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2016年3月

2016年3月30日 (水)

飛鳥Ⅱ 南極・南米ワールドクルーズ ピアノ編

50年ぶりに再開したピアノの練習だが、昨年6月から一曲入魂で始めたのは私の好きなモーツアルトのピアノソナタ(K331番)である(2015年6月29日モーツアルト ピアノソナタ11番)。そうは言ってもなにせ50年ぶりにピアノに触る上にまったくの独学だから、そう簡単にうまく弾ける様にはならない。四苦八苦しながら我が家で毎日練習はしていたものの、飛鳥Ⅱに乗船するまでには長さ16分ほどの第一楽章のうち6割ほどしか弾けるようにならなかった。さて今回のワールドクルーズではピアノ教室が開催されるとあって、カラオケ会場のクラブスターズに5台の電子ピアノが置かれ、昼間は乗客が自由に練習できると云う。その上ピアノ教室では若くて可愛い女性の先生の個人授業(ただし有料)も開催されるとあって、このクルーズ中に何とか先生に教わり、第一楽章だけはマスターしたいとピアノソナタの楽譜を持ち込んだのであった。


ところが当初、航海日には毎日使えるはずだったクラブスターズも、途中から船内有志による他の同好会が盛んになり、その活動のために部屋を割かなければならなくなった。ピアノの練習も偶数航海日の昼だけと制限されてしまったが、たまたま偶数の日は停泊日が多く、ピアノに触れるのは週1~2回がやっとの状態である。乗船直後は「練習して少しうまくなって、それから若い女の先生に個人指導でみてもらうか」などとちょっと格好をつけていた私も、このペースでは忘れる方が多くてとても上手に弾ける様にならない。そうこうしているうちに最終寄港地のハワイも過ぎクルーズはあっという間に終盤を迎え「うまくならなかったからこのまま個人指導を受けずに下船するか」と例によって躊躇するのであった。しかし妻があきれた様に「やっぱりレッスン受けなかったわね」と傍らでニヤニヤしているのが何ともしゃくに障り、「それなら下船までに個人指導を受けてやる」と勇んでレッスンの申し込みに駆け込んだのであった。


「クルーズの最初、一番に照会があったのに、いらしたのは最後でしたね」と笑っている先生はやはりプロである。船内のマリナーズクラブのグランドピアノを使って「時々片手づつでもっと強く弾いて」「間違えないゆっくりした速さでフォルテで弾いて」「テンポに注意して」とナルホド!と思う指導である。若い女性の前での演奏に緊張したが、それでもレッスンを三回ほど受けてみると、自己流より習った方がはるかに上達が早く、これも長期クルーズならではのメリットだと得心がいったのであった。帰宅して久々にわが家の電子ピアノに向かうと、やはり金を出して指導を受けただけの事はあるとちょっとした手ごたえがあって、心なしか手も滑らかに動いているようだ。それにしてもダンスにコントラクトブリッジにピアノと長期クルーズでは短いクルーズとはまったく違う時間の遣い方、船内の過ごし方があって、これはこれで貴重な経験だったと船が恋しくなっているのである。

個人レッスンの会場 マリナーズクラブのグランドピアノ
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2016年3月28日 (月)

飛鳥Ⅱ 南極・南米ワールドクルーズ コントラクトブリッジ編

さて船上のスノッブ2種目目は「コントラクト・ブリッジ」である。長い航海中、昼は知的にブリッジに興じ、夜は音楽と共に優雅にダンス、と云うのが何とも通の乗船客らしくて格好良い。しかしダンスと一緒でこのカードゲームはそう簡単に楽しめるレベルに到達できないものである。日本コントラクトブリッジ連盟の教本には 「ブリッジは、基本はシンプルなのに、とても『考える』ゲームです。」「『運次第で勝てるゲーム』ではなく、『推理や記憶、技術を総動員して戦う、公平で知的なゲーム』である・・・」「パートナーと力を合わせて作戦通り勝てたときの達成・・・・。」とあるものの、その知的レベルで遊べる様になるまでには覚える事が山ほどある。


さて覚える事が沢山あるゲームといえば我々が馴染んでいる野球と云う事になるが、野球をまったく知らずに大人になって楽しもうとすると、この競技の基本や山ほどあるルールを覚えなければならない。例えば野球では打ったら一塁に行き、3ダウンになるまえに二塁三塁を廻ってホームに帰るが、なぜ後続がフライアウトの際、走者が進塁するならタッチアップが必要か、などというのは知らない人には理解し難いだろう。ブリッジの難しさも同様で、多くの約束事がゲーム全体の中でどういう意味を持つのか、プレー中に出す札の失敗(戦術)が約束の成就(戦略)にどう係わってくるのか、ゲームの骨格をつかみ面白さが判るまでに相当な理解と練習が必要なようだ。


それなのに前回乗船した時は、先生がずぶの素人の私にいきなり 「ここはバントの場面」 「ここはエンド・ラン」的な目先重視の教えで、これにはかなり面食らったものだった。その点、今回のワールド・クルーズで派遣された女性講師2人は、面白さを理解させるための持って行き方が上手かったし、2人とも私よりやや年長ではあるものの、上品な物腰でとても好感が持てた。出す札を間違えても「い~いんですよ~。それでいいんです。今はコントラクトの勉強なのですから。出し方は後で復習してみましょうね~」とおっとり悠揚たる口ぶりだ。そのゲームの流れを見据えるような教えに、習う方も焦らずじっくり楽しもうとその気になってきた。


ふつう陸でブリッジを習うと週に一回ほど教室に通うそうだが、このペースでは前回の復習にかなりエネルギーを使うと云う。一方逃げ場のない飛鳥Ⅱ船上では終日航海日の3日につき2日、毎回2時間ほどの教室が通い時間が数十秒の便利さで連続的に開催される。囲碁や将棋などの室内競技は苦手な私もやさしい先生の口調に嵌って、こうしてとうとうモンテビデオまで休まずに約20回のブリッジ教室に通ったのであった。それにしても「推理力とパートナーシップが鍵となる知的スポーツ」(コントラクトブリッジ連盟の教本)は奥が深いものである。

リドカフェで開催されたブリッジ教室
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2016年3月26日 (土)

飛鳥Ⅱ 南極・南米ワールドクルーズ ダンス編

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100日間の長いクルーズである。そのうち洋上にいる航海日が7割以上という日程なので、何か習い事か船内アクティビティに積極的に参加しなければ間が持たない。という事で例によってダンス教室とコントラクトブリッジ教室、それに今回はピアノ個人レッスン(有料)の3つを選択する事にした。そのダンスである。クイーンエリザベスは知らないが、これまでに乗ったプレミアムクラスの外国船でも、日本人がやるような教科書的ボールルームダンスはほとんど見た事がない。外国船ではだいたい音楽に合わせて男女が楽しそうにステップを踏んでいるだけで、シャッセだとかオーバースウェイなどと競技の様な踊りとはおよそ無縁である。しかしここは日本船、我々の文化にはない「借り物」「まね事」だから、まあ教科書的ダンスも已む無しかと旅の無聊を慰めるためにダンス教室に参加した。


初日の教室、ダンス会場のクラブ2100に行ってまずびっくりしたのは、ほとんどの参加者がダンス専用シューズを履いている事であった。このダンスシューズというもの、足にぴったりし過ぎていて25センチと足のサイズが小さめの私などが履くと、まるで「まぬけの小足」と笑われそうである。よって今回もそんな物は買わずに参加したところ、初心者コース男性約30人のうち、ダンスシューズを履かぬのはわずか数名という状態のレッスンであった。参加者は皆なんでこんなにダンスに熱心なのかと云うほど真剣な表情なのだが、これは「借り物文化」ゆえ仕方がない事なのだろうか。最も閉口したのはしばしばかかる「次は奥さん以外と組んで踊って下さい」と云う先生の号令。そもそも圧倒的に女性の参加者が多いので、男性は二度三度踊る必要があるのだが、競技会に出る人もちらほらいる会場では他人の面倒などは上手い人に任せ、ヨチヨチ歩きの私は妻以外に恥をさらしたくないのである。


柱の陰などに隠れて先生と眼が合わぬ様にそんな号令をやり過ごす度に、大枚払って乗船して何でこんな試練を味わわなければならないのかと毎回思ってしまう。前回のワールドクルーズでそれなりに覚えたつもりだったステップも何もしないこの5年の間に記憶からすっかり消え去り、シューズを買って参加する真剣な眼差しの参加者たちに圧倒されつつ100日間のクルーズを終えたのであった。さて前回のワールドクルーズでは私達と同じレベルだったものの下船後もダンス教室に通い、今回時々妻と踊ってくれた男性がいて、妻はそのホールドが以前とまったく違うと航海中は絶賛の嵐である。果ては「ダンスは男性いかんよ。あなたも下船後はまず一人でダンス教室に通ってうまくなって」と言い出す始末で、これでダンスからの解放かと横浜を前にホッとしている私を悩ます宿題が出てきたのであった。

以前のダンスに関するブログ

2016年3月21日 (月)

南極・南米ワールドクルーズから帰って

100日ぶりに帰ってきた東京では、すでに桜が咲き始めている。12月10日に旅立った時はまだ初冬だったから、今年は冬の寒さを経験せずに春に突入してしまった事になる。妻は飛鳥Ⅱが東京湾に入る頃から「のどがかゆい」と言い始め、わが家に辿り着くなりアレルギー的なくしゃみを繰り返し花粉症の再来に見舞われている様だ。また留守中の家の管理は義理の母や義弟に頼んでいたものの、家に帰るとこの100日間に受け取っていた郵便物や返事をする必要がある書類の整理にけっこう時間がかかるのである。私は4月から嘱託のオジサンでまた会社に再就職とあって、「動く養老院」いや「動くホテル」から現実の一介の社会人に戻るのまで後10日と考えるといさか憂鬱になる。


このクルーズでは海上生活が75日、港に停泊していた日が25日とあって、下船して2日しても耳の底にはジンジンとエンジンのうなり音がこびりつき、町を歩いていても体がまだ揺れている様な錯覚に陥っている。今回は貯金を取り崩し、一介のサラリーマンとしては大枚をはたいて二度目のワールドクルーズという冒険をした訳だが、帰って来てほっとした今では、このクルーズに行って良かったとの思いが胸に湧いてくる。北米やヨーロッパの観光地なら今後また出かけてみようかという気分にもなろうが、今回クルーズした南米や南極の地は、体が元気であってもわざわざお金を出し長時間のフライトを我慢して行くかといえばそうはならないだろう。


ラバウルの山本バンカーや南太平洋戦没者の碑、イースター島のモアイ像、パタゴニアフィヨルドの雄大な光景、何といって南極の雪と氷の世界、リオのカーニバルやイグアスの滝など、いわゆる欧米の観光地とは違って私の人生にはまったく縁のなかったアナザー・ワールドを体験できたのである。その様な場所に自分のキャビンごと極く快適に連れて行ってくれた日本船クルーズの良さをあらためて認識した。乗船中は和食が多くて味が薄いだとか、せっかくのゲストエンターテイナーの選曲が老人向きすぎる、あるいはネット環境が悪いなどと小さな不満も感じたが、今は安全かつ献身的にクルーズを盛り上げてくれた増山船長以下460名あまりのクルーに感謝の念を捧げたい。

百日ぶりの東京湾では富士山が飛鳥Ⅱをお出迎え
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2016年3月17日 (木)

クルーズ終了前日

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南極の巨大な氷山

一介のサラリーマンだったわが身にとって、人生の二度目の大イベント2015-2016南極・南米ワールドクルーズが終わらんとしている。旅の始まる一年以上前から旅行資金の算段はもとより勤務先への根回しなど様々な準備をそれなりにしてきたが、そういう心配から解放される一方で、宴も終焉とあって帰宅したら虚脱感が襲ってきそうな予感もする。先日船内で「ワールドクルーズを1回乗船するサラリーマンはいるけど2回以上する人はそういないよ」と何百泊もしている飛鳥ベテランの自営業者から云われたが、たしかにわが身を考えれば色々な意味で背伸びをしながら乗船したから「よく乗ったものだ」と思わぬでもない。


昨日は船長主催のフェアウェルパーティがあり、増山船長から「南極・南米は2004年に旧飛鳥が航行した事があるものの、最新の情報がないので心配だった。南極クルーズ船に乗船したり、ここに行った事のあるクリスタルクルーズの情報を集めたりした。また天気が心配で心配で日本を出てから毎日南極の天気図を気にしていたが、とにかく無事に終わってほっとした」と云う趣旨の挨拶があった。いつもクールな語り口の船長からやや感極まった声を聞くと、我々が安心してクルーズを楽しんだ陰にはクルーの大変な仕事があったのだろうとこちらもちょっとジーンとしたのであった。


中南米の寄港地はどこも概して同じ印象だとも感じたが、下船前の船内テレビで流れるこのクルーズハイライト場面を見ると、それぞれ見物した場所やジョギングをした所を懐かしく思い出す。欧米の諸都市ならまたこれから訪問する機会もあろうが、南極を含めて今回訪れた地には余程の事がない限り行く事はないだろう。船内紙ASUKA DAILYで船長が「リオのカーニバルをはじめ、治安が心配される地域の寄港時は、全てのお客様がお戻りなったという報告に毎回安堵致しておりました」と書いていたが、事故なく日本まで戻って来ることが出来た今、思い切ってこのクルーズに行って良かったと心から思う。

2016年3月15日 (火)

日付変更線通過

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3月12日に国際日付変更線を超えて、飛鳥Ⅱは約90日ぶりに北半球の東半分に戻ってきた。これに伴って船上では2016年3月12日が暦の上で消滅し、先のワールドクルーズについで「人生に存在しない日(2011年7月12日)」を経験した。南米大陸で一時は日本と昼・夜が間逆だった時差も、今の船内時計では日本の標準時と2時間差まで接近し、いよいよクルーズの終了間近を感じさせるこのごろである。


日本の船に乗ってほとんどの事が日本語で通じる上、日本人の医師も乗船しているからまず安心とは云うものの、100日の長い航海では何が起こるかわからない。歯医者からは抜いておいたら如何ですか云われていたが、ほったらかしにしていた親不知がもし痛みだしたら歯医者のいない船内でどうするか?留守の間に年老いた母親には何かおこらないだろうか、はたまた毎日使っているシェーバーの網刃が船内で破れたら濃い髭をカミソリで剃らなきゃなど大小あれこれ気になる事も頭に浮かんできたが、どうやらそれらも杞憂に終わりそうだ。


幸い大きな面倒にも合わずそんなこんなで百日、船長や機関長の運航スタッフをはじめ、ホテル部門の多くの乗組員やエンタメのクルーなどに支えられてここまで来た。考えてみれば天候に恵まれたお蔭で抜港などもなく、雄大な氷河や初めて見る南極の景色を堪能したし、船内では新たな友人も沢山できた。気付いた細かい事はアンケートで提出するとして、一サラリーマンの私としては清水の舞台から再度飛び降りる覚悟で乗船して良かったと思っている。それにしても飛鳥Ⅱは前身のクリスタルハーモニーから通算して26歳、新造当時から極めて斬新でとても良く出来た船だったが、そろそろ船体あちこちにやつれや疲れが見える。郵船クルーズはいろいろ検討してる様だがいつ飛鳥Ⅲの話が出てくるのだろうか。

2016年3月12日 (土)

カタフリ

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カタフリ場

どの業界でもそうである様に、船の世界でも船乗り達が使う独特の用語がある。船の前部を「オモテ」後部を「トモ」と呼ぶのは古来から言い習わされた用語だし、そのほか陸上では使わない様々な言い回しが船内では使われる。例えば物を落ろすとか処分する際は「レッコする」と言って、「このごみをレッコして」などと使うが、その語源は錨を降ろす際に「レット・ゴー、アンカー」(英語的にはレット・アンカー・ゴーが正しいのだろうが)という如く、何かを船外に繰り出す専門用語から来ている。そのほか港に着いて上陸する際のイッチョウラの服装を「ゴーショー(go shore)着」と言ったり、apprentice(見習い士官)が語源となって実習船員を「アプさん」と呼んだりと独特の用語が行き交うのである。


そんな言葉の一つに「カタフリ」と言うのがあって、大海原で他に慰めがない船乗り達が、これまで経験した事を「あーでもない、こーでもない」と長々と語り合う事を言うのである。このワールドクルーズも最終の行程に入って、乗客同士でもこの航海の様々な場面や、乗り合わせた人々に関する情報でカタフリに忙しくなって来た。つい3ヶ月前まではまったく接点のなかった見知らぬ同士も、同じ船に乗リあわせて共に旅し経験を共有すると最後は親密になるものである。2011年のワールドクルーズで乗り合わせた人達とは、今でも定期的に飲み会を開いているように、今回の100日のクルーズで仲良くなった船友とは下船後もお付き合いが続く事であろう。そんな同じ波長の友人たち同士が集まって、船内あちこちでカタフリの輪が華やかだ。 


「怒られた」とか「私もにらまれた」とあちこちで評判になっていて、他人の行動にはやたら厳しい老婆が連れにはごろにゃん声を出しているとか、杖をついてよぼよぼと歩く老人が、カーニバルに行くバス乗り場まで他人を押しのけてダッシュしていたなどと、彼らの日頃の行動を知っている人々には「見た見た」と腹を抱えて笑う情報が船内を飛び交っている。まことに人の口に戸は立てられないものである。考えてみれば世界一周を共にした460名の乗客数といったら、学校なら1学年か2学年の生徒にあたる数字で、それがたかだか長さ200米、幅30米の世界で100日間、生活のかなりの部分を共有したのである。愉快だった事や不快だった事、それぞれの乗客がそれぞれの場面で経験した事や感じた事がカタフリの中で共振し、それが最後の太平洋横断の無聊を補って余りある飛鳥Ⅱの船内である。

2016年3月 3日 (木)

飛鳥Ⅱ2015-16南極南米ワールドクルーズ終盤

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1週間前後のクルーズに乗船すると、その中に寄港地が数ヶ所あって終日航海日だけというのはそう多くない。船内でのダンスなど習い事もホンのさわりをやるだけで、ゆったりした航海だけの日が欲しくなるほどである。反対にこのクルーズは入港している日々のほかに運河や氷河、南極など風光明媚な場所を見る日を加えてもその日数は30日弱で、終日航海日が70日以上と海の上にいる時間が長いクルーズである。こんなクルーズの中で発見したのは、船内では鼻毛があまり伸びないと云う事であった。周囲が大海原だから空気もキレイで、鼻毛も伸びる必要がないのだろう。また日ごろ医者に朝・夕決まった時間に測定せよと云われている血圧も、ここではひどく安定していて、陸上よりも上も下も10くらい低いのである。


この様に陸地にいるよりストレスは圧倒的に少ないが、それでも船内でも感じの悪い輩がいて腹が立つ事もままあるし、何か心配事があったり、はたまた何となくムシャクシャしたりする時に、ちょっとクルマを運転したり町を歩いて気分転換すると云うわけにはいかない。好きな音楽を聞こうと思っても持参したソフトはごく限られていて、無償に「ああ、あの音楽が聞きたいな」と思う事もある。その昔、貨物船に実習で3ヶ月乗船していた時は、クルーの面々が「ここは金の貰える刑務所だよ」などと自嘲的に言っていたが、飛鳥Ⅱも良く云えば「動くホテル」、今回は船客の平均年齢が70歳代なかばとの事で「動く養老院」だと云えなくもない。


それでも一日が終わり水平線に沈む見事な夕日を見ながら飲むビールは陸とは一味違うし、時々刻々変化する海の色やたまに姿を見せるイルカの群れなどを見るのは素晴らしいものだ。時間を気にして空港に行ったりする手続きもなく、港に着いて船を出るとそこはただちに見知らぬ異国の地であるというクルーズの魅力は何物にも代えがたい。まさに自分のキャビンが、いつの間にか自分を知らない土地に連れて行ってくれるという感覚である。我々にとって相当な覚悟で出費した今回のクルーズだが、今回も知り合った多くの友や様々な思い出の他に、きっとかけがえのない「なにか」を得ているであろう。さて横浜までまだ2週間ある。最後まで旅を楽しむために、残りの期間どう船内生活を充実させるか考える時期である。

2016年3月 1日 (火)

ラテンアメリカ

その昔、船乗り達の間ではコロンビアの港は「男は泥棒、女は女郎坊だぜ」と言われたほど治安の悪い国だった。しかし飛鳥Ⅱが入港したカルタヘナの町は高層ビルが立ち並ぶ一方、世界遺産に指定された旧市街地はすっかり観光地化されており、往時のそんな流説が感じられる酷い場所は我々が訪れた場所にはなかった。資源開発などでコロンビアの経済も伸びたそうで、タグボートやクルーズターミナルなど港の設備もとても立派だし、やはり経済が発展していく事は総じて人々を幸福にして行くのだと実感する。


カルタヘナの翌日はパナマ運河である。いつ出来るのかと訝っていた第2パナマ運河の工事もどうやら完成間近のようで、間もなくこれが開通する事がわかったが、そうなるとパナマックス型が主流の商船や客船、さらには軍艦の世界がどう変わっていくのだろうかと仕事がら興味津々である。それにしても40年前に初めて訪れたパナマ市は低い建物が連なる汚い町だったが、運河を通峡して遠望する町は高層ビルが立ち並んでいる事にここでも驚いた。僅かづつでも世界は進歩しているのである。


40日ぶりに太平洋に戻ってきた本船は、コスタリカのプンタレナスとメキシコのアカプルコに入港し、長い長い中南米のクルーズの旅がここで終わった事になる。振り返ってみるとチリの氷河や南極の氷の世界、それにリオのカーニバルなどはとても印象深いが、それ以外はそれぞれの町がどうであったのか記憶がしばし渾然となる。2011年のワールドクルーズではアジア・アフリカ・ヨーロッパ・北米・カリブとはっきり特徴が別れる場所に寄港したのに対して、ラテンと一括りにされる中南米の各地は町の雰囲気が似ていた感がする為だろうか。ただ今回はそういうラテンの世界に馴染む事が出来て、帰国した後はニュースなどを見るにつけ、これらの国への思いも深まっていく事であろう。

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パナマ運河のペドロ・ミゲル閘門

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輸入車の並んだアカプルコ港。後方にはサンディエゴ要塞

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