40ウン年後の伊勢路
60才を過ぎた頃から各種イベントへのお誘いがやたら増えてきた。幼稚園から大学までそれぞれ学校時代の繋がり、はたまた会社に同期で入った仲間の集いなど、皆そろそろ時間が出来た上に、体は割りと元気な年代だから、昔の仲間に会いたくなるのだろう。この週末は大学の競走部の同期で鳥羽・伊勢への一泊旅行であった。すでに亡くなった者や体調の悪い者、それにこの種の会にはあまり出ないと決めているのも中にはいるが、それでも10数人が参加するのだから、同じ釜のメシを喰った競技仲間というのは良いものだ。かつては紅顔の美少年たちが、今や髪の毛がないやら腹が出るやらの典型的オッサンで、団体になってぞろぞろと伊勢路のお参りである。
伊勢神宮といえば、最近はクルーズ船の”にっぽん丸”や”コスタビクトリア”で鳥羽に入港した際に妻と幾度か訪れたが、同じ場所でも昔の仲間と廻るのはまったく気分が違うものだ。道中、競技仲間の先輩や後輩の近況報告、それに「俺はここの調子が悪いよ」「いやおれこそ」「この前の検診ではね・・・」などと云うお約束の病気自慢の会話で盛り上がりつつ、伊勢神宮で買ったお札で一番多かったのが「安産祈願」であった。ちょうど自分の子供たちに孫が生まれるラッシュの時期に我々の年代が差し掛かっているのだろう。などなど昼からの酒で盛り上がりつつ、伊勢神宮のいくつもの鳥居の前では全員で一礼、手水の作法や二礼二拍一礼と怠りなく励行するあたりが歳の功だと云えようか。
そういえば70年代初頭に10日ほどの夏合宿で、ここにごく近い三重県営陸上競技場に来た事があった。あらためて当時の仲間との再訪問となった訳だが、40数年前の合宿でどう練習をしたのかよく覚えている者に、合宿をした記憶さえ定かでない者もいて人の記憶とは実に千差万別である。私も当時の事についてはほとんど記憶が薄れていたが、昼食に訪れた寿司屋から五十鈴川の清流を眺めていたら、一人が「この橋を渡って宿舎から競技場に毎日通ったよ。先輩のなかにこの川に飛び込んで泳いだのがいたよなあ、それも真っ裸で・・・」と昔話を始めた。五十鈴川の清流を前にして、いかに下らない事をして男所帯のうっぷんを晴らそうか、暑さと猛練習で体がきついが故に逆に何か悪い事ができないか、と始終悪巧みを考えていた青春時代の記憶が蘇ってきた。おはらい町の五十鈴川で、今もし真っ裸で泳いだらすぐ警察が飛んで来るだろうが、当時はのんびりしていたと懐かしさが急にこみ上げてきた。
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