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2017年5月

2017年5月31日 (水)

ANA SFCマイル修行(5)

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沖縄では珍しくサヨクでないまともな新聞、八重山日報を読みつつラウンジビールを飲む

”修行”も後半戦に入ってきた。今回は羽田を8時40分発:那覇11時25分着の467便を利用し、帰りは那覇14時20分発:羽田16時45分着の468便で折り返すスケジュールである。沖縄地方はすでに梅雨に入っているため、どこかでゆっくり観光するより修行の目的を達したらさっさと帰ってこようという算段である。という事で目的地に着いても特に計画はないから、行きの便で出される朝食には白ワインまで注文してしまった。プレミアムクラスはアルコールが無料ゆえ、別に遠慮する事はないのだが、いくら何でも国内線で朝の10時からワインを飲むのはアル中のようでなんだか気がひける。案の定、ビジネス客と遊び客が半々くらいの周囲はコーヒーやジュースばかりを注文しているが、退職した親爺としては世間の目を気にせず、やりたい事をすればよいと楽しむ事にした。


那覇に到着し、帰りの便までは3時間弱である。ただちに搭乗手続きを済ませ、いきなりラウンジに戻って、無料のオリオンビールを飲んでも良かったが、ワインもまだ残っている体にビールをトップオフするのは、何だかビール様に申し訳ない。外は蒸し暑いものの幸い雨も降っていないので、モノレールで3駅の奥武山運動公園に行って1時間くらいウォーキングをする事にした。そこ奥武山では高校生たちの硬式テニス大会の声援を聞きつつ、ジョギングロードを歩いて軽く汗をかいたが、公園内には立派な屋外の公営プールもある。公開日程表を見ると火曜日が休みの場合が多く、修行のスケジュールとはうまく合わないが、目的地で1時間ほど泳いでくるなどというのもうまい”修行”の時間の使い方かもしれない。ただしその場合は、行きの便ではアルコールは飲めないが。


腹も減ったところで那覇空港ラウンジに戻り、おなじみ生のオリオンビールを小ジョッキで2杯ほど楽しむ。もっともラウンジにはおつまみスナックしか用意がないので、あらかじめ売店でチーズを購入し、旅客機や自衛隊機の離発着をサカナに一人で乾杯。かつて新幹線がなかった時代には八戸に出張するたびに三沢空港の米軍ジェット戦闘機の離発着を見て心躍ったが、那覇もなかなかの光景で見飽きないものだ。帰りは気流のせいかいつも2時間ほどで房総半島の上空に戻ってくるから、新幹線でいえば名古屋から東京に帰ってくるようなものである。今度は赤ワインを飲んでいたらあっという間に到着、すっかり通いなれた路線という気がしてきた。今回の”修行”の往復でやっとANAではブロンズ・ステータス(JALのルビーと同程度)を得る事ができたのだった。

2017年5月25日 (木)

”帰ってきた長良丸”

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妻の父方の祖父は日本郵船の無線通信局長であった。今でこそ船舶との交信は衛星を使ったE-Mailなどを使って行われるが、ちょっと前まで、私が海運会社で運航や用船の実務担当だった頃は、船舶との交信は”トン・ツー”の無線通信が主流だった。外航船舶には無線電信講習所(現在の電気通信大学)などを出た船舶通信局長(通称:局長)と次席通信局長(通称:次席さん)が乗り組んで、太平洋に船がいると主に銚子無線局、インド洋方面なら長崎無線局を経由して陸上と様々なやり取りが交わされたのである。


祖父は氷川丸はじめ当時の日本郵船が所有していた多くの貨物船に乗って世界各地を廻っていたが、その祖父と58名のクルーが乗った欧州航路・長良丸が、大戦前に秘密のミッションを政府から受け、幾多の困難をくぐりぬけ任務を完遂して帰国した事は当時、国内で大きなニュースになったと云われる。その航海の顛末を高田正夫船長が昭和37年に著したのが 「帰ってきた長良丸」 で、妻が最近ネットであらためて探し出してきた本である。


時は昭和15年春、欧州での戦争が始まって7ヶ月、イタリアの参戦が近づくなか、地中海に向け内地を出帆した長良丸は、マルセーユ(仏)で荷揚げ後、イタリアのジェノアから本邦向け戦時禁制品の積み込みを指示されていた。欧州に接近するとともに風雲急を告ぐこの海域では、灯火管制や機雷敷設など平和の海では想像できない様々な出来事が本船を待ち受ける。とくにマルセーユ停泊中には港内でナチスドイツの空爆を受け、本船は命からがら港外に避難すると云う恐ろしい経験をするが、そのあたりの高橋船長の記述が真に迫る。


そうしてやっとの思いでジェノアで積み込んだ水銀や機械類、測距儀などの禁制品だったが、これによって本船は復航の英国領コロンボで78日間の長期抑留滞船を余儀なくされてしまう。禁制品のコロンボ揚げを要求する英国に対し、船長以下クルーがいかに策を講じたのか、外交交渉と同時に本船サイドで成されたさまざまな駆け引きが日本人の船乗りの真骨頂を見るようで拍手を送りたくなる。こうした現場の知恵と策でどうしても手に入れたかった測距儀だけは、英国に渡さずに本船はわが国に持ち帰る事ができたのだった。


この本には無線局長だった祖父の活躍も数箇所に記載されていて嬉しいが、無線局のほか甲板部、機関部、事務部などの団結でしのいだ苦難だった事が高橋船長の筆に詳しい。さて、こうして長良丸は無事帰国できたのだが、それから一年後に始まった戦争で、あえなく本船は米軍の攻撃で海の藻屑と消えてしまうことになる。祖父も大戦中には三度火の海に投げ出されて泳いで生きながらえたという通り、戦争は虚しく、また真っ先に犠牲になるのはいつの時代でも民間の船乗りである。中国の海洋進出が脅威になりつつある今、この平和の海がいつまでも続いて欲しいものだと 「帰ってきた長良丸」 を読みながら願わずにはいられなかった。

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舞鶴の妻父方の実家でみつけた長良丸の全乗組員写真
前から2列目、中央の髭をたくわえた職員のうち左が高橋船長

2017年5月19日 (金)

ANA SFCマイル修行(4) 宮古島

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3ヶ月間の予定で行っているANAのSFCマイル修行も中盤である。5月15日は羽田から宮古島への直行便に搭乗し、3時間半ほど島に滞在した後、夕方に宮古島から那覇へ向かった。今回は当日の夜に那覇から羽田へ帰るプレミアムクラス旅割航空券がとれなかったため、やむなく那覇のビジネスホテルに一泊して翌日に帰京する事となった。一連のマイル修行で唯一の宿泊つきの旅である。


初めて訪れた宮古島だったが、沖縄地方は梅雨に入ったばかりの月曜日とあって、宮古市平良の町もひと気が少なくちょっと寂しく感じる。曇り空からは今にも雨が降りそうとあって、さして町も散策せず、みやげ用の菓子を買って早々に空港にとって返す事にした。その菓子が島の人気銘菓、写真の「久松五勇士」である。私は久松五勇士という人たちを寡聞にして知らなかったが、地元では彼らの顕彰碑も建っている島のヒーローなのだそうだ。


時は明治38年5月、日露戦争の最中である。北上するロシアのバルチック艦隊は、極東の拠点ウラジオストックに入港するのに対馬海峡を通るのか、それとも津軽海峡または宗谷海峡を廻るのか。その動静を一刻も早く知る事が待ち受ける我が連合艦隊にとって喫緊の要事であった。その緊急時に宮古島近海で北上するバルチック艦隊が発見されるが、島には電信施設がないため報告ができない。通信局がある石垣島まで宮古島の5人の若い漁師(久松5勇士)が、嵐の中80マイルの東シナ海をくり船に乗って命がけで力漕し、辿り着いた石垣島からの「敵艦見ゆ」の報は、東郷艦隊の日本海海戦の大勝利に結びついたとされている。


この久松5勇士の功績を讃えて作られた島の銘菓は「宮古の黒糖の味と香りをそのまま生かして」いるそうで、白いバニラクリームがバームクーヘン生地に巻かれ、お茶うけなどにちょうど良い。それにしてもマイルの修行に出たのに、こうして日露戦争や日本海海戦の事まで調べる事になるのだから、知らない土地に行くとは面白いものである。帰宅するとANAからは「間もなくブロンズサービスに到達」とのメールが入り、アップグレードやラウンジ利用について若干のアドバンテージを得られるそうだ。あと那覇への往復は4回である。次はどんな出合いがあるのだろうか。

島内の交通要所には宮古島まもる君が・・・
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2017年5月18日 (木)

2017年春 東京六大学野球 見よや十字の旗かざす がんばれ立教健児

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前回 立教が優勝した1999年秋季リーグのメンバー表

8週間に亘る東京六大学野球2017年春季リーグ戦も、第5週まで東大を除く5校が勝ち点2で並ぶまれに見る大混戦であった。先週末の第6週では慶應が明治に連勝するとともに、立教が早稲田に2勝1敗で競り勝ち、これにより立教は今週末の明治戦で連勝すれば1999年秋以来17年ぶりに優勝する事になった。ここで立教が明治戦に1敗または勝ち点を落とせば母校慶應のほか他の大学にも優勝の望みが出てくるので、本当は明治の応援をしたいところだが、21世紀になって初めての自力優勝にあと一歩と迫った立教を応援したい気持ちも湧いてくる。


そもそも東京六大学野球は、お互い尊敬できる相手として認めた固定の学校同志のリーグで、対校戦でもあるから、入れ替え戦を行っている他のリーグとやや性質が異なる。ゲームの運営はもとより応援のマナーに至るまで、固定メンバーで培った永年の伝統の上にリーグが成り立っているのだから、自分の母校だけが強ければ良いというものでもない。こうしたリーグ全体の繁栄を望む観点からすると、東大の奮起を期待するとともに、次週の明ー立戦では立教の連勝があっても良いかと云う気持ちにもなるのである。


という事で、立教が前回優勝した1999年秋は、いったいどういう選手たちが活躍していただろうかという興味がにわかに湧いてくる。さっそく何十年も神宮球場に足を運んでは、春と秋のリーグ戦に一部づつ買っていた50円のメンバー表の1999年秋版をスクラップブックから取り出してみた。すると立教は投手にこの秋のベストナインだった3年生の上野裕平(金沢辰己ヶ丘)、ちょっと変わった投げ方でその後プロに行っても何かと話題だった多田野(八千代松蔭)、今ではアナウンサーとしてテレビで活躍している上重(PL学園)などが1年生投手としてメンバーに名を連ねている。その他2塁手ではやはりPL出の石田選手なども立大では記憶に残る選手であった。他の学校はと頁をくると早稲田の藤井(今治西)や鎌田(秋田経法大附属)、慶應の山本省吾(星陵)、明治は木塚(浦和学院)や的場(上宮)、阪神で活躍する安藤(大分雄城台)などが法政にいたシーズンである。


こうしたメンバーを眺めていると当時の雰囲気や各選手のプレーぶりが鮮やかに脳裏に蘇るが、同時にわが身を振り返ると、会社の合併やら出張など極めて忙しかったその頃の出来事が頭に浮かんでくる。学生野球の思い出と、我が記憶の糸はかなりシンクロしているようだ。さて、もし今春このまま立教が優勝すれば、いま現役で学校に通う立大生には神宮球場の優勝場面や祝賀パレードの事が、大学時代の他の思い出とともに永く記憶に残る事になるだろう。17年間もそういうチャンスがなかったのだから、素敵な思い出を彼らにプレゼントしたい気持ちになるとともに、「いや待てよ、立教が負ければ慶應にもチャンスが出てくるし」という思いもまだあって、なにやら複雑な心境で週末の戦況を見つめる事になるだろう。

2017年5月13日 (土)

琉球新報を読んで・ANA SFCマイル修行(番外編)

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サヨク紙と云われる沖縄の琉球新報と沖縄タイムスの地元2大紙だが、実際はどの程度ひどいものなのだろうか。このところANA SFCのマイル修行で沖縄を頻繁に訪れているから、百聞は一見にしかずで5月9日に那覇市内で2紙のうちまず琉球新報を買ってみた。琉球新報のこの日の大きな見出しは、復帰45周年を前に同紙が行った電話による県民調査結果の発表である。それによると本土復帰が良かったとする人たちが76%いる一方で、翁長知事を支持する人が67%との事で、個人的にはこの翁長数字に少々驚いてしまった。ルーピーと云われた鳩山元首相の様に、成算も決着点も見据えず政府に反対する動きを繰り返しているかの如き翁長知事の評価が高い事は、まさに東京と沖縄の温度差なのだろうか。


ただ電話による調査とは、そもそも若者がスマホしか持っていない上、調査に気長に答える対象は日ごろ問題意識を持ち、時間に余裕がある層の人たちが多いはず。なのでこの手の調査結果が本当に「民の声」なのかは、ある程度眉につばをつけて見る必要がありそうだ。今回の調査でも米軍基地が沖縄に集中することや日米地位協定に関しては、総じて高齢者ほど不平等観を持ち、政府のやる事を否定的にとらえているそうである。という事も含めこの調査自体からは、反日サヨクの気配はそれほど感じ取るができなかった。


ところが一転「社説」となるとやはり疑問を感じてしまう。この日の最初の社説『沖縄優遇論 虚構にすぎず』では、沖縄関係予算が優遇されている事はないと反論しているが、社説が触れない公共事業の高率補助などは他県の関係者から見たら羨ましいものに違いない。また基地がもたらす経済効果にも一切触れないのはおかしいのではないだろうか。2番目の社説『オスプレイ訓練削減』では、昨年の名護の海岸でおきた「不時着」を「墜落」だとして問題視しているが、この機種の安全性に関しては一部のデータを援用し、一般的に云われる他の軍用機などより事故率が低いと言われる事は無視している。


社会面の辺野古問題でも「国、新たな砕石投下」「市民怒り『海壊される』」として抗議派の声ばかりが載せられている。同じ社会面で沖縄防衛局職員へ暴行を加え裁判になっている例の平和運動センター議長については「無罪勝ち取る」との声援が写真付きで掲載されるだけで、これに対する批判的なコメントなどは一切ない。嘉手納基地にF16が配備され訓練が開始される事にいたっては「沖縄市と北谷町に苦情は『一件ずつ』寄せられた」である。たった一件の苦情で記事になるのかと驚くところで、こうなると沖縄市の女性が『毎回腹がたつ・・・』と言っているのは、この声を本当に取材したのかと疑いたくなってくる。


総合面「琉球フォーラム」(琉球新報社長が主宰)5月例会の案内は、最近、日本人でもないのに無責任な安全保障にかかわる政治活動をしているサヨクの辛淑玉(シン・スゴ)が講師で出るそうで、これを見るとこの新聞社の体質がおのずと透けてみえそうだ。まあ、それらはさておきスポーツ面ではプロバスケットボールの沖縄チームの活躍を大きく伝えるのに拍手を送りたいし、結果だけ小さく伝える東京六大学野球欄でも、今年の慶應野球部の主将で沖縄尚学高校出の照屋君の記録だけがわざわざ文章になっているのも地元らしく微笑ましかった。今回(5月9日の紙面にかぎり)「この程度のサヨク紙か!」と苦笑したが、いつもはもっと過激なのかもしれない。最近は修行で何度も通い親近感が増す沖縄である。新聞が一部高齢者の被害者史観をリードしているそうだから、より公平でフツーになってほしいところだ。さて次の修行では沖縄タイムスを買ってみようか。


2017年5月10日 (水)

ANA SFCマイル修行(3)

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ANA国内線プレミアムクラス、午後の軽食

連休も終わり、全日空のマイル修行が再開である。昨日は羽田・那覇間のプレミアムクラス往復とあって、久しぶりに目覚まし時計をセットして朝6時過ぎに起床する。行きは羽田8時40分発・那覇11時25分着の467便、帰りは那覇14時25分発・羽田16時45分着の468便でのトンボ帰りとなった。本当は那覇についたら1時間以内に同じ機材で帰ってくるのが効率的なのだが、さすがに同じスッチー達にすぐまた顔を合わせるのも気恥ずかしく(向かうは大して何とも思わないのだろうが)、3時間ほどの現地滞在とするのが私の気の弱いところだ。


こんな即攻の旅、それも乗るだけが目的の旅には、文芸春秋だとかWILL、Hanadaなどの月刊誌がちょうど読みごろだろう。といっても時間のあるわが身、すでに文春やHanadaはもう二度も家で読んでしまったので、今回はWILL6月号を羽田空港の売店で買って乗り込むと、巻頭から私の嫌いな(森羅万象世の中のすべてを知っているかの如き)池上彰へ対する批判が誠に気持ちがよい。お約束の習金平や韓国・北朝鮮をけなす記事はさておき、これまたどうでもよい森友問題ながら辻元清美のブーメラン疑惑を追求するあたりも痛快だ。豊洲移転を延期し続ける小池都知事もおかしいと思っていたところ、建築の専門家の説明でこれに切り込むのもこの手の月刊誌ならではである。


那覇の3時間、前回は奥武山公園でジョギングしたが、今回は着陸時に機窓から見えた那覇港クルーズ船ターミナルに寄港中のスタ-クルーズ社の”スーパースター・アクエリアス”号(5万トン)を見に行く事にした。スタークルーズといえば同社のフラッグシップの”バーゴ”号にシンガポールで2回乗船した事があるので、そのファンネルマークを間近で見たかったからである。という事でモノレールの県庁前駅から往復1時間、夏のように蒸し暑い那覇市内の行軍は、座り詰めの修行の身にはちょうど良いエキササイズであった。


とって帰した那覇空港のロビーでは例によって無料のオリオンビールを飲みながら、航空自衛隊F15戦闘機の迫力ある離着陸を眺める。乗り込んだ機内では午後の軽食で出たワインをエンジョイしつつ WILLもほぼ読んで修行第3日目のミッションは完了した。さて飛鳥Ⅱで知り合いになったやや年上の先輩からは、先日「今は全日空(ぜんじつあいています)ので・・・」と面白いメールを頂いたが、私はこのANAの修行が続く限りは全日空になるのにはまだ少し時間がかかりそうだ。それはさておき、羽田空港から都心方面へ京急を利用する際は、横浜・逗子方面への電車が先発ならまずそれに乗ってしまい、京急蒲田駅下車でホームを換え、頻繁にやってくる本線の上り快特や特急をつかまえた方が都内へ早く着く時がある、というのが今回の修行で知りえた豆知識である。

那覇港のスーパースター・アクエリアス号
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2017年5月 7日 (日)

セレブリティ・ミレニアム日本一周春色クルーズ(6)まとめ

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青森ではジョギングして桜の合浦公園へ

本船はその後、青森・仙台と寄港し横浜へ戻って8泊のクルーズが終了した。青森では港から約5キロ離れた合浦(ガッポ)公園までジョギングして満開の桜を満喫、仙台は妻に付き合って三井仙台新港アウトレットでショッピングをした。日ごろ妻がアウトレットに行くなどというと「妹と行ってこい、俺はウチにいるから」と拒否するところ、クルーズ中だと「まあ付き合ってみるか」という心境になるのは、非日常が我が心境に変化を及ぼすのだろうか。


このクルーズは終日航海日に雨天が一日あった他は天気に恵まれ、海も「春の海ひねもすのたりのたりかな」と凪ぎ、穏やかな日々を過ごす事ができた。セレブリティーは2008年夏にアラスカクルーズで乗船した際、食事も良く満足した思い出があるので、今回の日本発着では同社初の「自主クルーズ」に乗船する事にしたが、予想にたがわず楽しいクルーズであった。思いつくまま今回のクルーズをまとめてみたい


  1. 旅行会社のチャーターではないものの、船内紙(セレブリティ・トゥデイ)の日本語版発行や日本語の船内放送の他、各所に日本の総代理店ミキ・ツーリストの係員が配置され、頑張って日本語の対応をしていた。
  2. メシがうまいと云われるセレブリティー船の評判通り、フランス人の総料理長の下、各レストランでは味付けがしっかりなされており、外国船としては料理は総じて美味しかった。ただしディナーで一度選んだラビオリはちょっと味が薄く感じた。
  3. 甲板部や機関部の職員(上級船員)はギリシャ人、サービスクルーはバトラーがフィリピン、部屋係りがインド、そのほかロシアや東欧のクルーも目だったが、どのクルーもフレンドリーかつ日本語の挨拶を試みてくれて気持ちがよかった。マイケルズ・クラブのインド人サービス掛が最初ひどくぶっきら棒かと感じたが、ただシャイだけだったようで、何回も酒の補給に通ううちに「これも飲め、これはうまいぞ」と勧めてくれたものだ。
  4. 船内の内装についてはコンテンポラリー調というのか、好感のもてる近代的なデザインが特徴的だった。同じプレミアムクラスであるホーランド・アメリカ船のちょっと華美なオランダ調装飾、プリンセスクルーズ船のやや小ざっぱりした意匠と比べると、私には本船のデザインが過不足なくモダンな感がした。
  5. 洋上を航海だけする日々は少なかったが、船内で催されるイベントは多すぎず少なすぎずで、特にショーは大がかりで本格的だった事が印象深い。やはり船が大きくなるほど、船内ショーにはお金がかけられるのだろう。
  6. 本船はアジポッド推進のため機動性に優れ、各港でのタグ手配は一パイ、それもタグラインを繰り出すわけでなくスタンバイして緊急時に備えているだけである。船体中央部では乗船している事さえ忘れるくらい振動が少ないのも、この推進システムによるものだろう。
  7. ただし細かい点では幾つか気になった点はある。たとえばバスタブで湯につかり頭の上の換気扇をふと見ると、ホコリが換気扇周りにびっしりで掃除をしていなかった(外国人はバスタブにゆっくり使って天井などあまり見上げないのだろう・・・)。そのほか本船の位置を知らせるテレビスクリーンが全船で航海中まったく作動していなかった。下船時のアンケートではその旨指摘しておいたが、飛鳥Ⅱやにっぽん丸など日本船のきめ細かいサービスと比すのは値段の上からもちょっと酷であろうか。

という事で、2度目の乗船でセレブリティクルーズが気に入った私達は、思わず来年の地中海の同社のクルーズを船上予約してしまった。もっとも船上予約は変更・取り消し・延期可能なのだが、この快適さなら日本の旅行社のツアーに頼らずとも、自分達で試してみようかという気になったのだった。

本船の特徴的なグランドフォイヤー
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2017年5月 5日 (金)

セレブリティ・ミレニアム日本一周春色クルーズ(5)新潟

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朱鷺メッセから市街地や佐渡を望む

セレブリティ・ミレニアムの日本一周春色クルーズは、カボタージュ対策でブサンにワンタッチした後、新潟、青森、仙台と寄港した。新潟県といえば越後湯沢や妙高などにスキーでよく来ていたし、新潟港にも新日本海フェリーで小樽から車ごと来た事があるが、新潟市内をこれまでゆっくりと見たことはないので今回はちょうど良い機会である。ミレニアム号は9万トンを超える大型船のため、着いた岸壁は町からやや遠い新潟東港だったから、ここから出る無料シャトルバスで市内中心部の万代に来てみた。


この日は天気もよく、着いた新潟市街地の道路は広々として散策するのが気持ち良い。まず信濃川河畔をゆっくりと海に向かって歩き、朱鷺メッセの展望台から町や佐渡島を一望した後、古町から鍋茶屋通りなどの花街を廻ってみる。明治7年、日本で初めての西洋料理屋として開業したと云うイタリア軒でトイレを借り、新潟大神宮などを経て旧日銀支店長の役宅を見物する事ができた。


日銀の支店が古くからあると云う事はその都市が地方の一大中心地であった証なのだが、ここは信濃川や阿賀野川の集まる河口に出来た古くからの港町として発展し、江戸時代から北前船で賑わったそうである。あらためて歴史をひもとくと新潟は日米修好条約で開港した五つの港の一つで、いまや人口80万人の政令指定都市でもあり日本海側屈指の都市となっている。


それにつけても今まで何十回も来た新潟県であっても、その県庁所在地の新潟市にクルーズ船で来て一日観光してみると、町のそこここに発見があり歴史を感じる事ができる。それもいつもの”飛鳥Ⅱ”や”にっぽん丸”でなく、外国籍船で外国人と一緒に乗り付けるというのも一興である。こうして日銀の支店長役の和風の旧宅を見学していると、敷地こそ半分ほどの広さだったが、子供の頃、役人だった父の転勤で住んだ地方の官舎の佇まいや間取りをふと思い出して懐かしい気持ちになった。

旧日銀新潟支店長 役宅 
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2017年5月 2日 (火)

セレブリティ・ミレニアム日本一周春色クルーズ(4)軍艦島

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軍艦島近影

このクルーズの最初の寄港地は長崎であった。といっても長崎港には今までもクルーズ船で幾度か来ているし、昨秋はねんりんピック長崎大会に東京代表で出場し、お隣の諫早市でマラソン大会に出たばかりだ。思い出の諫早運動公園に電車で行ってジョギングでもしようかと妻に提案したところ、さすがに即座に却下され、代わりに2015年に世界文化遺産に登録された軍艦島を見学する事になった。


軍艦島は長崎港から約10海里の沖合いにある南北が480米・東西160米・周囲が1200米の小さな島で、この島の地下から海底に向けて伸びる炭抗から、かつて八幡製鉄所の製鉄原料(コークス)になる強粘結炭が出炭し船積みされていた。最盛期にはこの小さい島に炭鉱の関係者とその家族ら5,300人が済み、東京都の9倍の人口密度になったと云う。これらの人々が暮らすために、島には大都市に先駆けてアパートなどの高い鉄筋コンクリートの建物が造られ、遠くから見ると島の外観が軍艦に似ている事からこの名がついたそうだ。


1974年の閉山で島に人が住まなくなったため、これら建物群は波や風雨にされされるまま朽ちており、今では鉄筋コンクリート業界や建築学会の格好の研究対象になっているとの事。この島を見学するために数社が長崎から船を出していて、我々はその中から軍艦島コンシェルジュというツアーを利用した。島を往復するボートツアーは午前と午後に各1便あって、ミレニアム号を昼前に下船した後は客船ターミナル直近にある軍艦島デジタルミュージアムでまず島の概略を学び、午後ツアーのボートに乗船するという手筈である。


長崎から小一時間の航海、ガイドの説明を聞きながら軍艦島に近づき、周囲を船からぐるっと俯瞰した後に上陸地点のドルフィン桟橋にボートは着く。老朽化によって各所で崩壊の危険があるため、桟橋からツアー客が行けるのは、残念ながら島の南部のごく一部の見学ルートに限られる。ただここにツアー客が殺到しないように、桟橋の使用から見学場所の調整まで、ツアーを催行する各社がうまく協調して混乱を避けているようだ。


そこここに見える赤錆びた鉄筋や朽ちた建築物を前に 「つわものどもが夢のあと」 という言葉が脳裏に浮かんでくるが、繁栄していた時代は 学校、病院、寺社はじめ 「ないものは墓場だけ」 と云われるくらい島には何でも揃っていたそうだ。坑内の仕事は極めて危険で過酷だったものの給与は高く、島内の犯罪も少なかったから駐在していた二人の警官も、せいぜい酔っ払いを留置するくらいしか仕事がなかったとか。


ガイドの説明では昭和30年代、東京でテレビの普及率が10%ほどの時に軍艦島では100%であり、また幹部社員は本土の10倍ほどの給与をもらって家を何件も持っていたと云う。そのほか下請け業者・孫請け業者を含めて島は一つの共同体として団結していたそうで、それらの説明を聞くと、世界文化遺産登録申請時の韓国の反対は、例によって歴史上の些事を棒大に取り上げた「反日」のためのプロパガンダだったのかとの思いが強まった。

見学広場から
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2017年5月 1日 (月)

セレブリティ・ミレニアム日本一周春色クルーズ(3)

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青森港のセレブリティ・ミレニアム

このクルーズの最初の寄港地、長崎ではコンビニに立ち寄り文芸春秋5月号を買った。なにせ次港ブサンは例によって一歩も上陸しないから、がらんとした船内での無聊な一日をジムで運動し、プールサイドで読書して過ごすためである。という事で翌日ブサン港に船が碇泊中に文藝春秋誌をゆっくり読んでいると、巻頭コラムの中で在イタリアの作家、塩野七生さんの「拝啓、橋田壽賀子様」とする一文に眼がとまった。


脚本作家の橋田壽賀子さんと云えば飛鳥Ⅱの船上でも見かけるようにクルーズ好きで知られているが、塩野さんはその橋田さんを「クルーズの悪口を言う気はないけれど、出港して次の港に入るまでは、見るのは海だけ。それ以外は、おしゃれしての夕食と、歌と踊りのショーが提供されるだけの船旅を・・・愉しめるでしょうか。・・・・クルーズは、豪華になればなるほど(人間を見る事ができる)沿岸をみせてくれない。」と軽い口調ながらいなしている。


ほとんどの船客がブサンに上陸した後のゆったりしたプールサイドで、デッキチエアーにもたれつつ読書しながら「なるほど、クルーズに興味のない人はこんな見方をするのか」と橋田さんに向けた一文にちょっと興味を引かれた。そういえば親しい友人などに「一緒に船に乗ろうよ」と誘っても、なかなかのってこないのはクルーズに対して退屈、海の上、おしゃれと食事だけなどと考えている人が多いのかもしれない。


塩野さんや多くの人たちのクルーズ観は別として、私は「沿岸」にいなくても船がつくる引き波、大海原から上がる朝日や水平線の向こうに沈む夕日を眺め、海域によって様々に変化する海の色を見ているだけで気持ちが晴れてくる。海の鳥たちやトビウオだけでなく、運がよければ鯨やイルカの群れを見る事ができるし、海面をじっと見ていると生命というのは海からうまれたのだという実感が湧いてくるのだ。「見るのは海だけ」とはごく単純かつ皮相、ロマンのないものの見方だと思いつつ船上で文芸春秋を読んでいた。


さて、この航海でも寄港地で船に帰るシャトルバスの車中、港に本船が碇泊しているのを見つけると「ああ、ウチに帰ってきた」と声をあげる人がいたが、クルーズは一旦乗船すれば「わが部屋」が「部屋ごと」日本や世界の町へ連れて行ってくれるかのような感覚を船客に与えてくれる。面倒な飛行機や鉄道・バスの乗り換えの心配がなく、ホテルのチェックイン・アウトの要もないし三度の食事を悩む事もない。港に着いて自分のキャビンを出ればそこはもう異国なのである。


また世界の主な都市は、歴史的にみると陸路が整備される以前に海路によって発展してきたところが多いから、港から町に入って行くと云う事はその都市の伝統的な表玄関を通っている事にも繋がる。実際、飛行機や鉄道より船で入港した方がその町の成り立ちを実感できる事が多く、クルーズは「退屈で食事とおしゃれ」だけなのではなく、「部屋ごと人間を見る旅」を経験できるのである。

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