東京の街の秘密50(内田宗治) 玉川上水
「春の小川」が書かれた地、代々木上原にジョギングで向かう道すがら、新宿御苑脇の側道を走り抜けた。側道といっても御苑の一部とも云える場所で、小道の両側に樹木がうっそうと生い茂り、みどりの風がそこを吹きぬけて気持ちが良い。その傍らを近年あらたに整備再現された玉川上水の清流が流れている。厳密にはこの小川の水は多摩川から流れて来るのではなく、御苑の下を通過する自動車専用トンネルから湧き出た水なのだそうだ。しかし、ごく近く四谷四丁目の交差点付近にある玉川上水を記した水道碑記は、このあたりが江戸市中に飲み水を供給していた大事な地区であった事を偲ばせてくれる。
「東京の街の秘密50」によると、江戸下町では井戸を掘っても、塩分が混じって飲用不適だった場所が多く、飲み水の確保が町づくりの大きなポイントだったそうだ。そこで神田上水とともに市民に水を供給するために、1653年、徳川四代目将軍・家綱の時代に、突貫工事で玉川上水が作られた。上水は多摩川の羽村の堰で取水され、四谷まで43キロ間を武蔵野を貫いて流れ、江戸時代には厳密な水の管理がされていたと云う。今も玉川上水自体は残っているものの、オリジナルの多摩川の水は、水道水用に村山貯水池や東村山浄水場に送られてしまい、代わりに下水を高度処理した水が途中から主にこの上水を流れているそうである。
それにしても御苑脇を流れる玉川上水を見ると、僅かなせせらぎが道の傍らにあるだけで清涼感があたりに漂ってくる事を感じる。いまや都心のほとんどの中小河川は暗渠になったり、高いコンクリート壁面にびっしり囲まれた中を流れているが、これらに工夫を加えて蓋をはずしたり、水辺に花や緑を植えて小道でも通せないものであろうか。玉川上水も久我山より下流はほとんどが暗渠の中なのがとても残念である。羽村から四谷まで43キロの間の高低差は僅か90米で、もし玉川上水の全線に水の流れに沿った緑道が整備されれば、ちょうどフルマラソンの距離に匹敵する素晴らしいマラソンロードや自転車道になる事であろう。
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