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2018年1月 7日 (日)

”コンプライアンス絶対”を考えてみる

正月の「しまなみ海道」合宿へ向かう新幹線車中でJRの雑誌Wedge1月号を読むと、企業コンプライアンスの専門家・郷原伸郎氏の 「コンプライアンスを履き違えるな」 「本質を見ず、形式上の不正だけを捉えて批判する日本社会」 というページに目がとまった。私は昨今の職場に蔓延する形式だけのコンプライアンスと、それにともない ”コンプライアンス!!”とひとこと叫ぶや、水戸黄門の印籠のごとく社員が思考停止してしまう風潮を日ごろから滑稽に思っている。永年付き合った信用にまったく問題ない取引先から、たまたまカレンダーの都合で送金が僅かに遅れた際に、”コンプライアンス”や”規則”を盾に、相手に余計な追加手続きを要求するような輩を最近しばしば仕事で見る事もある。


考えてみれば我が現役時代には、案件を進めていく過程で規定とかルールぎりぎり、あるいはボーダーライン上か、いやひょっとしたらやや違反しているかも、などという場面にしばしば遭遇したものだ。当時「そこからが給料の貰いどころ。そこで一工夫も二工夫もするからプロだろう。規定どおりですべて済むなら社員はいらん、ロボットにでもやらせておけばよい !」と部下に説教を垂れていた私には、最近の「コンプライアンスがあるので1ミリでも融通をきかせる事はできません」という仕事の進め方には、どうにも違和感を感じるのである。相手と状況を見て判断すると云う大人のイロハも、”コンプライアンス・バカ”が幅を利かす世の中では通用しないようだ。


記事では「事実の中味や背景、原因などよりも、法令に違反したかどうかが問題にされ」(法令順守の印籠の前に)「物事が単純化され、本質が見失われ」「社会全体のパワーが確実に低下している」とし「法令や規制が社会的要請に合致しているかを意識せず、ただルールだけを厳守することだけが目的化している」と郷原氏は指摘する。さらに最近の自動車や鉄鋼会社で発覚した企業不祥事を取り上げ、実態を見ず、ただ形式上のコンプライアンスに違反した事のみが有無を言わさず批判される社会を「現場社員の疲弊と不満の蓄積、そして組織の歪み」を生むだけと批判する。


こうした風潮に対し、郷原氏も指摘するような「実態と乖離した法令・規制を是正する必要性」が望まれる処だが、さて現実の企業従業員は上から下まで、入社以来、「形式上」のコンプライアンスを叩き込まれてきた世代である。はたしてそうした見直しを必要と考える源泉が彼らの内にあるのか疑問に思えてならない。これに馴らされ過ぎたうえ、少しでも逸脱した時の恐ろしさだけを彼らは教えられているから、真面目な人ほど余計な事は何もすまい、と考える事だろう。こうしてみると日本の企業社会は意味のない形式上のコンプライアンスに縛られ、とても窮屈かつ効率の悪いものになっていく気がする。一方で本家・本元の欧米の企業は、お題目とは別に、結構うまい事をやって法令を逃れたり、競争を回避したりしているのが見えるのである。四角四面のコンプライアンスの蔓延で、現場の柔軟な力に支えられた日本経済の強さが削がれるような気がしてならない。


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