陸王とハリマヤ
かつてハリマヤがあった大塚三丁目の交差点 角の銀行の右隣が店舗だった
友人たちが、大人気のテレビドラマ「陸王」を見たら、とさかんに薦めてくれるので、シリーズ最後の数回をテレビの前で楽しむことにした。倒産寸前の”こはぜ屋や”という足袋屋を舞台として、マラソンシューズの開発に活路を見いださんとする彼らの前に、大手のスポーツ用品メーカーや銀行などが立ちはだかる話である。「半沢直樹」で評判になった池井戸作品らしい勧善懲悪のはっきりしたストーリー、かつ毎回のように涙腺を刺激されるドラマを大いに楽しませてもらったが、画面を見ているうち脳裏に浮かんでくるのが、物語り同様に足袋屋からマラソンシューズメーカーになった大塚のハリマヤのことであった。
私が陸上競技をしていた1960年代後半から70年代前半にかけて、マラソンや長距離ランナーのシューズと云えばオニツカ・タイガー(現アシックス)のものがほとんどであった。特に1968年メキシコオリンピックで君原選手が履いて銀メダルをとった、オニツカの”マジックランナー”は軽くて通気性にすぐれ、多くの長距離選手に愛用されていたのだった。そんな時代、競走部の友人が「これがなかなか良いよ」教えてくれたのがハリマヤのランニングシューズである。たしかに履いてみるとハリマヤはオニツカのシューズよりゴム底が厚くて弾力があり、私のような踵着地の者に良いという事がただちにわかった。
早速買い求める事にしたが、メーカー品と違って大塚にあった小さな店でしか売っていないから、山手線をぐるっと半周回って買いに行ったのだった。駅から遠くはずれ知る人ぞ知るという風情のランニングシューズ店だったが、まだジョギングという言葉もなく、買い物客は本チャンの競技者ばかり。お店の中は、何か一途な雰囲気が漂う空間だったのを覚えている。ハリマヤはもともと足袋屋だったものが、マラソン黎明期の名選手だった金栗四三に頼まれシューズの開発をしたと云う。かつては有名マラソン選手もハリマヤシューズを愛用したものの、バブル期の波に踊らされ、いつの間にかハリマヤは消えていったらしい。テレビで「陸王」を見ていたら足袋屋からマラソンシューズの店になったハリマヤを思い出し、なぜかそのシューズを履いただけで速く走れるかの気になっていた頃を思い出したのだった。
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