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2014年12月

2014年12月31日 (水)

正月休みの走りこみ

今年の正月休みは日の並びがよく、我が勤務先も有給休暇取得推奨日などを使い実質9連休となった。休み期間中は、さきに再開した”ピアノのお稽古”や日頃気になっていた部屋の掃除のほか、恒例の”走りこみ”で過ごす日々である。なにせ新年は妻やその妹夫婦のほか、周囲に東京マラソンや名古屋ウイメンズマラソンなどビッグイベントに出る者が多く、例年にましてムードが盛りあがっている。実質は1時間から1時間半のランニング練習といっても、着替えやストレッチ、シャワーなどを含めると、あっと言う間に2~3時間が経過して、正月休みは一日が経つのがひどく早く感じる。


こうして12月は走行距離が270キロほどになったが、聞くと専業主婦の妻はなんと300キロも走ったそうで、ちょっとした陸上競技の選手なみである。ただ毎日走っていると、時には結構辛いと感じる事もあり、そんな時は「目の前の景色を楽しもう」「今この瞬間に走れる喜びを味わおう」と意識するとふっと苦痛が和らぐ気がする。しかし休暇に入り休まず走り続けて4日目の昨日、皇居で15キロほどタイムを意識して速く走ろうかと思っていたら、なぜだか急に「もう走るのは嫌だ~」と心の声がこだましてきた。まるで高校や大学時代、インターバルトレーニングを行う前などに感じた「今日はどうしても走りたくないよ~」というイヤーな気持の再来のようだ。


当時のインターバルといえば、たしか400米を65~68秒くらいで走りジョッグ200米で呼吸を整えるが1セット、これを連続20~30セットくらい行ったのだがその苦しかった事といったらなかった。卒業直後はあの苦しさを思い出すたび「走るのなど金輪際まっぴらだね」と思ってタバコをふかしていたのだが、結局また始めたのは走る事がやはり好きなのであろうか。そしてイヤな気持ちが蘇っても結局また走ってしまうのは、走る事に人をとりこにする不思議な魔力があるのだと思うのである。それにしても昨日も、ランニングを終えてシャワーを浴びビールを飲む瞬間にはさっきの気分などすっかり忘れて、「走ってよかった」と毎度至福の瞬間を味わうのだから人生は幸せである。

冬の皇居前広場
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2014年12月27日 (土)

2014年の年末に

まもなく2014年も終わる。今年もいろいろあったが為替は120円となり株価も上がって、まずはアベノミクスは順調だったというべきだろう。心配した12月の衆議院解散・総選挙は与党の自民・公明の圧勝に終わり、政治の観点からすればまずは”めでたし”という事になりそうだ。効果がまだ充分行き渡らないと云われるアベノミクスも、来年は中小企業や地方へも波及する事であろう。


ただリベラルと云われる人達や朝日・毎日新聞あたりからは、今回の総選挙の投票率が50%強だった事を取上げて、安倍政権が信任された訳ではない、国民の真の審判ではない、など民主主義を否定する暴論が出ているのが笑える。「自分一人が選挙に行っても行かなくても何も変わらない」という白けた気持で選挙に行かない人が多いそうだが、彼らは日本がこのままでは絶対まずい、何としても政治や世の中を変えねばならないと云う切迫感がないから選挙に行かないに過ぎない。


これら云わば現状を裏書きし、結果として政権に白紙委任をしている人達が有権者の半数いるとしても、その半分の信任投票がないゆえに安倍政権の正統性に疑義があるかの如き議論がまかり通る事に驚くのである。安倍政権によって、わが国に関係ない外国の戦争に日本が巻き込まれるとか、秘密保護法で報道や表現の自由が損なわれるだのというおよそ的はずれの議論が少しでも減って、わが国がより成熟した社会になる事を来年は望みたいものである。

2014年12月24日 (水)

ピアノのお稽古

消費税アップの前にと今年3月に電子ピアノを買い、夏場から暇な時にポロポロとピアノの練習を再開した。55年ぶりのブルグミューラーである。「まず30分でも練習するか」とピアノに向かうもあまりの初心者ぶり、すべて忘れているのに愕然となり、やっきになって繰り返し練習する週末が続く。子供の頃は親に言われてイヤイヤやらされていたピアノで、当時は何が楽しみだったかといえば先生の家でレッスンの後にいただくカルピスと、その家の子供で私より数歳年上のやさしいお兄ちゃん達と遊ぶ事だったが、こうして独学で練習を再開してみると上手く引けない自分が何とももどかしい。(半世紀ぶりのピアノ練習2014年3月25日)


年をとると時間の経つのが早く感じると云う通り、「まず30分!」のつもりがふと気がつくと1時間となり、日によっては夕食後にまた練習するか、となるからピアノ嫌いの人間も変れば変るものである。毎回フォルテやらピアノ、クレシェンドなどの強弱は無視してまず右手で数回、左手で数回音を追って弾くところから練習を始めるが、五線譜から上下に離れている音符はいつも押しまちがうので、”レ”だとか”ソ”だとか鉛筆で書き込む。そんな事はしてはいけないと昔はよく怒られた事も、ここは独学の強みとあって自己流で良いのである。なんとか片手づつ弾ける様になると両手でトライ、そして次にスラーや強弱など装飾符に気をつけて弾いてみる。


いよいよ最後にペダルを踏む練習を加えると急に足に注意がいってしまい、せっかく上手く弾ける様になった手までがばらばらになるから、手と足で独自にリズムを刻めるドラムの奏者は凄いものだとの思いが浮かぶ。それでも練習を続けていると、前はうまく弾けなかった箇所がスムースに通過できたりして、人間は歳をとっても学習すれば前進できる事が実感できて嬉しい。これまで走るなどスポーツに関係した趣味ばかりで、年齢と共にいかに劣化を防ぐかという事に腐心する身としては、遅々としていても進歩するものがあると云う事実を発見しボケ防止の楽しみが増えたと云えよう。こうなれば若い女の先生に週一度でも習ったら見栄っ張りの私ははもっと一生懸命に練習するのではないか、などとあらぬ妄想を抱きつつ、週末はピアノに向かって練習しているのである

2014年12月18日 (木)

キューバ経済制裁解禁とカリブ海クルーズ

オバマ大統領は1961年以来国交が断絶しているキューバと、53年ぶりに関係改善に動き出すと表明したそうだ。首都ハバナに米国の大使館を置き経済制裁も緩和するなど、対キューバ政策を歴史的に転換させると報じられている。合衆国のマイアミからフロリダ海峡をはさんでわずか300キロあまりのところ、アメリカがカリブ海へ進出するとば口をまるで盾の如く塞いで横たわるのがキューバである。その地政学的立地ゆえにかつてキューバは東西冷戦の最前線となり、いまだに米国と国交や経済交流が途絶えていたのである。それゆえにエキゾチックな古き建物が残り、近年は海外からの(ただしアメリカ以外)観光客も増加して、我が国でも雑誌やクレジットカードの情報誌などでキューバがよく紹介されている通りである。


アメリカは61年のキューバ危機以降、この国に対して長らくEMBARGO(商船の入出港禁止・通商禁止)を実施してきて、殊に1992年に施行されたトリセリ法で、キューバに入港した船舶は以後180日間は合衆国の諸港に入港できない事になっている。ゆえに米系はじめ多くのクルーズ船はこれまでキューバの港に寄港する事ができなかったのだが、今回の経済制裁解除によりカリブ海を周遊するクルーズ船が首都ハバナなどに寄港できる事になるだろう。最近キューバに2度も旅行に行った事があるという我が職場の若い女性によると、ハバナでもマックやスタバなどがなく昔のままの街並みが見られるし、大通りは本や雑誌で見るとおり60年代のアメ車だらけだから、旅行するならアメリカ資本が入る前、今のうち早めにするのがお勧めですよとの事である。


これまで仕事や飛鳥Ⅱのクルーズで、プエルトリコやコズメル(メキシコ)、キュラソー、アルバ、バハマなどの島々、ラガイラ(ベネズエラ)などカリブ各地を幾度か訪れた事がある。それぞれ旧宗主国から受け継いだ国情の違いはあれど、通りにはアメリカ巨大資本の看板、ホテルはヒルトンなどのお馴染みブランド、それに観光客を相手にするみやげ物屋だらけの町は、どこも似たような雰囲気であった。しかし今回の緩和措置で合衆国のフロリダ半島やヒューストン、ニューオリンズなどの諸都市から大型クルーズ船に乗って、一晩ほどの航海でまだ開発の手が入らないキューバを訪問できそうだ。そうなれば気軽に古き良き時代のカリブ文化に触れる事ができ、この地区はアメリカ人のみならず日本人にも魅力的なクルーズディスティネーションとなるに違いない。

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2011年飛鳥Ⅱでナッソーを出港しコズメルに向かう終日航海日に左舷にうっすらと見えたキューバ

2014年12月12日 (金)

SB新書 長谷川慶太郎「大局を読むための世界の近現代史」

50才代の初めに数年出向していた会社で、オーナー一族が長谷川慶太郎の主宰する会員紙を購読していた。当時、その会社の役員だった私も、時々社内回覧されてきたB4版数枚の会員紙を読んでみたものだが、そこに書かれていた長谷川氏による時代分析や未来の予測について、後から見ても概ねそれらは妥当だっただろうとの思いを持っている。という事で本屋の店頭にあった、長谷川氏のSB新書新刊「大局を読むための世界の近現代史」をさっそく購読し、久しぶりに氏の明快な議論展開を楽しんでみた。


この本は、前半で20世紀に起きた2度の世界大戦と東西冷戦やソ連の崩壊を俯瞰し、「歴史の大きな流れをつかみ・・・」「その背景を丹念に読み解く・・・」とし、後半は「未来を予測すること」へと展開する構成になっている。19世紀末からおきた民族国家の誕生と産業革命によって、戦争がそれまでの限定的な局地戦から世界的な総力戦へと形を変えた事、その後に起きたソ連の瓦解は、共産党一党独裁に内在する根本的な矛盾から生じた歴史の必然だった点などが、長谷川氏一流の平明な文章で解説されているのである。


これらを踏まえ、本書の後半で現在の東アジア、日・中・韓・北朝鮮の現状分析と近未来の予測が熱く語られていてとても興味深い。それによると中国は不動産バブルとシャドーバンキング問題に端を発した国家の崩壊が間近である事、すでに中国の北朝鮮への支援に影響が出ており、近い将来に北朝鮮が崩壊するのは必至であろう事、難民状態になった北朝鮮の人民を受け入れたのちしばらくの間、韓国経済も停滞状態に陥る事などが語られている。


北朝鮮の滅亡後、2年以内に中国は内戦状態になり、旧ソ連の様にいくつかの共和国に分かれると長谷川氏は予想しているが、たしかに中国共産党の一党独裁体制が遅かれ早かれ機能しなくなるのは、ソ連や東欧の歴史からただちに学べる事である。考えてみれば成熟した資本主義や自由主義経済は民主主義と表裏一体のものであり、それが担保されるには思想や表現の自由が機能している事が前提だから、中国の崩壊と分割は歴史の必然であるとも云えよう。ごく近い未来におこるその時には、大変な混乱が中国全土を覆うであろうから、それまで日本人は中国にあまり関わるな、との氏の警告に私も大いに賛成するのである。

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2014年12月 8日 (月)

芝浦工業大学レクチャー&クルーズ【豊洲のクルーズ観光について考える】

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妻がパソコンで何かごちゃごちゃしていると思ってたら、豊洲にある芝浦工業大学の「芝浦工業大学レクチャー&クルーズ【豊洲のクルーズ観光について考える】」という催しに応募していた。芝浦工大といえばかつて野球の東都大学リーグの一部にいた事もある強豪校で、水原監督の下で東映フライヤーズ(現日ハム)が昭和37年初優勝した頃のショート岩下や、昭和49年に広島が初優勝時した時のキャッチャー道原などの名前が校名とともにすーっと頭に浮かんでくる。ただ最近は野球の強化をしなくなったためか、メディアで学校の名前を聞く事もあまりなかったところ、再開発された豊洲の地に2006年から立派なキャンパスを持っているとの事にあらためて驚いたのである。


妻が申し込んだ「レクチャー&クルーズ」は、文部科学省によって採択された「地(知)の拠点整備事業」の一環として一般向けに企画されたもので、芝工大でまちづくり等を専門とされる工学部の志村教授の講義と、それに続く約1時間のクルーズによって構成されている。豊洲と聞くと、かつて東京ガスの埠頭に陸揚げされた石炭を即座に思い出すのだが、最近の高層マンションが林立する街の発展を見るにつけ、往時の思い出は隔世のものとなり、このクルーズが再開発された地区への関心を呼び起こしてくれるのである。またこの講座は東京都港湾局の「運河ルネサンス」の一環として、水辺の魅力向上や観光振興のための「町おこし」の役目も果たしているとの事で、たしかに2020年にオリンピック会場となる近隣の水辺再開発は都民にとって喫緊の要事である。


当初予定された11月29日(土)の講義+クルーズは当日があいにくの雨で講義のみの開催、クルーズは延期となったため、この週末の12月6日に改めてクルーズが実施された。この日のためにチャーターされた船は屋根なしの露天船で、橋の下や護岸も舷側近く、水辺の情景を肌で感じる事ができるつくりである。大学のすぐ裏の船着場からボートに乗り込むと同大学女子学生のていねいな解説が始まり、やがて船は豊洲運河から隅田川の方に向かって舟足を進める。しばらくして晴海の客船ターミナルや、築地から移転工事が進む中央市場、江東区にあるいくつかの水門や架橋など下町のあちこちを船は通過して行ったが、ここでは普段見る事のない視点から東京の水辺を観察できたのがとても新鮮であった。


こうして水面にほど近い高さから過ぎ行く街々を見渡していると、下町は思っていた以上に縦横に水路が張り廻らされている事に気がつく。考えてみれば江戸の町の成り立ちからして、水のある情景がその原点であり、少し前までは東京の中心である数寄屋橋や京橋にも川が流れていたのである。2020年の東京オリンピックを契機に、少なくとも日本橋の首都高速道路は地下に埋設して欲しいと、このブログでも幾度かアップした通り、水辺の再開発や水との共存、水上の遊びやスポーツ行事について、東京都はもっと真剣に考えたらいかがとの思いを本クルーズで強くした。最後になるが、講座を企画された志村教授や、船上の解説はじめ諸事に尽力された学生の方々に、共感と好感を覚えたとても良い企画であった事を記しておきたい。

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2014年12月 4日 (木)

飲酒

大学の競走部も間もなく100周年を迎えるから、物故者もいるもののOBは全部で1000人をはるかに突破しているはずである。これだけの大人数がOB総会などで集まっても、お爺さんと孫の様な世代間では会話もそう弾まないので、最近は年齢別に前後15年位を一区切りにして集まる会が多くなった。


という事で我々の代では上が60代半ばから下が50才という仲間が集まる事になっているので、諮らずもここでは私はいつまでも先輩の顔をしていられる。会社では後輩が先輩のポストを抜くというのが日常茶飯事となっているが、運動部というのは一度卒業してしまえば、現役時代にどんな『迷』選手でも『名』選手を前にちょっと先輩ヅラしていられるから、『迷』の部類だった私には居心地のよい場所といえる。


昨日はまだ50才にならんかという後輩と、その会で隣合わせになったので酒を勧めたところ「すみません今日は飲めないのです」と言う。「どこか悪いのかい?」と問うと、「旅客機のパイロットで、明日早朝九州に飛ぶのに12時間を切ったので、駄目なんです」と彼は断る。「まあ。ちよっとならいいじゃない、どうせわかんないだろう」などといたって無責任な私に 「いや搭乗前には検査もありますし」 と言葉柔らかなれど毅然とした答えが返ってきた。なるほど大勢の命を預かるとはこういう事かと我が不明を恥じつつ、彼のプロフエショナリズムを秘かに頼もしく思ったのだった。


そういえばその昔、アリタリアのスッチーをしていた同級生は南周りのイタリア線に乗務したそうで、「アリタリアじゃあ、食事の時にコクピットにワインを持ってきてというパイロットもよくいたわよ。」と言っていた。当時はさすがイタリアのエアラインだと感心したが、今ではそんな事は到底できないのではないだろうか。


船の世界でも、1989年にアラスカで”エクソンバルデッツ”号が船長の飲酒と操船ミスで事故を起してから、飲酒の制限が格段に厳しくなった。昔のカーゴボート(在来の定期貨物船)時代は、「港・港にオンナあり」で国内の最終港を出港した翌日は入出港や荷役作業の他、飲み疲れ遊び疲れで船内全体がひっそりとしていたものだが、今の外国人船員が乗る専用船ではそんなマドロス的ロマンも遠い世界の出来事となってしまった。


昨日は学生の現役主将や主務(マネジャー)も挨拶に来ていたが、今では学食でも合宿所でも成人に満たないものは禁酒だそうで、大学生になれば大人扱いされた我々の時代と違う事に驚いた。もっとも当時、大学に推薦入学した後にわざわざ高校の制服を着て、大学と高校両方がある神奈川県日吉の街で飲んでは高歌放吟、たばこを吹かし、巡回中の生活指導の高校教師と目が会うたび「オレ大学生だけど、なんか文句あるの?」と身分証明書を提示する遊びをしていた輩もいたから、お世辞にも皆が「大人」と言えるほど成熟していたとは言えないのだが・・・。

2014年12月 1日 (月)

マッサンとニッカ十年浪漫倶楽部

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2007年夏、”にっぽん丸”で小樽に寄港した際、本船のツアーで見学した余市のニッカ北海道工場で、10年浪漫倶楽部という会に入った。同じ頃に入会した会員30人でニッカウイスキー原酒一樽をキープするのだが、5年経った際にこの専用の樽から記念ボトルが送られてきたうえ、あと3年すると熟成された10年もののシングルカスク・ウイスキーが送られてくる事になっている。関連して年末になると工場から葉書が届き、今年もニッカウイスキーが世界で受けたいろいろな賞の報告と「創業者竹鶴政孝の想い、日本人に本物のウイスキーを飲んでほしい。』このウイスキーづくりのこだわりと情熱こそが、ニッカウヰスキーの原点であり、今も変らぬ『夢』です。」と挨拶がある。


時あたかもNHK朝のテレビ「マッサン」の真っ最中で、いよいよ竹鶴政孝ことマッサンがサントリーをモデルにした「鴨居商店」に入社を決意するという佳境となってきた。余市工場となる北海道でウイスキーを造ろうとするマッサンに対し、鴨居氏は消費地に近い京阪(今の京都の山崎?)を工場にするとドラマは展開しそうで、今後のストーリーが楽しみになってきた。これについては昨日の読売新聞日曜版に、「竹鶴政孝の言葉1972年。『ウイスキーで苦しみ、ウイスキーで喜んだ人生であった』」とある通り、北海道余市はスコットランドに似た冷涼な気候の上、ピートや清冽な水、石炭に恵まれウイスキー造りに適した地であると彼は信じ、ここにこだわったとされている。


半年間続く朝の連続ドラマは早や中盤に入り、やがて話は北海道へ進展して行き、余市蒸留所の見学者も大幅に増えていると読売新聞は報じている。考えてみれば我々の世代は、酒と云えばトリスやサントリー・レッドを飲んだ通り、若い頃は安ウイスキーをずいぶん楽しんだものだった。社会人になってやっとサントリーの角瓶やダルマなどを飲める身分になったかと思う間もなく、最近は酎ハイやワイン全盛の時代である。余市からの年末挨拶状や新聞の日曜版を見ていると、たまにはうまいウイスキーをしみじみと飲みたいものだとの思いが湧いてきて、浪漫倶楽部5年ボトルをいつ開けようか、早く10年のシングルモルトが来ないのかひどく気になってきた。

ニッカ十年浪漫倶楽部(2012年11月26日)

マッサンとニッカ記念ボトルとアイリッシュ(2014年10月14日)

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