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2017年5月25日 (木)

”帰ってきた長良丸”

20170525

妻の父方の祖父は日本郵船の無線通信局長であった。今でこそ船舶との交信は衛星を使ったE-Mailなどを使って行われるが、ちょっと前まで、私が海運会社で運航や用船の実務担当だった頃は、船舶との交信は”トン・ツー”の無線通信が主流だった。外航船舶には無線電信講習所(現在の電気通信大学)などを出た船舶通信局長(通称:局長)と次席通信局長(通称:次席さん)が乗り組んで、太平洋に船がいると主に銚子無線局、インド洋方面なら長崎無線局を経由して陸上と様々なやり取りが交わされたのである。


祖父は氷川丸はじめ当時の日本郵船が所有していた多くの貨物船に乗って世界各地を廻っていたが、その祖父と58名のクルーが乗った欧州航路・長良丸が、大戦前に秘密のミッションを政府から受け、幾多の困難をくぐりぬけ任務を完遂して帰国した事は当時、国内で大きなニュースになったと云われる。その航海の顛末を高田正夫船長が昭和37年に著したのが 「帰ってきた長良丸」 で、妻が最近ネットであらためて探し出してきた本である。


時は昭和15年春、欧州での戦争が始まって7ヶ月、イタリアの参戦が近づくなか、地中海に向け内地を出帆した長良丸は、マルセーユ(仏)で荷揚げ後、イタリアのジェノアから本邦向け戦時禁制品の積み込みを指示されていた。欧州に接近するとともに風雲急を告ぐこの海域では、灯火管制や機雷敷設など平和の海では想像できない様々な出来事が本船を待ち受ける。とくにマルセーユ停泊中には港内でナチスドイツの空爆を受け、本船は命からがら港外に避難すると云う恐ろしい経験をするが、そのあたりの高橋船長の記述が真に迫る。


そうしてやっとの思いでジェノアで積み込んだ水銀や機械類、測距儀などの禁制品だったが、これによって本船は復航の英国領コロンボで78日間の長期抑留滞船を余儀なくされてしまう。禁制品のコロンボ揚げを要求する英国に対し、船長以下クルーがいかに策を講じたのか、外交交渉と同時に本船サイドで成されたさまざまな駆け引きが日本人の船乗りの真骨頂を見るようで拍手を送りたくなる。こうした現場の知恵と策でどうしても手に入れたかった測距儀だけは、英国に渡さずに本船はわが国に持ち帰る事ができたのだった。


この本には無線局長だった祖父の活躍も数箇所に記載されていて嬉しいが、無線局のほか甲板部、機関部、事務部などの団結でしのいだ苦難だった事が高橋船長の筆に詳しい。さて、こうして長良丸は無事帰国できたのだが、それから一年後に始まった戦争で、あえなく本船は米軍の攻撃で海の藻屑と消えてしまうことになる。祖父も大戦中には三度火の海に投げ出されて泳いで生きながらえたという通り、戦争は虚しく、また真っ先に犠牲になるのはいつの時代でも民間の船乗りである。中国の海洋進出が脅威になりつつある今、この平和の海がいつまでも続いて欲しいものだと 「帰ってきた長良丸」 を読みながら願わずにはいられなかった。

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舞鶴の妻父方の実家でみつけた長良丸の全乗組員写真
前から2列目、中央の髭をたくわえた職員のうち左が高橋船長

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