« 2016年4月 | トップページ | 2016年6月 »

2016年5月

2016年5月30日 (月)

オバマ大統領の声明

ロシアや中国の勝手な振る舞いを見るにつけ、オバマ大統領がこれまで採ってきた無為無策によって、世界中で紛争の炎が広まってきたと私は認識している。早く任期が来て大統領が交代しないものかと思っていたが、ここへ来て共和党から躍り出たトランプ候補は本当の馬鹿ではないか、ともっと心配になってくるところだ。そんななか、オバマ大統領が伊勢志摩サミットを機に広島の被爆地を訪問した。私は歴史については様々な捉え方や側面があって、謝罪や懺悔の類をいつまでもする事はないと思っているから、オバマ大統領が広島を訪問する必要もないと思っていた。しかし献花の様子や被爆者団体代表の人との抱擁場面をテレビで見ているうち、彼がその理想主義の着地点として広島を選んだ事が画面から伝わって、我がオバマ像も少しばかり修正するかと云う気持ちになってきた。という事で、広島でのオバマ大統領によるかなり長文の声明をあらためて読んでみる事にした。


"Seventy-one years ago,・・・・death fell from the sky and the world was changed."で始まる声明文は、人類史的な視点から構成されている。"Technological progress without an equivalent progress in human institutions can doom us."" The scientific revolution that led to the splitting of an atom requires a moral revolution as well."(人間社会の進歩を伴わない科学技術の進歩は我々に破壊をもたらしかねない。原子分裂をもたらした科学の進歩は、また人間に道徳的な変革も要求している)などと声明の前半を読んでいると、すぐれて文明史論なテキストの彼方へ、広島や長崎の悲劇が覆い隠されてしまった感がする。声明中に出てくる"responsibility"と云う単語 も " We have a shared responsibility to look directly into the eye of history."(我々は歴史を直視する責任を共有する)とあって、まるで原爆投下は人類全体の責任だとばかりの表現にいささか戸惑ってしまう。


しかし全体を読み進めると、" We can learn. We can choose. We can tell our children a different story. One that describes common humanity, one that makes war less likely, and cruelty less easily accepted.""We see these stories in the Hibakusha" (我々は学び選択する事ができる。戦争がおきる可能性を減らし、残酷なものを簡単に受け入れない。そのストーリーを体現しているのが被爆者である)とも彼は述べている。今回の広島訪問で『米国は謝罪しない』という大前提があるにもかかわらず、いやそれがあるからこそ、文中に彼の本音らしい広島への思いが表されている様だ。「人類は一つであり(We are part of a single human family)、それを我々が伝えなければならない(That is the story that we all must tell.)」為に" That is why we come to Hiroshima"(私は広島に来た)と崇高な文章にまぎれさせた中に、広島に対する彼の贖罪的な真意が見えた気がした。


こうして私は、オバマ大統領の事をやや見直したところだが、さて今年12月で75周年になる真珠湾に安倍首相は行くのだろうか。オバマ氏の広島訪問が必要ないと考えていたのと同じく、私は安倍総理も真珠湾の行事へは参加すべきでないと思っていた。しかしここで誰が次の米国大統領になるかに係らず、オバマ氏の広島訪問に次いで安倍首相が真珠湾に行く事によって、日米の絆がゆるぎない事を世界に示す事ができるのではないだろうか。中国の無法な振る舞いが地域の脅威になりつつある今、これによってかつての敵同士であった日米が世界で最も信頼できる同盟国になり、その間にクサビを打つ事が容易でない事をより強く世界に示せるだろう。それと共に首相が未来に向けたスピーチを真珠湾で行えば、いつまでたっても謝罪や賠償が基準となる韓国へ、我らが次元の高さを示す事にもなるのではないか。

2016年5月26日 (木)

スポーツゴジラ 31号 たかがスポーツ紙 されどスポーツ紙

20160526_2

特定非営利活動法人・スポーツネットワークジャパンが出している”スポーツゴジラ”という無料冊子がある。スポーツに関する著述が多いノンフィクション作家の長田渚左氏らが中心になって、野球の豊田康光氏、柔道の山口香氏などと共に 「商業ベースにとらわれることなく、真からスポーツを愛するための雑誌」 「スポーツに敬意を払い、心からスポーツを愛する人」 の為の雑誌(いずれも同法人のホームページ)という精神で発行されているそうだ。冊子は各地の大学キャンパスや都営地下鉄の駅構内だけに置かれているので、都営線に乗った際にはよくこれを持ち帰るのである。


その”スポーツゴジラ”31号が「スポーツ新聞ワンダーランド」と云う特集でとても面白かった。スポーツ新聞と云えば私も高校生の時分よりよく買ったが、当時はアンチジャイアンツ(と云うジャイアンツファン)で、負けた翌日に巨人の御用スポーツ紙である報知新聞を見るのがちょっとサディスティックで気持ちが良かったものである。また毎年秋から冬にかけて大学ラグビーのシーズンになると、ラグビーに紙面を割くサンスポもよく買ったものだった。会社に入れば昼休みに皆が買ってきた2~3のスポーツ紙を回し読みしたが、最近は電車に乗ってもスマホの画面に熱中する人ばかりで、スポーツ新聞がある光景が社会からどんどん消えていくのがちょっと寂しいところだ。


という事でこの”スポーツゴジラ”の特集号、まず「スポーツ新聞誕生秘話」では、日本で初めてのスポーツ新聞である「日刊スポーツ」が、戦後間もない1946年に誕生するいきさつやその成功の秘訣が詳述されていて、まるで終戦直後の世相史を読んでいる様な気分にさせてくれる。続いてスポーツ紙7社によるパネルディスカッションは、各紙の歴史や特徴、特ダネや誤報、取材の苦労話などが明かされるが、「『正しいのは日付けだけ』と言われる東スポの秘めたる取材力」による”人面魚”スクープの話題などが笑わせる。最後の池井優慶応大学名誉教授による「スポーツ新聞-アメリカの場合」の記事は、さすが大リーグ通の池井氏によるものと思わず唸ってしまうのである。


さてネットの普及で新聞の需要が減っているのに加え、団塊の世代の引退と新聞を売る駅の売店の数が減って、近年スポーツ紙の売り上げが大きく落ち込んでいると云われる。長田氏が本冊子の巻頭で誉めるとおり 、駅売りのアダルト面を宅配では別の記事に差し替え、 「日本的な細やかな配慮と努力で、庶民の生活に長く溶けこんできた・・・」 のがスポーツ新聞である。思い出すのはその昔、アメリカの事務所に一人で駐在していた時、週に一度ほど東京の本社から届く包みには、書類に混ざって友人達が入れてくれた週刊誌やスポーツ新聞があって、これが異国での無聊を大いに慰めてくれた事であった。私にとってスポーツ新聞とは、日本との絆を再確認させてくれたツールであり、日刊スポーツの荻島氏が書中で言うように 「たかがスポーツ紙、されどスポーツ紙 」なのである。

20160526




2016年5月23日 (月)

クルーズフェスタ( CRUISE FESTA )2016

20160522

5月22日、日曜日の朝は 「日本最大級のクルーズの祭典」 と銘うって、東京の晴海客船ターミナルで開かれたクルーズフェスタ2016に行く事にした。会場に入るとクルーズ船の模型など幾つかの展示物と共に、例によって旅行代理店や船会社などのブースが並んでいる。そんな中、いくつかの旅行代理店のブースで、以前のクルーズの際に諸手続をお願いして顔見知りになった各社の社員に久しぶりに再会する事ができ、しばし近況の交換やら乗船した船の話題で盛り上がった。また東京都のブースにはオリンピックをひかえ新しく作る「新客船ふ頭」の模型もあって、さっそく私は都の係りの人にいろいろ質問をしてみたのだった。主なものは、「最近、世界の主要都市ではシーズンになると多くの客船がラッシュするのに、いくら大型船用の新ターミナルを作るといっても、従来の晴海ターミナルと合わせて東京にわずか客船岸壁が2つでは、オリンピック時はもとよりこれからすぐに足りなくなるのでは?」。


都の関係者によると「東京港の港湾用地はすでに一杯で、レインボーブリッジをくぐって晴海に行けない大型船の為に、当面一隻だけ収容できる新しい客船ふ頭を臨海副都心につくる事にした。それ以上は作る余地がなくきわめて困難 」とのとりあえずの答えであった。顧みれば先の飛鳥Ⅱの南米・南極クルーズでも、そのほとんどの寄港地が多くの客船で賑わっていたものであった。どこの港も客船専用の岸壁だけでなくコンテナ埠頭などをやり繰りしながら乗客の為のスペースを確保していたのだが、オリンピックを控えた東京都こそ早急に予算をつけて、大型船が何隻も同時に扱えるクルーズ船専用ふ頭の増設が必要ではないだろうか。このままでは客船と云えば、横浜港にいつも先を越されたままになってしまいそうなのは、都民としてひどく残念である。


この日のクルーズフェスタ2016は、会場にゲストの吉田栄作を呼んでTOKYO FMのクルーズ関連番組の公開収録を行うとかで、東京駅からシャトルバスが頻繁に運行されていた。番組の収録を行う午後にはかなりの人が入場したかもしれぬが、我々のような午前の入場者としては、このフェスティバルに参加した会社のブースの数が少ない上、趣向をこらした展示があまり見当られず、「これで日本最大級なの?」とやや肩透かしの感もあった。最近のフェスティバルと云えば食品関係でもスポーツ関連でも、大掛かり、かつバーチャルな機械や仕掛けを駆使した体験型の展示が目をひくのに、ここは総じて地味なのが残念。そう云えば横浜に本社を置く郵船クルーズがブースを出しているのに、東京を母港とする”にっぽん丸”の展示がないものも何とも気合が入らない。それでも夏を前にクルーズ業界としては潜在的な需要を堀りおこし、乗船客増につなげる良いチャンスなのであろう。願わくば (前夜祭には飛鳥Ⅱがいたらしいが) 当日も晴海に客船でも接岸していれば、旅の雰囲気もより盛り上がったのではないだろうか。

「JTBクルーズフェア2013(2013年3月7日)」

2016年5月17日 (火)

国交省・舟運社会実験 水道橋~羽田空港~横浜 その(2)

20160517
京浜運河三井埠頭の石炭専用船

さて羽田空港で国交省の係員と大半の乗客が下船し、横浜まで通しで乗るのは我々含めて僅かな人数になってしまった。せっかくの天気だし、皆このままクルーズを楽しめば良いのにと思うが、羽田から横浜まで4,000円もするし、実験航海とあって料金は以前に支払い済のため、船上で行き先を変更できないのはとても残念だ。こうして我々数名だけを乗せたJET SAILOR号は多摩川に面した空港の船着場を出ると、すぐに右に回頭し浮島の上流側から京浜運河に乗り入れた。


このあたり京浜運河の周囲には石油化学コンビナート、発電所、製鉄所などが林立して、重工業地帯の真っ只中を進んでいる事がよくわかる。埠頭で荷役する大小さまざまな船や陸上の施設を見ていると、原料入荷や製品出荷で臨海地区をフルに活用してきた日本の基幹産業の優位性が実感できて、アジア諸国の追い上げがあろうと、これらの設備があればまだまだ日本も捨てたものではないと思えてくる。


ただ、京浜運河と云えば昭和37年11月に起きたタンカー同士の事故が脳裏に浮かぶ。これはガソリンを積んで徳山から川崎に向かっていた第一宗像丸(1,972総トン)と、川崎で原油の荷役を終えたノルウエー籍のタンカー、ブロビーグ号(21,643総トン)が運河の中で衝突事故を起こしたもので、第一宗像丸から漏れたガソリンに付近を航行中の小型船舶の火種から引火、あたりが爆発炎上した大事故だった。この事故で周囲の船舶を含む船員41名が犠牲になったが、子供の頃のニュースのインパクトは大きく、今でも”京浜運河”と聞くとこのタンカー事故を連想してしまうほどである。


大黒ふ頭の自動車運搬船を眺めつつ、横浜港地区に来るとまだ予定の到着時間よりやや早い。という事で、ここは船長の粋なはからいで、JET SAILOR号はベイブリッジの下をぐるっと廻る事になった。普段この橋をくぐるのは飛鳥Ⅱやにっぽん丸などのクルーズ船に乗っている時なので、同じ橋を見上げても高さが違って景色はまったく別物である。こうしてちょっと高価ではあったが、初夏の午後に水道橋から羽田空港経由、横浜みなとみらいのぷかり桟橋まで、大人の社会実験を充分に楽しんだのであった。将来は料金や到達時間をもっと現実的なものにして、羽田空港への観光・交通手段としてこのルートが実現される事を望みたい。

20160517_2
横浜みなとみらいの新船Jetsailor号

2016年5月16日 (月)

国交省・舟運社会実験 水道橋~羽田空港~横浜 その(1)

20160516

地図を眺めては、ここにこんな交通機関があれば便利なのにと空想する事が昔から好きだった。羽田空港の利便性を高める目的で練られた東急多摩川線(旧:目蒲線)と京急線を結ぶ蒲蒲線構想も興味深いが、私はいつも大分空港と大分市をかつて結んでいたホーバークラフトを多摩川で展開できないかと夢想していたものだ。これは羽田空港と東京・神奈川の内陸部を結ぶルートが不便なので、空港横の多摩川を利用して上流までホーバーの定期便を開設すると云うプランである。多摩川には途中に幾つかの堰があるから船では上下できないが、ホーバークラフトなら水辺の傍らにちょっとした陸路を作れば段差が克服できそうである。六郷で東海道線、丸子で東横線・目黒線、登戸で小田急線、稲田堤・聖跡桜ヶ丘で京王線、是政で西武線などと連絡して中央線の立川に至る川の定期便があったらさぞ便利で楽しかろうと思う。


同様に東京の街でも、水辺を見るたびにもっと舟運が盛んになって欲しいとの思いが募ってくる。東京は数寄屋橋、京橋、八丁堀、堀留など水に関連した地名が多数残っている様に、もともと川や掘割、運河が発達した街だった。その多くは街の近代化や東京オリンピックを機に埋め立てられてしまったが、今もまだ残る河川を使って人の動きが盛んになれば、新たな町の発展が期待できよう。などと思っていたらこの度、国交省の「舟運社会実験」として、我が家にほど近い水道橋から羽田空港、さらには横浜港まで神田川や隅田川、京浜運河を使って定期航路をつくる構想があり、その体験乗船客を募集している事をネットで目にした。運賃は日曜日という事で水道橋から羽田まで4,500円(平日は3,000円)、羽田から横浜まで4,000円(平日は2,650円)とかなり高いが、初夏の午後ゆったりボートでクルーズも良いかと横浜まで乗船してみる事にした。


という事で、好天に恵まれた昨日午後、ビールやチュウハイをコンビニで仕込み、水道橋近く日本橋川と神田川の分岐点にある三崎橋たもとの船着き場に集合した。乗船するのは横浜を母港とする新造デリバリー2日目、ピカピカのジェット・スター号(16トン)というボートである。250馬力の船外機を2台装備して最高速度は18ノット、河川の低い橋をくぐれる様に船は平べったいが、トイレはウオシュレットもついた快適な船だ。我々と同様どこかオタクっぽい者の他、家族連れや学生らしき人達など約30名ほどの乗船客を前に、昨日は国交省の政策局担当者が、実験の趣旨や眼前に展開する河川・橋を船内放送で解説してくれたのがとても興味深かった。初めは起点の水道橋から日本橋川を下るのかと思いきや、航権の問題とかで本船は神田川を下り柳橋で隅田川に出るルートを辿るが、日頃は駿河台や万世橋の上から見る光景を、水面ごく近くから逆に見上げるという視点が実に新鮮である。


水道橋から始まり隅田川、東京港を経て京浜運河・海老取川を通り羽田空港まで約23キロ余の行程には、手が届くほどの低い橋からレインボーブリッジまで大小48の橋がかかっている。それぞれの橋に歴史や由来がある事が船内の解説でわかり、それを聞いているだけで橋梁マニアの心境に陥ってくる様だ。クルマで通りすぎる首都高横羽線脇の京浜運河も、ビール片手にゆったりと航行していると、景色がまるで違っていつもの高速とは思えない。こうして浅瀬あり、魚の姿あり、釣り船あり、ビーチのバーベキューから漂う焼肉の匂いありの中をクルーズする事1時間30分、予定より20分早く多摩川河口の羽田空港船着場に到着したのだった。さて今回の船旅は遊びとしては大変楽しいものであったが、空港アクセスの航路となると競合する交通機関もあり定期船化はどんなものだろうか。少なくとも都心から1時間以内で料金は1000円以下が必須だし、船内の荷物置き場の設置や港から空港ターミナルまでの通路など検討する点が多々ありそうだ。それらを克服して定期航路が実現できないものか、新ルートマニアとして影ながら応援したい。

関連ブログ 「芝浦工業大学レクチャー&クルーズ【豊洲のクルーズ観光について考える】(2014年12月8日)」

20160516_2
羽田空港船着場

2016年5月13日 (金)

舛添騒動・権力を得た者がする事・韓国人学校問題

舛添氏といえば1980年代から「朝まで生テレビ」などに出演していて、当時の左旋回した世の中にあって、やや右寄り、かつ、しっかりした意見を持つ学者として注目していたものであった。その後、彼は夫人や家族の問題で週刊誌的な話題にのぼる事が多かったし、その顔つきも心なしかエキセントリックに変って来た感がしたが、それはご愛嬌だと思っていた。ところがどうも最近の彼の言動には、外国人参政権での噂や靖国の問題など総じて日和見というべきかリベラルな傾向が見えて、共感できなくなっていた処である。という事で、一昨年の都知事選の際も自民・公明に推された舛添氏ではなく、我々夫婦は田母神候補に票を投じたのだった。


その田母神氏が政治資金の使い方で大変な事になっているのは残念だが、今回の舛添知事をめぐる一連の騒動をニュースで見ると、やはり舛添氏に投票しなくてよかったと思うのである。そもそも彼の都知事としての資質に大いに疑問を感じたのが、今回の一連のスキャンダルが起きる前、新宿区の住宅街にある都有地を韓国人学校に貸すという発表だった。この土地は私の妻の実家にごく近い所にあって、働くお母さんを支援する保育所を作る計画がこの場所にあったものを、舛添知事が独断で韓国人学校にすると変えてしまったものである。静かな住宅地にこの様な施設を作る事に周囲はとても驚き、今や反対運動が繰り広げられている最中だが、舛添知事は韓国訪問の際に朴大統領からじきじきに協力を要請されてこれを受けたと云う。


私たちもこの計画には大反対で、「都政への要望」(知事への提言(意見)、要望・苦情)のコーナーへ、「待機児童が極めて深刻な状況になっている東京で、都心に近い場所に皆が要望する保育所などの施設を作らず、韓国人の学校のために都有地を貸し出すのはおかしい」と実名のメールで苦情を提出している。そもそも外交は国の扱う事項である上に、多くの都民の意向を無視しごく一部の人達の利益のため、それも反日の国で約束する事が都知事のする仕事なのであろうか。政治資金の私的流用疑惑や公用車の利用法につけ、彼の様な人物が権力を得た時にどういう事をするのか、多くの都民は目が覚めた思いであろう。東京都に税金を払う身としては、舛添氏に辞めてもらい、気骨のある都知事を再び得たいと思う処である。


新宿区は保育所を要望したにも拘わらず、舛添知事が朴大統領に頼まれ独断で韓国学校に決めた都有地(市ヶ谷商業跡、現在は建て替え中の地元小学校仮校舎)・下はその正門
20160514

201605142

2016年5月 9日 (月)

世の中どこかでつながっている

20160509

老人ホームにいる高齢の母が、子供の頃に住んでいた葉山に行ってみたいと言う。連休の後半は特に予定もないし母の日も近いので、クルマで連れて行く事にした。途中、都内から第三京浜・横横道路を抜けて逗子のインターチェンジで降りたあたり、ガソリンの残量が心もとない事に気づき、最寄のガソリンスタンドに寄って給油する事にする。ところが最近のガソリンスタンドは、自分で給油操作をしなければならないセルフ方式が多く、今回入ったところもそんなセルフであった。このセルフスタンドというもの、場所によって機械の操作方法が違うので、給油口付近に表示されている説明書きを読んで操作しなければならない。ところがせっかちな私は初めての場所で、そんなモノを悠長に見るのがたまらなくイヤである。セルフ方式で人件費がセーブされ、少々ガソリンが安くなっても、何故そんなものを読んで自分で操作しなければならないのか。アメリカでレンタカーを借りて運転する時でさえ、向こうにはあまりない有人のフル・アテンド給油所を探したくらいである。


で、今回もなるべく係員がいそうな事務所近くの給油口にクルマを止めるなり「ここ、初めてだから誰か教えてよ~」と恥ずかしげもなく大声で叫ぶと、押っ取り刀で中からユニフォームを来た一人のオッサンが飛んできた。一通り説明を聞いた上でぎこちなく給油を始める私を見ていたそのオッサン、「そのポロシャツのマークの体育会に私もいましたよ」といきなり話しかけてくるではないか。そういえば家を出る前にタンスの一番上に置いてあったので、たまたま今日着てきた白のポロシャツは、母校のエンブレムが胸に付いていたが、相手に言われるまでそんなものを着て来た事さえ忘れていた。初めて来た遠方のスタンドのオッサンにそう言われ、改めてわが着衣を見直してみれば、たしかに同窓それも体育会出身なら一目でそれとわかるモノだった。


「ここのガソリンスタンドはオープンしたばかりで、今日は私は本部から応援で来ているんですよ」「もう会社は定年退職して、年金併用でイベントの際に動員されるんですよ」と自らの境遇を吐露する彼に「体育会の何年卒ですか?」と聞けば何と彼は私と同学年だと云うではないか。「え、え~!?何部なの?」と驚く私に、彼は胸に下がったIDカードを示しつつ「バレーボール部だよ」と答えると「こっちは競走部」と同期のよしみで急に打ち解けたのだった。当時36部あった体育会各部の同期は総勢300人余り、今回はたまたまポロシャツのエンブレムで判ったのだが、まさか逗子のガソリンスタンドで同窓同期から声を掛けられるとは思わなかった。彼に私の名刺を渡しつつ、今年も7月に開かれる体育会同期の懇親会での再会を約束し給油を終えたのだった。考えてみれば、私が「セルフか~!」とばかり横着に叫んだのが出会いの始めである。「あれがきっかけになるのか~。世の中は狭いな~」と思いながら、同期と会えた嬉しさで心なしかハンドルを持つ手も軽く葉山に向かったのだった。

「毎年恒例・大学体育会同期会(2015年7月6日)」

2016年5月 6日 (金)

牛角半額まつり

20160506

ゴールデンウイークと言っても特にどこかへ行くあてもない。せいぜいクルマも人もおらず閑散とした都内をあてどなくドライブしたり、皇居コースをジョギングしたりするくらいである。そんな折、新聞に「GWなので牛角ハッピーアワーはじめました。」とのチラシが入っていた。なんと連休中に都内各地の牛角に午後5時半までに入れば、生ビールやカルビなど特定の品が半額なのだという。牛角と云えば2011年の飛鳥Ⅱワールドクルーズで、船のメシに食傷気味になった最後の寄港地ホノルルで、大衆の味をと思って駆け込んだ店である。


接待族でなくなって久しいわが身、最近は一人1万円も2万円もする高級焼肉店にはさっぱりご縁がなくなったが、街の焼肉店に行ってもメニューを見ては、その値段の高さにしばし追加注文を戸惑ってしまうのである。なので、腹一杯になる一歩手前で「この辺で我慢するか!」と云うのが普通なのだが、懐にやさしい牛角、それも通常価格の半額という事ならこの際腹一杯喰ってやるぞ、との卑しい思いが頭をもたげてくる。という事で、昨日は焼肉に備えて15キロもジョギングをし、充分に腹をすかした後、5時をめがけて近所の牛角に妻と駆け込んだのだった。


こうして二人して注文した生ビールは7杯、カルビとファミリーカルビ8皿、ピートロ(豚)2皿。ここまでが半額メニューだが、それだけで帰ってはシニアーの客として余りにもみみっちい気もする。この辺が気が弱い割に見栄っ張りで体裁を気にする私である。よって定価でサラダやラーメン、カルビ専用ご飯などを注文し、久々にたらふく食べて満足したのだった。で、おそるおそる勘定を尋ねると、二人で税込み6000円ほどである。夫婦で「あー安かった、やっぱり牛角はいいねぇ」などと言いつつ店を出ると、街はまだ明るい祝日だ。若い店員もよく働いていて感じが良かったし、たまには若者の様に焼肉を大食いするのも良いなあ、と薄暮の下ぶらぶら家路についたのだった。

2016年5月 3日 (火)

うまし、なつかし昭和ホリデー

20160502
会場に再現された「昭和のお茶の間」

新聞のチラシに入っていた池袋・西武百貨店の”うまし、なつかし 昭和ホリデー(昭和がきた)”が面白そうなので、連休の谷間に行ってみた。催事場につくられた昭和横丁は、シャボン玉ホリデーのビデオが流れるイベント・スペースや、思い出の味を復刻した有名レストランのコーナーのほか、懐かしい食品が並ぶエリアもある。イベント・スペースでは、名曲「スターダスト」を歌うザ・ピーナッツをハナ肇がからかい、最後に肘鉄を喰らうというシャボン玉ホリデーお約束のコント画面が楽しい。そしてあのオリエンタル・マースカレー売り場の前に来てみると、テレビで流れた夢路いとし・喜味こいしの顔を思い出し、「ハヤシもあるでョ」の南利明のCMがただちに頭に浮かんでくるのである。


ちょうど夕食前だったので、会場のトリスBARでトリスウヰスキーを一杯ひっかけようかと妻と話していたが、なんとバーの席が一杯であきらめなければならない程の人気である。という事で横濱駅の崎陽軒/昭和29年発売復刻版シウマイ弁当に昔ながらの神戸ユーハイム/バウムクーヘン、柴又・高木屋老舗/かしわ餅を買って家に帰る事にした。昭和29年の横浜駅と云えば、まだ釣り掛け式で前面二枚窓の湘南電車やスカ線70系が全盛を迎えようとした時代である。鎌倉の祖父の墓にお参りに行った祖母が、帰り道に通る横浜駅で必ずみやげに買ってきてくれたのが崎陽軒のシウマイで、まさに私にとっては「昭和の思い出の味」そのものだ。


帰宅するや、あきれる妻を横目に”昭和の気分を!”とアイ・ジョージのカセットテープを引っ張り出して流しながら、早速ふたを開けた復刻版シウマイ弁当が下の写真である。今はシウマイ弁当に5個入っているシウマイも当時は4個だったが、ブリのテリヤキや筍は今よりしっかり味がついているようだし、ご飯ももっちりしていていかにも”お弁当”という食感が良い。当時はアルコールの臭いがプンプンして子供心に何かワクワクしたシウマイのお手ふきが、現代風に変わっていたのがちょっと残念だったが、お弁当を食べ、昭和歌謡を聞きながら柏餅にバウム・クーヘンとレトロを楽しんだ夜であった。

201605031


2016年5月 2日 (月)

2016ゴールデンウィークの徒然

ゴールデン・ウイーク(GW)である。桜の散った後の街角に花ミズキが咲き、藤棚から紫の花が下がって、一年でもっとも美しい季節の到来と云えよう。前期の会計年度が3月末で終わり、それぞれの職場で人の入れ替えがあってほぼ一ヶ月経つ。ホッと一息つく時分と、気候の良い頃が重なった絶妙な時期に到来するのがGWの連休だ。私は毎年GWになると、夕方の明るいうち近所の銭湯に一番風呂で飛び込み、湯から上がるやいなや汗を拭きつつ、蕎麦屋に寄って冷たいビールでざる蕎麦を流し込む、と云う計画を立てる。なにせ我が地域では、60歳以上は一週間に一度銭湯代がタダなのである。そして毎年のようにこの案は計画だおれに終わり、実行したためしがない。


今年のGW前半は、先般の飛鳥Ⅱの南極・南米ワールドクルーズで知り合った東京在住の2組の夫妻と我が家の近所で食事会をした。ワインを飲み洋食をつつきつつ船内で出会った様々な乗客の事、なかんづくちょっと変った人達の話題などで盛り上がり、またやりましょうと次回の約束をして別れたのだった。100日間のクルーズ料金はそれなりに高価で、清水の舞台から飛び降りる覚悟で乗船したのだが、沢山の旅の思い出と共に、下船後も前回と同様にこうした繋がりができている。いろいろ考えてみると、思い切って飛鳥Ⅱのワールドクルーズにまた乗船して良かったと思うこの頃だ。


そういえば三菱自動車が燃費偽装問題で大揺れである。私が45年前に免許をとって初めて買ったクルマが三菱ギャランだったが、当時ミツビシのクルマはスタイリッシュで、それに乗っているとちょっと”通”ぽかったものだった。友人もGTOに乗っていて、彼とドライブした際にはよく運転をさせてもらった事も今回思い出した。三菱といえばそんな贔屓のメーカーだったが、度重なる不祥事で会社存亡の危機に陥るのかもしれない。近頃の乗用車と云えばサイズもデザインもやたら偉そうか、そうでなければ経済性ばかりが前面に出る実用一辺倒車の2極化である。最近友人の何人かが立て続けに「人生最後のクルマ買い替えで86(ハチロク)にした」と言っていたが、ミツビシが再生するなら、昔のGTOや今の86の様な、スタイリッシュで乗って楽しいクルマの開発に力を入れて欲しいものだ。

20160502

毎年GWに見頃となる日比谷公園の藤棚

« 2016年4月 | トップページ | 2016年6月 »

2019年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ