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2015年4月

2015年4月28日 (火)

2011飛鳥Ⅱ世界一周クルーズ乗船記

妻が作っていた『飛鳥Ⅱ』2011世界一周クルーズの乗船記がようやく完成した。103日の航海を終えた2011年夏から構想を練り、同年冬に最初のパート(準備編)をアップしてから、3年半かかっての完成である。途中、寄港地編をまず完成させたのが昨年夏、以後、終日航海日編を鋭意アップしつつ、やっと出発地の日本に戻ってきたわけで、文筆家なら『遅筆』と罵られるところであろう。この後まとめ編を書くと言ってはいるが、とりあえず一区切りである。


理科系の妻はとにかく自分で納得するまで調べてからでないとアップしない。GPS衛星の電波を受け自分が移動した経路を記録するデジタル・ロガーを船内に持ち込む事から始まり、訪れた場所から船内の三度のご飯まで「お上りさんみたいで恥ずかしいから、あんまりこんな場所でパチパチとシャッターを押すなよ」と云いいたくなる様な場面でも記録をとっていたものである。その膨大なデータを元に、今度はネットや書籍で事実関係に照らし合わせながら、時には先人の飛鳥ワールドの記録を参考にしたりしつつ作成した大航海記であった。


とかく女性は欲張りと云うが、それにしても訪れた各国の名所旧跡の由来や料理・飲み物の説明はもとより、船舶の信号旗から世界の海で行き交う貨物船の船主や特徴まで調べる徹底ぶりで、それは何でも経験した事は細大漏らさず残しておきたいコレクター癖の発露だろうか。仕事柄「間違えたらまた後で直せば良い、ものごとは拙速を持って了とする」などと考えていた文科系の私とはちょっと異なる時間軸の長さと欲の深さである。


先日このクルーズで知り合った友人たちから、「100日余のクルーズの日々の出来事、何を食べてどういうイベントがあったか、忘れた事を思い出せるので見るのが楽しみ」と誉められて感激していた妻であった。確かに朝から夜まで日々紡いできた『日常』の船内生活をこれだけ網羅すれば、同じ航海をした乗船者には良き思い出となり、またこれから世界一周を考える人には新たな視点での情報になるかもしれない。船会社や旅行会社が提供する『クルーズの楽しみ』とは別に、船内の何と言うことのない『日常』に関する情報はあまりない様だから、妻の乗船記がどこかでいささかでも役に立つのなら嬉しいものである。

写真は究極の『日常』、どのガイドブックにもない散らかったキャビンの模様
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2015年4月24日 (金)

日本に絶望している人のための政治入門

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子供の頃からおっちょこちょいの性分であった。最近でも地下鉄の改札口にあるセンサーに会社の入館証カードをかざしたり(その反対で会社でスイカを出す事も良くある)、スーパーのレジでお金を支払った後、買った品物をビニール袋に詰め替えるのを忘れカゴのまま出て来たりと、突飛な行動をして我ながらあきれる事がある。その度にいよいよ認知症が始まったのかと危惧するのだが、最近また狼狽する事をやってしまった。


わが身は定年再就職の契約社員、仕事中あまりに暇な時には堂々と皆の前で居眠りをするわけにもいかず、そんな折には本屋に行ったり、図書館で各種月刊誌や週刊誌を読んだりして時間をつぶす。先日、いつも通り図書館に行くと何かの雑誌の書評欄に三浦瑠麗著 「日本に絶望している人のための政治入門」(文春新書)が面白いとあり、別に私は日本に絶望などしていないが、さっそく本屋に立ち寄り購読する事にした。著者は30台半ばの若い政治評論家ながら彼女のブログがなかなか評判だそうで、書評でも誉めていたのである。


ところが買って数章読み進むうち、「どうもどこかで聞いた様な内容だなあ」と感じ始めた。ふと居間のテーブルに目をやると、本屋のブックカバーがかかったまま読み捨ててあった新書があり、何だっただろうとカバーをめくるとアレレ、正に同じ「日本に絶望している人のための政治入門」ではないか。それも本のあちこちに赤線が引いてあったり、「ここ重要」などと自分の注釈が付してあったりでそれなりに真面目に読んだ形跡がある。


「あちゃー!」と思いつつ、裏表紙の発行日を見ると今年の2月20日とあるから、ここ一ヶ月くらいの間に読んだのは間違いない。その割にはうろ覚えで内容が記憶の底にしかないとは、金を出して買ったのに一体何を読んだのだろうかと慄然とする。「またやってしまったよ」と妻に言うと「ネットの本屋さんだと『お客様は2013年10月にこの本を注文しました』って出て来るから親切ヨ」などと笑っている。でもそれを知っているということは、彼女も同じ本を二冊買いそうになったと言うことに違いない。

2015年4月21日 (火)

ストロベリー・ディナービュッフェ

会社の若い女性たちが、さきの週末に「ストロベリー・ディナーブッフェ」を新宿のホテルで食べてきたと盛り上がっている。何でもアペタイザーやサラダ、肉・パンなどの普通のビュフェ(バイキング)に加え、生イチゴやショートケーキ、ストロベリーカップケーキなどイチゴの入った各種スイーツが取り放題になった人気コースなのだそうだ。さっそくネットでホテルのホームページを検索してみると、確かにこの季節限定のイチゴがテンコ盛りの写真を見る事ができる。


彼女たちによると 「イチゴが甘いので食べ過ぎてお腹が一杯だった」 との事だが、「 そういえばイチゴをつぶして砂糖をかけて食べる基本のデザートがないの?」とサイトを見ながら私が呟くと、一同 「はあ~?」 とばかりポカーンとしている。「え!?君たちイチゴをつぶして食べないの?」 とこちらが問えば 「そんなの食べた事ありませ~ん」 と驚きの返事である。考えてみれば、このごろのイチゴはえらく高いだけあってその分充分甘く、敢えてつぶして砂糖などかける必要がないらしい。


たしかに近所のスーパー店頭のイチゴも、最近は外見が立派なら値段も立派、一瞬 「あれ?ここは『千疋屋』だったっけ?」と錯覚してしまうほどである。日頃食べる果物なのだからそんなに偉そうでなくても結構、甘くなければつぶして砂糖をかければ充分で、買うのに躊躇する値段だけは勘弁してほしいと私などは思ってしまう。そういえば最近はイチゴに限らず食品がなべて洗練されているが、齢のせいか時々無性に子供の頃食べたフツーの野菜や果物を口にしたくなる。昔の堅くて甘くなかったトウモロコシに、醤油をまぶし香ばしく焼いた焼きモロコシの食感などが限りなく懐かしくなるのである。

もはや若者達は知らないイチゴスプーン
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2015年4月17日 (金)

血圧

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毎年、会社の健康診断を受けると血圧が高めで、経過観察だの再検診だのと結果が来る。巷に溢れる健康本の一部には、血圧も上が150位まではほっておけ、と書かれているが、昨年も会社の医務室からは容赦なく再検診をしろと通知が来てしまった。短気な上に60歳を過ぎ、ただでさえ血圧が高めになりがちなところに、気が弱い性格も相俟って検診や病院で白衣を見ると血圧が上がる事は幾度かアップしたとおりである。医務室の呼び出しに内心「うるせーな」と思っても、絶対に無視を決め込むほどの勇気がないのが我ながら情けない。


という事で、今年になって思い切って専門の先生を訪ねてみる事にした。たまたま妻が1月早々にインフルエンザで行った近所の先生が慶応出の循環器内科と知り、私の事を話してもらうと、まずしばらくの間、朝食前と夕食前の決まった時間に血圧を測ってから来て下さいと言う。記録と云えば何十年も走ってきて練習日誌をつける事はお手のものだから、さっそく枕元と居間にそれぞれ血圧計を置き、酔っ払って帰って来た日以外は律儀に3ヶ月間血圧を計ってきた。


ところがこの血圧というシロモノ、ちょっとした事で上下して「さあ測るぞ」と意気込むと、とたんに緊張し通常60の脈が80にも上がり、上が150・下が100などと表示が出てしまう。自分の行為に自分で緊張するとは、まさに自縄自縛という事で何とも情けないものだ。仕方がないからしばらく目をつむってソファの上でリラックスし深呼吸を繰り返すと、1回計測するごとに表示が下がっていき、3~4回目あたりで脈も60台、血圧も正常と言われる範囲に近づくのである。理性と違い、自分でほとんどコントロール出来ない感情に左右される血圧とはまことに厄介なものである。


などと苦労しながら3ヶ月、そろそろ診察に行こうかと覚悟を決め昨日循環器医院のドアをくぐった。もちろん医者に行く前には「白衣を前に測定したらさらに高くなる決まっているから、薬を呑まされるのは必至」とか「だからと言って逃げるのもだらしないし」などと血圧一つでまさにキヨミズ状態なのは自分でも滑稽である。案の定、先生の前で腕帯を巻いて計ってみると初回は高かったものの、2回目はそこそこに下がり、この3ヶ月の涙の記録や健康診断のデータ、聴診・問診などを経て「コレステロール値も高いので、将来的には薬が必要となると思うが、今日からという数値ではありません」とのご宣託であった。


一方ここ2~3週間「一体いつになったら病院に行くの」とニヤニヤしながらせっついていた妻は、「あら、薬はのまないの?」と何だか物足らないような様子。その上 「塩分控えめ、魚中心でコレステロール値を下げる食生活をと先生に言われたよ、肉がとても好きな君には悪いけど・・・」 」と伝えたらガックリ、「そんなこと知らない方が幸せだった、あんまり病院に行けと言うんじゃなかったかも。お肉あまりだせないのかあ 」と今晩の献立から魚中心メニューに頭を悩ませているのである。

”さがれよと・念ずるほどに・また上がる・血圧計の・表示せつなく”    

<過去の投稿>
人間ドック・原発・脱亜論と最近考える事(2014年4月22日)
血圧は気から(2010年6月18日)
恒例・人間ドック(2010年4月29日)
のみの心臓(2008年10月 9日)

2015年4月13日 (月)

景品応募癖

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妻の景品応募が止まらない。ときどき台所の片隅でこちょこちょとシールなどを集めているので、「また応募かい?何をやってるのかわからないけどご苦労な事だね」と冷やかしていると、ほどなくビール会社から大仰な包装紙に包まれた景品が送られてくる。かつての景品といえば”グリコのおまけ”の類いで、まるでチープなものがほとんどだったが、今やメーカーから送られてくる景品は、包装に劣らずその中身もお金を出して買いたくなる様なモノが多い。


妻はそのたびに「この間集めていたシールがこれになったの。一般には市販しないけどキャンペーンに応募した人だけが貰える限定醸造なんだって!」と自慢げである。応募するにはちょっとした手間ひまが要るものの、その為に余計なお金は一切使っていない(ハガキの郵送料ぐらいか)から、景品とはその企業の利益を、ホンの僅かな労力で少し余分にこちらに回してもらえる物とも言えよう。もっとも応募シール集めのため、我が家では同じビールの味が続く時もあるが、それにもまして”おまけ”が来るかと思うと、まさに”一粒(缶)で二度おいしい”と考える事にしている。


妻は「今は専業主婦で何も稼いでないから、手間がかかっても使えるものは大いに利用する」と言っており、地元のスーパーで月に一度貰える「会員限定5%割引クーポン」をいつ使うか常に虎視耽々と狙っている。缶ビールを箱買いする時には必ずこのクーポンを使うと決めていて、その日は私にクルマを運転させてスーパーの駐車場まで行き、ケースでビールを2~3箱まとめ買いするのである。ついでに生鮮食料品はもちろん在庫の少なくなった調味料などを大量に購入し「今日の割引額はランチ1回分♪」と実に嬉しそうな顔をしている。もっとも重い箱入りのビールケースをクルマから出し、幾つも抱えてマンションのエレベーターを難儀して上り下りするのは私なのである。

”キリン一番搾り”で貰った ”一番搾り製法 こだわり体験キットプレゼントキャンペーン” の景品ビールセット
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2015年4月12日 (日)

球春

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レフトの後ろにいつも見えた国立競技場がないのは寂しい

球春である。球春と云えばセンバツ甲子園やプロ野球となるが、私にとっては毎年四月の第2週より始まる東京六大学野球リーグ観戦である。という事で寒さも残る昨日は、開幕カードの明治-東大戦と慶応-法政戦に神宮球場に足を運んだ。通いなれた球場の内野席に腰をおろすと、いつもレフト側外野席の向こうにあった国立競技場が建て替えでなくなり、上空の一角がポカッーと気の抜けたような空間になっている。代わってレフトの向こうには新宿富久町の新しい高層ビルが見えるし、ネット裏2階席の鉄傘もいつの間にか白い樹脂製になっていて、ここ神宮球場にも時代の波が押し寄せている事を感じる。ただ相当な費用を費やしたであろうネット裏の真新しい白い屋根を見ると、2020年以降に神宮球場を建て替えるという東京都の発表は、本当に球場側の合意を得ているのであろうかと心配になるのである。


昨日たまたま座った席は、後ろに40歳台と思われる慶応野球部のOBが大勢陣取っての応援で、試合に出ている選手の内輪話や最近の野球部の事など様々な解説がよく聞こえて来る。耳は後ろの声にダンボのまま眼を前に転じると、丁寧にスコアブックをつける”通”らしき老人、その前には神宮で53回無失点・5試合連続完封など数々の大記録を達成した慶応の元エース・志村亨氏がさりげなく座っている。こういう玄人っぽい雰囲気があたりに漂っているのを感じるのも、神宮球場で六大学野球を観戦する楽しみの一つである。かと思うと選手のガールフレンドらしい若い女性が祈る様に試合の展開をみつめていたり、下級生の部員が学生服姿できびきびと用務をこなしたりと、いつの時代でも変わらぬ光景と両校の応援合戦がわが心を故郷にいるかの如く落ち着かせてくれる。


今年から慶応の監督に就任した大久保氏は同じ桐蔭学園出身の志村投手の少し後輩にあたるが、ノンプロの日石やプロ野球を経て、ふたたびKEIOのユニフォームで神宮に出るのは何十年ぶりか。そういえば最近は第一試合開始が午前11時なので暗くなってからの試合は少ないのに、この日は雨の影響で昔の様に第一試合の開始が午後一時となり、二試合目の慶-法戦は暮れなずむ中で行われた。薄暮にかすむ球場で指揮をとるなつかしい大久保監督の姿を見ていると、何やらこちらも若き日の80年代にタイムスリップしたような不思議な気がするのである。慶-法戦といえば昭和46年(1971年)春の慶応・池田選手(習志野)の劇的なホームランや平成10年(1998年)の法政・根鈴選手(新宿山吹)の代打逆転サヨナラホームランなど幾多の名場面が脳裏に蘇ってくるが、母校慶応の応援もさる事ながら、孫に近い両校選手たちの一途なプレーぶりに敵味方なく拍手を送りたくなるものである。

鉄傘に代わる新しい屋根
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2015年4月 2日 (木)

神宮球場建て替え

東京オリンピックを契機に明治神宮野球場を建て替える計画が発表された。2020年頃からまず隣接の秩父宮ラグビー場を壊してここに新しい球場を造り、そのあとに新ラグビー場を現神宮球場の跡に建設する計画だという。学生野球を行うだけならまだしも、狭い上に古式蒼然たる神宮球場で高い料金をとってプロ野球を見せるのは日頃からいかがなものかと感じていたから、この発表を聞いてやっとその時代が来たか、さもありなんと思うのである。


もっとも50年以上通い続けた神宮球場は私にとって第二の故郷の様なもので、ここでの思い出は山ほどあり、新球場建設の発表に一抹の寂しさを覚えるのも事実である。神宮球場は大正15年に開場したそうで、私も昭和30年代の中ごろから父親に連れられて頻繁に学生野球の見物に来たものだ。さすがに立教の長島・杉浦の時代こそ知らないが早稲田の八木沢・荒川、法政は山中・田淵の時代や下って怪物・江川、慶応の高橋由伸、明治だと高田などなど、自分のやった陸上競技よりスラスラと神宮で活躍した選手の名前が口をついて出てくる。


かつて父親に連れられ来た頃は、早慶戦だけでなく他の学校の試合でも多くの学生や観客が観戦に訪れ、テレビの中継もあって球場は賑わっていたものだ。ナイター設備が整ってからは六大学野球を2試合見てから券を買い直し、プロ野球の試合までまる一日、3試合の野球を楽しんだ事もよくあった。そういえばスタンド下の長い回廊は、服飾雑誌の撮影にも使われるほど風情があるので、新しい球場になったらモニュメントとして移設して欲しいとも思う。ただラグビーの関係者や神宮球場の優先使用権をもつ東京六大学野球の関係者は、これら発表された建て替え案ですべて合意したのかいささか気にかかる。

スタンド下の回廊は新球場のモニュメントとして一部を記念移設してもらいたい
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