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2015年2月

2015年2月27日 (金)

本当に右傾化?

なぜか妻が外出している時に限って読売新聞の集金が来る。ちょっと前まで中国人のアルバイトだったが、最近は日本人の年配の男性が担当になったので「このごろ読売新聞どうですか?購読者は減っているの?」と尋ねると、彼は「あの朝日新聞の誤報記事があった頃に、かなり沢山の方が朝日を止めて読売にするとこちらに来て下さいました」と控えめながら嬉しそうに言う。「それは結構ですねえ、やはり読売や産経が売れなければ日本は駄目ですよ」と激励したものの、私が調子にのって産経新聞にまで言及した為か、この人はどう反応してよいのかと云う顔でそそくさと玄関のドアをしめて去っていった。


「押し紙」などというものがあって各新聞の発行部数は購読者数と違うというが、関係の協会のデータでは各紙の販売部数が大きく減っているらしい。特に朝日新聞は昨年夏以降の誤報問題とその対処が批判を浴びて、減少した割合が一段と大きいと云われている。まあ当然の事であろう。その朝日新聞で慰安婦問題の『誤報』を執筆した記者が、これを批判した学者や評論家を名誉毀損で訴えると云うのには思わず笑ってしまった。この記者の家族にまで危害を加えるという多くの脅しがあるため裁判に訴えるそうだが、紙面上の(いわれる)名誉毀損問題と匿名の脅迫行為がどう関連するのだろうか。批判記事と卑劣な行為には直接の関係はなく、むしろ論評記事の執筆者を裁判にかけると脅す事こそ「言論の自由」の自殺行為にならないか。


関連性というならば彼の書いた誤った記事が国際関係に与えた影響の方がはるかに大きかったと私は思っている。また新聞記者はペンの力によって記事の陰で人を泣かす事もままあるだろうが、ひとたびそのペンでおこした行為の責任が自分にかえってくると、ただちに彼らが大嫌いなはずの「国家権力」に加護を求めるのも如何なものだろうか? 記者の家族を脅すような行為は決して許される事ではないものの、ここはやはり多くの識者の言うとおり言論人なら裁判などに訴えず、堂々とペンの力で相手を説き伏せた方がはるかにいさぎよい。


さて最近よく「ネトウヨ」が騒いで「日本は右傾化している」と言う向きがあるが、これは大きな認識の間違いなのではないだろうか。なにしろ今はネットの動画などで国会中継をはじめ各種委員会のやり取りがノーカットで流される時代となった。これまでの様にメディアが映像を切り貼りして世論を誘導しようとしても、それが出来なくなったのである。またメディアが「従軍慰安婦」だの「南京大虐殺」だのとキャンペーンを張っても、それに反する文章や資料が次々とネットで開陳され衆人の目に触れる事となった。自虐史観が間違いとわかり従来言われてきた事がおかしいと皆が気づき始めたのだろうが、これは右傾化ではなく、マスコミによって左に誘導されていたのが、ようやく真ん中に戻ってきたというべきであろう。

2015年2月23日 (月)

東京マラソン2015 「マラソンには魔物が棲む」か?

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Fブロックのスタート地点

で、東京マラソンである。レース前日に有明のビッグサイトでナンバーカードやIDチップを貰ってきた妻は、並んだ列の中で知らない出場者同士が「 マラソンは人生ですよね 」「 そうですねえ~!正にマラソンは人生そのものですよ」と話が盛り上がっているのを聞き、「 それってどう思う?」と私に問う。いつも通り「 なに言っているんだ、マラソンはマラソンさ。人生とは何も関係ないよ」と私の皮相な答えに、「 そうよね!よくマラソンとか野球は人生だ、と叫んでいる人がいるけど、しょせんスポーツはスポーツだよね~ 」などと妙に納得して当日はレースに出かけていった。


レース前半、例のマトリックス表に従って12キロと19キロ地点である御成門で家族や親戚の出場者を応援していると、妻は予定時間よりも早く足取りも軽やかに通過していく。これなら今日の目標4時間切りは間違いないと確信しながら、終盤は38キロの豊洲駅近くで大河の様に押し寄せるランナーの中から妻をみつけようと待っていた。ところが好事魔多し、豊洲では通過予定時間を過ぎてもなかなか走ってこない。ふと気がつくと携帯にさきほど妻からの着信記録があり「これは途中で何か思わぬアクシデントでもあったのか?」と焦ってコールバックするも電話の向こうからは応答がない。


じりじり待つうち、ようやく妻は予定よりかなり遅れ重い足取りで走ってくると、「足が途中でつって走れなかった」と苦痛にゆがんだ顔でうったえる。それでも「 なんとかゴールまでは行けるから」とやっとの事でゴールしたのだが、後から聞くと25キロくらいから足がつり始め、30キロから35キロにかけての花道・銀座通りでは歩いたりストレッチをしたりの繰り返しだったそうだ。沿道びっしりで熱烈な応援の東京マラソンも、買い物や観光客中心の銀座は皆が静かに観戦するので 「 心配そうに見守られる中、他のランナーの邪魔にならないよう歩道の脇を歩くのは辛かった」とほうほうの体で、予定より10分も遅くゴールにたどりついたのである。『魔の30キロ、地獄の35キロ』とは実に言いえて妙である。


これに反して「 今年に入って走ったのは3回だけ」と豪語していた妻の妹が、予定より20分早い大幅な自己新で、わずか後に涼しい顔でゴールしたのには驚いた。遺伝的に二人はあまり違わないだろうから、かなり真面目に練習していた姉が大きく遅れ、ほとんど練習していない妹が躍進となると、よく言われる「練習は嘘をつかない」という教えもここでは通用しないのか。こうしてみると『マラソンは人生・・・』、ではないが、少なくとも『マラソンには魔物が棲む』とは言えると、改めて42.195キロという距離の怖さや面白さを感じたのだった。こうなれば妻には無謀にも2週間後に出る”名古屋ウイメンズマラソン”で、今度こそ4時間を切ってリベンジを果たして欲しいものだ。そうなれば『マラソンはドラマ・・・』になるかもしれない。

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ゴール後の荷物受取場

2015年2月19日 (木)

東京マラソン2015

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この季節の恒例、東京マラソンが週末に迫ってきた。2009年に妻が人生初めてのフルマラソンに挑戦したのが東京マラソンである。以来、義理の妹夫婦たちや私自身も含め、昨年を除いて毎年身内の誰かが出場してきたので、今の時期レースが近づくに連れ、走る者も応援する者も次第にお祭り気分で盛り上がってくる。このところ東京マラソンの人気も高まり、参加するための抽選も異常に高倍率になっているが、今年もラッキーな事に我が妻と義妹夫婦など身内の何人かが東京に出場する事ができた。今週末は天気も悪くないようだし、応援する側も親戚やら友人やら多数が都内沿道に繰り出す予定である。


どうせ応援するなら皆が揃ってワイワイやる方が気勢が上るし、応援場所を決めておけば走っているランナーもこちらを見つけ易いだろうと、今年もランナーの通過時刻を基に応援団の集合場所を都内数箇所に決める事にした。ただ応援されるランナーは3時間を切ろうかと言う者から目標4時間半までタイムもばらけているから、レースの序盤はまだしも後半になると先頭からしんがりまで通過するのにけっこう時間がかかる。最後を見て次のポイントに行った時には、応援するランナー達がほとんど行ってしまった後、などという事もしばしばおこるので、移動の地下鉄路線図を頭に、幾つかの応援ポイントを決めるのもけっこう大変だ。


という事で効率よい応援のために、毎年恒例のエクセルによるマトリックス表が必要となる。各ランナーの予想通過時間をもとに、先ずは先頭から後ろまで全員を応援して、次のポイントに移動すれば何時になるか、途中どこで小グループに分かれて速いランナーと後ろを分散して応援するか、などの行動予定表を毎年作るのはかつて銀行でシステム開発に携わった妻の役目である。「今年は走る側になったのに、なぜ私が作らなきゃならないの?」と妻はブツブツ言っていたが、恒例のマトリックスがないと東京マラソンの気分にならないと、なだめて出来たのが下の表である。


これを応援に来る者に渡しておくのはもちろん、走る側もどこに応援がいるのかを頭に刻んでもらえば、皆でレースを楽しめるというものだ。ただ当日は何万人ものランナーに何十万人の沿道の応援とあって、まずは応援者もお互い仲間を見つけるに一苦労なら、ランナーの方は電車じゃないから時間通りに来ないというハプニングもおこる。すべては”予定は未定”で、臨機応変な対応が必要となるが、それもお祭りの内である。今のところレースの日の天気予報は曇りで気温12度、絶好のマラソン日和が予想される中、4時間を切ろうという妻は急に「全然自信がない」などと珍しく弱気の発言になってきた。彼女には悪いが、こちらは年に一度の東京のお祭りを皆で楽しもうという気分である。

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2015年2月16日 (月)

健康本を前にして

ガンは「早期発見がベスト」と云われていたかと思ったら、最近は近藤誠氏の「ガンは何もしないのがベスト」と説く説が大ハヤリの様だ。かと思うと「人は年齢に従って血圧が上がるものだから、高血圧は150までは何もしなくて良い」という新書が本屋の書棚を飾る一方、「家庭で計った血圧は135以上になったら薬を飲むべし」と血圧を気にする私を「おいおい、どっちなんだい?」と惑わす様な本も多い。その他本屋に行けば「これを注意すれば医者いらず」だの「これさえやれば病気にならない」など一点集中、まあ眉唾ものの医学もどきの本が山ほど積まれていて、気の弱い私などはこれらの高説・珍説に大いに惑わされてしまうのである。


こんな諸説紛々の中で本当に「健康に良い事」はどうやらタバコは吸わない、酒はほどほどに、太らない程度に栄養は充分に摂り、有酸素運動を継続してと云うあたりが最大公約数になるようである。ただ我が身を顧みるとタバコは吸わない一方で酒は”ほどほど”よりホンのちょっと多いし、食い意地がはっているのか同年代より食べる量もたしかに多い様だ。さて肝心の有酸素運動となると多くの解説書が歩く事を薦める一方で、ジョギングなど強い運動は効果がないばかりか有害であるとさえ謳っている。たしかに日頃から運動習慣がない人がいきなり走リ出せば弊害も出てくるかと思うが、あまりどの本にも走る事は良くないと書かれると永年のランナーとしてあまり気分の良いものではない。


今日も閑にまかせてブラブラと本屋でこれらの健康本を立ち読みをしていたら、走る事が良くない理由が多々ある一つに「人間の心拍数は生涯で決まっているから走って脈拍を上げるのは寿命を早く尽くす事になる」という珍妙な解説があって思わず目が点になってしまった。そこで念のため永く走っている私は人よりどのくらい脈を多く打ってきたのか、人間(哺乳類)の心拍数は一生涯で20数億回ほどとあるから我が影響度を計算してみた。それによると普段は1分間で60くらいの私の脈は走っている間は120くらいになり、毎日1時間ほど走って50年たったから、この間の余分な心拍は最大で(120-60)/分X60(分)X365(日)X50(年)=6千570万回となった。


私の様にこれだけ走っていても、6千5百万÷20億=0.03すなわち一生の心拍数にして3%ほどの影響なら、健康に対しては遺伝要因のほか栄養や環境、ストレスや食習慣など他の事がもっと大きな要素になる事は違いない。また走らない事による心肺機能や筋力のマイナスを差し引けば、少なくとも心拍数の面からは「ジョギングが体に良くない」とは到底云えないだろう。という事でこの本の述べる事は無視する事にしたのだが、健康に関心があれども確かめる術が乏しいのが我ら普通人である。牽強付会の極端な説や特定の食品・サプリなどより、まあ大体の医者の言う事と、何より自分が健康で気持ち良いと感じる事が大切かと本屋の健康本を前に佇むのである。

2015年2月15日 (日)

「”KANO”1931海の向こうの甲子園」を見て

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野球という競技は独特の「間」を持っているから、数あるスポーツの中でもドラマ仕立てになりやすいようだ。という事で私も 「フィールド・オブ・ドリームス」や 「オールド・ルーキー」など野球をテーマにした映画をよく見る。最近話題の野球映画といえば、台湾が日本統治下だった戦前、島の南西部にあった嘉義農林(かの)高校が甲子園に初出場、準優勝したと云う実話をもとにした台湾製の 「KANO」である 。この映画では当事珍しかった台湾先住民や漢人と日本人の混成チーム、嘉義農林の活躍を再現するとともに、日本が台湾の発展に大いに貢献した事を台湾側が描いていると云う事で週末は映画館に足を運んでみた。


さてスポーツの映画、なかんずく野球ものでは俳優のプレーが下手くそだとひどく白けてしまうのだが、KANOの出演者は皆が野球の経験者とあって、画面で躍動する選手のプレーぶりがとても板についている。特にエースの呉明捷選手を演ずる曹佑寧(ツアオ・ヨウニン)はジュニアの世界野球選手権に台湾代表で出たほどの本格派で、昔の写真で見る実際の呉選手の風貌にそっくりな上、大きくワインドアップする投法がとてもサマになっていた。ネタばれになるので控えるが甲子園大会の決勝を描いたクライマックスはほぼ史実に則しているし、戦前は京城(ソウル)や大連の中学が甲子園に出場していた事などを含め、改めて台湾の映画から往時の植民地の実相を知る事ができるのである。


この映画は当時の日本の台湾統治を肯定的にとらえており、よく外国の映画などに出てくる典型的な根性主義丸出しの狡い日本軍の下士官の様な人物が出てこない。そのため中国本土では「KANO」はまったく評価されない一方、台湾では大ヒットになったとの事で、旧日本の植民地支配の功の面をきちんと評価している数少ない外国映画と云える。ただ3時間以上のストーリーは各種エピソードを盛り込みすぎてやや冗長、また「台湾先住民や漢人に野球がわかるか」とバカにしていた新聞記者が、最後に甲子園での嘉義農林のプレーに接し「違う人種が同じ目的のために努力するのが感動的だ」と発言するのは私にはちょっと”クサ”すぎた。ここはセリフではなく、それとなく映像などで暗示してくれた方がより感動的になるのではと、せっかくの良い映画なのにいささか残念に思った。

2015年2月 9日 (月)

「おおすみ」事故報告書公表

昨年1月、広島県沖で海上自衛隊の輸送艦 「おおすみ」 と釣り船が衝突した事故で、国の運輸安全委員会の調査報告書がこのほど出されたのでさっそく全文を読んでみた。それによると釣り船が事故直前に進路を変更し、「おおすみ」 に接近した事が原因と報告書に記載されている。この件について事故当時このブログで2度にわたり自衛艦に原因があるかに報道したメディアはおかしいと指摘したが、やはりというべきか当然というべきか、調査報告書では事故の原因が釣り船にあったとされたのである。( 自衛艦については早い段階での減速、より大幅な減速を行うなどしていれば、事故を回避できた『可能性』があると調査報告書は指摘している。)


当時、新聞やメディアの報道に接して違和感を覚えたのは、海上衝突予防法によって相手船を右舷に見る船の側に避航義務があるから、「おおすみ」の左舷に釣り船がぶつかっている(すなわち釣り船の右舷がおおすみに当たっている)なら、まず釣り船側に主因があると疑えるのではないか、という事であった。もちろん船舶の輻輳する海域や狭水道などでは様々な要因が絡む場合があるものの、どうも今回の事故ではそういう要素が少なそうだから、まあ 『普通』 の感覚の持ち主なら釣り船側に操船のミスがあったのではないかと疑ってよいはずだ。


それが当時のメディアとくると、テレビ朝日の古館キャスターやコメンテーターなど多くが 「大きな船が見張りをしっかりしていないから事故に至ったのでは」 とまったく根拠のない憶測報道をしていたものだ。なかには 「おおすみ」 が事故直前に左舷に大廻頭をしたかの如く妄想図を描いてみせたテレビニュースや新聞もあったが、こういう人達の意見も今日の報告書で吹き飛んでしまったわけである。そんなメディア人間たちが頭を丸めずに、今日もしたり顔でデタラメな解説を垂れ流しているのかと思うとなんだか恐ろしい気がしてくる。今回の報告書では、釣り船の船長は船の同乗者にライフジャケットをつけさせなかった上、「おおすみ」の早くからの五度に亘る注意の汽笛にも 「心ここにあらず」 という感じで反応していない様にみえるのである。


さて今日の発表の後、ここに至っても朝日新聞(デジタル版)では 「釣り船乗船員、報告に憤り」 と事故調査委員会の報告を暗に批難しているが、彼らは目撃者の証言も取り入れた客観的な調査よりも感情を優先した方がニュースになるとでも思っているのだろうか。1月の冷たい海で亡くなった釣り船の乗船者には謹んで哀悼の意を表するし、自衛隊の様な国家権力を監視するというのがメディアの役目だとしても、妄想や思い込みから報道がつくられるのではいわゆる『慰安婦』問題と何ら変わる事がない。そろそろ 「自衛隊と民間の事故」→「自衛隊が悪」というステレオタイプの報道をやめにして、これを機に小型船や漁船の操船不注意による事故や、その防止策を論ずる事こそメディアの役目ではなかろうか。

昨年の記事
四半世紀ぶりの電話(2014年1月16日)
「おおすみ」事故の報道(2014年1月17日)

当時メディアが作成した妄想図
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2015年2月 5日 (木)

第13回新宿ハーフマラソンの結果発表

国立競技場の建て替えで今年は会場が神宮球場に代わった新宿シティーハーフマラソンは、コース表示の不備や係り員の不慣れにより、かなり多数のランナーが周回数を間違えてゴールしたり、余分に走らされたりと大変だったのは先にアップしたとおりである。この混乱のためハーフマラソンは結果の判定に手間取っていたようだが、大会より10日ほど経って先ごろやっと正式な記録が主催者から発表された。


それによると私は 「60歳以上の部」 で昨年とあまり変らず上位に入賞でき、いずれ本部から賞状が送られてくる事になりそうでまずは良かったという処である。ただ男女合わせて4千数百名走ったすべての年代のランナーでみると順番は上から10%ほどで、男子のみだと12%くらいの位置となっている。考えてみれば50歳代の時分はどんな大きな大会でも上位5~7%くらいでゴールできたので、最近の順位低下はやはり加齢によるものかと現実の厳しさに気づかされるのである。半世紀近く走っていても、元気な若者にかなわないのが体力勝負の世界のようだ。


もっとも若い頃はいくら走っても上には上がいて優勝や入賞メダルにはほど遠かったのが、60歳台になると途端に年齢別の部でグンと相対順位が上がるのはやはり嬉しい。今わが家にある賞状やメダルのほとんどが、ここ数年 「60歳代の部」 で獲得したもので、 「継続は力なり」 もちょっと実感するのだ。ただ年齢のくくりについていえば、『70歳代の部』などがある大会はまずないから、今のうちに貰えるものを貰っておかないと、今後体力が衰えるに連れて死ぬまで何もなしという事になりかねない。そのうち元気な高齢者がうんと増加して 『後期高齢者の部』 が設定されたらその時はチャンス再来かなどと、はかない望みを抱いたりするのである。


今回、一緒に走った妻は男女総ランナー中で上位28%ほど、女子全体の中では10%、年代別(50歳代)でも上位の10%に食い込んで健闘した。妻は年齢も結構はなれているし、なにせ今は専業主婦で好きな時に時間がとれるので毎月250キロ以上走っている。最近、我が家で文句なく私が威張っていられるのは走る事に関する話題の時だけなのに、早晩記録や順位が逆転する時が来るかもしれないと思うと、正直に言って心中穏やかではないのは事実である。願わくはその日がなるべく遅い事を願うのみだ。

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2015年2月 3日 (火)

ジャーナリストだけは特別なのか?

いつもひねくれた意見を云うのも嫌なので黙っていようと思っていたが、このところメディアのISILの人質交渉に関する報道にはひどく違和感を感じていた。テロリストの犠牲になった後藤さんは、何度も渡航を中止する政府の勧告を無視して中東に渡った事が伝えられている。彼は自らの意志で極めて危険な地に乗り込んでいったわけで、日本国内で工作員に拉致されてISILに連れて行かれた訳でもなく、また政府や企業の命令で行ったのでもないのである。後藤さんの職業は『ジャーナリスト』らしいが、危険地域に入るのも彼の職業上の理由、いわば自分の「商売」のために行ったのであって、彼があらかじめ周囲に告げていた様に完全なる自己責任の行動なのは云うまでもない。


テロは憎んでも憎みきれぬが、当初二人の日本人の解放に多額の身代金が要求されたというニュースが流れた時、我々の税金がこんな事に使われるのかと何とも釈然としないものを私は感じたものだ。スキーゲレンデを外れて滑走禁止の雪山に入って雪崩にあい、警察や消防の世話になるという類とはレベルが違いすぎる。もし何かあれば多額にのぼる国の金を使い、多くの関係者が巻き込まれるかも知れないと云う可能性も鑑みず、周囲の反対をよそに彼は出て行ったのである。日本人を巻き込めば相当な効果があるとテロリストをして寝た子を起こし、多くの日本人がこのあとテロに巻き込まれるリスクが増す事まで、彼は「自己責任」と言い放った時に想像したのだろうか。


何にも増して事件の後、彼の功績を賛美するかの様な大報道が続くのはいかがなものであろうか。こういうむこう見ずなジャーナリスト達がいるからこそ、我々は世界の悲劇や悲惨な現状を知る事ができるという一面があるのは認めよう。しかし「自己責任」と言いつつも多くの関係者に迷惑をかけ、あまつさえ彼の行動によって日本人全体がテロの対象になる可能性を生んだという事実を前にすれば、『ジャーナリズム』も陰が薄くなるというものである。もし民間の軍事会社にいたと云う湯川さんだけが今回の事件の犠牲者であったなら、これほどまでメディアは大騒ぎしていたのであろうか。後藤さんのヒロイックな面をどうしても強調したいなら、事件は真の『自己責任』で、政府が関与する必要は一切ないくらいの報道を展開してもらいたい。中東支援の安倍さんの発表が問題だったなどという意見も噴飯だが、何だかジャーナリストだけが特別であるかの風潮も嫌である。

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