2度目のルノワール展
60歳を過ぎた頃から「頭が筋肉で出来ている」などと言われない様に、毎日走る事ばかりでなく少しは文化的な活動にも力を入れようかと思いはじめた。最近習っている社交ダンスしかり、50年ぶりに再開したピアノの練習しかりだが、もう一つ絵が描けたらどんなに素敵だろうかと日頃から夢をみる。まもなく来る退職の後、あり余る時間はスケッチブックを持って公園や郊外に出かけ、ひがな一日風景を写生をしている自分を想像するが、その前に絵を描く事は中学の美術の授業以来だから、どこから手をつけて良いのか皆目わからないのが実際である。
という事で、フランスのオルセー美術館とオランジュリー美術館所蔵のルノワールの絵画など100点あまりが集まったルノワール展が東京の国立新美術館で開催されているので、先日妻と再び行く事にした。かつて欧米へ旅行しても、美術館という場所が私はどうにも苦手で、入ってもすぐに退屈したものだった。そのため有名な美術館に行ける機会をパスしてしまう事の連続で、妻の顰蹙を大いにかっていたが少しづつ人は変るのだ。文化的な人間への変身、「頭が筋肉で出来て」いない事を証明する為には、美術館に気軽に行く姿も妻に見せねばなるまい。以前にも一度見た印象派のルノワールなら、まあとっつき易いということもある。
金曜日の夕方、仕事を終え六本木の喧騒を脇目に、盛り場からほど近い国立新美術館に久しぶりに赴くと、予想どおりルノワールの絵は筆致が素晴らしく、芸術音痴の私でもそれなりに楽しめる。前回は (前回のブログ) 裸婦像ばかりが眼に残ったが、今回は「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」(上のパネル)や「草原の坂道」など、印象派が得意とする屋外を描いた絵や光の変化に心を奪われた。こうして名作の「実物」を眼前にすると、作者の息吹が伝わって来るような気もしてくる。
それにしても今回、美術館の雰囲気というものは、なかなか快適なものである事にあらためて気がついた。来館する多くの人たちは、概して身なりもそれなりにきちんとしている上、館内では人と人が微妙に”大人”の距離で近過ぎず離れずの感覚だ。盛り場にいる奇抜な格好をした若者もほとんどいないし、親と一緒に来た子供達もよくしつけられている。こういう場所に来て、気持ちよい人たちに混ざって芸術作品を見ていると、何だかこちらも心が洗われたような気分になり、帰り道に六本木でとったビールや餃子も事のほか美味しく感じた。芸術と食欲の秋を一足前に堪能して帰宅したが、こういう週末の過ごし方もなかなか良いと、かつての美術食わず嫌いをちょっと反省したのだった。
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