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2015年7月

2015年7月28日 (火)

ブラタモリ(2)東京駅地下

先日NHKテレビの”ブラタモリ”が丸の内・八重洲の地下街について放送していた。以前「ブラタモリ(2011年2月4日)」でも触れたとおり、日頃なじみの場所をあらためてテレビで案内してもらうのは嬉しいが、一方で江戸っ子の私としては東京の街を九州出身のタモリに案内してもらうのもちょっと複雑な気持ちがしないでもない。もっともタモリの興味の向かう方向にはきわめて共感がもてるし、メディアの力で普段知る事のできない情報や公開されていない場所が明かされるのは、好奇心が刺激され楽しいものでもある。特に今回は「大手町・丸の内・日比谷地下通路 (都心遊歩道)」として最近このブログでもアップした場所なので、番組のなかでは、はたして何が出てくるのか興味深く見入ってしまった。


総延長は14キロにもなる東京駅周辺の地下街も、通路としての性格が強い丸の内側と商店街を中心とした八重洲側では風情がかなり違う。番組はあらためて江戸時代から大名屋敷が並んだ丸の内と、新たに開発された八重洲の歴史を紹介し街の成り立ちを説き起こすあたりがタモリの面目躍如、他とは一味違うところである。普段何気なく歩いている地下通路にもちょっとした勾配や階段があるが、そこがなぜそうなっているのかタモリに説明されると、「なるほど!」とあらためて認識をあらたにするのである。大手町の永代通りの下には将来の弾丸道路計画の一部として「まぼろしの自動車道トンネル」があるのが偶然発見されたり、まだ掘り返している丸の内駅前広場の整備が間もなく終了する事など、知っているとためになる話題も多い番組であった。


という事で、番組を見て数日後あらためてタモリが紹介したうち「ははーん!」と感じた場所をあるいてみた。テレビで印象に残ったのが、戦後間もない頃に浅所に造った地下鉄丸の内線によって、地下街のあちこちに起伏が出来た点である。特に大手町から日本橋方面に向かう東西線に沿った地下通路には、突如2米ほど下がり上りする奇妙な階段があって、いつも不思議に思っていたのだが、これが丸の内線を貫通させるためのアンダーパスで、「行って来いの階段」と云いえて妙な名前がついているのがわかった。こうして時代とともに新しい工夫が次々なされて、この地下街もますます発展して行くのだろうが、一方で昔からの喫茶店にラーメン屋、立ち食いそば屋なども残っていて、以前と変わらぬおもむきを感じさせる場所もある。番組に刺激されて歩きつつ、ここは炎暑の夏は涼しく、冬暖かいし雨にも濡れない便利なよき地下街だと再認識したのだった。


(大手町・行って来いの階段)
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2015年7月26日 (日)

丸の内福津留 「若鶏の南蛮焼」

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丸の内三丁目・国際ビル(帝劇ビル棟続き)地下にある「福津留」の南蛮焼きである。アルミホイルに包まれた鶏スープは玉葱の千切りと沢山の唐辛子で味付けされており、知る人ぞ知る、近隣サラリーマンの人気料理となっている。私も胃袋から脳にシャキっと刺激がのぼるようなその独特の味にすっかりやみつきになって、若い時分から休み明けのボーっとした月曜日や二日酔いの日はよく昼にナンバンを食べに来たものだ。という事で、久しぶりに昼どきの丸の内に用事があったので、懐かしの味を堪能したくぶらっと福津留に立ち寄る事にした。


さすがに経営者は何代か代わったようだが、その昔40年ほど前にきれいな中年の女将が切り盛りしていた頃とお店の風情はほとんど変わっていない。アルミホイルの中で熱々になったスープは、唐辛子で引き立てられた濃いめの鶏スープで、具の玉葱の千切りや鶏肉がスープに良く馴染んで、食べるとけっこう食感がある。お店に入ってスープが温まるのを持つうち他の客はとみると、まずほとんどが何も考えず「ナンバン!」で、なかには私の様にわざわざ出向いたような一人客もちらほら。もはやナンバンは丸の内の「伝統料理」と読んでも差し支えないだろう。


時代の趨勢だろうか、スープの味は昔よりややマイルドになった感じがするし、小鉢サラダやさつま揚げがついた一方で、茶碗のごはんは小盛りである。お代わり自由だが、ここは昔の様に豪快にどんぶりメシで食べたいところである。そういえば最近は総じてどの飲食店もまたコンビ二の弁当もご飯の盛りが少なく、還暦を越えた私のようなシニアでも「もっとメシが食べたい」と思うから、若い人はお代わりに大変だろう。それはさておき白いご飯によくなじむ熱いスープをフーフー言いながら口に運ぶと、唐辛子の効果でたちまち顔や首から汗が噴出してくるのがなんとも爽快である。「やっぱりナンバンは独特でうまいや」と一人ごちながら、丸の内のビルが次々と建て替えられる中、国際ビルと「福津留」のナンバンはいつまでも続いて欲しいと思った。

2015年7月23日 (木)

自動車船船内見学 M/V APHRODITE LEADER

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船乗りは陸上勤務をしていると潮気が恋しくなるとよく云う。船乗りではないが、(夏休みで毎日家にいるのも結構よいものだと前のブログで書いたものの )私にもジョギングや近所に行く以外ちょっとは外出、できれば夏なので海がみたいなどと云う気持ちが湧いてくる。そんな折、日本船主協会主催「海でつながるイベント」で、共催する日本郵船が運航する『 自動車船船内見学in TOKYO 』の見学チケットを船好きの妻がゲットしたので、先日は会場である晴海ふ頭の客船ターミナルへ二人で行ってきた。


商売がら、船にはしばしば訪船するから今さら他社の商船に行くのもちょっと億劫な気もしたが、普段はバラ積み船ばかりなので、たまには自動車船を見学してみるかと妻に付いて東京港へ向かったわけである。そう云えば自動車船に訪船するのは20数年ぶり、それも前回はアメリカに駐在していた時にたまたま日本人船長の乗った自動車船が寄港したので、みやげもの欲しさに船に行ったくらいだから、最新の巨大な自動車船の内部などは未知の分野である。


晴海の客船ターミナルに横付けされた”APHRODITE LEADER”号は2007年の建造、全長が200米、6000台も積める大型の自動車船でクルーはインド人や東南アジア人である。巨大なガレージにエンジンとブリッジがついた様なその異様なフォルムは、普段この岸壁で見慣れている7万トンクラスの客船より一層威圧感があるようだ。受付を終え車両が積みおろしされるランプウエイを通って船内に入ると、そこに広がる車両甲板は横須賀で見学した米国空母の艦載機格納デッキを彷彿とさせる広さである。


今回の見学で興味深かったのは、乗船した下層デッキからブリッジ直下の高層デッキまで往復するのを、手配されたクルマで移動できた事である。名人芸的なドライバーたちによる車両の積みおろしをニュース映画などで見るが、今回はその実際に僅かでも触れる事ができ、ドライバー視点から船内を見るという貴重な体験をさせてもらった。さっそく運転するドライバーに普段の荷役では何人のギャングを何組用意するのか、積み込みにどの位の時間がかかるのか、積み込んだ後はクルマで戻って次のクルマの荷役にかかるのかなど僅かな時間に質問攻めにしてしまった。


ブリッジでは本船のオフィサーの他、郵船から応援の船乗りたちが解説に忙しい。それによると自動車船は風袋が大きい割りに重さがないので、風の影響を受ける上に舵が効きにくくて操船が難しいとの事である。たしかに巨大ガレージの様な本船の排水量は2万トンで、同じくらいの長さの一般貨物船の半分ほどしかないから軽いわけである。クルーズ船の飛鳥Ⅱでさえ3万トンの排水量があるから、自動車船の中はガランドウの様なものだと云えよう。タイ人のチーフ・オフィサーと話すと各港では揚げ残しの車両があるかなどに神経を使う事とのコメントで、自動車船にもまた特有の仕事があるものだと気づかされた。その他、日本の輸出産業の最前線で働く自動車船は、車両を効率良く積むためにデッキの高さを変えられるなど様々な工夫がこらされているのに感心し、夏休みの社会科見学をした気分で下船したのだった。

クルマで船内を走るのは貴重な体験
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2015年7月21日 (火)

毎日が日曜日の予行演習

先週末から海の日の3連休を利用して夏休みを取得している。連続12日の比較的長い休みになったが、今回は特にクルーズや海外旅行などの大きな行事もないので毎日自宅でのんびり気分である。実は今の会社に入る前、飛鳥Ⅱのワールドクルーズの際にもその前後で数ヶ月ほどぶらぶらしていたので、自宅での時間の過ごし方は心得ているつもりだったが、やはり組織でそれなりに4年間サラリーマンとして働くうち、勤務グセがついてしまったかも知れず、実は何もない休みに心身が耐えられるのかチョット不安ではあった。


しかし実際に休みに入ると何のことはない、毎日いろいろな雑事で時間があっという間に過ぎていく。元来、ほっておくと休みはヒゲもそらずに寝巻きや下着で一日家の中をうろうしがちなところだが、この夏はあまりだらけたくない一心で、朝起きるとすぐお約束の血圧測定、それに会社がなくとも寝巻きを着替え、ひげも剃る事にした。なにしろ間もなくやってくる「毎日が日曜日」の予行演習の夏休みだから、一応それなりに規律を保とうと自覚をあらたにするのである。次に簡単な朝食を摂りながら、小学生の夏休みの様にその日の行動計画をたてるが、まあ予定の50%くらいできれば良いかと、欲張らない事が精神的に快適な生活を送るこつの様だ。


日課のジョギングは涼しくなった夕方に行うと決めた上、まず朝から恒例のズボンのプレスや洗濯物のアイロンがけ、靴磨きなどをし、休みに読もうと買っておいた本もチョロチョロとページをめくる。その他、何といっても懸案であったここ10年ほどのたまりにたまった各種の書類の整理が待っている。新卒以来永く勤めていた以前の会社の退職関係書類、幼稚園やら中学、高校などの同窓会の書類、父が亡くなる前後の諸手続き関連書類など、これまでの人生でたまりにたまったファイルの大整理である。さて10年見なかった物はこの先も一生見る事のないと割り切って捨てようか、いやこれらも思い出の品としてとっておこうかと一々迷うから作業を始めると時間が幾らあっても足りない。


先のブログでアップした一曲入魂のモーツアルト・ピアノソナタ(トルコ行進曲付き)も、1ヶ月練習してやっと第一変奏曲だけは通して弾ける様になった。まだまだ途中でつっかえる時があって、傍らで家事をしながら聞くともなく聞いている妻が、「あ、そこ間違えているよ」などとうるさい。ありがたい忠告ではあるものの、それに気をとられるとせっかくスムースに出来ていたパートまでが流れなくなるので、夏休み中はイヤホンをして音を出さずに練習したりする。それでもCDにすれば最初の約4分弱、あこがれのソナタのメロディを自分で奏でられるとあってついつい予想以上にピアノにむかってしまう。子供の頃はとにかくピアノの練習をサボりたく、夏休みはいつも親に無理やりピアノの前に座らされていた身も、人生後半ではまったく態度が変わるのだと何やらおかしな気分である。何もない休みもなかなか味わい深いものである。

2015年7月16日 (木)

町の中華料理屋

町の中にあるフツーの中華料理屋が次々と消え、その後には表通りに向かって大きな料理の写真メニューを掲げる中国人の店がオープンしたりする。でもそんな店ではなく、いい歳をした日本人のオヤジが一人で中華鍋をフっている『町の中華』がひどく懐かしくなってくるものだ。で、ひなびた中華の店を道の傍で見つけたり、「そういえばあそこに中華があったな」とふと古い店の事がアタマをよぎると、なるべくそこに行ってみる事にしている。という事で我が家から歩いて15分ほどの所にある大盛軒に妻と二人で夕食を摂りに行く事にした。地元で育った妻によると子供の頃からそこにお店はあったものの女性一人で入る勇気はなく、彼女にとっては存在を知ってから半世紀近くたっての初入店だそうだ。


「あれえ、今日はやっているのだろうか?」と訝るほど人の気配さえ感じぬ扉をおそるおそる開けると、店内では三人の初老のオヤジが酒を飲んでいて、皆がジロっと品定めの様に我々二人をにらむ。なにやら秘密クラブに迷い混んだか、はたまた来てはいけないところに踏み込んだのかととまどいつつ、「2人だけどいい?」とカウンターの向かうのオヤジに聞くと「どこでもどうぞ」とぶっきら棒な返事である。見ると店内の床は赤い擦り切れたカーペット、古びた化粧版を表面に張ったチープなテーブルが数脚、壁際の椅子は病院の待合室の様な黒い長椅子、それも人がよくすわるところのクッションが磨り減ってでこぼこしている。


場の雰囲気にいたたまれず壁に書かれたメニューを見る事もなく 「と、とにかくビ、ビール」 と注文すると、返って来た言葉は 「大瓶?中瓶?それとも小瓶?」!!。近頃はどこでも 「ビール」 と頼むと 「生ですか?」と聞かれるのに、ここでは生どころではなく予想外の大中小から選ぶビンのサイズで、これぞ「古き良き町の中華」かと少し緊張もとけてくるのである。「もちろん大瓶ね」と答えたところオヤジの次の言葉は「キリン?サッポロ?アサヒのどれ?」!!。飲料メーカーの系列に取り込まれ、出すビールの銘柄が決まっている店が多い中、昔ながらに客の都合でどのメーカーでも飲めるのは嬉しいもので、こちらも段々気分がノってくる。


ほどよく冷えたサッポロの大瓶の栓をあけると、突き出しは冷奴に続いてニラを巻いた玉子焼き。ここらでやっと心も落ち着いてきたので、あらためて壁に貼られたメニューを見ると、中華麺をはじめチャーハン、餃子などの定番からニラレバ、オムレツやカツカレーとお約束の料理が並んでいる。しかもその値段は40年前の物価かと云う安さで、さすが自分の家でオヤジ一人がやっていると、今でもこんな値段でできるのかと感激である。すっかり気分が良くなった我々はサッポロビールの大瓶をもう一本頼み、餃子に野菜炒めと注文するが、オヤジがあやつる中華鍋から次々繰り出される料理は、我々の舌に馴染んだ懐かしの味である。〆に私はサッポロ味噌ラーメンに妻はタンメンを堪能し、さて値段はとなると、何と3000円ほど!。昭和は遠くなりにけりだと思っていたが、残っているところにはあるものだ、と幸せな気持ちで帰路についたのだった。ただ常連客ばかりの店内では、記念の写真を撮影するのも何となく気恥ずかしい雰囲気ではあった。

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写真はランチ営業開店前の大盛軒

2015年7月15日 (水)

がんばれ安倍首相、「従属国家論」を読んで。

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以前にもブログに書いたが子供の頃、家の近所にGHQに勤める日系人の軍属が住んでおり、その家のシボレーで今は代々木公園となったワシントンハイツに何度か連れて行ってもらった。広大な敷地に外国映画の様な住宅が点在するハイツ内の商店(購買部)で買い物をしたが、フェンス外の泥んこだらけの東京とはまるで別の世界で、こんな場所が日本にもあるのかとびっくりしたものだ。そうかと思えば当時は駅や街頭に傷痍軍人がいて、彼らがハーモニカなど鳴らしながら町行く人に金銭を乞うているのは、子供心に何とも不思議な光景であった。考えてみれば私が小さかった頃は、大東亜戦争が終わってまだ間もない時代であり、戦後も70年経過した今回の安全保障法案のごたごたを見るにつけ、我々の「戦後」とは一体何であったのか、はたまた日本の平和は何に担保されているのかと云う事にあらためて関心が高まるのである。


新聞やテレビを見ていると今回の安全保障法案の議論の中で、我が国の「憲法」がやたらと強調されているのだが、そもそもアメリカ人がいっときの都合で、アメリカのために作った憲法に依拠して我々はこれからも生きていけるのだろうか。なかんずくその前文で述べられている「平和を愛する諸国民の信義と公正に信頼して我らの安全と生存を保持しようと決意した」という『理想』と、目の前のまったくそれに反する世界の『現実』を我々はどう解釈したらよいのだろうか。サヨクやリベラルと云われる人達ほど、我が国は国防にエネルギーをさくよりも、アメリカによってつくられた戦後体制や憲法に乗っていれば良いと思考停止しており、彼らのその矛盾するロジックをどう読み解いたらよいのだろうか。


『理想』を後生大事に守った挙句、覇権主義で膨張を続ける中国の共栄圏に入るくらいなら、少なくともアメリカの属国でいる方がまだましだとも思っている私ではあるが、今回読んだ京都大学名誉教授の佐伯啓思氏の新刊「従属国家論」(日米戦後史の欺瞞)PHP文庫はなかなか面白かった。経済や文明論を研究する佐伯氏は保守派の論客ながら、アメリカには批判的で、「 歴史を普遍的な自由・平等などの理念にいたる理性の展開と見るアメリカの歴史観 」とそれに追随する日本 がこの本で批判される。少なくとも米国の価値感は我が国の伝統と相容れぬものである事を佐伯氏は説き、それに染まってしまった今の日本に警鐘を鳴らしているのである。我が国の戦後の理念や戦後レジームと呼ばれる現象は、ポツダム宣言やサンフランシスコ講和条約、それに現憲法によって日本が米国に飼いならされた結果であり、米国の従属国家に我々がこのまま甘んじていて良いのかを著者は訴えている。


本書で佐伯氏は氏が考えるところの日本の現状に対して、明確な処方箋を提示していないが、一読してみるとわが国の戦後レジームの根っこには、アメリカの歴史観に従属する流れが強くある事は良く理解できる。その意味で、私はいま安倍首相が示している戦後レジームから脱却する姿勢に期待したいし、この度の安全保障法案の成立もその過程におけるまずは第一歩、とりかかりとしてこれに賛成の拍手を送りたい。中国の軍事的胎頭が避けられぬ今日、現実問題として日本はアメリカ側陣営により密接に関わりながらも、新法案によって「独立」した国家、「普通」の国に少しでも近づく事を望むものだ。安倍政権となって経済もまず好調に推移しているから、ここは安全保障の分野でも新しい時代を拓くべく、もう一汗を首相にはかいてもらいたい。「がんばれ安倍首相」

2015年7月 9日 (木)

人生の最高モテ期、か?

男兄弟しかいない家に生まれた私であるが、その昔、男子高校に入った入学式の朝、(当然の事ながら)廻りが男子ばかりである事にあらためて気づき愕然としたものだった。進んだ経済学部では女性がほとんどいなかったし、大学運動部も男子部員ばかりで当時は女子マネージャーなどはなかったから、青春時代は周囲に女っ気というものがおよそ感じられなかった。社会人となって入った業界も重厚長大産業で男性がメインの職場、補助職の女性は夕方5時になるとさっさと帰ってしまうので、彼女らと酒など酌み交わす機会は忘年会くらいだったろうか。振り向くと男に囲まれてきた人生であった。


ところが歳をとるにしたっがって一転、今度は廻りが女性ばっかりとなるから面白い。会社では総合職の女性が増えて、私の職場でも半数近くが女性になった。また妻の実家がもともと女系な上にその子供たちも女の子(姪っこ)ばかりとあって、親戚の集まりでは老若相まった女性に囲まれる。会社では最近のマラソンブームでランニングを愛好する女性が増え、いくつかのサークルから「監督」などと呼ばれてよく彼女らと一緒に走る昨今である。かつては 「 ストレッチだコンディショニングなどと云う時間があったらただ長く速く走っておれ 」 と教えられてきたから、およそ監督らしいことは出来ないが、そう呼ばれると悪い気はしない。また妻が私と一緒に走っているのを見て走り始めた義妹と、それに刺激されて走り始めた彼女の女子高時代の運動部の仲間などという繋がりもあり、私の周りにも女性の走る輪が広がっていくのである。


どうも女性は一人で走るより仲間を募りたい様だし、男性と較べると人から助言を求める傾向が強いのか、こんないい加減な「監督」でもお呼びがかかるのが嬉しいところではある。という事で先日、妻が4時間を切り、義妹やその仲間たちも一緒に走った今年の名古屋ウイメンズマラソン打ち上げ会に参加した。カジュアルなイタメシ屋で開かれた会は、義弟が遅れて駆けつけるまで女性ランナーたち8人に黒一点という思い切りのハーレム状態で、なでしこジャパンの佐々木監督は毎回こうして選手達と懇親するのだろうか、など想像しつつめったにない場面をひそかに喜んだのであった。きっと今こそがわが人生最高のモテ期に違いないが、いつの日か走るのを止めたらただの爺さんに戻ってしまうのだろうなあ、とその時のショックに耐えられるかどうかちょっと心配である。

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写真は2015年3月名古屋ウイメンズマラソンのスタート地点

2015年7月 6日 (月)

毎年恒例・大学体育会同期会

毎年この時期恒例になった大学体育会同期卒業者の会が銀座の交詢社で先週開かれた。卒業して40年以上経つのに、今年も体育会36部 (当時) 300名ほどの同期卒業生のうち、100名以上が集まったという事で、やはり運動部出身者の繋がりは固くてノリも良いようだ。一年に一度ずつ旧交を温めているため他の部の同期OBにも見慣れた顔が多いが、中には卒業以来初めて会う者もいて、お互い空白の歳月の来し方などで話が尽きない。


こうして毎年のように他の運動部のOBたちと交流していると、種目の垣根を越えてお互いに妙に打ち解けてくるものである。各部にまつわる内輪の話も出てくるし、中にはそれぞれの競技団体で今も役員や幹部を勤めている者もいて、代表選手の選考やら内紛話などスポーツ新聞には出ない事が漏れ聞こえてくる。ソッカー部の友人からはFC東京からドイツへ移籍して話題になっている武藤選手の話題、野球部の友人からはハンカチ斎藤祐ちゃん時の早慶戦のフィーバーぶりなどを聞いたが、話が盛り上がると時の過ぎるのもあっと云う間である。


一方でそろそろ我々の年代がOB会の中心となるべきところ、古き良き時代の大先輩OBばかりでどうも肩身が狭いと切り出すと、他の部の面々も同様とばかり頷いている。野球部の友人は、OB会より東京六大学リーグ六校の同期会の方が行き易いと話していたが、そういう横の繋がりがあるのは固定したリーグ戦を持つ競技の羨ましいところである。それにしても、自分のスポーツだけでなく他の部の現役学生選手達が活躍している事に興味を持ち最新ニュースを知っている者が多いのは、社中の協力を旨とする慶応義塾体育会の良さだと改めて感じたのだった。で、気分が良くなった私は競走部や庭球部の仲間たちと、久しぶりに銀座の飲み屋に二次会に繰り出して痛飲してしまった。

2015年7月 1日 (水)

ANA 737 背面飛行と我が愛車

大部屋の会社のデスクで居眠りもできないから、暇にまかせて職場近くの図書館で文芸春秋の最新号をパラパラと読んでいたら、ノンフィクション作家の柳田邦男氏による「ANA背面飛行の『恐怖』 内幕レポート」と云う記事が目にとまった。さきごろドイツの航空会社で機長がトイレに行って不在の間に、副操縦士が乗客を巻き添えに故意にジェット機を墜落させた事故があったばかりだが、この記事によるとANA機の恐怖のケースもドイツ機と同様に機長の不在時に起きたとの事で、これは何だっただろうと当時を思い出しながら興味深く読んでみた。


事件が起きたのは2011年9月、沖縄から羽田に向かうボーイング737-700型機で定員の120席に乗客112人(幼児1人含む)と乗員5人の計117人が搭乗していた。夜間飛行の午後11時前トイレから戻った機長を操縦室に入室させるため、副操縦士が操縦室ドアの鍵を内側から解錠するスイッチ「ドアロックセレクター」を操作しようとしたところ、誤ってラダーを左右に動かすスイッチ「ラダートリムコントロール」を操作したため機体が大きく傾いたと云う。事態を飲み込めずにあわてた副操縦士が正しい回復操作をしなかった事で、一時は機体が背面状態になって急降下したらしい。


原因を調査した国交省の運輸安全委員会の報告書では、「ドアロックセレクター」と「ラダートリムコントロール」のつまみの配置や形状が似ていること、副操縦士が以前乗っていた旧型機では両スイッチが逆の位置にあった事が誤操作につながった一つの原因だと指摘している。


この記事を読みながらふと思い出したのが、我が愛車のハザードスイッチの事である。本来あのスイッチは高速道路などで前方に事故などを発見した際に、後続車に注意を促す緊急事態用のスイッチだと思っていたが、最近は路肩に駐車する際に多くのクルマがハザードをランプを点灯させている。あれは正しいハザードの使い方なのかと常々疑問を抱いているが、あまり皆がやっているので私も駐車する際に時々使ってしまう。


先日、狭い道で同乗者を降ろそうとクルマを路肩に寄せた際、つい他車にならってハザードランプに手を伸ばした事があった。ところが我が愛車は丸いハザードスイッチのすぐ横にエンジンをON-OFFするイグニッションスイッチがあって、それを間違えて押したためにエンジンがぷっつんと止まってしまった。あわててエンジンを再始動しようとしたが、ダッシュボードの表示灯には誤操作を告げる表示が出てエンジンがかからない。後ろからはクルマが来るし焦るところだが、オートマのギアモードを前進からパーキングに戻してイグニッションを再度押したらようやくエンジンが動き始めてホッとしたのだった。


改めて車内を見渡してもこのハザードスイッチとイグニッションスイッチは、両方とも丸い押しボタンで場所も近くかつ色も似ておりつい間違いやすい配置に見える。ANAの背面飛行記事を読んで、車でも身近に同じ様な事があるもので、完璧に設計された乗り物などは世の中にそうない事を改めて認識した。こうして同型車を運転する粗忽なドライバーが、世界中でハザードとエンジンスイッチを押し間違えているのだろうか。それにつけても最近のクルマは電子装備満載でアナログ人間の私などは、スクリーンに表示される様々な表示に戸惑う事が多いし、エンジンも以前の様にキーで手動する方が間違いもおこさないのにと思ってしまう。  

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