五島列島再訪
中通島の中ノ浦教会、別名水鏡教会
妻の父方の祖父はもともとは長崎県の五島列島の出身と言う縁があって、この正月休みは義母や義妹一家と島々を訪れてみることにした。列島の中でもっとも大きな島である福江島には2014年7月に飛鳥Ⅱの「九州島めぐり・長崎花火クルーズ」で来た事があるものの、当時は島の西端の大瀬崎や各教会をレンタカーを使って駆け足で見ただけだから、ゆっくりと腰を据えて観光するのはまた別物である。その五島列島は長崎県の西方の東シナ海に位置し、中通島(上五島)や福江島など五つの大きな島と、周辺の小さな島々からなっている。
島と云えば、東京の人間は伊豆諸島のことをすぐ思い起すのだが、五島列島が総面積約500平方キロで人口が7万人ほどに対し、伊豆諸島は約300平方キロに3万人と人口密度はほぼ似た様なものであろう。ともに火山による造山活動で形成された島であり、最寄りの本土から100キロ以上の沖あいに展開するなどの共通点がある。しかし五島にはかつて五島藩(福江藩)の大名がおり、古代から支那と我が国を結ぶ要路に位置して文明の中継地となっていたから、同じ島嶼といってもその雰囲気は伊豆とはかなり違っていた。
今回の旅は福江島や中通島の観光に加え、久賀島・奈留島を廻る貸切観光船による遊覧も含めた3泊のガイド付き団体の旅で、島には大資本によるリゾート施設もなく、漁業の海にふさわしい新鮮な魚介類や地元の素朴な人達との交流をゆっくりと楽しむ事ができた。五島を囲むリアス式海岸はどこに行っても海水が透明で、箱庭のごとく水辺が変化に富んでおり、まるで絵画のようなその風景は、瀬戸内海や松島などの海岸美とも一味違って素晴らしい。
五島列島を特色づけるのはなんといっても各地に点在する教会である。他の九州各地と同様に戦国時代以降にキリスト教が広まったが、豊臣氏や徳川幕府の禁教令時代になっても、長崎から108名のキリシタンが開拓民として島に送られたほか、3000名ほどの隠れキリシタンが五島の各地に住んでいたそうだ。中央から遠く離れた地であればこその、権力の見て見ぬふり、お目こぼし策だったのだろうか。世界遺産に登録申請中の島の教会郡は、明治維新前後の宗教弾圧を耐え信仰を貫いた人達がのち造ったもので、これらを見学するうち、遠藤周作の「沈黙」をもう一度読もうかと云う気持ちになってきたのであった。
船でしか行けないキリシタン洞窟(維新の頃、弾圧されたキリシタンが隠れていた)は反対側からは幼子を抱いたマリア様のように見える
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