東京の街の秘密50(内田宗治) 春の小川
生まれ育った町だから、私はふるさと東京が好きだ。で、気が向くと江戸時代や昭和初期の地図が載った東京の解説本を買ったり、往時の名所見学に出かけたりする。先年アップしたように、赤穂浪士の討ち入りがあった吉良上野介邸までジョギングした通りである。それにつけても東京の街の中をジョギングしていると、なぜこなんな所に坂があるのか、ここはひょっとすると昔は谷底だったのだろうか、はたまた尾根筋だったのか等と道路の傾斜が気になってくる。なにせクルマや電車と違って自分の足で勾配を乗り越えるわけだから、自然の傾斜がモロに負担となり、ちょっとした地形の変化にも敏感になってくるのだ。こうしてみると武蔵野の台地が、江戸前と呼ばれる海岸に落ち込む場所に発達した東京は、地理的にとても変化に富んでいる事に気がつく。
その点、この度読んだ新刊、内田宗治著 ”地形で解ける!東京の街の秘密50” じっぴコンパクト新書(実業の日本社)がとても面白かった。この本では皇居や御所のほか、川の流れやそれに伴って形成される谷、尾根の話、武蔵野の台地や崖線のほかに、東京の鉄道を廻るさまざまな歴史や経緯が地勢という視点から示される。ページをめくるたびに「あ、やっぱりあそこは昔こうだったのだ」とか「ヘー、なるほど、そうなのか」と、いかに東京の街が地勢に従って形成され、いろいろな施設がそれに対応して作られたかがわかる。という事で読後、この本によって披露された都内のあちこちを訪れてみたいという気持ちがにわかに高まってきた。
さっそく昨日は本の中で取り上げられていた「春の小川」が高野辰之によって書かれた場所、渋谷区の代々木までゆっくりとジョギングしてみた。夏日になって30度を越える中、3連休を、毎日皇居の廻りばかり必死で駆け回るのも疲れるので、ちょっとした遠出ジョギングだ。自宅から片道8キロほどになる渋谷川支流、河骨川(こうほねがわ)跡の現場にたどり着くと、「春の小川」がここで作られたという説明板と歌詞を書いた碑が小田急線の線路脇にあった。明治45年(大正元年)に「春の小川」が小学唱歌に採用されたと云うから、当時は関東大震災で被災した都内の人が郊外に移住する前、昭和2年に開通する小田急線も走っていなかったから、このあたりはのどかな田んぼが広がっていた事だろう。今や周りは住宅地となり川の流れは暗渠の中となってしまったが、東京オリンピックを機に、都内の中小河川を緑の側道とともに復活させて欲しいものだ。
それにしても、夏の日中に帰りの8キロジョギングはなんともきつかった。
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