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2017年6月20日 (火)

米イージス艦とコンテナ船の衝突

20170620
事故のイージス艦フィッツジェラルドと同型艦ジョン・S・マケイン(8362トン) 2009年12月横須賀基地公開日に撮影

日本郵船のコンテナ船CTX CRISTAL号と米海軍のイージス艦が衝突し多くのアメリカの若者が亡くなった。まずもってこの事故で亡くなった前途ある米国の兵士たちの冥福をお祈りしたい。それにしても2009年秋に自衛艦くらまがコンテナ船と衝突した事故の時にも思ったが、現代の軍艦というのは鉄板が薄い事にあらためて驚いた。旧帝国海軍では駆逐艦こそぺらぺらだったものの、巡洋艦以上の軍艦は装甲が厚かったと云われる。今の戦争は魚雷戦などがないのでこれでよいのだろうが、現代の巡洋艦たるイージス艦の船穀はこんなにも薄いのか。


報道ではよくわからないが今回の事故はどうも2隻とも伊豆半島の先端、神子元の灯台をかわして東京湾に向かう同航船だったようだ。当夜の視界は良好だった中、コンテナ船がイージス艦の右舷後ろから追突したとすると、ねずみ色でただでさえ見にくい軍艦のうえ、コンテナ船からはマストや両舷の赤青の灯火が視認できない位置、船尾灯しか見えない方向からぶつかったのかもしれない。追突だとすれば見張りをしっかりしていれば防げた事故だとも思うも、衝突したとされる午前2時頃は当直の2等航海士と操舵手(クオーターマスター)の二人ウォッチで、2航士が海図の確認などで遮光カーテンの奥で作業すれば、ブリッジは実質一人体制になる時もある。


NHKニュースでは内航船の船長の話として「3人ブリッジで見張りをしているはず」と言っていたが、これは2航士とクオーターマスターの他、船長もブリッジで操船をしている事を指しているのだろうか?ただ事故現場が船舶の輻輳する海域と云っても、深夜に神子元灯台をかわって翌日の早暁に着く浦賀のパイロットステーションまでは船長は居室に戻っていたのではないだろうか。というのも東南アジア航路の本船はここに来るまで荒天などでそもそも日本到着が遅れていたようで、その後の神戸・清水・名古屋・東京・横浜に連日入れ出しするスケジュールもかなりタイトである。船長は睡眠不足だったはずで、明朝の東京湾に備え少しでも寝ておくため、神子元を通過してからはブリッジにはいなかったのでないかと推測する。


かつて1980年代、私が北米航路のコンテナ船担当だったころは釜山・神戸・名古屋・清水・東京と毎日各港入れだしのスケジュールを船長(当時はみな日本人)に提示すると、毎回「俺を殺す気か、これじゃずーっと寝る閑がないじゃないか」とひどく怒鳴られたものだ。今回のコンテナ船はフィリピンクルーだそうで、実質的に日本の船主が日本郵船に定期用船で長期に貸し出している船である。これから保安庁の調べや海難審判で様々な事実がわかる事になろうが、就労体制も含めて一刻も早く原因が究明される事を望みたい。それにしてもコンテナ船の代船手配や船荷証券はじめ膨大な輸出入書類を書き換えなどに皆テンヤワンヤだろうと関係者の苦労を思うと心が痛む。


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