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2015年3月31日 (火)

我にものいう桜木を

この季節、テレビニュースを見ていると「 桜の花を見ていると日本人でよかったと思った」との花見客のコメントが画面から流れてくる。私も桜の花がここぞと咲き誇っているのを見て「ああ、よくぞ日本に生まれけり」という思いが胸に湧きおこってくる。桜の花は日本の春の象徴であるとともに、この季節に行われる卒業式や入学式などの記憶と相俟って人々の心を動かすのだろうか。その散り際があっけないのも、日本人の生きざまを示すようで何やら美学的である。という事で今年も千鳥が淵や江戸川橋など都内あちこちに桜の見物に行ってみた。どこも朝から多くの花見客で賑わっているし、コンバーチブルの屋根を開け桜並木の下をゆっくり流すイキなクルマがちらほら走っているのも東京ならではか。


そう云えば韓国の人たちは、例によってソメイヨシノもまた自分たちが起源だと言っているそうだが、それはお笑いとして、たしかに10年ほど前ソウルの漢江で見事な桜並木を取引先の人々と見た記憶がある。ただ当時ソウルではあたり一帯をライトアップする事もなくごく質素な花見で、日本の様に皆で酒を飲みどんちゃんと賑やかに遊ぶのとはかなり風情が違っていた。落語の「長屋の花見」ではないが、皆で花見酒をのんで春の到来を楽しむというのは、我が固有の文化だと云えよう。もっとも都内あちこちの花見の宴をのぞくと、最近は日本人に混じって西欧系やラテン系など肌の色の違う人達も多く参加しており、花見も随分と国際的になったものである。


昨日は会社の昼休みに墨堤まで歩いて行き、「 春のうららの隅田川」 を口ずさみながら一人コンビ二弁当を食べた。堤に咲く桜の見事な幹や枝ぶりを見ていると、いつも浮かぶのが武井羽衣の歌詞 「見ずやあけぼの露あびて われにもの言う桜木を 見ずやゆうぐれ手をのべて われさしまねく青柳を 」と言うくだりである。私はこれまで作詞者は 「見ず」と 「水」をかけた上、桜の木の「 ものを言わす 」 (その効果を充分に発揮させる。『腕力にー。』:広辞苑) ような勢いと、柳の 「さしまねく」 かの如き枝ぶりを対比させたのだとばかり思っていたが、最近改めて調べると 「われにもの言う」 は何と 「私に話しかけるような」 桜の木を指しているとの解説があって驚いた。「話しかける」 のではちょっとひねりがなさ過ぎる気もするが、私の解釈は「うさぎ、美味しかの山」の類にも思えて判らなくなってきた。


春のうららの隅田川
20150330


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