クラマーさん
「日本サッカーの父」と言われたデットマール・クラマー氏が、90歳で亡くなったとニュースが流れてきた。その名前を久しぶりに耳にして「アラー、何と懐かしい名前か」と懐旧の念が沸き起こり、同時に昔のサッカーに関する様々なエピソードが浮かんできた。以前にもアップした通り(2012年8月4日(土))、 高校時代の担任が東京教育大(現・筑波大)出のサッカー選手で当時はまだプレーヤーとしても半ば現役だったが、その先生の口からよく出るのが「クラマーさんはなあ・・・・」と云う話であった。先生はやはり体育系の生徒が好きだった様で、私はサッカー部ではないが色々と目にかけてもらったから、クラマーさんと聞くと、先生の真っ黒に日焼けした顔とほのぼのとした高校生活を思い出すのである。
ちょうど私の中学・高校時代はクラマーさんの指導で日本サッカーが東京オリンピックでベスト8まで進み、日本リーグがいよいよ始まる第一次サッカー興隆期である。続くメキシコオリンピックで、日本サッカーチームが銅メダルに輝いた時に学級担任だった先生は、3位決定戦当日は授業を中断して教室でのサッカーテレビ放送応援であった。その試合では相手が地元メキシコで、圧倒的に日本は不利かと思っていたら、メキシコ選手のミス連続に場内が大ブーイングとなり、最後は観客が敵の日本に声援を送ると云う印象深い試合だった。日本が試合に勝ち銅メダルとなった時には「こんな事はおそらく当分来ないから、みんな良くこの快挙を覚えておくように」と教壇で言われた先生の顔は、ひどく嬉しそうであった。
身長165センチとドイツ人にしては小柄ながら、クラマーさんと”さん”付けで慕われ、当時の日本人なら誰もが知っていた「日本サッカーの父」がクラマーさんだった。今ではボールリフティングなどは子供たちでも訳なくこなすが、その当時は空中に舞ったボールがいつまでも地面に落ちない足技は、まるで曲芸まがいと見られていた時代である。クラマーさんはいとも容易にボールリフトを続ける、などというエピソードを聞いたのもあの担任の先生からであったろうか。さてクラマーさんの事を思い出すにつけ、かつて世界のサッカーを見る事ができる唯一の番組として放映されていた「三菱ダイヤモンドサッカー」のテーママーチが記憶の底から蘇り、我が若き日々とあのサッカー勃興期をなつかしく思い出したのであった。
「三菱ダイヤモンドサッカー」のテーマ/ドラム・マジョレット
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