南太平洋の戦場
ラバウルからソロモン海、そしてサンゴ海へと飛鳥Ⅱは順調に航海を続けている。2010年にオーストラリアの客船”パシフィック・ドーン”号で、ブリスベーンからニューカレドニアやバヌアツを訪れる南太平洋クルーズに来た際にブログ「珊瑚海(2010年2月15日)」に記した通り、このソロモン海やサンゴ海は先の大戦緒戦において、日本と米国との間で熾烈な戦いが繰り広げられた海である。その海を今は日本の客船で優雅にクルーズできるとは、平和は何とありがたいものかとの思いが胸に迫る。
あらためて本船の図書館にある大百科事典をひも解くと、開戦へき頭、南方へ快進撃を続けた日本軍は1942年夏にニューギニアのポートモレスビー攻略を企図。その上陸作戦支援に出撃した日本の機動部隊とそれに対する米機動部隊の一騎打ちがサンゴ海開戦である。我が軍は”翔鶴””瑞鶴”からなる制式空母、米軍は大型空母”ヨークタウン””レキシントン”を繰り出し、”翔鶴”と”ヨークタウン”が大破、”レキシントン”沈没で海戦は終わった。一見すると米側の損害が大きかった様にみえるが、この戦いで日本軍はポートモレスビー進出を延期せざるをえなくなったのである。
またガダルカナル島の争奪を巡って、同年夏から秋にかけて3回に亘って繰り広げられたソロモン海海戦は双方ともに甚大な損害を蒙ったものの、結局ガ島の攻防によって我が方が喫した戦力の消耗が戦局の一大転換点になるのである。今回こうして飛鳥Ⅱで18ノット余のスピードで南下しても日本からソロモン海までまる7日航海したが、当時の鈍足の輸送船ではいったいここまでに何日要したであろうか。現在の視点から考えれば兵站線の延び切った無理な戦場と思えるも、クルーズ船にゆったり乗りながら乾坤一擲の勝負を行った先達の労苦など批評出来ようかという気持ちになる。
数日前、飛鳥Ⅱがラバウルに寄港した際は、山本五十六長官が亡くなる前日に作戦会議を開いたとされる山本バンカー(地下壕)や、日本政府が建立した南太平洋戦没者の碑を訪れる事ができた。シンプソン湾に錨泊する飛鳥Ⅱを見下す小高い丘の戦没者の碑は、天井に世界地図が描かれ、ラバウルの場所には丸い穴があいてそこから光が差し込む様になっていた。慰霊の碑の前で用意された花を皆で手向けるうち、今の平和があるのはこうした方々の尊い犠牲によるものとの思いが胸にこみ上げ、思わず目頭が熱くなったのであった。
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