近代日本と慶應スポーツ・特別展
慶応義塾体育会創立125周年を記念した特別展「近代日本と慶應スポーツ」が、三田キャンパス東館ホールで開催されていると読売新聞にあったので、会社の昼休みを利用して行ってきた。入場するとまず最初に目にとまるのが、本展のサブタイトルである「体育の目的を忘るゝ勿れ」という福沢諭吉の論説文の掲示だ。このコーナーでは慶應のスポーツが「創立者福沢諭吉の身体感・体育感」(解説パンフ)を原点としており、それが「近代日本のスポーツの発祥の一源流」(同)となった事を示している。私も今回初めてじっくりと福沢先生の論説を読んでみて、まさにこの教えが義塾体育会のバックボーンだと思い知ったのだが、この点はあらためて別の機会にアップする事にしたい。
展示物は明治時代、まだ体育や運動という言葉が社会に根づいていない頃の資料に始まり、早稲田大学野球部が慶應義塾野球部に送った挑戦状のほか、戦前のオリンピックに出た選手たちの活躍、戦時のスポーツと選手、戦後の復活のさま、国際交流の成果など170点余りにのぼっている。ほのかな灯りに映える落ち着いたホールには、ところどころに体育会本部の学生らしき学ラン姿の塾生が詰めていてここち良いが、平日の昼休みなので訪れる者も少なく静謐な雰囲気である。なぜか我々の年代以上の女性がちらほら見受けられるが、今と違って当時は女子選手の少ない時代だったから、わざわざここに足を運ぶ彼女たちは往年の名選手だったのだろうか。
ぜひ見たかったものがベルリンオリンピック陸上・棒高跳びで、早稲田の西田修平選手と2位・3位となり、メダルを半分づつ分け合った大江季雄選手の「友情のメダル」であった。残念ながら銀と銅色に分かれた丸いメダルは写真撮影禁止だったものの、教科書にも載った競走部の大先輩が係わったメダルを実際にこの目で見ることができたのは何よりである。傍らに展示されている大江選手の「明治維新ニ於イテノ地租、農政問題ノ社会学的考察」という卒業論文の分厚い綴りを見ていると、フィリピンで戦死した大江選手が決して伝説の人ではなく、本当にこの三田の地で学んだ塾生だったことが伝わり、なにやら急に親近感が湧いてくる。
そのほか、戦前に活躍した選手たちの戦地からの手紙や遺品、戦死広報などの展示物のなかで、特攻死した水泳部主将の片山選手が恋人に残した写真立てと、エンジ色の旧制中学時代の水泳ふんどしが生々しく印象的だった。これらを見ると、ありきたりな感想だが平和な時代にスポーツができるありがたさを感じるのである。そうこうするうち「ボーズ頭は決して高校生らしくない」「グランドへのお辞儀は虚礼である」「何故大声をだすのか」とENJOY BASEBALLを徹底した野球部の元名監督・前田祐吉氏のノートを前に足が止まってしまう。なるほど前田さんらしいと感心しつつじっくりと読んでいると昼休みの時間はとっくに過ぎて、あわてて会社にとって返したのだった。
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