計でコストダウンが優先されるとは車両製造の世界も世知辛くなったようだ。

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