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2016年10月

2016年10月29日 (土)

諫早再訪計画

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重要文化財 眼鏡橋

ねんりんピック長崎2016では、緑の多い諫早の総合運動公園で開会式やマラソン交流大会に参加する事ができて、とても良い思い出になった。これまで諫早といえば鉄道の要衝の地として知られていた外は、昭和32年の大水害の話くらいしか頭になかったが、今回の経験を通じ、競技とは別にもう一度じっくりとこの町を訪問してみたいと思った。諫早市は人口14万人で長崎市から東へ約25キロ、ツルハシというか金槌を逆にした様なちょっと特異な形の長崎県の中央部、ちょうどツルハシの木製の柄と金属製の頭部が結ばれる結節点にある。


なにしろこの町は三方が大村湾、橘湾、有明海という美しい湾に囲まれ、それぞれの海が違う方向の外洋と繋がっているというきわめて珍しい場所に位置している。町の真ん中を流れる本明川は、ねんりんピックの際には優雅で落ち着いた流れに見えたが、1級河川ながら延長はわずか28キロと短く、諫早市の北に位置する多良岳から有明海に注ぐ急流だそうだ。江戸時代末期にその本名川に架けられた眼鏡橋に、昭和の豪雨時に流された来た流木や瓦礫がせき止められて被害が拡大したため、眼鏡橋はその後諫早公園の一画に移設され重要文化財となっている。


諫早市はまたノーベル化学賞の下村博士や、体操のリオ・オリンピックのゴールドメダリスト内村選手を輩出した町でもある。ここには古くから開けた町としての文化の他に、美しい海・山や川があり、時には自然と闘い、あるいは共存してきた歴史があちこちに見えるのである。たまたま来年4月には横浜発着クルーズ船のCELEBRITY MILLENNIUM号に予約を入れているので、また長崎港へ寄港する予定だ。長崎市も素晴らしい観光地だがもう幾度か行っているので、次回は寄港中に諫早まで電車で来て、運動公園でジョギングを楽しんだら、眼鏡橋や城址公園を散策し名物のうなぎ料理を試してみようかと計画は尽きない。

聖武天皇時代・神亀728年に創建された諫早神社
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2016年10月25日 (火)

第900回消防庁音楽隊・金曜コンサート

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900回記念コンサート

春と秋の金曜日、日比谷公園小音楽堂(屋外)で昼休みに開かれる東京消防庁音楽隊の金曜コンサート。先週の金曜日は今秋最後のコンサートという事で、会社近くのコンビニでおにぎりを買って聴きに出かけた。この日は絶好の日和だったからか、会場に着くとやけに聴衆が多く、空いている席を見つけるのが難しいくらいだ。入り口で配られたプログラムを見ると、今日が900回記念コンサートだとあって、ようやくいつもより人が多いのに納得するが、それにしても会場の多数を占めるシニア層はよくこういう情報を手に入れるものだと感心する。


記念コンサートとあって、この日は女性職員の華やかなカラーガーズも出演し、スーザやワーグナーのタンホイザー行進曲が一段とはなやかに演奏される。最後は「美空ひばりの想い出」と銘打った特集で、これが聴衆の年齢層にちょうどマッチしていてとてもよい感じだ。プログラムの紙裏には昭和25年から始まったコンサートのうち、区切りの各100回がいつ行われたかの一覧表があって、それによると第300回が昭和51年春とあるから、私が会社に入って初めてここに来たのはまだ200回代の半ばだった事になる。思えばあれから40数年、海外駐在した以外の勤務地はおおむね皇居周辺の幾つかのビルだったし、今も週に数日は皇居周回に走りに来るから、私にとってこの辺りが第2の故郷と云えなくもない。


新入社員の頃は、まだ丸の内のビル群が31米の高さ規制によって揃って9階建てだったが、今や周囲を見回すとニョキニョキと高層ビルが建って景色もすっかり変わってしまった。そう云えば当時、木曜日に行われた新入社員の歓迎会で飲まされすぎて、翌日は席に座っているのが辛く、日比谷公園で金曜コンサートをうつらうつら聴きつつ休んでいた事を思い出した。もっとも若い頃は金曜日の昼と云えば大体がTGIF気分となって、あと少しで週末だと心が浮いていたものでもあった。あと何年かして会社を辞めても、今日の多くのシニア聴衆と同様に、天気の良い日に私もまたここに来るのだろうか等と想像しながら秋空のコンサートを楽しんだのだった。

2016年10月23日 (日)

中学校同窓会

夏のオリンピック開催年に行っている中学校の同窓同期会を先ごろ開いた。こちらは仲の好い友人数名組で万年幹事とあって、当時の教師のうちご存命の2人の先生にも参加してもらい、学校に程近い居酒屋での会である。通っていたのはごく普通の世田谷区立の中学校だったが、だいたい200名ちょっとの卒業生で、卒業して50年たっても毎回のように約50名弱あつまるから、「この学年は本当に纏まりの良い学年でよく覚えていますよ」と先生の覚えもめでたい。


男性は自営業者を除くと6割ほどがすでに会社をリタイアしていて、「今まであまりこういう集まりに興味がなかったけど、リタイアしてから急に昔が懐かしくなって出てきたよ」などという声も会場のあちこちから聞こえてくる。昔はちょっと格好良くてワルだった男子が今回初めて来るというので、それを聞いた女性陣が俄かに色めきたつが、見れば彼も普通のオッサンになっていて「え、これがあの○○なの」と何とも言えない声が彼女たちから上がるのもお約束通りである。


在学中は余計な事には煩わされないとばかりわき目も振らず、東大に現役で受かった女子が、今回50年ぶりで皆の前に来たが、最初ちょっと遠慮気味だった周囲に彼女はごく気軽に話しかけて皆を驚かせる場面もあった。「初めて彼女と口をきいた」「あの人があんなに喋るようになったの?」と人生の経験が人を変えるさまを見るのは面白い。そういえば男子で東大に行った連中は、揃って音信不通やら欠席とあって、「彼らはまだ忙しい人たちなのかなあ」と一同妙に納得するのである。


男性の変化もあるが、特に女性は在学中は目立たなかったのがとても感じのよいオバサマになっていたり、反対に男子憧れのマドンナがフツーのおばさんになっていたりと当然の事ながら歳月は人を変えてしまう。しかし最初は何となく遠慮がちだった会場も、乾杯してものの10分もしないうち、お互いに見慣れてくると、目の前の顔に昔の面影が蘇り一挙に中学時代にタイムスリップする。


そのうち年老いた母親(父親はすでになくなっている人が多い)の頑固・頑迷に悩まされたりとか、孫の話に盛り上がったりとかと、年齢相応の共通の話題に時間が過ぎるのを一同忘れるのだった。紅顔の美少年・目元涼やかな美少女たちは、こうして50年後に厚顔のオジサン・目元の皺が気になるオバサンとなったが、皆がひとしく楽しい時を過ごしているのを見ると、また4年後も幹事をやってみるかとの思いが湧いてきた。

思い出の地元公園
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2016年10月17日 (月)

ねんりんピック長崎に参加して

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ねんりんピック長崎の開会式

この週末は、”長崎でひらけ長寿の夢・みらい”と銘打たれた第29回全国健康福祉祭(ねんりんピック長崎)のマラソン交流大会に参加した。国民体育大会(国体)が日本体育協会や文科省が主催するに対し、こちらの”ねんりんピック”は60才以上の高齢者の大会として厚労省が主催(共催:スポーツ庁)するイベントで、毎年、日本の各地持ちまわりで開かれている。参加者の年齢からして本格的な競技志向というよりは、「地域や世代を越えた交流」を趣旨とするので、同じ強い選手が続けて出る事がない様に、選手は隔年にしか参加できない仕組みになっている。私も東京都の予選を突破して、一昨年の27回栃木大会以来のマラソン交流へ出場である。


土曜日は秋空に恵まれ、諫早にあるトランス コスモス スタジアム長崎陸上競技場では、常陸宮華子さまご臨席の下、スポーツ庁の鈴木大地長官も参加し、盛大な開会式が行われた。全国の都道府県に加え各政令指定都市の代表選手団は入場行進や式典の後、スタンドに着席して配られたお弁当を楽しんだが、2万人収容できる観客席がほぼ満員だったから、各競技にそれだけの数の選手・役員たちが集まった事がわかる。これを見ていて思わず宿代や貸切バス代の他おみやげ費用なども含め、何億円の経済効果が開催県にあるのだろうかと疑問が浮かんできた。参加する選手には、交通費・宿泊費に一定の補助が各出身地方から出ているし、国体ではそれらが全額公費負担だそうだから、国体やねんりんピックなどは、お金が開催県へ循環して地方を活性化させるシステムとしての役割もあるのだろう。


などと野暮な事ばかりでなく、実際に町をユニフォーム姿で歩いていると、子供たちが必ず「こんにちは」と声をかけてくれるのがとても気持ちよい。きっと全国からお年寄りが集まってくるから必ず挨拶をする様に言われているのだろうが、彼らにとっても観光バスが何百台も集まり、大挙して老人が我が町に押し寄せてくる光景は印象深いものに違いない。それにしても開会式の地元の高校生たちで構成されたブラスバンドは素晴らしかったし、様々なダンスのエキジビションも完成度が高くて感心した。こうして子供たちの挨拶をうけ、年々レベルが高くなっているような課外活動に触れる一方で、老人たちがピンピンと元気で走ったり飛んだりしているのを見ると、日本はやっぱり良い国だと思うのである。


さて男女あわせて250名ほどが参加した3キロ、5キロ、10キロの各マラソンは、男性選手の多くが短いランパンにランニングシャツ姿のシリアスランナー・スタイルで、いまどきの若者に多いタイツを履いた”なんちゃってランナー”風はあまり見ない。最近の各地の普通のマラソン大会より余程こちらの格好が「本格的」なのは、それぞれが各地方代表として誇りを持って走る証であろう。もっとも急に蒸し暑くなった天気の影響からか、頑張りすぎて足に力が入らなくなり、ふらふらになって倒れる男性ランナーが何人かいたのは年齢を考えると仕方がないか。ただ女性ランナーには倒れる人がいなかったようだから、歳をとっても女性の生命力は男より強い事をあらためて思い知らされた。私は今回も入賞する事ができてメダルを貰えた上、各県代表のランナー達といろいろ交流でき快い疲労と共に帰京してきた。

2016年10月12日 (水)

東京六大学野球・秋のリーグ戦 ありがとう応援団

母校・慶応野球部の勢いも今ひとつという事で、東京六大学野球秋季リーグ戦の応援にも熱が入らなかったが、子供の時分から50年以上も通ってきた神宮球場である。やはり1シーズンに1度や2度は球場に行くかと思い直し、3連休の最終日は慶応-法政の3回戦を観戦に出かけた。今シーズンはどうやら投打に好調の明治と、このところ好選手が集まっている立教が実力的にあたま一つ抜けているようだが、我が母校もまだ僅かながら優勝の可能性はありそうだ。それにしても最近の六大学野球は一般内野席に入るのに1300円もして、アマチュア野球としてはちょっと高すぎではないかと感じる。よってこの日は久しぶりに800円の外野席に入ってみたが、昔のハゲチョロケの草の外野席と違ってここも最近はなかなか居心地の良い場所である。


外野席から目の前に大きく広がる秋色濃い空を眺めていると、昭和の初め、早慶戦ラジオ実況中継で「夕闇せまる神宮球場、ねぐらに急ぐカラスが1羽、2羽、3羽・・・・・」と喋ったNHK松倉アナウンサーの名セリフがふと聞こえてきそうだ。座った場所からは外野手同士が声を掛け合ったり、場面によって微妙に守備位置を変えたりするのが見え、いつもとちょっと違った視点で野球が楽しめるのもよい。普段はあまり来ない外野席にいると両校の応援団やブラスバンドの音が、内野席より身近に迫って大きく聞こえてくるのにも気づいた。六大学野球観戦の楽しみの一つは、野球とともに伝統の校歌や応援歌、チャンスパターンのパフォーマンスぶりを見聞きする事にあるから、慶応の応援歌だけでなく、法政の「若き日の誇り」を口ずさんだり、応援団の「チャンス法政」を見入ったりしながら、こうして一人でゆったりと試合観戦をしていた。


そういえば大学に入学した時に、自分の競技を続けなければ応援団(慶応では応援指導部と云う)に入ろうかと一瞬迷い、ちょっとした興味で部室の門を叩いたところ、その勧誘の熱心さに引くに引けなくなった事を思い出した。最後は数日後に何かとんでもない理由をつけ、やっと入部勧誘を断ったが、いまでも学ランと弊衣破帽姿に心惹かれるから私は本質的に応援団が好きなのだろう。強くとも弱くとも入れ替えなどせず、東大も入れた六校固定のリーグで育まれた数々の応援団の「お約束」と「形式美」こそ、日本的スポーツ応援方の本家本元だと思う。この日の試合は慶応が3対1で勝利したが、球場の雰囲気に浸っていると、いつの間にか日頃のストレスから解放され、勝っても負けても球場を去る頃には心が軽くなっているのだ。ありがとう両校の野球部、応援団(応援指導部)やブラスバンドの皆さん。

2016年10月11日 (火)

飛鳥Ⅱ 秋の日本一周・韓国クルーズ (6) 纏め編

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境港のチア少女たちの見送り

11泊の「秋の日本一周・韓国クルーズ」では、飛鳥おなじみ常連客の他、区間の乗船客、それに旅行社が組む往路が飛鳥Ⅱ・帰りに新幹線などという北海道グループツアー客も数多く乗船していた。100名以上のツアー客は横浜から最初の寄港地・函館まで2泊の乗船だったので、このクルーズは、函館までは夕食が2回制、以後は1回制と云う事になった。ただ1回制の食事となるとフォーシーズンズダイニングのオープンが5時半からで、通常2回目のダイニングを利用する私たちには食事の時間が早すぎる。船内紙には「ダイニングには6時ごろまでにお入り下さい」とあるので、私たちは6時過ぎに飛び込み、例によって「お替わり」などをお願いし、ゆっくり食事を楽しんでいるうちに7時半すぎとなってしまう。周囲を見回すと、すでにその時間にはほとんどのテーブルが帰っており、手持ち無沙汰のウエイターだけが持て余している状態だ。今回はワールドクルーズと違い食事の味もそこそこ濃くておいしかったが、あまり飯を早く出さず、もう少し配膳に時間をかけて、ゆっくり料理を楽しむ様にさせたらどうだろうか。ショーの時間が押している等の理由もあろうが、食事の時間はどうも日本のせっかちな高齢者の早飯にあわせ過ぎな気がしてならなかった。


さて10月4日にも書いたが、私たちにとっては釜山への寄港はもう勘弁してほしいところである。今までも仕事で釜山には何回も来たし、外国のクルーズ船で、あるいは飛鳥でここは幾度も寄港している。日本籍船で外国人クルーが乗船している飛鳥Ⅱが、いわゆる60日ルールによって2ヶ月に一度は外国の港に寄らなければならないなら、少なくとも反日の国家である韓国の釜山や済州島を避け、ロシアや台湾へ寄港する機会を増やして欲しいと思う。距離的な近さで釜山が便利だというなら、船とクルーはそこに行って課題をクリアーし、その間に乗客は国内に留まるオプショナルツアーを設定してもよいのではなかろうか。関門海峡から釜山は距離的に片道100マイルだから、例えば下関で早朝に乗客を降ろし、本船だけ往復しても所要時間は12 時間ほどである。安い韓国のバンカー(船舶用重油)こそ補油できないものの、船とクルーだけがワンタッチして帰ってくれば、その間に船客は韓国に行かずに山口県や北九州の名所を訪れ、その夜に門司などで本船に戻れるというものだ。


それにしても海から訪ねる日本の各地は、おもむきがあって良いものだと今回改めて感じた。考えてみれば日本で陸地を安全に旅するように街道が整備されたのは中世以降の事で、それ以前は物流はもちろんの事、人の往来も海路に頼る事が多かったのである。永い歴史を通じて港はその町の表玄関の役割を果たしており、その表口から町に入っていけるのがクルーズの面白さでもある。こうして古くからの港町に入港し、各地の風情を堪能した後、本船が出港する際に町の人々が催してくれる送迎も感動だ。函館ではイカ飯にいか踊りの見送り、境港のジュニアによるチアダンス、佐世保の高校生マーチングバンドとコーラス。門司では太鼓や蟹汁と、船が見えなくなるまで岸壁の人たちが手を振り続けてくれたのが忘れられない。航海日としてのんびりした日がもう1~2日ほど欲しかったが、11泊でこの寄港地数ではそれも難しい事だろう。素晴らしい情景と本船のホスピタリティ、他の交通手段では味わえない情緒や趣向が楽しめるなど飛鳥Ⅱの秋の船旅はやはり期待を裏切らなかった。それにしてもそろそろ新しい飛鳥Ⅲの噂が聞こえててもよい頃だが、その大きさは?人数は?そして価格帯はどうなるのだろうか気になるところである。

佐世保のブラスバンドとコーラスグループ
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門司の保育園児達の太鼓の見送り
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2016年10月 5日 (水)

飛鳥Ⅱ 秋の日本一周・韓国クルーズ (5) 昼の三原瀬戸編

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大崎下島を過ぎ本船は三原方面への航路をとる

門司・広島と寄港し、飛鳥Ⅱは最後の寄港地(もっともこの日本一周・韓国クルーズはもともと起点が名古屋と横浜の2港なので名古屋で一周を終える乗客も多いが・・・)、名古屋へ向かって瀬戸内海を東に走り始めた。広島から名古屋へ行くには、高い水先料や様々な航行制限を考え、ふつう外航貨物船などは南へ下り、関崎から豊後水道を抜け四国沖廻りのルートをとるが、飛鳥Ⅱは瀬戸内海を東に走り、友が島水道から潮岬に向かうのがさすがクルーズ船である。さらに本船は全長200米を越える巨大船なので、今回は来島海峡での巨大船潮待ちを余儀なくされるより、三原瀬戸を抜けるとの小久江船長の嬉しい船内放送である。


これまでも関西汽船の観光船や各社の大型フェリーで幾度も瀬戸内海を通ったが、いずれも東西を結ぶ航路は来島海峡を通るので、瀬戸内海のまた内海、島嶼が多い三原瀬戸航路を大型船で航行するのは滅多にない経験である。という事で、当日はあいにくの雨の中、朝の広島出港から備後灘で本航路に戻るまでの半日、持参の望遠鏡を離さず景色を見続ける事になった。広島港を出た本船は、柱島を右舷に見つつ針路を徐々に東へとり、大崎下島にぐっと近寄ったところで本州に向けて左に舵を切る。瀬戸内の本航路をはずれると、各島を連絡する高速艇や小型のフェリーしか通らないから、飛鳥Ⅱの様な大きな船から眺める景色はとても新鮮である。


出張でしばしば利用していた忠海(広島県)と大三島(愛媛県)を結ぶフェリーの航路を横切り、左手には大型船建造で賑わう幸陽ドック(現在は今治造船・広島工場)を見つつ、広島県の三原市沖で本船はスターボード(右)に転舵する。広島県の向島と因島の間、しまなみ街道の因島大橋をくぐって備後灘に至るまでは、この航海でももっとも風光明媚な区間である。当日の雨天はとても残念だったが、昼に行われた本船のビアフェスタで生ビールをしこたま飲みつつ、そのアルコールで酔眼になっても島々の間の航海風景を大いに楽しんだのだった。


もっともその後、朝早くからのワッチとビールでキャビンで寝入ってしまい、午後に開催されたフラダンス教室に参加に参加できなかったのはひどく残念ではある。フラ教室の講師である本船のアシスタントクルーズディレクターに、「フラには必ず参加するからね!」と言っておくも、約束が果たせななかったのが今航海の唯一反省点となった。こうして名古屋に寄り下船地の横浜まで、あっという間に11泊の遅い夏休みが終わってしまったのだった。日程的にはこの位の長さのクルーズがちょうど良い感じであるものの、願わくば釜山などに行かず終日航海日があと数日増えると(今回は2日)、船内でのんびりする日が増えてもっと良いのではないだろうか。

しまなみ街道の因島大橋をくぐり備後灘へと船はすすむ
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2016年10月 4日 (火)

飛鳥Ⅱ 秋の日本一周・韓国クルーズ (4) 釜山・佐世保編

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閑散としていた釜山のコンテナ・ターミナル

航海6日目は韓国の釜山である。ここのところ、クルーズの寄港地としてしばしば釜山港に来るが、反日の韓国では我が身銭を一円でもきって消費などしたくない。それでもこれまでは飛鳥Ⅱは港の入り口に近いクルーズターミナルに着いたので、岸壁の脇にあった公園で一時間ほどジョギングする事もあったが、今回は日本からのフェリーも到着する町の中心部に近い新しいターミナルに着岸とあって、本船から下船する気もまったく失せてしまった。よって日がな一日、船のプールでゆったり泳ぎ、フィットネスセンターで筋トレに汗を流し、大浴場に浸かってキャビンでビールでも飲もうかという算段である。これなら私個人が韓国経済に資する事ゼロである。


釜山港で飛鳥Ⅱの周囲を見回すと、たとえ日曜にしても港内は閑散としており、特に普段忙しいコンテナターミナルにほとんど船がいない。中国の経済減速の影響でこの国の景気が悪い上、先ごろ倒産した韓国随一のコンテナ船会社 HANJIN(韓進)SHIPPINGの倒産が影響しているのだろうか。それにしてもこの国が地政学的に極めて複雑な位置に置かれているのはよく判るが、中国に擦り寄ったり日米陣営に戻ったりと、とにかく振幅の巾が大きい付き合いにくい国である。最近も日本軍のいわゆる従軍慰安婦問題(実はどこの国の軍隊にもあった唯の軍隊相手の商売女性だった)で、日本と韓国の間で『最終かつ不可逆に解決』するとして確認されたものに、またまた韓国側が勝手に自分の都合で合意された「ゴールを(韓国世論に有利な様に)動かす」姿勢を見せてごねている通りだ。日本のクルーズ船も単なる労務対策で、行きたくもないこんな韓国に寄港するのはそろそろ止めにして欲しいところである。


という事で、思わず「終日航海日」のように上陸しない日となって、ノンビリと船上で過ごせた釜山港から一晩、翌日は軍港、佐世保に本船は寄港した。月曜日の朝8時、港内の何隻もの自衛艦の後甲板上で隊員達が立ち並ぶ中、軍艦旗がするすると艦尾のポールに掲揚されるさまを、入港する飛鳥Ⅱの船上から眺めるのは清々しく忘れられない光景であった。ここ佐世保では港近くの千尽公園近辺をジョギングし、飛鳥Ⅱのクルーが「おいしいですよ」と教えてくれた駅横の「香蘭」でチャンポンを食べ、お馴染みの「九十九島せんぺい」をみやげに買う。最後は例によって自衛隊の佐世保資料館に立ち寄って、我が海防の歴史に自恃の気持ちを高めて本船に帰ったのであった。セイル・アウエイ・パーティで素晴らしいパフォーマンスを演じた地元高校生のブラスバンドやコーラスも、佐世保の思い出を一層素晴らしいものにしてくれたのであった。

佐世保にて護衛艦「あけぼの」の0800自衛艦旗掲揚
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2016年10月 2日 (日)

飛鳥Ⅱ 秋の日本一周・韓国クルーズ (3) 境港編

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境港入港・左方が岸壁、右の水路が境水道 

航海5日目朝、大山の彼方から上る朝日により、山の影が日本海に映るのを左舷に見つつ、飛鳥Ⅱは境港に入港した。境港は米子から伸びる弓ヶ浜の突端にあり、島根半島が防波堤の様に町を日本海の荒波から護り、港が面する狭水道は日本海と中海という汽水湖をつなげている。大山や弓ヶ浜の雄大な景色を飽かずに船上から眺めていると、かつて読んだ志賀直哉の「暗夜航路」の情景が頭に浮かんできた。小説のクライマックスで主人公の時任謙作が早暁に大山から望むと、遠く中海や弓ヶ浜にかかっていた大山の朝の影が、次第に山すその米子の町へたぐりよせられていく例の有名な場面である。今回はそのシーンを反対の海側から見る事ができ、とても心に残る飛鳥Ⅱの入港であった。


鳥取県の西端にある境港は江戸時代は北前船の寄港で賑わったと云い、境水道を挟んで港の反対側(島根県)には、海上安全・大漁・商売繁盛などの神様えびすさまの総本宮である美保神社がある。また中海を西にたどれば宍道湖の向こうに出雲大社が鎮座するというロケーションで、まさにこのあたりは日本の国造り神話と外海・外界との接点に当たっていた場所のようである。大陸や朝鮮半島にも近いから、上代・古代から海の向こうからも様々な影響があっただろうし、多くの民俗学者や歴史学者が、このあたりの水路や地理の事を研究している事であろう。


さて境港市は漁港として有名だが、三万数千人の小さな市ゆえか、町おこしとしてここの出身者である漫画家の水木しげるを前面に出している。例によって着岸後、本船を飛び出し、ジョギングしながらJR境線の終点境駅前から700米ほど続く水木しげるロードを辿ってみると、「ゲゲゲの鬼太郎」に出てきたキャラクターの像が道の両側に置かれ街路が整備されていた。ただ私は、昔から水木しげるの作風やら妖怪には興味がなかったから、ここはさっさとパスし、水木ロードのすぐ近くにある大港神社に行く事にした。神社には江戸時代に日本の各地の船主などから奉納された石の鳥居や、長明燈、手水鉢などの石物などがあって、境港が近世において海運の要衝であった事を偲ばせてくれるのだった。

大港神社の境内
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