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2014年11月

2014年11月26日 (水)

ポコちゃんはどこへ行ったか?

子供の頃は今の様なファミレスもなかったから、外食と云えば渋谷の東横デパート(現東急東横店西館)の上にある大食堂に行くのが常であった。大きな急須に入ったお茶を相席のテーブルの客と分け合って、山の手線の旧型で茶色の電車が行き来するのを眺めていたものだ。ただ一年に一度ほど何かハレの日は、家族で都電に乗って数寄屋橋の不二家に行くのが当時は最高の贅沢だった。数寄屋橋の不二家の店頭では子供の等身大のポコちゃんとペコちゃんの人形が出迎えてくれ、ハンバーグなどの洋食を食べた後にチョコレートパフェを注文するのがとても楽しみだった。


それがいつの頃からか、なぜだか知らぬがポコちゃんの人形は店頭から消え、ペコちゃんだけが客を迎えるようになった。営業を全国に展開した不二家はそのあと経営が大変な時もあったらしいが、変らずミルキーの包装でおなじみ、丸い顔のペコちゃんは同社のシンボルとして残っている。さて私も大人になってから不二家には行く事もなかったが、このごろ禁酒をしようと決意した日に、食後の口寂しさを紛らわすため仕事の帰り道に神楽坂の不二家に寄り、日本でここだけ売られるペコちゃん焼きをみやげに買って帰る事がある。


店先で作られるペコちゃん焼きは、大判焼き生地に中身として定番の4種(あずき、カスタード、チョコ、チーズ)、季節限定の栗やりんご、月替わりのよもぎやいちごなどが入っている菓子である。これらのほか、具がカレーやらピロシキなど甘くない日替わり惣菜のものもあり、毎回どれを買って帰るのか、ショーウインドウの向こうにあるその時のラインナップを見ながらちょっと悩むのが楽しい。なんでもペコちゃん焼きは1969年に始まったそうで、かつては全国の不二家で売られていたが、長い歴史を経て今では神楽坂でしか販売されていないと、店のしおり「ペコちゃん焼きのひみつ」にある。


そのペコちゃんは1950年に生まれたそうだから私とほぼ同世代なのだが、そうなると無二のボーイフレンド、ポコちゃんは一体どこへ消えてしまったのかがやはり気になる。と思っていたら最近ペコちゃん焼きの中に、ポコちゃんの顔が時々混ざっているのを見つけるのである。なんでも2006年からポコちゃんを少しだけ混ぜる事にしたそうだが、その割合はペコちゃん焼き20個に1つとか40個に1つとかで、正に出会えればラッキー、運試しのようなものだと云う。禁酒を宣言して晩酌もせずあっという間に夕食を終えた夜は、さきほど買ったペコちゃん焼きがどんな味なのか、ポコちゃんが混ざっているかなどと不二家の包みを開けながら妻とちょっとワクワクするのである。

左がレアキャラのポコちゃん焼き
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2014年11月25日 (火)

マラニック田端運転所

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単機EF65の奥にはE2系、E5系の新幹線車両が

ねんりんピック2014に東京都代表で出場した選手達と話していたら、彼らが月に500キロも700キロも走ると聞いて、自分の走行距離の少なさに驚いたのが先月初めの事だった。以後少しでも走る距離を増やそうと思い、走るたびにあと1キロ、あと5分余計に走るべしと毎回自分を鼓舞したところ、11月の月間走行距離は何とか250キロに達しそうである。それでもじりじりと体重が増え続ける悪循環から抜け出せず、これは年齢で細胞が不活性化しているのか、走る距離と体重の相関関係はまったくないという事実に今さらながら天を仰ぎたくなる。


そんな訳で、最近の週末は土日ともそれぞれ最低15キロ以上の距離を気合を入れて走るのだが、この週末の様に3連休となると、さすがに3日目には疲労がたまり「走るのはもういやだ~!」と体が訴えている。といってせっかくの休日に走らないと結局後悔するので、強迫観念の様に「やらねば」と思い直すたび、何だか檻の中の回転かごで運動させられているラットの心境になってくる。さすがにこれは拙いと感じて、疲れた休日にはどこか適当な目的地を決め、妻と二人でゆったりと街走りを楽しむ事にした。先日は我が家から往復で約20キロの清澄公園まで走り、紅葉に染まる池や築山を見て帰って来たが、今週は電気機関車を見に行こうと決め、行き先を往復15キロのJRの田端運転所にした。


しかし今更ながら感じるのは、東京というのは坂道の多いところだという事である。かつての江戸は今の日比谷あたりまで海水の入りこむ湿地帯だったと云われ、低地の干拓とともに神田川や石神井川などの谷あいと、本郷台地や小日向台地などの上に町が発展してきたから、坂が多いのは当然と云えば当然である。ただ自らの足で走っているランナー達は、クルマに乗っている時にはわからない僅かな起伏を乗り越えるので、古い河川の跡や分水嶺、切り通しなど昔の江戸の地勢をより敏感に体感できるといえよう。


昨日はこれら神田川や本郷台地などを走り抜けて40分、「昭和」の残る千駄木や谷中の街並みを愛でつつ、大昔は海辺だったであろう田端の崖線の下にあるJR東日本・貨物の田端運転所にたどり着いた。構内には入れないが目の前に留置するEF65などの電気機関車、ちょっと目をやれば新幹線車両センターや尾久車両センターの客車・電車群を見る事ができるので、ここは鉄道ファンには絶好の散策場所である。見れば自家用車で写真を撮りに来た男性や、鉄子さんのお母さんと乳母車に乗った子鉄クンなどもちらほら。こうして秋の日の下で一日、普段はあまり行かない目的地を決めて、ぶらぶらと都内めぐりのジョギングをするのも悪くないものだ。

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昭和感漂う大観音通りの食料品店

2014年11月20日 (木)

「日本人が知らない軍事学の常識」草思社文庫

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兵頭二十八氏の、”日本人が知らない軍事学の常識”(草思社文庫)が本屋の店頭で「話題の本」として山積になっていた。著者の兵頭氏は陸上自衛隊を経験した後に大学に入った研究者で、月刊"WILL"の巻頭に定期的に掲載されている彼の記事が印象深い事もあり、迷わずこの文庫本を購入してみた。常々、PKOや災害救助などに奮闘する自衛隊員には秘かに敬意を感じつつも、純粋に軍事的な面から見た自衛隊の実力や日米安保の有効性、さらに現在の日本の立ち位置などについて自らの無知を感じていたので、この本は私にはちょうどよい軍事学勉強のテキストである。


一読すると「そうだ!」と首肯する部分、「なるほどそうだったのか!」と目からウロコの部分、「へー!」と新たに気づかされた三つの部分から成っていた、というのが大づかみな感想である。例えば「安全なはずの日本国が、明治以降、逐次に危険領域に足を踏み入れることとなったのは、シナ人に対する無知ゆえです。」と明治以降、中国にかかわった事が、近代日本の大失敗であると指摘する氏の論は、我がブログでも福沢諭吉の脱亜論とからめ同じ趣旨でアップした通りで、このあたりはただただ私は本書に同意するばかりである。また「『一億総背番号制』が日本を守る」というくだりは、真っとうでやましいところのない日本人ならまず誰もがそう思うはずで、氏の本音が心地よい。


自衛隊の経験者ならではの考察、例えばなぜ普天間の海兵隊と嘉手納の米空軍が統合できないのかというテーマは、「目からウロコ」でとても興味深かった。これは米海兵隊と空軍兵士の出自の違いによる気質や待遇の差などが関係しているそうで、マスコミから普段知らされる以外に米軍基地の問題には様々な側面がある事が伺える。まあ軍人と云うものは旧帝国陸海軍はじめ世界中のどこの国でも、敵をつくって危機をあおる事で自分たちの食い扶持を探すのだが、「米空軍の最大の悩みは、今日の主敵でありますシナ軍の飛行機や、地対空ミサイル部隊が、かつてのソ連軍に較べて、あまりにも技量低劣で、弱すぎることです。」という指摘が痛快だ。


この本によると、例の中国初の空母”遼寧”はもちろんの事、彼らの潜水艦の8割は稼動できず、イージス艦は格好だけで「張り子の虎とはシナ海軍のことで、彼らが威勢がいいのは、戦争になる前の段階までです。」と我々をひと安心させてくれるのだが、あまりに中国の軍隊が弱いと自衛隊も予算獲得に苦労するのだろうか、と読んでいるこちらが却って我が国防予算に心配になったりする。中国がいくら世界中から設計図をパクって外形は似たものをつくっても、素材管理や工程管理、下請けや軍需産業を支える幅広い産業基盤のなさで、米国製とは何十年もの開きがある、という説明も素直にうなづけるのである。


「他国から侵略される事を抑止するものは、その国の軍隊とそれに加勢する同盟国」だけとか「核兵器は(実際に)使えない兵器でも外交や戦争抑止には役にたつ兵器。」という基本的な軍事のスタンスを本書は判りやすく解説してくれたかと思うと、北方領土では4島返還でなく国後・歯舞・色丹の3島返還ならロシアは合意できるという縦横無尽の説明は我々を驚かせてくれる。何にもまして、原子力発電所を軍事攻撃すれば国家は麻痺させる事ができると云う事を3・11以降世界が知ってしまった、との問いかけは我々を震撼とさせる。たしかにいつ起きるかもわからない地震のほんの僅かな可能性を云々するより、原発に対するテロや攻撃の危険性をもっと議論すべきなのでは、という気持ちが本書を読んだらおきてきた。

2014年11月19日 (水)

本当に総選挙?

何だか良く判らないうちに、衆議院が解散して総選挙になるという。私はここまで安部政権のやり方について好意的に受け止め、支持もしてきたので「なぜ?」という思いが消えない。消費税の再引き上げを延期すると共に、その後は期限を決めて再引き上げを断固行う事について民意を問うのだそうだが、なんだか小泉政権の郵政解散にも似た単一イッシューでの国政選挙は、却ってその後の真剣な議論を封じてしまい、結果として国会運営が稚拙かつ拙速なものになると思える。


与党内にも当初の予定通り来年には消費税を10%に上げるべしとする勢力が多いので、このまま議論を続ければ混乱が必至、ここは安部さんとしては民意の後押しを得て選挙に勝利し、一挙に長期大型政権で思惑通りの政権運営を図りたいのだろう。しかし好事魔多しで、安部政権もアベノミクスもほぼ順調だっただけにそれに過信しやや自信過剰気味なのだろうか、やはりこの唐突な解散総選挙は多くの国民にとってよくわからないものではないだろうか。


消費税を来年に予定通り上げるのか、もう一年半延期するのかは議論の別れるところだから、今の布陣でも国会で丁寧な議論を大いに交わし、それを通じて国民に納得してもらう事もできる。ただでさえせわしない年末に何百億円もの金を使って、選挙を直ちに行わなければならない理由がやはり私にはピンとこない。せっかくうまく行っているのに、ここで足をすくわれないのかが心配である。願わくば我が杞憂が杞憂に終わって、安部首相の思惑通りこの増税延期選挙をテコに自民党の長期・大型政権が誕生し、真の保守政治ができる体制が来る事を望むのみである。

2014年11月13日 (木)

大阪マラソン2014

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という事で10月26日(日)は有馬温泉から神戸電鉄、阪急電車を乗り継いで、大阪マラソン2014に出場する義弟を応援する為に御堂筋にやってきた。当日は気温が20度以上に上がり、ランナーにとってはかなり暑い天気だが、応援する立場からすればうららかな秋の日となって、沿道で選手を待っていても気持ち良い。義弟には地下鉄を乗り継いで本町15キロ、大国町25キロ、最後に南港口35キロ地点で応援するからとあらかじめ伝えてあったものの、川の流れの様に押し寄せるランナーの中から一人で特定の人物を探しだすのは至難の業である。


この大阪マラソンでは”ランナーズアイ”という主催者のサイトで、目指す選手の5キロ毎の記録がチェックでき、随時相手がどこを走っているのかが即座にわかる事になっている。で当日はスマホでこのサイトを検索したのだが、皆がアクセスしているためか反応がすこぶる鈍くほとんど役立たずの状態であった。廻りの観衆に聞いても「これ、ぜんぜんアカンですねえ」と皆、応援する相手が今どこにいるのかメクラ状態で沿道に立っていたのであった。これではよほど前もって会える地点を打ち合わせしておかねばならないが、何せ私も義弟も大阪には土地勘がなく、『○○町の電気屋の前』とか『地下鉄××駅の△出口前』などと邂逅場所を事前に決定できなかったのが怨めしい。


もっとも目印に持参した旗を振って義弟を待ちつつ走ってくるランナー達の怒涛の流れを見ていると、「あんた達が主役」との思いが込み上げてきて、徐々に見ているより主役の側に行きたくなるのが走る者の習性だ。フルマラソンに出るたびに「もうこんな馬鹿馬鹿しいものは今回で最後にしよう」などと毎回思うのだが、他人がやっていると自分も参加したくなるのである。トップグループの後にはマリオや白鳥、スパイダーマンなどの衣裳のランナー達がやってきて、「頑張れ~」と声をかけると、一様に「おお」「ありがとう」「やりますよ」等と返事があるのも嬉しい。


大勢の中からお互いやっと見つけだした応援の甲斐も少しはあってか、暑さの中で義弟は自己セカンドベスト、3時間半ほどの記録でゴールできたようだ。まずまずである。それにしてもこうやってもっぱら沿道で応援する立場になってみると、マラソン大会とは警察や消防、競技役員の他、多くの補助員やボランティア、それに沿道の応援でなりたっている事が実感できる。そして皆に支えられながら、天下の公道を借り切って堂々と走れる事は何と幸せな事なのか、またそのうちフルを走ってみようかとの思いがホンの少し心に湧いてきた大阪マラソン2014だった。

2014年11月 4日 (火)

阪急神戸線

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阪急新型1000系のシックな車内

同窓会を終えて、有馬温泉から神戸電鉄に乗り終点の新開地で降りると、阪神や阪急、山陽電車への乗換えとなる。驚いたのは新開地駅の乗り換え口に改札機がなく、JR線相互の乗り換え駅の如く、それぞれ行きたい線のホームに行けるようになっている事である。阪神電鉄や阪急電鉄は今や同じホールディングカンパニーの傘下だし、神戸電鉄も阪急阪神のグループ会社だが、例え同じ系列会社だとしても、各社別の採算や乗客に関する統計などを、この様なシステムで正確にはじけ出せるのだろうか。ましてや山陽電鉄はまったく別の会社だし、ひとごとながら会社と会社の切れ目がこれで良いものかと心配にもなるが、今では切符の磁気化と自動改札機の導入によって不正乗車や誤乗なども防げるのだろう。東京では猪瀬前知事の一喝によって、昨年やっと九段下駅で営団地下鉄と都営地下鉄が隣合わせのホームで乗り換えられる様になったばかりとあって、さすが関西の私鉄は進んでいるものだと感心した。


さて新開地駅の地下ホームに、阪神と阪急の梅田行き特急電車が並んで発車を待っているのを見ると、オールド鉄道ファンは微妙な気持ちになる。「待たずに乗れる阪神電車」か「いつも座れる阪急電車」か、かつて阪神間で激烈な競争を展開した両社の特急がおとなしく隣同士たたずんでいると、僅か30分弱の旅でも梅田までどちらの電車で行こうかと大いに迷ってしまうものだ。今回はやはり阪急の高速運転を楽しむ事にして、おなじみマルーン色の阪急最新鋭1000系の梅田行き特急最前部に乗り込むと、車内は一段とダークになった木目の化粧版とオリーブ色の座席に、関西私鉄のお約束、カバーで覆われたライトが映え、なかなかシックな雰囲気を感じる。昭和30年代後半に登場した2000系以降、現在に連なるまでの阪急デザインの集大成がこの1000系の車両であるかのような内装とも言えるが、そういえばかつての(旧)1000系は、阪急初の高性能電車として登場した「味」のある車両だったから、この新1000系電車にも関係者の大いなる思い入れがあるのだろう。


快晴の日曜日朝、神戸三宮を出た新1000系特急は六甲山を左手に、「王子公園」を通過する頃には絶好調の高速運転に入り、これぞ阪急という爽快感で飛ばし始める。とは言っても久しぶりに乗った特急は、ほどなく岡本に止まり、何と最近は夙川にも停車するのは一体どうした事だ?!JRの新快速運転や様々な乗客の動向はあろうが、三宮を出たら西宮北口と十三だけに停まった後に3複線を梅田駅に滑り込むと云うのが阪急電車の醍醐味だったはずなのに、速さで勝負をしない阪急とは牙の抜かれた虎の様にも思える。こうやって東京からせっかく乗りに来た私の様な奇特な客も世の中にはいるのだから、休日は1時間に1本くらいは昔の停車駅だけで特急を運転して欲しいと云うのは勝手なファンの願望だろうか。それでも西宮北口から十三まで、伝統のボルスターアンカ付き台車のモーター音も軽やかに特急は快走し、最後に宝塚線や京都線と併走しつつ梅田のターミナルに到着すると、毎回の事ながら阪急に乗って楽しかったなあと云う気持ちが湧いてくるのであった。

大阪に来ると思わず訪れたくなる阪急梅田駅構内
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