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2017年2月20日 (月)

祝「題名のない音楽会」3500回と黛敏郎

20170220
(You tube画面より)

テレビ朝日「題名のない音楽会」の放送がこの3月で3500回目になると云う。「題名のない音楽会」は1964年8月に始まって以来53年続けられ、クラシックの長寿番組では世界一として今やギネスブックにも認定されているそうだ。この永い間には、毎回のテーマを主宰し番組を進行させる役目の司会者が何人か代わったが、中でも番組の顔としてただちに思い浮かぶのが黛敏郎氏であろう。私も1970年代のなかばに、黛さんの司会と東京交響楽団の演奏を楽しみに、渋谷公会堂で行われていた番組の公開録画によく通ったものだった。


テレ朝が日本教育テレビだった当時、毎週日曜の朝に放送された「題名のない音楽会」2回分の公開録画は、その1~2ヶ月前の金曜日夕方6時半から会場ホールへの入場開始、7時から録画の収録が行われていたと記憶する。今でこそ公開録画や無料コンサートはどこも年寄りで一杯だが、70年代といえば元気な老人の数などは今と比べ物にならないほど少なかった時代である。入場はいつも自由で入れなかった事はなかったが、渋谷公会堂では良い席に座りたいとその日は残業も切り上げ、渋谷駅ハチ公広場からパルコ前の公園通りを駆け上がったものだった。


何を聞きに行ったのか当時の手帳をタンスの奥から引っ張りだしてみると、昭和50年(1975年)3月7日は「NHK開局50年奉祝」(もう一番組のテーマは不明、ただしアンコール曲はエルガーの「威風堂々」)、6月27日が「ラグ・タイム」と「ベルディ」がテーマ、8月22日には「マーチ」と「ビング・クロスビー」の特集であった。そう云えば黛さんで記憶に残るのは、わが国を憂う心情が番組でしばしば語られる事であった。当時メディアに出る文化人などは、今よりずっと左翼が多かった中、黛さんは堂々と保守の立場を堅持し、音楽の解説に挟んでわが国の美点や徳目を、弁舌さわやかに聴衆に訴えていたのが素晴らしかった。最近は世の中がややまともになり、(当たり前だが)愛国心が恥ではなくなってきたから、黛さんもあの世でちょっと溜飲を下げているのではなかろうか。

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コメント

黛敏郎、懐かしいですね。
見てみると亡くなられてもう20年になるのですね。
同時代に活躍されていた村松剛もダブって思い出します。
二人共、知的な雰囲気でそれでいてあの時代には少なかった
保守的論客でしたね。
私もファンでした。

親スズメさん

いつもコメントをありがとうございます。当時の文化人・知識人は総じて左がかっていて、反米・親社会主義でした。反安保で中には北朝鮮がこの世の楽園などと言っていた人もいました。愛国というと「保守反動」と罵られたものでした。
その中で勇気をもって保守を貫いた数少ない文化人は尊敬に値すると思います。

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