2014秋・目白のさんま
先週末、近所にある馴染みのカジュアルフレンチレストランに妻と行った。ここは新鮮な素材を使って調理するお店で、その日は新サンマのマリネなどもあると言うからさっそく二人で味わう事とした。それはそれでおいしかったのだが、これで秋の味覚、”サンマの塩焼きが食べたい症候群”のスイッチがすっかり全開になってしまった。9月になるかならぬかの頃から妻は「今年もサンマの季節ね。スーパーで一尾150円になったら買うからね。その時期になれば脂ものって美味しいし・・・」と言っていたが、やっと値段も下がってきてサンマの季節到来である。
で、今年も目白にあるスーパーで秋刀魚を買って、恒例の目黒ならぬ”メジロのサンマ”としゃれる事にした。目白の秋刀魚なら本当は七厘に炭を入れ、団扇でパタパタ扇ぎながら火力を調整したいところなのだが、そこは哀しいかなマンション住まいでそうもできない。ただ最近のマンションに備え付けグリルの性能は素晴らしく、煙や匂いもあまり出ないうちに、こんがりと適度に火が通った秋刀魚の塩焼きができてきた。
つるべ落としの秋の空、家の下で遠く虫の音も聞こえる夕餉に、日本酒をちびりちびり飲みながら程よく焦げて脂の乗った秋刀魚を食べていると、「ああ、日本人でよかった」と幸せな気分になる。本当はマツタケなどもお皿に添えられていたら最高なのだが、中国産はいやだし国産は高くて手が出ない。それでも秋刀魚を食べながら、妻と「俺の方が残さず食べたぜ」「いや私の見てよ」と皿を較べながら子供じみた競争を繰り広げると、今年もやっと秋の到来だ、とちょっとしみじみとなってきた。
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本邦の文字はかつての大陸からの輸入品ではあるものの、輸入時点からその後、両地域において独自の変化を遂げ、今となっては同じ文字でも微妙に意味合いが異なる場合も多々あります。
例えば「聞」。日本語ではlistenの意味ですが、大陸ではsmellの意味になります。これは日本側で独自に変化したようで、香道においては「香を聞く」と今でも言いますね。
で、かつて台湾からの研修生と話した際、私がマンダリンで「このクッキーは甘いなぁ」と「甘」の文字を使ったところ彼から、それは古典の使い方で現代では「甜」を使わないと意味が通じないよ、と教えられました。
じゃあ「甘」は現代ではどんな意味なんだい?と問うた答えが、焼魚を食べる時の内臓の味が一番近いと。
昔は焼魚の内臓も「甘」カテゴリーの一翼を担っていたものの、砂糖の普及による別次元の甘さの登場に新たな文字を割り当てられ現代に至ったようです。
サンマの事後の写真からすると旬の「甘」を堪能されたようですね。砂糖の普及以前の人々にとってはこれが「甘」カテゴリーだった、などと思いを馳せるのもまた一興?
投稿: 乃木坂46才 | 2014年9月15日 (月) 00時04分
乃木坂46さん
たしかに中国と台湾と日本では、漢字が似ていたり、異なっていたりと困惑します。
魚の内臓を「甘」とは言い得て妙ですね。
投稿: バルクキャリアー(ブログ主) | 2014年9月16日 (火) 21時26分