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2017年1月

2017年1月30日 (月)

第15回新宿シティーハーフマラソン

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この日曜日は恒例の新宿シティハーフマラソンであった。今年で15回目になるこの大会は都心のハーフマラソンとしてますます盛んになり、近年は申し込んでも抽選倍率が高く参加する事が大変になってきた。しかし新宿区民である我々は、区民優先の特別枠で出られるから嬉しいものだ。と云う事で第5回大会から参加している我々夫婦にとっては、クルーズなどで出場できなかった2度を除き、これで9回目の大会参加である。今回も2020年の東京オリンピックのために建て替え中の国立競技場に代わり、神宮球場がスタートとゴール地点になるというのも一興である。


それにしても一月の最終日曜に行われるこの大会は、いつも天気に恵まれる。今年もハーフマラソンのスタート時における気温は摂氏7度の曇り、風も弱く絶好のマラソン日和りであった。プログラムによるとハーフマラソンの参加者が5000名、10キロの部が2700名余、その他子供やファミリーランなどが4000名と、全部で走る人が1万人を越える大変な規模の大会となっている。今までこのマラソンに参加しては過去のブログで指摘してきた通り、何度か「おや?」と思うような不手際もあったが、今年はすべてがとてもスムーズに運営されていたようで楽しく走る事ができた。


個人的には、昨年末からの風邪や咳が治らず、今年は練習が充分にできていない状態である。なので申告タイム順に枠が決められたスタート位置も、後方から慎重に行く事にしたが、やはり号砲が鳴ると自然にアドレナリンが出て、身体は前へ前へと焦ってしまう。後ろからのスタートのため前が詰まってしまい、エネルギーを無駄に使ったりジグザグに追い越したりの連続で、最初の5キロに25分ほどかかったが、その後は身体も動いて各5キロを22~23分でカバーする事ができた。その結果全体では上から一割以内に届かなかったものの、60歳以上の部に於いてなんとか上位入賞となった。もっとも60歳を過ぎてからは毎年確実にハーフマラソンの記録は1分ずつ遅くなり、入賞と言っても順位が1番ずつ後退するのがなんとも寂しいものだ。


さて東京マラソンは別格としても、このような大会が都心で開かれ、これに毎年参加できる事は走る者として大きな喜びである。大会が無事に開催されるには地元の役所、警察や消防、自治会、医療関係者など多くの人々による協力がある。今回は来たる東京オリンピックに備えて、テロ対策の訓練としてランニング・ポリスも走ったそうで、この大会に参加したランナーがオリンピックに少しでも役立てば嬉しいものだ。その他に東京陸協の役員や補助員、高校生などのボランテイア、スポンサーの企業や団体などがあって我々は安心して走れるのである。妻と二人して無事に完走できたのは、これらの人々の尽力によるものと感謝しながら神宮球場を後にした。私も間もなく仕事を離れ、もっと走る時間もとれそうだ。来年は1才年齢が上ってもタイムは1分早く、60歳代の部での順番は1つアップ、全体でもトップから一割以内に入るべくもっと練習したいと思った。

2017年1月27日 (金)

ブラックプールへの道?

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週に一回通っているダンス教室の先生に誘われて、新宿駅近くの公共ホールで行われた社交ダンスの競技会を妻と一緒に見学してきた。私たちの先生とその仲間がかかわるサークルから多くの愛好家が参加している大会だが、我々にとってダンスの競技会などをナマで見るのは生まれて初めての経験である。競技はスタンダード5種とラテン5種で、それぞれビギナーの部やら45歳以上の部など幾つかカテゴリーに分かれて一斉に踊り、参加カップルのダンスが審判に採点されるシステムだ。我々は前半のスタンダードの部を見学しただけで帰ったが、会場は踊る人とそれを応援する人の熱気が外の寒風を吹き飛ばさんばかりであった。


会場では日ごろ教室でダンスを教えている「男性の先生」たちが何度も登場して、参加人数で優る女性のパートナーを務めているのはさもありなんか。「先生」以外の一般参加男性は、それなりに「ダンス好き」のようで、仮に上達しても人前でダンスを見せるなどは到底できそうもない私には、彼らが異星人のように見える。なかには踊りながら無理に口の端をまげて笑う演技をする男性もいて、それを見ているとどうしても映画 “Shall we ダンス?“ の竹中直人の顔が浮かんできてしょうがない。もっとも日本のクルーズ船内のダンスタイムは一曲3分以上かかる曲ばかりで、私などは覚えているステップが数少ないため戸惑う事もよくあるが、競技会では普通1分半程度らしく、これならルーティンを元気よく大きく踊れそうだ。


さて日本の社交ダンスは教える先生が競技ダンス出身の人が多いため、カップルが楽しそうに群れると云うより、どうしても本格的なボール・ルームダンスばかりになってしまうようだ。外国のクルーズ船に乗ると、紅潮した顔で眉を吊り上げて必死に踊っている日本人カップルがいて悪目立ちする事があるが、西洋の(競技でない)ふつうの男女のダンスと「日本の社交ダンス」はかなり違うような気もする。自分を顧みても一方でダンスを習いながらも、他方でなにか違和感を覚えるアンビバレントな心理が共存して、この過程さえ超越すればこの先で「突き抜けた感じ」でも芽生えてくるだろうかと自らを鼓舞したくなる。まあ、あれこれ考えるのはもう少しうまくなってからにしようと、今後のダンス教室の予定を考えつつ競技会場を去ったのであった。

2017年1月25日 (水)

飛鳥Ⅱ2017年アジア パシフィックグランドクルーズの見送り

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飛鳥Ⅱによる39日間の2017年アジア パシフィックグランドクルーズに、親しい船友夫妻が乗船するというので、23日は会社を休んで妻と二人で横浜港大桟橋に見送りにでかけた。月曜日の朝ゆえ渋滞にハマっては大変と余裕をもって家を出たところ、拍子抜けするほどスイスイと首都高は流れ、10時前には大桟橋の駐車場に到着してしまった。この時間に乗船手続きができるのは、500泊以上乗ったアルバトロスクラブの会員か10デッキのスイートルーム乗客だけだから、早く着き過ぎてしまったかと思っていたところ、そこここで乗船客を待つ顔見知りの日本人やフィリピン人クルーから声がかかってきた。「あら、お帰りなさいませ、ご乗船ありがとうございます」と挨拶され「いやいや、今日は見送りだけなんだよ」と返答したり、「オー! ××サマ、マガンダン・ウマガ」といきなりのタガログに「ノーノー、トゥデイ、センド・ゼム・オフ・オンリー。ウエービング・ハンドね」などとクルーとの再会をよろこんでいるうち、あっという間に9デッキ以下の乗船者受付時間になってくる。


やがてバスやタクシーから降りた顔見知りの乗船者が続々と受付にやってくる。知っている人とお互い目線が合い「あ~、今回も一緒?嬉しいね」「いやあ、今回は皆さんをお見送りに…」、「何いってんだよ、乗っちゃえよ」「そうしようかな、あ、でもパスポート忘れたし…、駐車場代金がすごい事になるし…」などと他愛もない会話を彼らと交わすのが楽しい。総じて乗船する人達は、39日の長いクルーズを前に、心が弾んでいるのがわかりなんともうらやましい。昨年の南極・南米ワールドクルーズでは、一年後のこのアジア パシフィックグランドクルーズの船上予約を受け付けていたから、その時に一緒だった人達も数多く見かけたが、その他に2011年のワールドクルーズ以来初めて再会する人もいて、お互い「あ、!」と声を上げる場面も幾度かある。「ありゃ、あの人、皺が増えたな」と妻にそっと耳打ちすると「きっと向こうもそう思っているわよ」と彼女の返事が妙に心に響く。


こうして親しい船友を見送って帰宅したあと、この日会った人達の名前を今一度ワールドクルーズ写真集や船上交換した名刺入れを繰りつつレビューしてみた。それによると今回あいさつをはっきり交した人たちが約40組(80人)ほどで、その他にお互い気がつかず通りすぎた人が多数あったようだ。前夜から特別に本船に乗っている事ができる上級会員や各種船内講座の先生たちもいたから、少なくともこのクルーズ乗船者のうち100人以上は知り合いという事になろう。横浜から乗船したのは500人弱との事で、もし我々が乗っていたら「久しぶり!今夜は一緒にメシ喰おう」とか「酒を飲もうや」という事が時々あったのかもしれない。初めて”飛鳥”や”にっぽん丸”に乗船した際に、いかにも船慣れしたようなちょっとイヤらしい乗客が目についたものだが、我々もそちら側の部類になってきたのか。とにかく見送りをしていると、やはり「陸でなく船上にいたい~」という気分になってくるものだ。

2017年1月19日 (木)

ベンチャーか伝統か?

1月17日付けの読売新聞は内閣府がまとめた「世界経済の潮流」と云う報告書から、米国では企業の新陳代謝が雇用拡大などを通じて経済成長に重要な役割を果たし、また設立から20年以下の歴史が浅い企業による雇用が約7割(日本は2割)を占めていると報じている。と云う事で内閣府から発表されている報告書の「アメリカ経済」(URL)の項目を読んでみた。それによるとそもそも起業に対する心理的抵抗がアメリカ人は少なく、ベンチャーキャピタルなどが資金的な後盾になって若い新しい会社が増えているとある。また会社設立後20年以下の企業の数を比較したところ、米国は全体で9割を超えたが日本は2割にとどまっているという。


アメリカではM&Aなどを通してエネルギー分野や小売・卸売・ヘルスケアなどで短期間に世界的企業に成長する会社も多いと報告書は述べ、「企業の新陳代謝が経済成長に重要な役割を果たしており、このようなビジネスダイナミズムを維持・強化するための環境整備が重要であると考えられる」と結んでいる。たしかに私も1990年代にアメリカに駐在していた経験からすると、世界各地から移り住んできた多様な人種から成り立つその社会は、さまざまな分野で日本より冒険精神が富んでいるとしばしば感じたものだ。周囲にはよい年をして永年勤めた会社をフッと辞めまったく違う事を始める人が何人もいたし、東部がいやになったから好奇心で西部に移ってきたなどという家族もいて、純日本式のサラリーマンである私はアメリカ人の自由な精神に驚かされる事が多かった。もともと移民というのはそれぞれの国で食えなかった人たちだから、新天地アメリカでは自由な気持ちで上昇志向を保ち続けるのだろうし、起業家精神も富んでいるに違いない。


一方で報告書は、日本人の起業に対する抵抗感がアメリカのみならずフランス・ドイツ・イギリスなどより強い事をデータを用いて示している。老齢化や成熟した社会を背景に子供が大事にされ、なるべく無難に生きるように薦められる今の教育システムによるものだろう。もっとも日本には老舗企業ランキングでは世界でダントツでギネスものだという事実もかたや存在するのである。現存する世界最古の企業は寺社や文化財の復元・修理を手がける金剛組という会社だそうで創立は紀元578年と云われるが、ほかにも旅館や清酒製造など多種の分野で200年以上の歴史を持つ多くの会社が活躍し、古い会社が元気なのは日本が世界一だと云う。創業者一族のみで会社を受け継ぐ事なく、年功序列で従業員が永く在籍する日本式システムが古い企業が時代に即して生き残るポイントだと云われ、会社が社会の公器のようになっているのは日本の良き伝統と云えるだろう。これからの我が国では、日本の古き良きシステムとアメリカの起業家精神がミックスして、新しい活性化の仕組みができないものかと報告書を読みながら考えていた。

2017年1月18日 (水)

がんばれ アパホテル

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産経ニュース(ネット)によると、「日本のビジネスホテルチェーン大手のアパグループが運営するアパホテルの客室に、『南京大虐殺』や『慰安婦の強制連行」を否定した書籍が備えられていることに対し、中国外務省の華春瑩報道官は17日、『日本国内の一部勢力は歴史を正視しようとしない。正しい歴史観を国民に教育し、実際の行動でアジアの隣国の信頼を得るよう促す』と述べた」とある。「中国外務省が日本の民間の言論にまで批判の矛先を向けるのは異例だ」とそのニュースが述べている通り、他国の一私企業にすぎないホテル備え付けの本にまでイチャモンをつけるとは、まさに開いた口がふさがらないとはこの事だ。


こんなアホなコメントは無視しておけばよいが、ホテル側は「日本には言論の自由が保障されており、一方的な圧力によって主張を撤回するようなことは許されてはならない」と気骨のある(当然すぎるといえば当然の)見解を出したそうだ。アパホテルといえば32年前に金沢で第1号店が創業し、今では全国有数のビジネスホテルチチェーンとなっている急成長企業である。近年、ことに東京地区で攻勢をかけており、「あ、こんなところにもアパホテルが!」というくらい都内あちこちにそのオレンジ色の特徴的な玄関を見る事ができる。私は泊まった事がないが、こんな立派な考えを持ったホテルがあるなら、これから出張や旅行の際には大いに利用することで応援したくなってきた。


もし中国の人々が嫌なら泊まらなければよいだけの話で、なぜ他国に「正しい歴史観を教育し、実際の行動でアジアの隣国の信頼を得るよう促す」などと上から目線で言うのか腹立たしい限り。覇権主義・軍国主義に走る中国に対しては、この言葉をそっくりそのままお返ししたいところである。かたやもう一方の「アジアの隣国」は、国と国の合意事項や国際条約に違反し、他国の公館の前に売春婦の像を置き、撤去は国の力では出来ないなどとうそぶいている。こちらこそ自国の民間の違法な行為に政府が為すすべもなく立ち尽くしていて、もはや国の体を成していない。いやはやとんでもない国々が日本の「隣国」なのだと、このアパホテルのニュースで改めて気付かされた。それにしても何かにつけ「言論弾圧だ」と叫んでいる我がサヨク連中が、中国外務省のコメントに黙っているのも笑える。

2017年1月15日 (日)

新年雑感

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寒い。クルマに乗ろうとエンジンをかけ、エアコンヒーターのスイッチをオンにすると、いきなり目の前の計器類モニターに雪の結晶印が表示される。寒いので凍結に注意という知らせのようだ。このクルマになって冬も5回目になるが、この表示が出たのは初めてだ。ヨーロッパの冬は寒いからドイツ製のクルマはこういう表示も出るのだとあらためて気づかされた。空は青いのに車載の温度計の外部気温は2.5度とあって、東京で雪でもない日の日中温度としては記憶にないくらい低い。


正月休みにひいた風邪が直らず咳が止まらない。どうやらアレルギー的な慢性の咳になってしまったようだ。新年早々に会社の診療所で出してもらった咳止めと、抗アレルギー薬を1週間のんでみたものの、症状は一進一退で殊に夜間に発作のような咳で何度も目が覚めてしまう。仕方なく数年前、同じ症状で苦しんだ際に受診した耳鼻科に行ってみた。その医師は症状は薬の力で一気に治すという主義か、咳止めや抗アレルギー薬、痰を出す薬など6種の飲み薬と、気管支炎などを改善する貼り薬を処方してくれた。こんなに多いと薬の害の方もちょっと心配だが、3日目でやっと症状もおさまってきた。それにしても風邪が治らず、こんなに薬の世話になるとはトシなのかと実感する。


いよいよトランプ新政権が発足する。西部邁氏などが主宰するオピニオン誌「表現者」第70号を正月休みに読んだが、その中で伊藤貫氏が言う「防御的リアリズムの勧め」に心惹かれた。伊藤氏は「(現憲法を護れば安心と云う)護憲左翼の九条崇拝、(日米安保があるから安心と云う)親米保守のアメリカ崇拝・・・・のほとんどは、たんなる偶像崇拝」で、アナーキーな世界の歴史を踏まえ、冷徹な現実認識でわが国は政策を展開すべしと説いている。山のものとも海のものともわからないトランプ政権や中国の覇権軍国主義、おバカな朝鮮半島の実態などをみるにつけ、戦後72年を経てわが国がどう進むか、憲法改正だけでなく核兵器の保有是非を含め議論すべき時期が来たと新年に思った。伊藤貫氏の著書に関する昨年8月のブログ

2017年1月10日 (火)

テレビをSONY BRAVIAへ

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昨年暮れのクリスマス会、友人たち家族同士で盛り場のスポーツバーで酒を飲みつつ談笑していた際、間近い壁面に掛かっていた大型液晶テレビから流れるラグビーの映像のリアルさに驚いた。ラグビー放送と云うと、とかくラックやスクラムの中、審判の笛が吹かれるまで何が起きているのかよく判らないものなのに、眼の前の大画面ではカメラワークの良さも手伝い、ボールの位置やらオフサイドになる選手が明らかで、思わず「あ、こんな大画面だとラグビーの中継は違うんだ!」と妻の前でつぶやいたものだった。


さて現在のマンションに越してきた際に買い換えてきた各種家電製品も10数年経ち、そろそろ買い換えの時期が迫ってきたが、ふだん私の金の使い方から見て「この人は会社をやめたら財布の紐がグッと固くなるに違いない」と思っていた妻が、私のこの独り言を聞き逃すはずもない。何しろ日ごろから「会社をやめたらクルマももう手放そうか」などと言って妻を嘆かせているから、彼女の頭の中には私が勤めている間に買い換えておくべき家電製品リストが出来あがっていて、テレビもその一つだったのである。


それからというもの、妻は集めた4Kテレビのカタログをこれみよがしに食卓に並べたり、量販店で聞いた店員の説明を夕食中にさりげなく聞かせたりと、私の財布の紐をゆるませるための下工作に余念がない。という事で、満を持してこの三連休に量販店で購入したのが、ソニーのBRAVIA(49インチ)である。狭いマンションでは対角線が1.2米もあるこのサイズが精一杯、さっそく届いた新しいテレビはこれまでの32型と比べると2回りくらい大きくなって、何だが居間が映画館になったようである。


スイッチをオンにすると従来の液晶テレビより画素数で4倍にもなったその映像もきれいだが、何より驚いたのはネットに接続すると従来パソコンでしか見られなかった様々なコンテンツを大型画面を通して見る事ができる点だ。さっそくYoutubeを選択して先のNHKリオ・オリンピックの高画質放送を流してみたところ、選手の表情が繊細かつリアルで、画面からは彼らの息遣いまで聞こえてきそうだ。同じくYoutubeで長時間バージョンのモーツアルトなどを一日流しておけば、CDや有線放送なども要らなくなるのかと時代の変遷を感じてしまう。


店員の説明では「この種の新型テレビはもう大きなタブレットと考えて下さい」との事で、これを使いこなせば自宅にパソコンを設置する必要さえなくなりそうである。私も若い頃はオーディオに凝った時期があったが、こんな多機能の家電が普及すると、そのうち「テレビが趣味です}などと引きこもり気味の若者が増えるのかもしれない。今回の買い替えの値段は全部込みで約16万円ほどであったが、これから年齢とともに家に居る時間が増え、この先も新しい機能を徐々に使いこなしつつ何年も楽しむとなれば、ここで買い換えておくのも良かったかと、妻の策略にハマった自分を慰めるのである。

2017年1月 5日 (木)

五島列島再訪

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中通島の中ノ浦教会、別名水鏡教会

妻の父方の祖父はもともとは長崎県の五島列島の出身と言う縁があって、この正月休みは義母や義妹一家と島々を訪れてみることにした。列島の中でもっとも大きな島である福江島には2014年7月に飛鳥Ⅱの「九州島めぐり・長崎花火クルーズ」で来た事があるものの、当時は島の西端の大瀬崎や各教会をレンタカーを使って駆け足で見ただけだから、ゆっくりと腰を据えて観光するのはまた別物である。その五島列島は長崎県の西方の東シナ海に位置し、中通島(上五島)や福江島など五つの大きな島と、周辺の小さな島々からなっている。


島と云えば、東京の人間は伊豆諸島のことをすぐ思い起すのだが、五島列島が総面積約500平方キロで人口が7万人ほどに対し、伊豆諸島は約300平方キロに3万人と人口密度はほぼ似た様なものであろう。ともに火山による造山活動で形成された島であり、最寄りの本土から100キロ以上の沖あいに展開するなどの共通点がある。しかし五島にはかつて五島藩(福江藩)の大名がおり、古代から支那と我が国を結ぶ要路に位置して文明の中継地となっていたから、同じ島嶼といってもその雰囲気は伊豆とはかなり違っていた。


今回の旅は福江島や中通島の観光に加え、久賀島・奈留島を廻る貸切観光船による遊覧も含めた3泊のガイド付き団体の旅で、島には大資本によるリゾート施設もなく、漁業の海にふさわしい新鮮な魚介類や地元の素朴な人達との交流をゆっくりと楽しむ事ができた。五島を囲むリアス式海岸はどこに行っても海水が透明で、箱庭のごとく水辺が変化に富んでおり、まるで絵画のようなその風景は、瀬戸内海や松島などの海岸美とも一味違って素晴らしい。


五島列島を特色づけるのはなんといっても各地に点在する教会である。他の九州各地と同様に戦国時代以降にキリスト教が広まったが、豊臣氏や徳川幕府の禁教令時代になっても、長崎から108名のキリシタンが開拓民として島に送られたほか、3000名ほどの隠れキリシタンが五島の各地に住んでいたそうだ。中央から遠く離れた地であればこその、権力の見て見ぬふり、お目こぼし策だったのだろうか。世界遺産に登録申請中の島の教会郡は、明治維新前後の宗教弾圧を耐え信仰を貫いた人達がのち造ったもので、これらを見学するうち、遠藤周作の「沈黙」をもう一度読もうかと云う気持ちになってきたのであった。

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船でしか行けないキリシタン洞窟(維新の頃、弾圧されたキリシタンが隠れていた)は反対側からは幼子を抱いたマリア様のように見える

2017年1月 3日 (火)

こいつは春から縁起がいいや!

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箱根駅伝で数年に一度コマーシャルの前に流されるかつての我が姿(左端)のフィルム

あけましておめでとうございます。

近所におつかいに出たので、家で留守番している妻に「何かおいしいコーヒーでも買って帰ろうか」と電話する。彼女は「カフェモカ」が欲しいと言うので、帰り道にチェーンのコーヒー店でモカと自分用のふつうのホットコーヒーを「お持ち帰り」で注文し、「大きいので悪いけど」と1万円から釣りをもらった。こういう店はマニュアルが行き届いているから、「まず大きいの9,000円のお返し」と目の前でお札を数えて見せ、次に「小さいほうがこれこれ」と正確に店員は小銭を返してくれた。さて家に帰ってさっそく袋から出したカップのふたを開けてみると、妻のモカは間違いないが、私のは中味がなんとカフェオレである。おつりは「普通のホット」分として間違いがない事を確認ずみだから、どうも店がホットの値段でカフェオレをあやまって入れたに違いない。わずか70円の違いだが、何か新春からちょっとついている気がした。


何気なく正月の箱根駅伝をテレビで眺めていたら、「箱根駅伝今昔物語」で早稲田大学の高塚俊さんと音声が流れ、おもわず懐かしい気分が蘇った。高塚さんと云えばいえば私よりちょっと下で、特に面識はないものの早慶の競走部は仲が良かったから箱根を数回走った彼の顔や名前はよく覚えていた。番組では4年になった時に就任した故・中村清監督の思い出を述べていたが、卒業後に新潟県で中学校の先生になった高塚氏が「怖いと恐れられた中村先生には愛があった」と云う事を喋るその語り口からは、教育者ならではあたたかい響きが伝わってきた。スポーツもそうであろうが、卒業後の永い歳月や仕事が男の顔を作るのだなあ、と高塚氏がしゃべる画面を見ながら思わずつぶやいていた。


さて大手町のゴールで後輩たちのゴールを待つ画像の高塚さんの傍らには、彼と同期で早稲田の駅伝主将だった横山菊勝氏も一緒に映っていた。私が30歳代の頃には、貿易の仕事で関係があった横山氏や、早稲田競走部OBの彼の後輩たちとチームを組んで、ローカルな駅伝大会にときどき出たものだった。横山氏とは、その後も三井グループ陸上競技大会のシニアの部で一緒に走ったりしたが、お互い会社を離れてからここ数年は疎遠になっていた。それが今年は箱根駅伝中継を機に高塚氏や横山氏と懐かしい名前や顔をテレビで見る事ができ、皆元気なんだと、何だか新春からちょっと嬉しい気分になった。

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