« 2015年7月 | トップページ | 2015年9月 »

2015年8月

2015年8月31日 (月)

安保法案反対集会参加人数のデタラメ

涼しくなり走りやすい季節になったので、この週末2日間もホームコースの皇居周回道路におもむく。と、日曜日には霞ヶ関から国会議事堂あたりが拡声器の音や警察の車両でやけに騒がしそうだ。そういえば安保法案反対の集会が行われるとどこかのニュースにあったが、そんなものに出くわしたかと内心で僅かに不快感を覚えながらジョギングに励んだのであった。しかし走った時間がちょうどその集会の終わった頃らしく、かなりの参加者が走路であるお堀ばたの道を通って最寄の駅に帰るので、ランナーはその間をジグザグにすり抜けねばならなくなる。まあ「ここはランナー専用ではありません」と立ち看板もある如く歩道は我々のものでないし、日本では表現や集会の自由が保証されているのだから仕方ないとゆっくり走る事にした。


このところ急に気温が下がって身体が軽くなり速く走れると思っていたのに、すっかり気勢を削がれてしまったので、仕方なく集会から帰路につく参加者たちをそれとなく観察していると、まず半数以上が段階の世代OBのような高齢者である。どうやらかつての全共闘世代が社会の第一線を退いて暇になり、「安保」などと聞いて青春の血が蘇り往時を懐かしみながら政治集会に参加しているかに観察できる。なかには遠方から貸切バスに乗って参加している団体もあって、一体この金はどこから出てくるのか、考えてみると実に不思議でもある。市民の活動というより時間のある高齢者が、どこかの組織に動員されて参加したのだろう。


帰って調べてみると議事堂前の集会参加者は、主催者側発表で12万人とあったが、どうみてもその数字はいい加減すぎないか。空中撮影された写真を見ると議事堂に向かう道路に集合した参加者は、密集しているところで長さ60米、幅が40米くらいで面積では2400平方米ほどである。比較の為約3万人が参加する東京マラソンはと見ると、スタート地点の新宿都庁前で15米ほどの幅に広がったランナーの帯が400米以上に渡って立錐の余地なくびっしりだから、6000平方米で3万人となる。昨日は議事堂前の他に隣接の公園に参加者がいたとしても、狭い場所に警察発表の3万でも無理。マラソンの経験からしても、せいぜい2万人動員が水増しの上で精一杯というところであろう。


東京で2万人が集まる競技場といえば私もよく行く秩父宮ラグビー場で、ここで早明戦や早慶戦などのビッグゲーム終了後は、青山通りの外苑前駅やJR信濃町駅に向かう広い歩道は人で一杯になる。それに較べても、昨日は集会を終え永田町や霞ヶ関、桜田門駅に向かって歩く人の数は明らかに疎らであった。そういえばかつてはプロ野球の観客も大幅に水増しされていた事があったが、最近は正確な数字が発表されるご時勢である。集会やデモの自由はまことに結構な事であるが、いくら景気づけと云っても参加者の数倍にものぼる大幅な水増しはいかがなものか。安保法案に反対し真剣に抗議活動をしている人が世の中にどの位いるのか、それをきっちり把握し虚偽の発表をしない事こそ政府に対する正当な抗議の第一歩になるのではないか。もっとも本当のことを言ってしまうと、そのあまりの少なさに存在意義を疑われてしまうのだろう。

2015年8月26日 (水)

巨龍の苦闘

かねてから懸念されていた中国の経済が大変な事になっているようだ。自由な取引の場である株式市場に当局が介入したり、為替の連続切り下げをしたりとなりふり構わぬ政策は経済の実態が予想以上に悪い事を予感させたが、そもそも発表される各種の経済統計が基本的に水増しだから、その真相が誰にもわからず疑心は深まるばかり。本屋の店頭を眺めても長谷川慶太郎のように中国が崩壊前夜であるというものから、危機ではあるが崩壊する可能性は低い(津上俊哉著「強龍の苦闘」角川新書)とするものまで各種入り乱れ、中国の危機が世界経済に影響をおよぼすと説く隣には、我が国は大した被害を蒙らないなどという本もあって読む側の想像力がかきたてられる。


私の周りでも豪州や欧米の資源・鉱山会社が中国の輸入減でピンチに陥る一方、中国国内で過剰生産された鋼材が世界に輸出されて市場をかく乱し、原油の値下がりで船舶用重油(バンカー油)が10年前の値段に下がるなど様々な影響が出ている。最近、実務では中国国営会社が信用力の低い民間会社の輸入信用状を肩代わりして開設したところ、民間会社の倒産で代金決済が不能になり、国営会社が貨物を差し押さえるという事件があった。国営会社が小遣い稼ぎでサイドビジネスを行うのもおよそ欧米先進国では見られない事で、とかく中国絡みの商売はトラブルが多くてうんざりするのである。もっとも中国経済の減速もあって、ガソリンの値段もずいぶん安くなっているからあながち悪い事ばかりではない。


「巨龍の苦闘」によると、中国指導部はマルクス・レーニン主義者でナショナリスト志向の左派と、市場経済重視・改革志向・西側に親和性が強い右派が絶えずその均衡を争っているのだと云う。左派と右派の間で振り子の様に政策がゆれるのが中国共産党の特徴で、ピンチの時には右派が重視される一方、右旋回する際には「愛国主義教育」強化など左派への補償的政策が実行されるらしい。リーマンショック後の景気対策でより一層嵩上げされた過剰投資・過剰負債の経済は限界を迎え、成長率が落ちて経済改革が必要な今こそ思想・言論の規制が強まるようである。


ただ民主主義と自由主義経済は本来は不可分なはずで、一党独裁体制の上に経済は右で政治は左などと云う舵取りがいつまでも続くものなのだろうか。株式市場への政府介入を見ていると、「健全」な資本主義の育成は今の中国には期待できそうもない。一方で習政権は内政を改革するために、外交上の問題はなるべく取り除きたいと考えているらしいが、もしそうなら中国は永久に内政が混沌としていた方が周辺諸国にとって幸せという事になるのだろうか。いずれにしても日本の対中輸出は我がGDP比ごく少ないから、中国の経済混乱は対岸の火事だと傍から見ていれば良いようだ。私にはそんな事より西日本にもごく近い中国の沿海部に多数建設された原発が、何かで事故を起こさないのか、そちらの方がよほど心配に思えてくる。

20150826

2015年8月17日 (月)

安部首相戦後70年談話でサヨクはどこへ行く

8月14日金曜日は旧盆なので夏休みをとって家にいたら、夕方6時から戦後70年の安部首相談話があるというのでテレビをつけてみた。集まった記者団やテレビカメラを前に首相の談話は思っていたより長く、カンペなどまったくないと思われる中で、首相が自らの言葉として練り上げた文章を自らの言葉として述べているという印象がテレビから伝わってきた。「侵略」・「お詫び」・「反省」・「植民地支配」の4点セットが盛り込まれるのか否か、サヨクから格好の攻撃材料であった首相談話だったが、中継を見終わった後に思わず「良い談話じゃないか、これなら完璧に近い」「夏休みで家にいてナマで聞けて良かった」との思いが湧いてきた。


案の上、何でも反対のサヨク陣営は、直後から「 首相が一人称として反省やお詫びをしていない、過去の首相が表明した事を引用しただけ 」などとまるで揚げ足とりの論評が始まった。おかしな事には彼らは肝心の日本人よりも外国人の目を気にしたフリして批評するから、何を根拠にそう言うのか、あらためて今回の首相談話が英語でどう発表されたのか英語版を読んでみる事にした。談話はまず第二次大戦に至る歴史認識から始まって、第一次大戦後の世界経済ブロック化で "Japan's sense of isolation deepened and it attempted to overcome its diplomatic and economic deadlock through the use of force" "Japan lost sight of the overall trends in the world"( 日本は孤立感を深め、経済・外交上の行きづまりを軍事力で解決しようと試みた。日本は世界の大勢を見誤った)と軍国化に言及している。


さらに満州事変後の国連脱退などを "Japan took wrong course and advanced along the road of war"( 日本は間違った道を歩み戦争への道を突き進んだ )とはっきり首相は日本の誤りを指摘している。安倍首相に「歴史修正主義者」とのレッテルを貼る絶好のチャンスと期待していたサヨクも、これでは肩透かしで困った事だろう。 談話の中段では " Japan has repeatedly expressed the feelings of deep remorse and heartfelt apology for its actions during the war "( 日本は繰り返し深い反省と心からの謝罪を行ってきた )とし、" Such position articulated by previous cabinet will remain unshakable into future " ( この歴代内閣の立場は未来に亘ってゆるぎなく変わる事がない)と述べられている。ここで首相が一人称としての「私」でなく「間接的」で、以前より後退だなどと朝日新聞などのサヨクは言っているが、私はむしろ「日本は反省と謝罪をしその立場をこれからも変わらず引き継ぐ」方が『普通の感覚』では素直な表現であると思う。


この談話で一番感動したのは"We must not let our children, grand children, even further generations to come, who have nothing to do with that war, be predestined to apologize" ( あの戦争には何ら関わりのない私たちの子供や孫、またその後の世代に、謝罪を続ける運命を負わせてはならない)という一文で、これは正に日頃私が感じているところなのである。実際に先の戦争を指導したのは我々の祖父以上の世代であって、父の代でさえ兵隊として動員されこそすれ重要な国策にはほとんど関与していなかった。我々の世代ではすでに中・韓に負い目などはまったく感じないし、ましてや子・孫に謝罪やお詫びの社会を引き継ごうという動きなどさらに真っ平ごめんだから、ここは最も重要な部分だと首相に大いに拍手を送りたい。


談話では一方で、"…nearly three thousand Japanese children left behind in China were able to grow up there and set foot on the soil of their homeland again "と残留孤児に対し中国に感謝する一方、戦後に米・豪・欧州などから恩讐を越えて差し伸べられた支援や女性の人権に触れつつ," Japan will continue to firmly uphold the principle that any disputes must be settled peacefully and diplomatically based on the respect for the rule of the law and not through the use of fire"と現在の中国に呼びかけるかの如く 「 力によらず法とルールによる紛争解決」 を訴えている。こうして英語の訳を一読してみると過去の反省と謝罪から現在情勢にいたるまで、日本の立ち位置や方針をうまく捉え微妙なポイントを辿ったなかなかの文章である事がわかる。


私は長い間、ビジネスの世界で英語のやり取りを日々の業務としてきた。少なくともビジネス上では"regret"と書けば実質的に謝罪した事に等しい英文の世界にあって、朝日新聞などが言う「謝罪の主語がぼかされた」「歴代内閣が表明したと間接的表現だった」などというコメントは極めて的外れな印象を受ける。特定の視点からのサヨク陣営のイチャモンに対して、" My heart is rent with the utmost grief" "I bow my head deeply before the soul of all those"と記された首相の談話は、世界の人々に日本が真摯に侵略を認め反省や謝罪をしている事を感じさせる事であろう。こうしてみても今回の安倍談話がダメと云う人々は、一体どこの国の視点でコメントしているのか今さらながら不思議になるのである。まあその後の報道では中国や韓国でさえ安部談話に「一定の評価」をしているとされているから、「こんな談話出さない方が良い」という趣旨でさっそく社説を説いた朝日新聞などは、振り上げたこぶしをどこに収めるのか見ものである。

2015年8月12日 (水)

9人の醸造家のキリン一番搾り

20150812

夏である。我が家では一年を通じ、確実に夫婦2人で最低でも日に2本は消費する缶ビールも、やはりこの季節は3本~4本と飲む量が増えてくる。で、やや離れたところにあるスーパーの安売りの日にはクルマで24本入りビールケースの買出しに行き、特売の銘柄を毎回2ケースはまとめて買ってくる。マンションのカン捨て場は時として我が家から出たビールの空き缶ばかりが目について何だかバツの悪い思いをするのだが、こうして費消したキリンの一番搾り4ケース分計96本のシールを集め応募したところ、早速送ってきたのが「9人の醸造家の腕が鳴っている『一番搾り』」9本詰め合わせであった。


このセットはキリンビールが全国に展開する9工場、北海道千歳・仙台・取手・横浜・名古屋・滋賀・神戸・岡山・福岡で、地元の味に合わせて素材や酵母などを変えて醸造したオリジナル9種類の缶ビールの詰め合わせで、応募すると必ず送られてくるから、我が家の様な”大口”愛飲家にはちょっとしたボーナス、いやインセンティブである。セットに同封の説明書によると「その土地の素材を使ったり、地元の食材や味覚にぴったりと合うことを目指し・・」「素材のおいしいところだけを引き出す一番搾り製法で、地元のことを一番に考えた一番搾りをつくった・・・」そうである。


という事で、さっそく各工場別ビールの味比べをする事とする。すると名古屋製は手羽先や味噌カツなど濃い味に合う様にうまみと色を濃く搾るストロング風味、仙台はササニシキと東北産ホップ入りで僅かな米の匂いがただよい、神戸は山田錦を使った香り豊かな甘めの味、横浜は新しいホップも加えアルコールが6%と個性あり・・・などと飲むほどに違いがわかる。これを妻と二人で一挙に9本を開けてしまおうかとも思ったが、それぞれの醸造家が腕によりをかけて演出した味はゆっくり楽しむかと、3本づつ3日かけて味わったのだった。この企画、今度は昭和20年代戦後の味、昭和30年代の苦いビール、学生時代に飲んだ40年代のビールや缶の生ビール生産開始時のものなど、時代別の変遷をセットにしたら面白いのではなかろうか。

2015年8月 6日 (木)

またエアセクション事故

20150806
エアセクション表示表

8月4日夜、横浜市内の京浜東北線で架線事故があり、列車が駅間で停まるなど35万人もの人たちの帰路の足が奪われたとニュースになっていた。当初から事故のおきた場所は架線が二本平行に張ってあるという事で、まさかエアセクション内における停車による架線短絡(パン・オーバー)ではないだろうなあ?と思っていたところ、その後の報道では予想通り、正にパンオーバーが事故原因だと云う。


電車に乗って運転士のすぐ後ろ、いわゆる「かぶりつき」から前方を見ていると、しばしば「エアセクション」表示が目に入る。エアセクション区間は各変電所からのき電区間の継ぎ目で、数十米に亘り架線がダブルに並行(間隔数十センチ)に張られており、この区間を電車が走り抜ければ問題ないが、もし停車するとパンタグラフが2本の架線を短絡するので、両電線の電位差で火花が散ったり熱が生じて断線事故がおこるのである。よってこの表示がある区間は、電車や電気機関車は停止禁止となる。


最近では2007年にJR東北線・大宮付近で、セクション内に止まった電車による架線事故が起きたが、部外者から見ると運転士はセクションの場所を知っているだろうし、セクションを示す線路際の表示にも注意しているはずなのに、何故このような初歩的な事故がおきるのか不思議なところである。今回はデジタル式のATC(列車自動制御装置)が設置されており、先行電車に接近した当該運転士は運転台の表示に従ってセクション外で停車するべきところ、これに従わず手動で200米手前のエアセクション内に停車してしまったと報道されている。


一方で横浜のこのATC区間では、他線区にはある電柱の「セクション」表示がなかったとされている。200米も手前に一旦停止したのが妥当だったのか当夜の状況はよく判らないが、ラッシュアワーの様な稠密な運転間隔でなければ、運転士は安全への余裕をもって規定の位置より手前に停車したくなるのは人間心理としては理解できる。今回はもし「ここで止まるな」との従来のアナログ表示が電柱にあれば防げえた事故と思われ、システムとしてのデジタルATC化は万全であっても、勘違いなど想定外の事が起こった際に、悪い方向に事態が進まない仕組みを造る事が必要であろう。


先の東北線での事故を踏まえ、2007年にJR東日本は「運転士に注意を喚起する表示板をエアセクション区域の全ての電柱に設置する」「エアセクション内停止に関して運転士への音声アラームを導入する」「架線が破断しないよう剛体化を促進する」との対策を発表したが、一番簡単で真っ先に行えるはずの「表示板の設置」はこのATC区間において為されなかった。


当該運転士がこの区間をどれだけ周知していたのか知る由もないが、他の線区ではふつうに表示されているものがデジタルATC化ゆえに必要ないとされ、その結果事故を誘発したのなら、今回は正にシステム化に伴う陥穽にはまった事例といえる。世の中には完全なシステムなどなく、人間とのインターフェイスをいかに構築するのか、我々の周囲のデジタルシステムは、「人間は間違うもの」という前提で開発してほしいものだ。

セクションに関する過去の記事

万世橋マーチエキュートN3331とセクション外停止位置(2014年3月10日)
定通確認(2010年1月20日)
鉄道標識(2)停車禁止(2008年4月3日)

20140310_2
セクション外停止位置表

2015年8月 3日 (月)

上野東京ライン

この週末には、ひさしぶりに横浜からJR線で東京に帰る機会があった。ふだん横浜に鉄道で行くなら私鉄ファンゆえ東横線か京急をなるべく利用するのだが、今回はこの3月に開通したばかりの上野東京ラインを使って、最寄下車駅の東京駅または秋葉原を通り越し上野まで行って戻ってくる事にした。という事で久しぶりに横浜駅の東海道線ホーム、保土ヶ谷寄りで電車を待っているとまるで今浦島になったような気持ちになる。まず横須賀線の上りホームに入線するのがE231系、緑色と橙色の湘南カラーの電車だ。「あれ?なんでスカ線に湘南電車が走ってるの?」などと一瞬驚くが、今や成田エキスプレスや湘南新宿ラインはスカ線を利用して運転されている様だ。


やってきた上野東京ラインに直通する電車はE233系の小金井行きで、そういえば昭和30年代には157系の車両を使った「湘南日光」号と云う日光と伊東を結ぶ準急電車が運転されていた事を思い出した。当時は東北本線から伊豆方面に直通する運転などきわめて珍しく、東京駅に列車の写真を撮りに行くと、157系特有の先頭車2枚窓の下に「湘南日光」と大書きされた文字がまぶしかったものである。伊豆方面に向かう「湘南日光」と同じ時間帯には151系(こだま型電車)の名古屋行き「おおとり」もあったし、何といってもEF58に牽引された20系客車のブルートレインたちが次々入線とあって、鉄道少年の私は愛用のフジペットを片手に東京駅のホームを走り回ったのだった。


さて横浜から乗車した小金井行き電車は短い10両編成で、どうやら小金井や籠原の電車区(今では小山車両センターと高崎車両センターの籠原支所と云う)から都内を通って東海道線に乗り入れる編成にも時々10両のものがあるらしい。15両だと思ってホームで並ぶ乗客は混乱するし、土曜日の昼下がりというのに車内は混んでいるが、ふと見回すと乗り入れ車両の面白さで、栃木県の遊園地や学校などの広告チラシが目をひく。JR線以外でも東京では地下鉄を介してまるで営業地域が違う私鉄同士が乗り入れているから、東急線の車中で川越のマンションの広告を目にしたり、京急線で千葉の自動車学校の入学案内を見たりと一昔前にはありえなかった車内光景が最近見られるのである。


「湘南日光」で興奮していた時代が嘘のように多くの列車が直通するようになった東海道線⇔東北・高崎線だが、一部の列車は常磐線の取手方面にも直通するとあって、昔の乗り換え駅やその情報がインプットされている私の脳内回路は大混乱しそうである。戸塚あたりでボーっと東京行きに乗ったら、着いたのは新宿だったなどという乗客もいる事だろう。因みに大宮から横浜間の距離は湘南新宿ラインが60キロに対し、上野東京ラインは59.1キロと差はないものの、その区間の到達時間は上野東京ラインが約1時間なのに、湘南新宿ラインは快速でも1時間から1時間20分ほどかかるとあって、東京を縦貫する乗客にとって新しいルートはさぞや便利になった事であろう。いずれにしても私は都内に住んでいるので、どちらに乗ろうとさほど直結運転のメリットを感じないが、仕事をやめたら有り余る時間を使って、以前には考えられなかったルートで乗り鉄を楽しんでみようかと想像力がかきたてられたのだった。

上野東京ライン電車の車掌室から過ぎ行く秋葉原駅を見送る
20150802

2015年8月 1日 (土)

岩波新書「右傾化する日本政治」

20150801

以前、香山リカの「リベラルじゃだめですか?」の読後感をアップした通り、私でも”WILL”や”正論”など右寄りの本や雑誌ばかりをいつも読むのは如何なものか?と自問自答する事がある。たまにはリベラル派の代表、岩波書店の本を手にして「サヨク」とか「リベラル」と云われる人達の主張はいったい何なのか、それが考慮に値するものなのか知りたくなるのである。という事で久しぶりに岩波新書の新刊で政治学者の中野晃一著「右傾化する日本政治」を買ってみる事にした。私自身は安部政権による日本の現状については、我が国が普通の国になる正常な過程だと捉えているので、著者が冒頭で「本書は、日本政治が大きく右傾化しつつあるという立場をとる」と批判するなら、その根拠を聞きたいものだと思ったのだった。


本書では、まず中曽根、橋本、小泉ら歴代の「新自由主義」ないし「国家主義」的ないわゆる右派と呼ばれる政権が、どの様な経緯で誕生したのかについて縷々説明がなされる。そう言えば当時はそんなニュースもあったかとさまざま思いだすが、一方でそれらの右派政権に対峙しつつ一定の勢力を維持したサヨク政党は冷戦構造体制下にあってどの様な存在意義があったのか、また世の中が成熟するに従ってこれらサヨクがなぜ劣勢に陥ったかについて知りたいところなのに、突っ込んだ考察がこの本ではあまりみられない。政治史的概論だけでなく冷戦が終わり米国が世界の警察の役割を担えなくなった事、なかんずく中国の軍事的台頭がアジアの安全保障に深刻な危機をもたらしている現状、さらに「格差」問題は我が国の急速な老齢化に深く関連している構造などに重点をおいてこの問題を論じてもらえれば、私ももう少し筆者の説に共感できたかもしれない。


さて、本書の文章はよく整理され判り易く読み応えはあるのだが、一方で「これって時代的背景は違うけど、その昔大学で聞いたマル経の先生の講義とそっくり同じ論調じゃない?」というのが読後まず浮かんだ感想だった。右傾化は「政治主導」の結果とか、多国籍国際企業がもっぱら悪者だ、はたまた格差が拡大しているとの論旨は、40数年前のマルキスト先生たちとそっくり同じような言いまわしで、筆者の属する大学の先生の世界では未だにマルクス主義の亡霊が闊歩しているかと思わずのけぞってしまった。せっかく買った岩波新書であるからITの進歩や社会の成熟、人口動態やコンプライアンス意識・社会のマニュアル化、特に中国の動向なども視野に入れ、「おーっと!」と瞠目されるユニークな分析が披露されるかと期待して本を取ったのに、やはりサヨクのドグマはいつの時代もあまり変わらぬ様である。


政党の離合集散を通じて社会理念がどう実現されようとしたか、または失敗したのかの部分においては筆者の考察は良くわかり、政治とはそういうものかと再認識させられたが、結局のところ共産党や社民党が云うがごとく、世界情勢を完全に無視しての安倍政権批判には最後まで寄り添えなかったのである。この本の最後には小選挙区制の廃止や新自由主義との訣別、その他「民主化」諸活動の「連帯」を通じ、今一度健全なリベラルの勢力を取り戻したいと筆者の願望が美しく語られる。しかし「このまま・・・新右派連合の暴走がつづくようになると、右傾化のステージは、対米追随路線で抑えきれないところまで復古主義的な国家主義的的情念が噴出 」 し世論が転換するという筆者の期待は、現在の中国の軍国化、東アジアの情勢を考えると実現することはないだろうと私には思え、やはりサヨク陣営の言う事は「負け犬の遠吠え」に近いかとちょっと安心したのであった。

« 2015年7月 | トップページ | 2015年9月 »

2019年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ