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2014年10月 1日 (水)

祝・東海道新幹線開業50年

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山陽筋に永らく残っていた0系

東京駅の新幹線中央乗り換え口を入ると19番線ホームの下に小さな銘版がある。「 東海道新幹線 この鉄道は日本人の叡智と努力によって完成された」・・・「営業開始 1964年10月1日」とそこには記されている。飛行機やモータリゼーションの時代が来るのに、世界銀行から借金をしてまで高速鉄道を造るとは何事か、と当時は万里の長城や戦艦大和と並んで”世界の三大バカ”と嘲笑された「夢の超特急」が、乗客の死亡事故ゼロを更新しつつ開業50年を迎えた。新幹線の成功によって、今では欧州だけではなく中国や台湾に高速鉄道が導入され、アメリカでも真剣に高速鉄道が検討されていると伝えられているから、日本人はこの偉業をもっと誇りに思って良いのではないだろうか。


思い起こせば、鴨宮のモデル線区で試験車両が次々と速度記録を更新する様子を、ヘリコプターからのTV中継で見て興奮していたのがついこの前の様な気がする。その憧れの「夢の超特急」に初めて乗ったのが開業半年後の昭和40年3月だった。それまで在来線151系特急「こだま」や「つばめ」で6時間半かかっていた東京・大阪間が4時間(当初)で結ばれ、「なんて便利な時代になったのだろう」と感激したものだった。それから現在に至るまで、何百回新幹線に乗った事だろう。いま新幹線開業50年と聞くと0系、100系、300系、500系、700系、N700系とそれぞれの型式に乗った際の様々な思い出が蘇ってくる。


0系と云えば昭和50年代大阪で仕事を終えた後、会社の仲間と帰京する際に京都手前から東京直前まで食堂車で宴会を続け、結局自分の席に戻ったのが到着前に荷物を取る時だけだったという事があった。一体どれだけ飲んだのだろうかと支払いの際に結構ドキドキしたが、たしか一人7000円くらいで覚悟していたよりは安く、やはりいくら飲んでもしょせん列車の食堂か、とホッとしたものだった。新幹線と酒にまつわる思い出も幾つかある中、窮屈で堅めの乗り心地だった500系普通車3人掛け中央席に、二日酔いの際に押し込まれた時の辛さなどは、思い出すと今でも冷や汗が出てきそうだ。


2階建て100系の1階にグリーン個室が設置された時には、出張の折にこの個室を予約してゆったりと寝ながら旅した事がよくあった。当時は飛行機で行くなどと偽って会社に旅費申請をし、規定外のグリーン料金をなんとか捻出した事などがおぼろげに脳裏に浮かんでくる。その他、瀬戸内を案内したアメリカ人達を連れて福山駅ホームで東京行きの乗車列車を待っていた時に、駅を通過する「のぞみ」のあまりの速さに彼らが大きな驚きの声をあげていた事など新幹線にまつわる思い出は数えきれない。


飛行機 VS 新幹線の比較では私は世間の標準よりやや新幹線派だと自認している。今でも東京から西日本に出張する際には阪神地区までなら100%新幹線、岡山・福山でもほとんど新幹線を利用し、広島になると行きは飛行機で帰りは新幹線というパターンが多くなる。広島以西になってやっと飛行機を利用する割合が増える鉄道派の私としては、これからも新幹線が日本列島をくまなく結び、事故のない運転を続けて欲しいと願っている。ただあえて注文するならば、東海道新幹線などの普通車のうち少なくとも指定席車両は、そろそろ横3列+2列の5席並びを横2列の計4列にし、もっとゆったりと旅を楽しませてもらいたい。私なら現行の3列シートの真ん中に座る位なら、次の列車を待つか自由席に移るかした方がまだましだと考えてしまうのである。

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