セレブリティ・ミレニアム日本一周春色クルーズ(3)
このクルーズの最初の寄港地、長崎ではコンビニに立ち寄り文芸春秋5月号を買った。なにせ次港ブサンは例によって一歩も上陸しないから、がらんとした船内での無聊な一日をジムで運動し、プールサイドで読書して過ごすためである。という事で翌日ブサン港に船が碇泊中に文藝春秋誌をゆっくり読んでいると、巻頭コラムの中で在イタリアの作家、塩野七生さんの「拝啓、橋田壽賀子様」とする一文に眼がとまった。
脚本作家の橋田壽賀子さんと云えば飛鳥Ⅱの船上でも見かけるようにクルーズ好きで知られているが、塩野さんはその橋田さんを「クルーズの悪口を言う気はないけれど、出港して次の港に入るまでは、見るのは海だけ。それ以外は、おしゃれしての夕食と、歌と踊りのショーが提供されるだけの船旅を・・・愉しめるでしょうか。・・・・クルーズは、豪華になればなるほど(人間を見る事ができる)沿岸をみせてくれない。」と軽い口調ながらいなしている。
ほとんどの船客がブサンに上陸した後のゆったりしたプールサイドで、デッキチエアーにもたれつつ読書しながら「なるほど、クルーズに興味のない人はこんな見方をするのか」と橋田さんに向けた一文にちょっと興味を引かれた。そういえば親しい友人などに「一緒に船に乗ろうよ」と誘っても、なかなかのってこないのはクルーズに対して退屈、海の上、おしゃれと食事だけなどと考えている人が多いのかもしれない。
塩野さんや多くの人たちのクルーズ観は別として、私は「沿岸」にいなくても船がつくる引き波、大海原から上がる朝日や水平線の向こうに沈む夕日を眺め、海域によって様々に変化する海の色を見ているだけで気持ちが晴れてくる。海の鳥たちやトビウオだけでなく、運がよければ鯨やイルカの群れを見る事ができるし、海面をじっと見ていると生命というのは海からうまれたのだという実感が湧いてくるのだ。「見るのは海だけ」とはごく単純かつ皮相、ロマンのないものの見方だと思いつつ船上で文芸春秋を読んでいた。
さて、この航海でも寄港地で船に帰るシャトルバスの車中、港に本船が碇泊しているのを見つけると「ああ、ウチに帰ってきた」と声をあげる人がいたが、クルーズは一旦乗船すれば「わが部屋」が「部屋ごと」日本や世界の町へ連れて行ってくれるかのような感覚を船客に与えてくれる。面倒な飛行機や鉄道・バスの乗り換えの心配がなく、ホテルのチェックイン・アウトの要もないし三度の食事を悩む事もない。港に着いて自分のキャビンを出ればそこはもう異国なのである。
また世界の主な都市は、歴史的にみると陸路が整備される以前に海路によって発展してきたところが多いから、港から町に入って行くと云う事はその都市の伝統的な表玄関を通っている事にも繋がる。実際、飛行機や鉄道より船で入港した方がその町の成り立ちを実感できる事が多く、クルーズは「退屈で食事とおしゃれ」だけなのではなく、「部屋ごと人間を見る旅」を経験できるのである。
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