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2018年2月

2018年2月28日 (水)

「リベラル」という病 (岩田 温 著)

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先の総選挙を前に空中分解した民進党が、小池百合子氏が率いる希望の党に吸収される際におきた茶番劇には笑ってしまった。小池氏が集団的自衛権の行使容認に踏み込んだ安保法制や憲法改正に賛成する事を受け入れ条件とすると、あれほど安部総理の暴走を許さないと反対していた民進党の「日本のリベラル」たちがころっと方針を変え、踏み絵を踏んで希望の党になびいてしまったのだ。しょせんリベラル政党とは国民の事よりおのれの選挙目当ての互助会に過ぎず、日頃声高に叫ぶ主義・主張などは便宜的な付け足しに過ぎなかったという事が暴露されたようである。


リベラルの正体見たりという思いでそのドタバタ劇の報道を見ていたのだが、なぜ、そして、いかに彼らがそんなにおバカなのか、にわかに知りたくなり岩田温著の新刊「『リベラル』という病」(彩図社)を買ってしまった。岩田氏は新進気鋭の政治学者だそうで、東西古今の文献に通じた氏はリベラルの定義にも触れつつ不思議な「日本のリベラル」(いわゆるサヨク)を縦横に批判する。それによると「日本のリベラル」は周囲の情勢を一切無視し、ただ平和憲法を護れば平和が保てると主張するような「現実を無視した反知性主義者」であると云う。さらに彼らリベラルはむやみに共産主義に親和的で、その実態や共産党の本音に目をつむりがちだと指摘し、旧ソ連の悲惨な歴史が本書で語られる。


考えてみると1960年に「日米安保反対」を叫んだ日本のリベラル(サヨク)勢力の主張がまかり通り、もし我が国が日米安保なしであったら今の日本は一体どうなっていたかと想像すると恐ろしい。また天皇を認めない日本共産党は「当面」は認めると云っているが、では彼らがいつ天皇陛下を認めないと変身するのか。そのほか世界中でフツーに認められている集団的自衛権行使を認めたら、なぜ日本だけが徴兵制が復活して近隣諸国を「侵略」するのか、などなど日頃から日本のリベラル=サヨクの発する主張は反知性的かつ疑問だらけで突っ込みどころ満載である。


著者は朝日新聞などのサヨクメディアが、多くの憲法学者が自衛隊を違憲と主張する事は今回報じず、集団的自衛権の行使容認だけが違憲と騒ぎ立てる矛盾もついている。真に立憲主義を貫くなら、自衛隊は違憲だから廃止するか憲法を改正せよと主張すべきところ、それはできないから結局のところ日本のリベラル=サヨクは、「知的に余りにも不誠実な態度に終始」する「反知性主義」に陥るのだと容赦ない。さて今回の希望の党入党騒ぎで判ったのは「日本のリベラル=サヨク」は、本気で主義・主張を掲げている訳ではなく、ただ現実をまったく無視した脳内のお花畑的妄想に基づきガラパゴス的発言を繰り返していたと云う事である。これら奇怪な「日本型反知性主義者」に対して、本書の最後には著者の提言も記されており、これがなかなか読み応えがあるもので興味深かった。

2018年2月26日 (月)

東京マラソン2018

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だいぶ前後もばらけてきた終盤の芝公園地点

義理の妹が東京マラソンに出たので、昨日は都内数か所あちこち廻って彼女の家族と応援してきた。天気は曇り空で気温は低いものの風がほとんどなく、応援にはまずまずのマラソン日和である。通過地点そばの地下鉄階段を上がり地上に出ると、いつもは多くのクルマが行き来する大通りを、市民ランナーたちが河の流れのように通過していく。沿道はどこもランナーたちを応援する友人や家族たちが二重、三重の人垣を作って立錐の余地もない。3万人余りの参加者を応援する人たちが、地下鉄で都内あちこちを移動するのだから、この日はさぞかし都営にしろ東京メトロにしろ地下鉄がウケに入っていることだろうと想像される。


それにしても目の前を通るランナーを応援していると、最近は外国人がとても多いのに気がつく。特に目立つのが台湾から来た選手たちで、彼らは団体ツアーなどで大挙してやってくるのだろう。“タイワン加油(ジャヨウ)”と声援を送ると、序盤は皆にっこり笑い返してくれるも、後半38キロ地点の応援ではうなずくのが精いっぱいというのもご愛嬌。そのほかドイツ・北欧・イギリス・イタリア・アメリカなどそれぞれのお国柄をプリントしたウエアを着込んだランナー達に、”ビバメヒコ!””GO AUSSIE"などと声援を送っていると、次第にこちらも大会に参加している気分になってくる。


目の前の大河のごとき流れも、シリアスランナー達が通り過ぎると、奇抜な恰好の人たちが増えていくのが面白い。オロナミンCの茶色の大きな瓶が通り過ぎれば、富士山の着ぐるみを着たランナー、帽子から靴まで上下真っ白なスーツ、和服姿とか金太郎、アラレちゃんにミニーちゃん、ウオーリーにマリオ、あるいは鞄を持った背広のサラリーマン姿も走っていく。酒飲み風おっさんは、蓋をした生ビールのジョッキを持って42キロも走るようで何ともご苦労さんなことだ。それぞれこの日のために準備したウケ狙いコスチューム姿に「いいぞオロナミンC!」などと声援を送ると、皆ここぞとうれし気に手を振ってくれる。マラソンはまさに人と人とのふれあいの場である。


さて最近は応援するランナーが現在どこを走っているのか、一瞬にしてスマホのアプリで見る事ができ、これを目安に地下鉄の降車駅がわかって便利である。それでもホームから地上に出ると、目の前の途切れぬランナーの流れに戸惑い、お目当ての人を見つけるのは難しい。幸い今回の義妹は序盤から梅宮辰夫のお面をしたランナーの後ろを走っていたので「梅宮が来たらもうすぐ」と目印が明瞭で探しやすかった。という事で梅宮の目標が良かったものか、日頃ほとんど走る練習もしていない彼女は5時間そこそこで無事ゴールにたどりついたのであった。こうして走らない者も楽しめた東京マラソンも、警察や消防、大勢の関係スタッフ、その他多くの支えがあってこそ無事に運営されているのが現場に行くとよくわかる。彼らに感謝しつつコースを後にした日曜日だった。

東京マラソンに関する過去の記事
東京マラソン2015 「マラソンには魔物が棲む」か?(2015年2月23日)
東京マラソン 2014・ボランティアの記(参加してこそ・・・)(2014年2月24日)
東京マラソン2013・皆が勝者(2013年2月25日)
感謝・東京マラソン2012(2012年2月26日)
魔の30キロ・地獄の35キロ(2011年2月28日)
東京マラソン応援(2010年2月26日)
東京マラソン後日譚(2009年3月27日)
妻の東京マラソン初挑戦(2009年3月22日)

2018年2月18日 (日)

親切、常識、マナー

週末である。皇居でのジョギングの帰り、千代田区のある大きな交差点に差し掛かると、白い杖を持って目が不自由な男性が信号待ちをしている。後姿から察すると80歳くらいだろうか、信号が青に変わったチャイムが鳴ると、横断歩道の黄色い点字ブロックを杖で確かめつつおぼつかない足で老人は交差点を渡り始めた。周囲の人達が心配げに見守る中、傍らにいた中年の女性がすかさず老人の腕を取って誘導しようとしたその瞬間、彼は「余計な事をするな!」とばかり女性の手を乱暴に振りほどき、一人でよたよた進み始めた。あっけにとられてその光景を見ていた私は、くだんの女性に「性格の悪い人もいますね」とささやくと、彼女も「見てましたか?」と苦笑いで返事を返してきたのだった。


世の中には目の不自由な老人を介護するふりをして財布を持っていく様な不埒な輩もいるだろう。老人は以前そんな事態に遭ったのかも知れないし、どういうつもりで女性を邪険に突き飛ばしたのかは判らない。ただ他人に誘導される事が不本意なら「自分で出来ますから結構です」と穏やかに言えばよいのにと思うが、人に親切を受けるのを良しと思わぬ固陋な性格の老人なのだろう。思い出すのは、若い人が電車で老人に席を譲らない理由の一つに、立とうとしても却って相手に「まだそんなに老人ではない」と言われるが嫌だから、というのがあるそうだ。人に親切にしても今日のような態度で返される例をみると、若者が席を譲るのに逡巡する気持ちが判らないでもない。他人に親切をするのはつくづく難しいものだと考えさせられる。


私も電車内で席を高齢者に譲ろうとする際に、時々「いや大丈夫です」と断られる事がある。そんな際には「次が私の下車駅ですから遠慮なく」と言って一旦降りるふりをすると、譲れらた方も安心して座ってくれる事が多い。そう云えば電車で思い出したのは、さいきん通勤時に混んでいる車両にベビー用のバギーを折りたたまずに持ち込んでくる親がかなりいるということ。通勤客でいっぱいのドアー付近に、大きなベビーカーが置かれると危険かつ周囲は迷惑なところ、彼らはそんな事は意に介していないようだ。混んだ車内ではなぜ子供をおんぶやだっこし、バギーは折りたたまないのか不思議なのだが、これが少子化社会の風潮なのか。杖の老人しかりラッシュ時のベビーカーもそうだが、社会的弱者である事を逆手に「おやおや!」と思われる行動をする人がまま見られる。こちらも老境に入るにつれ、せいぜいそうならないように注意しなければ、と自戒するところである。

2018年2月11日 (日)

保守の真髄 西部邁

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西部邁氏が先月亡くなった。1980年代の終わりごろから「朝まで生テレビ」などで大島渚や姜尚中らを相手にディベートを繰り広げたおなじみの保守の論客である。アメリカのくびきを離れ真の独立の為には、日本も核を持つ事やむ無しとする西部氏の考えには耳を傾ける点が多い。西部氏が関わった雑誌「表現者」などを通じてその主張のいささかでも聞きかじった私としては、最後に氏が自裁死と称して自ら人生を終えた事がかなり衝撃的であった。


その西部氏の「最期の書」とされた「保守の真髄」が講談社現代新書から出されたので早速購読してみた。神経痛のために書くことができなくなった西部氏が、娘を相手の口述筆記で出した本で、「死の覚悟」を以って「本気度をできるだけ強く表面に出して語ろう」と冒頭にある。「文明の紊乱(ぶんらん=みだれること【広辞苑】)を語る」とサブタイトルにある本書は、なるほどとうなずく箇所が多いものの、正直言って私の凡庸な理解力ではついていけない文章も多かった。


例えば「人間の意味行為といい社会における価値活動といい、水平軸にあっては意味価値の『同一化と差異化』の対比によって、垂直軸ではその『顕在化と潜在化』の対比によって行われる。」(75頁)などとある。そのような難解な部分は悲しいかな読み飛ばすしかないのだが、ただ古今東西の思想に通暁した西部氏が考え抜いた現代文明に対する思いが「本気」で述されている本である事は間違いない。


本書の最後は西部氏の惜別の辞である。紊乱の世の中を正視するに堪えない氏は、先に奥さんを亡くしているそうで、手が不自由になった自身の事もあって今回の決断をした事がうかがえる。保守の評論家・江藤淳氏が亡くなった時にも思ったが、どんなに立派な思想をもった人物でも、妻に先立たれると男は弱くなるのだろうか。それにしても舌鋒鋭いコメントの後に、ちょっと照れたようにニヤっと笑う碩学・西部氏の表情が、テレビ画面から見られないのは寂しいものである。

2018年2月 7日 (水)

すみだ北斎美術館

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北斎とお栄

先日はドライブがてら両国のすみだ北斎美術館に行ってみた。靖国通りも都心を抜け両国橋を渡ると京葉道路と名前が変わり、周辺の道路はマス目のように直角に交差し合って雰囲気も変わってくる。この辺りは昔から何度も大火やら震災やら空襲などの被害を受け、その度に町が再建された結果このような広々とした街並みになったのだろう。そんななか、両国駅からほど近い総武線の線路近くに真新しい「すみだ北斎美術館」がある。駐車場はないようなので、とりあえずクルマは駅前にある江戸東京博物館近くの駐車場に駐める事にする。


1760年生まれの北斎は90歳という当時としては異例の長寿で、その生涯のほとんどをこの近辺で過ごしたとされる。地域の誇りのその北斎を顕彰するとともに、近辺の活性化のために一年ほど前に、ここに美術館が作られたそうだ。まだ打ったコンクリートも新しい美術館を訪れた日は、常設展のほかに「しりあがり寿」という漫画家による北斎の富嶽三十六景をパロディにした企画展が開催されており、西欧人の入場者も多数訪れているのが判る。このようなパロディものをオリジナル(写し)と同時に並べたり、場内の写真撮影が自由だったりと、美術館の建物自体もユニークだが運営方針もかなりフレキシブルなようである。


常設展には名所浮世絵のほかに絵本挿絵や漫画など年齢別に北斎の作品が並んでおり、「錦絵ができるまでの」コーナーでは多色刷りの版画がいかに精緻な工作によってできるのかが判るようになっている。西欧の美術にも多大な影響を与えた北斎は身長180センチの大男で、生活や社交に一切頓着しない芸術家肌の変わり者だったらしい。会場の一角には大女で面妖な顔つきの実娘・お栄の傍らで、北斎が布団をかぶりながら鬼気迫る形相で絵をかいている実物大の模型があって、これがなんともリアルであった。それにしても最近はあちこちに、様々なテーマの博物館ができて、休みの午後などにぶらっと展示を見て普段知らない世界に浸るのも楽しいものだ。

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「凱風快晴(赤富士)」ならぬパロディーの「髭剃り富士」

2018年2月 2日 (金)

「田園発 港行き自転車」宮本輝

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若い頃には、読んでも冗長な感がしてあまり印象に残らなかった宮本輝だが、数年前から彼の作品がけっこう気になっていたのは以前アップした通りである。その後飛鳥Ⅱのライブラリーに全十数巻の宮本輝全集があるのをみて読んだところ、これが旅の無聊を慰めるによくすっかりハマってしまった。すでにライブラリーにある全集の半分以上は読んだであろうか、あまりひと気のない飛鳥Ⅱの船尾デッキでデッキチェアーにもたれ、船の引き波が奏でる音を身近に感じつつ、宮本輝全集の長編小説を読むのはいまや飛鳥Ⅱに乗船する際の楽しみの一つである。


そんな宮本輝の新刊「田園発 港行き自転車」(集英社文庫)が出たので、さっそく上下2巻を買って読んでみた。北日本新聞に連載されていたこの小説は、富山で起きた一人の男性の死とその死によって生かされた一つの命、そこに係わる多くの人たちが紡ぎだす人間模様を描いたものである。小説では、物語の舞台となる富山の美しい自然と京都の花街の風情が、両地に縁の深い作者によって詳しく描かれており、この情景描写をバックに魅力的な作中の人物たちを読みとくうちに、次第に読者も物語に引き込まれていくという筋書である。


例によってスリル満点とか波乱万丈、最後に大逆転などという劇的な話の展開はない。読んでいるうちにふとうたた寝をして手から本が滑り落ちているが、気がつくとうっちゃておけず、すぐにまた本を手にして読みたくなるような物語である。とはいうものの男性の死に関する謎が解き明かされていく中で、多くの人間関係の綾が解きほぐされていく過程は、思わず先を読み進めたくなる宮本輝ワールドである。「コツコツと生きる」「謹厳」「感謝」「信頼」「時の経過による癒し」などという宮本作品のキーワードが頭に浮かびつつ、読了してみると「読んでよかった」と思わず漏らしてしまう「田園発 港行自転車」であった。

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