セレブリティ・ミレニアム日本一周春色クルーズ(4)軍艦島
このクルーズの最初の寄港地は長崎であった。といっても長崎港には今までもクルーズ船で幾度か来ているし、昨秋はねんりんピック長崎大会に東京代表で出場し、お隣の諫早市でマラソン大会に出たばかりだ。思い出の諫早運動公園に電車で行ってジョギングでもしようかと妻に提案したところ、さすがに即座に却下され、代わりに2015年に世界文化遺産に登録された軍艦島を見学する事になった。
軍艦島は長崎港から約10海里の沖合いにある南北が480米・東西160米・周囲が1200米の小さな島で、この島の地下から海底に向けて伸びる炭抗から、かつて八幡製鉄所の製鉄原料(コークス)になる強粘結炭が出炭し船積みされていた。最盛期にはこの小さい島に炭鉱の関係者とその家族ら5,300人が済み、東京都の9倍の人口密度になったと云う。これらの人々が暮らすために、島には大都市に先駆けてアパートなどの高い鉄筋コンクリートの建物が造られ、遠くから見ると島の外観が軍艦に似ている事からこの名がついたそうだ。
1974年の閉山で島に人が住まなくなったため、これら建物群は波や風雨にされされるまま朽ちており、今では鉄筋コンクリート業界や建築学会の格好の研究対象になっているとの事。この島を見学するために数社が長崎から船を出していて、我々はその中から軍艦島コンシェルジュというツアーを利用した。島を往復するボートツアーは午前と午後に各1便あって、ミレニアム号を昼前に下船した後は客船ターミナル直近にある軍艦島デジタルミュージアムでまず島の概略を学び、午後ツアーのボートに乗船するという手筈である。
長崎から小一時間の航海、ガイドの説明を聞きながら軍艦島に近づき、周囲を船からぐるっと俯瞰した後に上陸地点のドルフィン桟橋にボートは着く。老朽化によって各所で崩壊の危険があるため、桟橋からツアー客が行けるのは、残念ながら島の南部のごく一部の見学ルートに限られる。ただここにツアー客が殺到しないように、桟橋の使用から見学場所の調整まで、ツアーを催行する各社がうまく協調して混乱を避けているようだ。
そこここに見える赤錆びた鉄筋や朽ちた建築物を前に 「つわものどもが夢のあと」 という言葉が脳裏に浮かんでくるが、繁栄していた時代は 学校、病院、寺社はじめ 「ないものは墓場だけ」 と云われるくらい島には何でも揃っていたそうだ。坑内の仕事は極めて危険で過酷だったものの給与は高く、島内の犯罪も少なかったから駐在していた二人の警官も、せいぜい酔っ払いを留置するくらいしか仕事がなかったとか。
ガイドの説明では昭和30年代、東京でテレビの普及率が10%ほどの時に軍艦島では100%であり、また幹部社員は本土の10倍ほどの給与をもらって家を何件も持っていたと云う。そのほか下請け業者・孫請け業者を含めて島は一つの共同体として団結していたそうで、それらの説明を聞くと、世界文化遺産登録申請時の韓国の反対は、例によって歴史上の些事を棒大に取り上げた「反日」のためのプロパガンダだったのかとの思いが強まった。
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