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2015年1月

2015年1月31日 (土)

「中国外交の大失敗」PHP新書 中西輝政著

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月刊誌などでその名前をよく見る京都大学名誉教授・中西輝政氏による新刊 「中国外交の大失敗」 (PHP新書)が大変面白かった。日々のニュースをただ眺めているだけでは判らない日中間の真相、報道される出来事の裏にある本当の意味を解き明かし、「日本の保守派よ、いまこそ戦略的になれ」(帯のサブ・タイトル)と説くこの本は、コンパクトな新書ながら内容充実の時宜を得た著であろう。


思えば、かの「日中国交『正常化』」以降、中国が日本のあらゆる層に働きかけて醸成した「日中友好」のムードとは一体何であったのか。それに対して著しい反日の姿勢を貫く最近の中国はどう連続しているのか、若い頃より一貫して中国共産党の存在や活動に懐疑的であった私には、中西氏の解説が「ははーん、そうだったのだな」とストっと腑に落ちるのである。


この本によると日中国交回復の流れの中で隠されてきた中国共産党の覇権的な本質を、経済的大国になった今、いささか乱暴に体現しようとしているのが習近平だそうだ。結局のところ彼の拙速で雑な政権運営は日米の他、アジア各国に敵をつくり、日中関係で云えばその第一ラウンドは文句なく安倍首相の「勝ち」に終わった事を、昨年11月の日中合意文書を例に中西氏は教えてくれる。


さすがに東アジアの「友愛」を説くおバカな元首相などは消えていったものの、いまだに孫崎亨や丹羽宇一朗らの親中派は利敵行為を繰り返していると中西氏は指摘する。そういえば丹羽氏が元社長だった伊藤忠商事が中国へ大変な投資をするらしいが、公式発表以上に実態経済が悪いとされる中国で伊藤忠が本当に大丈夫なのか今後を注目したいところである。


今だに国連至上主義や 「国家の止揚こそ21世紀の流れ」 とサヨクやリベラルの人達は軽薄かつユートピア的な発想に埋没するなか、この本で中西氏は国家の再浮上こそが21世紀の潮流であると予測している。その際、日本の生きる道はアメリカ側にたつ事を確認するとともに、憲法9条を改正して普通の国になるべしとの事で、この提言に私は諸手を挙げて賛成したい。

2015年1月26日 (月)

第13回新宿シティハーフマラソン (神宮球場)

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毎年この季節の恒例、新宿シティーハーフマラソンである。マラソン大会と云えば全国各地で星の数ほど開催されるが、新宿ハーフは大都会の新宿ど真ん中で、天下の公道を使って開催されるとあって、近年とても人気の高いレースとなっている。従来の発着地である国立競技場が2020年の東京オリンピックにむけ建て替え工事中のため、第13回目を迎えた今年は隣の神宮球場に主会場を移し、ハーフ・マラソン約5,400名、10キロ・その他の部合わせて総勢11,145名規模の大会となった。


過去このマラソン大会の日はだいたい天気が穏やかだったが、昨日も空は晴れて風はほとんどなく新宿の街は多くの走者と応援の人達で賑わった。さすがに大きな国立競技場から野球場へと会場が変ったので、今年はスタートとゴールが路上と球場内と別々の場所になったり、完走記録証が当日配布でない等やや不便を感じる点も幾つかみられた。それでも狭い中で多くのランナーたちがスムーズに動ける様に、動線などに工夫をこらした大会運営であったといえよう。


ただハーフマラソンとなると新宿の街をグルグルと何回も周回しなければならない上、事前の案内図と実際の走路が違っていたり、周回を示す表示が不明瞭な上、係り員も不慣れとあって多くのランナーが道を間違えて失格になると云う不手際があったのは残念であった。かくいう私も18キロ過ぎの分岐点表示が不明なので係り員の誘導のままに走ったら、いきなりゴール地点に行きそうになり、あわてて100米ほど来た道を引き返すという体験をしたものだ。50年近く走っているが本番のレースで道を間違え、走路を戻ったというのは人生初めてである。


そもそもこの大会、例年距離がかなりいい加減な上、都会の規制された狭い走路を多くの走者が走り、道路を横断する歩行者を優先する場面もあって、本格的な記録を狙うという感じのレースにはならない。今年も実際の走行距離はハーフマラソンより300~500米ほど長い様だし、加えて道を間違って200米くらい余分に走ったので、どうも22キロ弱走ったのではないかと感じる徒労感である。まあ、これも長いランニング暦の中のご愛嬌で、後からみれば良い思い出になる事だろう。


それでも半世紀以上観戦してきた東京六大学野球の本拠地、神宮球場のグラウンドに初めて足を踏み入れ走る事が出来たのは何にも代えがたい感激であった。ゴールしたその足で、ここで法政の山中や江川が投げたのか、立教の長島は三塁で、早稲田の広岡はショートで、慶応の高橋由伸はこの辺りでプレーしたのかなどと往年の名選手の足跡を辿り、その活躍を思い出しつつ完走の充足感を味わったのだった。国立競技場が暫く使えないのは残念だが、昨日は六大学野球ファンとして望外の夢をかなえる事ができたマラソンだったと思っている。さて後日送られてくる記録では、60歳代で何位になっているだろうか?

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2015年1月23日 (金)

大手町・丸の内・日比谷地下通路 (都心遊歩道)

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有楽町のバイパス(イトシアの下)

毎日の様にジョギングすると云う永年の運動習慣ができているが、雨の日や嵐の日になると運動をどうするか考えてしまう。今日一日さぼってしまうとリカバリーに2日はかかりそうだとか、今月は運動時間の累計や走行距離が少なくなってしまうかなど、まるで強迫観念の様に休むのが気になってくる。まさに運動は「アリ地獄」の様なものである。そんな荒天の日は近所の公営プールに行って泳ぐ事もあるが、主に会社近くの長い地下通路を昼休みに歩くなどして、エネルギー消費に対する不満足を解消するのである。


この地下通路、なにしろ日比谷通りの下を北は大手町から南は日比谷の帝国ホテル前まで通じている上、東に折れれば東京駅から八重洲地下街にもつながっている。さらに日比谷から銀座4丁目交差点や東銀座駅までも到達できるので、天気の悪い日にここを歩けば都心におけるちょっとしたフィットネス・センターになるのである。地下街としての総延長は日本一と云う説もあって、様々な事業体が管理する地下通路は縦横に通じ、その距離は軽く10キロは越えて、変化に富んだ全天候型の都会の遊歩道と云えるだろう。


さて天気の悪い日は云うにおよばず、真夏の炎天の日などは結構この地下通路を利用する人も多い。また昼休み時間には運動不足の解消か医師の健康指導か、ワイシャツに背広のズボン姿、ウォーキングシューズで信号で止まる必要のない地下道を懸命に歩くサラリーマンの姿も多数見る事ができる。都心に勤める人達は大体同じ様な行動パターンになるのだろうか、私も時々ここをせっせと歩いていると、古い友人や取引先の人によく出会ったりするものである。


こうして商店街や駅を結ぶ通路を我が道として歩くのはなかなか楽しいが、地下とあってどうしても歩くルートがパターン化してしまいがちである。と思っていたら、最近東京駅丸の内中央口から行幸通り下を日比谷通りまで通じる新しい地下通路ができ、有楽町の交通会館から数寄屋橋のマリオンを経由し銀座方面に通じる新しいバイパスも発見して、知る人の少ない密かな回廊か?とちょっと嬉しい気持ちになったりしたのだった。東京に居る事による様々な高コストはわずらわしい反面、このようなインフラを利用し自分なりに都会の便利さを享受するのはちょっとした都市の生活の楽しみである。

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大手町地区の地下通路.

2015年1月20日 (火)

大寒と日の出・日の入り

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久しぶりに大阪港近くの取引先に出張に行った。夕方、会議を終わってふと窓の外を見ると、当然の事ながら東京よりかなり明るい。今の季節、大阪の日没は東京に比べて20分ほど遅いのだが、そういえば東京の夕方もいっときよりかなり明るくなってきた。調べてみると大寒である今日1月20日の東京の日の入りは16時54分で、これは昨年秋10月25日の日没時間と同じなのである。何となく夕方もっとも早く暗くなるのは冬至の頃で、秋と春ではこれを対称に陽が長くなっていると思っていたが、東京では12月初めに日没が一番早く、以後陽が伸びて行くのである。


もっとも同じ日没といっても、10月末の気温20度に対して今のせいぜい10度の寒さでは、明るい時間を活用して何かをしようとする開放的な気分になれない。一方、東京で一年で一番遅い日の出の時刻は今年は1月10日頃の朝6時51分であり、昨秋10月25日時点では5時56分に太陽が出ていたのに対して、1月20日になっても日の出はまだ6時49分と遅いままなのである。東京では夏から秋の朝がやたら早くから明るくなるのに、今の季節は遅々として朝が明るくならないのは地球の軸の傾きや自転・公転に関係あるのだろうが、文科系の私は季節感と日出・日没時間の非対称的な変化にちょっと戸惑うのである。


血圧が高めのため再受診に来て下さいと会社の診療室から通知が着たので、近所の循環器科の開業医に相談に行くと、一ヶ月間血圧を朝晩測って記録しろとの事。暗くて暖房もまだ効かない冬の朝、起きぬけに寒い中で血圧を測定したらそりゃ血圧も高くなるわな、これは生きている証しじゃないか、などと寒さを呪いながら何度も測り直しをしている最近の冬の朝である。陽が伸びても寒さはこれからが本番であろうし風邪気味で体調もいまいち、春はまだ暫く先かと考えていたら日比谷公園に植えられた菜の花が咲き始めて、ほっと心がなごむのである。

2015年1月14日 (水)

飛鳥ⅡA-Styleクルーズ~冬彩~ (2人だけのダイニング)

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二人だけ、他に誰もいないフォーシーズンズ・ダイニングルーム

2015年のクルーズ始めは連休を利用して横浜発着の飛鳥Ⅱに乗船、某金融機関主催の1泊チャータークルーズにA-Styleクルーズ~冬彩~2泊を乗り継いでの3泊クルーズとなった。今回、まず抽選で通常よりやや割安なチャータークルーズの乗船が決まったのだが、一晩でフネを下りるのはいかにも勿体ない感じである。という事で昨年のクルーズでもらったクーポンなどを駆使し、そのまま横浜で連続乗船としてしまったのだ。「チャータークルーズとAスタイルの乗り継ぎ客はそんなにはいないだろうね」などと妻と話していたら、顔見知りのクルーから「チャータークルーズはほとんどが初乗船のお客様なのに、乗り継ぎ客が一組居ると云うので誰だろうと思ってたんですよ~」との挨拶だ。乗船直後にこれを聞いて「そうか、この大きなフネに乗客が我々だけか」と、横浜港で船内を占有できる数時間に期待が盛り上がったのだった。


そう云えば2007年夏、にっぽん丸で小樽から横浜に帰った時、下船するのがひどく名残り惜しくなり、そのまま休暇を利用し伊豆周遊の2泊のクルーズ(リンク先は妻の乗船記)を船内予約し乗り継いだ事があった。ただこの時は急な予定変更による連続乗船だったので、一旦下船して自宅にトンボ帰りし、用事を済ませて午後にフネに戻った為、誰もいない広い船内をゆっくり独占した感動はあまりなかった。で、今回は皆が下船し終わる10時以降もゆったりとフネに残ってその雰囲気を楽しんだ上、山下公園やみなとみらい地区を気の向くままにジョギングする事にしたのである。昼食は船が用意してくれると言うので二人でダイニングを占有し、誰もいないクラブ2100で忘れかけたダンスの練習、そして2回目のクルーズ客が乗船する間際の15時15分にオープンする大浴場の一番風呂に入ろうという優雅な計画である。


という事でジョギングで汗をかいた後にフォーシーズンズ・ダイニングに駆け込むと、「おお○○さま~、おまちしてました~」と2人のウエイターが笑顔で待っていてくれる。我々の為だけに準備をしてくれるのが何とも嬉し気恥ずかしい上、特製の鯛やイクラ料理はいつになく大盛りで、「ワールドクルーズでメシが少ないと文句言って、エキストラポーションカードを貰った事を覚えてるのかなあ?」などと夫婦の会話も弾んだのだった。しかしいつも多くの人で賑わうダイニングをたった二人で独占し我々だけのメニューを楽しめるとは、新春から何ともお目出度い気分を味えたものである。A-Styleのゴダイゴ・コンサートは期待通りの迫力で盛り上がり、「予約のとれないイタリアン、『ラベットラ』」の落合シェフによる「30秒おきにスパゲッティを10人前づつ茹で上げてます」との渾身の料理も堪能したクルーズであった。

追記:妻は帰宅してから風邪をひき「新年早々またもハシャギ過ぎてしまった。遊び疲れだぁ」とダウンしているのである。

2014年飛鳥ⅡA-Styleクルーズ~冬彩~(2014年1月14日)
2013年飛鳥ⅡA-Styleクルーズ~冬彩~(ブログ題名は「溜飲」)(2013年1月16日)

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二人だけのメニュー

2015年1月 3日 (土)

ウイーンフィル・ニューイヤーコンサート2015

毎年、この季節恒例のウイーンフィル・ニューイヤーコンサートのブログである。「他にないのかい」と云われそうだが、毎年欠かさず楽しみにしている番組だからしょうがない。さてウイーン楽友協会ホールから中継録画放送が始まると、今年はいつにも増して和服姿の女性が目立つ。きっと私の様に一生に一度はこのコンサートに行ってみたいという日本人も多いのだろうが、夏場に来ていた旅行社のパンフレットでは、日本からこのコンサートに行くツアーが100万円も200万円もして「うーん!?」と唸ってしまうのである。という事で今年もウイスキー片手にマンションの居間でテレビ鑑賞となる。


今年のプログラムはお馴染みズービン・メータの指揮で、ポピュラーなウインナワルツやポルカのオン・パレードである。インド人ながらウイーンで音楽教育を受けたというズービン・メータのユーモラスかつ軽妙な指揮もさる事ながら、オーケストラと指揮者が共に信頼しあいリラックスして演奏している事が画面から手をとる様に伝わってくる。各楽器の演奏者にとってこの日のレパートリーは自家薬籠中のものだから、楽譜を読むより指揮者の調子に合わせて共に音楽を楽しもうと云う雰囲気がステージに満ちている様だ。


音楽の専門的な事は解らぬも、ウインナワルツ特有の”ズン、チャッ、チャ”の拍子のとり方も、心なしか強調された曲があった気がするが、どんなにうまい外人歌手が演歌を歌っても日本人の方がしっくり来る様に、ウイーンでウイーンフィルが演奏する事によって新年の気分が盛り上げると云うものなのだろう。アンコールのお約束「美しく青きドナウ」、イントロを中断してメータの「プロージット・ノイヤー!」(新年おめでとう)と言うお約束の挨拶も決まり、ラデッキー行進曲では彼が観客席それぞれパート別に拍手を指揮したあたり、今年も楽しさが横溢した演奏会であった。やっぱり一生に一度はこの場に行ってみたいものだと改めて思ったのだった。

2015年1月 2日 (金)

2015年走り初め

元旦は東京マラソンに出場する我が妻や義妹夫婦の4人で都内走り初め、ロング・スロー・ディタンス(LSD)という事で30数キロ走った。まず集合場所の九段・靖国神社に朝10時に赴くと、すでに境内は参拝の多くの善男善女で溢れている。靖国神社と云えば昭和18年の1月5日~6日、太平洋戦争中に唯一開催された第22回箱根駅伝が、紀元2603年靖国神社-箱根神社間往復、関東学徒鍛錬継走大会として、ここを発着点として行われた事を知る者は少ないだろう。駅伝の場所としても由緒ある靖国神社で英霊にお参りしつつ、元旦から走り始めるのはランナーとしても喜ばしい事である。


昨日は九段から日比谷に回り日比谷通りを南下、札の辻を左に折れてレインボウブリッジの遊歩道を渡り、お台場から有明を通って豊洲に向かった。最初は晴れたり曇ったりしていた天気も徐々にあやしくなって、雪がチラホラ舞ってくるが、走る身にはさして気にならないものである。豊洲から佃大橋を渡り茅場町、蔵前から浅草まで、来たる東京マラソンのコースを逆に辿る事にしたが、この逆走という練習はなかなか妙味がある事に走りながら気づいた。コースを試合通り順番に試走すると「ああここがシンドイ箇所だよな」と上り坂がシリアスに見えたり、直線が限りなく長く感じたりするものだが、逆から走ってみるとその傾斜や直線走路が実は大した事がなかったと云う事が多いのである。


「義兄さん、これってホールアウトしたグリーンからティーグラウンドを振り返ると、いつもフェアウエイが広く感じるのと一緒ですね」と一緒に走った義弟のコメントが言い得て妙である。たしかにゴルフ場でパットと終えてホールを振り返ると、「何だ!こちらから見るとこんなになっているなら、もっと簡単に考えれば良かった」と反省する事しばしで、その錯覚がゴルフ場レイアウトのミソでもある。いつも設計者の思惑通りの罠に嵌ってラフやバンカーに打ち込んでいるへぼゴルファーの私には、マラソンコースを後ろから逆に見るというのは目からウロコで、これは心理の壁を破る効果的な練習に思えたのであった。こうして元旦は靖国神社から増上寺、水天宮、浅草寺、神田明神と都内の大神社・仏閣を廻りつつ、ランニングでも新たな発見をして一日を終えたのであった。

平成27年元旦
走り初め起点は戦時中に箱根駅伝発着点でもあった靖国神社
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2015年1月 1日 (木)

第九と紅白歌合戦

毎年恒例の第九の演奏をNHKテレビで聴く。今年は何だかやたら速くてメリハリが利いている第九だと思ったら、指揮者はフランソワ・グザビィエ・ロトというフランス人だとキャプションが出る。ドイツ風の重厚な音色に対してフランス風のタッチというのだろうが、いつも聞きなれたベートーベンと違って軽妙すぎるのにはひどく違和感が残った。この指揮者はNHKによると『ヨーロッパでもっとも熱い注目を集める指揮者の一人。17世紀から同時代作品まで、オペラや室内楽も含む幅広いレパートリーをもつ』だそうだが、ベートーベンよりはラベルの「ボレロ」とかモーツアルトの「パリ」や「フィガロの結婚」の方が合っているのでは、と妻と語り合っていた。


ひき続き紅白歌合戦にチャンネルを替えると、かなりの出演者が見た事もない子供達だ。日頃オジサン、オバサンの歌はテレビ東京で堪能しているとあって、こういう若い歌手を大晦日くらいゆっくり見るのも良いものである。司会の女優がぎこちないのはご愛嬌としても、ここ数年何組も出ていた韓流歌手たちが出ていないのが何ともすがすがしくて良い。NHKも経営委員が変わって以前より少しはマシになったのかと新年に期待がもてる。と思いつつ聞いていると恋愛や色恋の歌が減って、みんな仲間だよとか個性を大事に云う歌が多いのに気がついた。「ナンバーワンにならなくていい、もともと特別なオンリー・ワン」(SMAP)とか「奇跡は挑戦者に与えられた賛意」(EXILE)、連帯をたたえた嵐の「THANKS MEDLEY」などである。


考えてみると色恋ざたや私小説的な同棲ものが流行ったのは、まだ貧しかった高度成長期であった。当時の若者達は社会に従順にならなくとも、出世や賃金の上昇など約束された未来があり、異性の気持ちを引き止めるのが若者の本分の様な時代でもあった。翻って今の若者を見ると、身の回りに様々なものが周到に準備されているものの、コンプライアンスやらガバナンスやらでガンジガラメ、出る釘になる事や若者の特権である猪突猛進あるいはおっちょこちょいがあまり許されない時代になっている。男女の仲は昔と比べものにならないくらい近くなった一方で、若者の未来がノー天気に輝いているとは云えない時代である。こういう時勢となって恋愛の歌より人生の応援歌が流行るのではないか、と考えながら新年を迎えた。さてこれまた恒例NHKのウイーンフィル・ニューイヤーコンサートは今年はどんなであろうか。

追記:テレビ東京の東急ジルベスターコンサート、生中継の”フィンランディア”が0時きっかりに終了したのには感動した。「世界初のスリリングなコンサート」が今年も一秒たりとも狂わなかったのは拍手喝采である。

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