祝・慶應競走部創部100周年
昨日は日吉で競走部創立100周年の記念式典と祝賀会が開かれた。藤原洋記念ホールで行われた式典に先立って陸上競技場で行われた93回目の早慶対抗陸上では2年ぶりに早稲田に勝利し、その勢いを持ち込んだかのように盛り上がった記念の会であった。式辞を述べた川添競走部部長によると、1917年に部が出来る前にも、徒歩部と云う部が体育会に存在しており、その起源からカウントすると競走部は塾体育会と同じ(125年周年の)歴史になるが、徒歩部は途中で競『争』部と名前が変わったりして、いつの間にかわからなくなったらしい。まだ陸上競技という概念が充分に確立する前の、近代スポーツ揺籃期の混乱から生じた出来事なのであろうか。川添部長の話では、今の競走部は20世紀初めのオリンピック運動の興隆を背景にして誕生したのだそうだ。
場所を移して学生食堂で開かれた祝賀会には現役部員はじめ、関係者含めて800名もの懐かしい顔が揃った。卒業以来40数年ぶりに会う者や地方から上京した者も多数おり、100周年という節目に居合わせる喜びを一同で大いにかみ締める事ができた。見れば中にはかつてインターハイや国体で優勝したり上位に入って「陸上競技マガジン」や「月間陸上競技」の表紙を飾ったOBたちもそこここに散見される。こんな選手たちと一緒に何の実績もない私のような部員が、日々の練習や生活を共にできたのはなんと幸せな事だったかとあらためて往時を思いだす。また、ここに集まった卒業生(塾員)の多くが主に実業界で活躍し、日本の経済を担っている事が交換する名刺からもうかがえて、これこそが慶應の良さであると思うのであった。
さて我々の頃と違い今は160名もの現役部員が在籍し、体育会の多くの部と同様に女子部員も多数活躍している。そして何より驚いたのは祝賀会で鈴木監督から紹介された現在の部の専門的な活動であった。今は短距離・長距離・跳躍などの各パート毎に、かつて日本を代表する選手だった他大学の出身者がアドバイサーやコーチとして現役を見ているほか、専門のトレーナーがついてチームドクター制もできているそうだ。これら部を支える陣容が監督から紹介されるにつけ、我々の時代は一人の監督の下で皆が一緒に練習し、長距離も投擲も飲み食いを共にする牧歌的な体制だった事が懐かしい。もっとも監督によるこれらの紹介で、最後に合宿所のまかないのおばちゃんが呼ばれると、OBの若手連中や現役の学生から一段と大きな拍手が沸き起こって、何かホノボノとした気分になって祝賀会場を去ったのであった。
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