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2014年8月

2014年8月31日 (日)

夏の終わりに

ランナーにとっての厄月、8月がやっと去ってくれる。温暖化気候とかで時として35度以上になる気象条件のなか、コンクリートジャングルの東京ではとても夏の陽の下で走れたものではない。毎年、8月の週末は止む無く朝6時半ごろに起きて太陽が高くなる前に走るのだが、なにせ関東地方の8月は朝5時には明るく、ジョギングから帰って来る朝8時頃には陽が高く上ってたまらない。走るもののの視点からすると、日本でも欧米の様に夏時間(デイライトセービングタイム)を採用して欲しいと過去何度もこのブログに書いたとおりだ。


といっても今年の東京はこの1週間ほど前線の影響で、気温も25度以下とあって、空気がひんやりして走るには例年よりずっと快適である。願わくばこのまま秋の空になって欲しいものだと、窓から低く垂れ込めた東京の曇り空につぶやく此の頃である。秋になると日比谷公園で水曜日と金曜日昼休みに行われるブラスバンドのコンサートを楽しみ、週末は東京六大学野球の観戦に神宮球場に出かけるのが変わらぬ永年のパターンとなった。そのほか後輩の大学生からは試合への応援案内が繁く来るし、ラグビーが強ければ秋が深まる季節に秩父の宮ラグビー場に足を運んだりと、手帳に控える予定がぐっと増えるのも秋の楽しみといえる。


そういえばかつてこの季節は接待のゴルフが重なって、好きなスポーツ観戦をあきらめて下手なゴルフに駆り出されていたものである。今の会社では 「ゴルフはもうやらないよ」 と宣言しているので、毎週の様に朝5時に起きてゴルフ場に駆けつける事もなく体が楽で良い。代わりに今年は「ねんりんピック」栃木大会の東京都代表に選ばれ、9月21日は東京都選手団の結団式とユニフォーム貸与、いよいよ10月の試合まで一ヶ月となった。試合にむけて少しはスピード練習をするかと1000米や1500米のタイムトライアルを一人で行っても、何も専門的トレーニングをしていなかった中学1年の頃よりも記録が悪い。若さとはなんと素晴らしいものかと我が年齢を省みつつ、また一年筋力や持久力が落ちていくのかと夏の終わりが嬉しい反面、時の経過を惜しむ気持ちもするのである。

2014年8月24日 (日)

うなぎ江戸川橋 「はし本」

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会社も第一線をはずれると、昼食つき会議の回数がめっきり減って、以前は毎週の様に食べていた”ちらし”や”うな重”にお目にかかる事も稀になった。人間と云うのは不遜なもので、往時は「今日もまたうなぎ?ちょっと飽きたなあ。外国の会社の様にドミノピザでもとってピザ片手に議論するか」などと弁当手配の女性をからかうと「(高齢の)会長がそんなのOKするわけがないじゃないですか」と軽くいなされたものだ。そんな生活を懐かしみながらも、中国製品・食品の不買運動を展開中の身としては、スーパーで売られている国産うなぎの小さく高いパックに手が出ず「うなぎ食いたし懐さびし」の日々を過ごしていたのである。


ただ最近は会社から直帰で妻の料理負担も大変だろう、という事で昨日は久々に2人でうなぎを食べに行く事となった。予約したお店は江戸川橋の「はし本」である。以前、友人と同じ江戸川橋のうなぎ名店「石ばし」のうなぎを堪能、その事をうっかり一言妻に漏らして以来、彼女のたっての希望である”江戸川橋でうなぎ”の夢実現である。1835年(天保六年)から神田川沿いの同じ場所にあると云う「はし本」の店構えは、さりげなく周囲の景色に溶け込んでいかにも旨そうなお店という赴き。これを楽しむために昨日は夏の盛りに、夫婦で15キロもジョギングして腹をへこませて来たわけだから、のれんをくぐる二人の足取りも軽く期待が高まったのだった。


「今日は予約で一杯です」との張り紙で、我々は予約してきた事を喜びつつ一歩お店に踏み入れると、店内は濃い緑を基調にしたつくりで落ち着いた雰囲気である。早速うなぎのお店のお約束、”大瓶のビンビール”で乾杯となるが、出てきたビールが程よく冷えて気持ちが良い。今日の為にネットでメニューを予習してきたという妻は、ビールを飲みつつ「 やきとり、たまごやき、ひれ串、白焼き、それから少ししてうな重『並』を下さい、あ、それからきも吸いも!」と一挙に注文するその声は淀みない。旨いものを食わせておけば、彼女はだいたい機嫌が良いのである。最初にオーダーをすべて言ったのが効を奏したのか、料理が出てくるのはこれぞべストというタイミングで、他のテーブルにサーブする際も、お店の人がきちんと店内の様子を把握している気配りが感じられる。
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本日のクライマックスの”うな重(並)”は、うなぎが得もいえぬふっくらした食感で、これがほんのわずか硬めだろうかと感じるお米とほど良くマッチする。たしか3年半前に食べたお隣「石ばし」のうな重はごはんがやや柔らかめだったような記憶があって、それぞれ二つのお店の味は微妙に違うもどちらも甲乙つけがたい旨さである。たれはやや濃い目だろうか。開店して僅か数年のラーメン屋や焼き鳥屋が「秘伝のたれ」などと宣伝しているのを見る度に「おもしろいジョークだね」と笑ってしまうが、「はし本」のたれこそ江戸時代以来の”秘伝のたれ”なのだろう。「お金はただではとらないのだなあ」と改めて感心するばかりだ。「はし本」も東京に7つあるミシュラン星つきのうなぎ名店の一軒だそうだが、お店の人が変に気取っていなくて価格もリーズナブル、昔からあるウナギやさんという風情がとても良かった。
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2014年8月22日 (金)

魔法の封筒袋

定年後の再雇用、といっても同業の他社だが会社勤めを再開してから早くも三年経った。ライン的な仕事も一部しているものの、そこは本来の部長さんや課長さんの世界である。特段ミッションがないようなきわめて暇な日もあって、そんな日はどうやって時間をつぶすか本気で考えねばならない。皆が忙しそうに働く大部屋で、あまり暇そうに新聞を広げたり、堂々と居眠りすることが出来ないのが気の弱い私の性分だ。そんな時は会社近くの図書館が絶好の時間つぶし場所となって、そこでゆっくり新聞各紙や普段は読まない月間誌などに目を通したりする。みると平日昼の図書館は初老の男性のたまり場と化していて、俺もそのうちこうして毎日暇つぶしをしているのだろうかと数年後の我が姿を思いやったりする。


もう一つ格好の場所が区営プールで、毎週一回は昼休み時間を利用して泳ぎに行く。その際は地下鉄で2駅先のプールまで往復に25分、着替えやシャワーに20分、プールで泳ぐのが実質40分で計1時間半、それに立ち食いそばなどを帰り道にかけこんで2時間ほど席をはずす事になる。もちろん昼休みは原則1時間だから、出て行くのも帰るのも昼のチャイムのはるか前と後なので、何食わぬ顔をして席を外し、かつ何食わぬ顔して席に戻っている。夏バテなのか何となくぼんやりした体調の夏の日も、昼間に泳ぐと体がしゃきっとして気持ち良いし、パソコン仕事からくる肩コリも水泳をした後はすこぶる具合が良い。オフィス街にある昼の公営プールは子供がおらず、大体同じ顔ぶれの中年以上スイマーが20人ほどだ。当然の事ながら女性もきわめて少ないから、ここも雰囲気的には昼の図書館とあまり変わりない場所である。


このプール通いに必須の小道具が、紙の内袋に透明ビニールのカバーがかかった事務用の手提げ袋である。紙の部分の水濡れを防ぐ為にもう一回り小さな別のビニール袋に、水着やキャップ、ゴーグルとスポーツ用タオルを押し込み、それをこの事務袋に収めてそそくさと職場を出入りすれば誰もプールに行ってくるなどと想像できないはずだ。多分これを持っていれば、どこかの商売相手と資料でも見ながら会食するのか、あるいは私用にしても金融機関とか郵便局の用事だと思われるだろうから、昼休みをかなり過ぎてシレっと事務所に戻ってもあまり変な詮索をされる事はない。この手提げ袋、毎週の様に使って1年経ったが、紙が破れたりもせずなかなかの優れものである。こうしてみるとこんな超安物の事務用品でも、その持ち主の行動を決めたり生活を助ける良き身近な道具となるものである。

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2014年8月20日 (水)

縄文時代の東京都民(2)おどろきの東京縄文人

2013年2月に東京新宿区の工事現場から縄文時代の人骨がまとまって発掘された事をアップしたが、この事件が講談社から瀧井宏臣著 「おどろきの東京縄文人」 として先ごろ発刊されたのでさっそく購読してみた。予期したとおり、この本では市ヶ谷の防衛省にほど近い現場のロケーションに関する考察に加え、なぜ普通は土中で朽ち果てるはずの人骨が残ったのか、残った骨をもとに縄文人の顔を復元するとどうなるのかと云うプロジェクトの詳細などなど、われわれ東京都民の大先祖にまつわるロマン溢れるエピソードが満載の読み物であった。


先のブログでも触れたとおり市ヶ谷加賀町の現場はちょうど武蔵野台地の東端にあたる場所である。北側には神田川があり、現場至近にあたる現在の外苑東通りはかつて神田川の支流が流れていたと考えられる。南には後年に江戸城外堀に連なる水の流れもあったとされるから(現在の靖国通り)、現場は当時は豊かな水に囲まれた台地であった事だろう。神田川を挟んだもう少し北方の斜面が陽当たりが良い事から小日向と呼ばれるとおり、加賀町のあたりも今の靖国通りに向かって日照の豊かな森が広がっていたはずである。


「おどろきの東京縄文人」によると、ここで発見された縄文人の骨は4000年前から古いもので5000年前のものまで全部で16体、そのうちまとまった人骨が6体とある。浅い地層からこんなに確認できるほど多くの骨が出てきたため、一時は最近の殺人事件の可能性があると疑われ、牛込警察の現場検証も行われたそうだ。普通は酸性の関東ローム層に覆われて骨などは残らない場所で、なぜ大量の人骨が発見されたかについては、現場の土の水分や一緒に埋められた貝殻のアルカリ成分に加え、土地の上に永らく武家屋敷があった事や大きなビルなどが建てられなかったなど様々な幸運が重なったらしい。


身長が161センチ程度、5000年前に亡くなったと推定される一体の骨からなる縄文男性の顔は、復元プロジェクトの完成写真から見ると彫りが深くがっしりした顔でなかなかの男前である。今でもそのままテレビのアクションもので、ちょっと悪役になって出てきそうな現代的な顔つきだ。弥生時代に大陸から渡来した人と混ざって現在の日本人ができたと云われるが、復元された元祖・日本人もなかなかの偉丈夫と見える。このほか現代科学によって当時彼らが何を食べていたかまで今では分析できるそうで、彼らは山の幸の他に魚介類も良く食べた人がいた事がうかがえると云う。この本を読んでいると5千年前の東京人の食生活は思ったより豊かだったようだし、人間は時代が変わっても人相などはあまり変わらないのだな、と思ったりもするのである。

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2014年8月11日 (月)

「中国の大問題」を読んで

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どこかの書評欄で、著者は中国寄りとされるものの「一読しておいて良い本」とあったので、伊藤忠の社長を退いた後に中国大使を務めた丹羽宇一朗氏の「中国の大問題」(PHP新書)を読んでみた。丹羽氏は伊藤忠が大量の不良債権で苦しんでいた時に会社を立て直した経営者で、かつて彼の功績をNHKが紹介した番組では、社員より早く電車で出勤し激務にいそしむ氏の姿が好意的に放送されていた。当時、私は何人かの異なる部署の伊藤忠社員に折々「あの放送は本当?」と聞いたのだが、皆一様に「そうですよ」との返事でやはり丹羽氏は名経営者だと感心したものだった。


しかしその丹羽氏の著書「中国の問題」は、商売人の目から見た日中関係に重きを置きすぎで、いささか失望したというのが読後の実感である。中国人に知己も多く、永年中国各地を廻った丹羽氏の豊富な経験に基づいた解説は興味深いが、結局のところ増長する中国に対して日本人は中国人を理解する様に努力しよう、中国の無体な行動に大人の対応をして粘り強く立ち向かおうとありきたりの呼びかけである。それは14億の民が購買力を持つに従い、中国市場を欧米に手放すのは余りに勿体無いと云う考えが根底にあり、その為には少々なら我慢しようという商人的下心が透けて見える様に思うのである。


丹羽氏がいみじくも本書で解説されている様に、たかだか9千万人の共産党員が少数民族も含む14億の民と広大な土地を治める正当性の根拠は、「抗日戦に勝利した事」だから、しょせん我が国と共産党中国とは水と油の存在で、そもそも付きあうのが難しいのが日中関係の本質である。すでに日中の経済関係は切っても切れない相互依存にあると解説する人もあれば、関係が断絶しても日本にとって致命的な経済的損失がないとする向きもある。仮に我が国の経済がいかに損なわれ日本が東アジアで孤立しようと、ここは相当な覚悟をもって日中の関係に一線を引き、これまでのやり方を見直す時に来ていると思っている私は、いくら名経営者であってもやはり丹羽氏のスタンスには寄り添えない。


1885年に福沢諭吉が書いたとされる「脱亜論」は、「不幸なるは近隣に国あり」として、日本は東アジアの悪友である清国と朝鮮と謝絶する事を説いている。「脱亜論」にはいろいろな解釈があるそうだが、日本が独立をまっとうするためには中国や朝鮮と関わってはならないと云うのが福沢の持論だったと一般的には理解されている。大東亜戦争に至ったその後の過程を見ると、福沢の論はけだし正鵠を得ていたと彼の慧眼に目を見張ると共に、今一度、現代版の脱東アジア論を再考し、日本はどんなに困っても中国や韓国とは政治・経済で距離を置いて新たな戦略をはかる事が必要ではないかと考える。今年も暑い夏の日が続き、うなぎの蒲焼を喰いたいのがやまやまだが、中国産と表示があるとやせ我慢で買うのを拒否する私は、国産うなぎの値段を見てはため息をつくこの頃である。

2014年8月 7日 (木)

朝日新聞「終わりの始まり」

「捏造」「日本をおとしめる」などと高まる世論に抗しきれなくなったのか、ついに朝日新聞が『慰安婦』に関する検証記事を書いて、強制連行の事実は確認できなかった事や、女子挺身隊と慰安婦問題を混同した事で、自らの過去の誤りを『一部』訂正した。有史以来、世界中であった軍隊相手に商売をする女性たちを、ことさらセンセーショナルに「従軍慰安婦」なる呼称で呼び、挺身隊と結び付けて、あたかも国策で強制的に連れてきたかの如く虚報を発しつづけて30年間、橋下大阪市長の云うとおり朝日の犯した罪はきわめて重い。この問題について朝日がどう決着つけるのか、かねてから興味を持っていたのでさっそく昨日は購読する読売新聞の他に朝日・毎日・産経の各紙朝刊を買って読み比べてみた。


毎日新聞は、一面で朝日関係者の国会喚問をほのめかす石破幹事長に対し「報道の自由懸念残す」との見出し。ニセの記事がきっかけで外交問題に発展しているのだから、その記事が作成された経緯を国会の場で公けにする事は、むしろ「国民の知る権利」につながると私は思うが、朝日と同じく偏向している上、斜陽の毎日らしくいささかピントはずれの記事が笑える。産経新聞は西岡力氏(東京基督教大学教授)の「日本の名誉傷つけた」などのコメントで堂々の論陣、朝日の最近の主張 『強制連行なくとも強制”性”はあった』 というやけくその言い訳を論破し、この問題で完勝した喜びが紙面から出てくるようだ。読売も思ったより冷静ながら「朝日こそ問題の直視を」(坂元一哉・阪大教授)のコラムに「朝日の責任問う声」の記事が意地をみせる。


肝心の朝日は、「1990年代当時は他紙も同様の記事を書いていた」と、まるで間違えたのは皆も同じで「悪いのは僕だけでないもん」とふて腐れた子供の様だ。朝日がかつて報じた如く国家の後ろ盾で強制的な連行があり、何万人もの女子挺身隊が意に反して『慰安婦』とされたか否かが事の本質だったのに、その記事が間違いとわかるや「女性への暴力」だとか「本質は人権問題で、強制があったかは大きな問題ではない」などと識者のコメントに託しつ話をすり替えるあたり正に三百代言。教師に反省文を書かされた中学生が「書きゃいいんでしょ、書きゃ。本当は何も悪いと思ってないし」とペロっと舌を出しているかの様な往生際の悪い検証文である。


なにしろ朝日新聞たるや戦争中は最も軍国主義を煽ったと思ったら、戦後はニセの伊藤律の単独会見、最近ではサンゴ礁事件とデッチあげがお得意の新聞である。お祭りどんどんに主義主張の為なら何でもOKの空気が社内に蔓延しているのだろうか。本当に慰安婦問題を検証するなら、下手な言い訳と問題の敷衍化をさけ、これまでの記事の全面撤回と真摯な謝罪をしたらどうなのだろうか。私も朝日新聞を祖父の代から購読してきたが、余りの偏向ぶりにとうの昔に読売新聞に代えてしまった通りである。正力や渡邉礼賛とジャイアンツばかりの読売も少々ウザイが、朝日の偏った記事に較べれば可愛いものである。西山事件が一つのきっかけで毎日新聞は傾いていったが、慰安婦問題の検証をはぐらかしている朝日を見ると、この会社の「終わりの始まり」がいよいよ始まった気がしてならない。

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2014年8月 5日 (火)

サントリードリームマッチ2014

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先ごろ、妻がネットで何やら申し込んでいると思っていたら、運よくプロ野球 ”伝説たちの名勝負” サントリードリームマッチ2014の入場券が当たったとかで、昨夕は東京ドームに2人で行ってきた。日頃マンションのゴミ捨て場にある缶類分別箱には、ちょっと気恥ずかしいと思うくらい我が家で飲んだビール缶ばかり並ぶくらいだから、ビール会社にとっては我々はまあ上客なはずだ。ネットを通じた抽選とは云え、たまにはこのくらいの見返りがあっても当然かと、冷房の効いたドームで4万人の大観衆と共にかつての名選手たちが繰り広げる野球を楽しんだ。ワールドカップのサッカーも良いが、やっぱりおじさん世代はプロ野球なのである。


ザ・プレミアム・モルツ軍は宮本和、対する東北・ジャパンヒーローズ軍は桑田と元巨人軍ピッチャー同士の先発で試合は始まる。回を追うに従い村田兆治やパンチ佐藤など次々とお約束の選手が登場してくるが、その度に場内は万雷の拍手と 「おお~!」という声援で一斉に盛り上がる。しかし出てくる選手は皆一まわりお腹が出たうえ下半身は細くなって、走塁するとドタドタとおっさん姿が少々こっけいである。ただ守備になるとそれぞれ打球をきびきび処理するプレーが往時を彷彿とさせ、やはり野球は守備からかと感じさせてくれる。目の前でプレーする東尾や田尾などの世代にバース・掛布・古田などのヒーローが加わった両軍ラインアップは往年のファンにとっては正に垂涎の的、時が経つのも忘れさせてくれたのだった。
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球界のご意見番・張本のたった一度の打席は、彼が2ストライクから見逃した球はコースに入っていても ”ボール”らしい。で、最後に空振り三振すると、審判は 「いやいやこれはファール・チップ」とばかり打席に戻れのジャッジに場内は大爆笑 (本当は三振ファウルチップで捕手の正規捕球ならバッターアウト。ただし後でTVで見ると捕手はわざと落球 )。ここでは審判も役者である。うりの禿げ頭でかつてはTVの「珍プレー・好プレー」常連だった近鉄の佐野は、金ピカグラブをはめ投球する毎に帽子を飛ばしカクテル光線に光る頭頂部を見せる名演技である。また途中からショートの守備についた桑田の軽快なプレーは、彼の運動能力の高さを見せてくれてとても気持ち良かった。それぞれの選手がエンターテイナーを演じつつ、時折アスリート的な本質をのぞかせたかと思うと、かつて野球少年だった一面も見せてくれ、こちらも愉快な気分になって帰路についたのだった。ビールなどの売り上げの一部は東北の野球少年へ贈られるとあって、世のため社会のため、我々もビールを場内で買って楽しんだ事は言うまでもない。

ショート桑田の守備は見ごたえあった
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2014年8月 4日 (月)

飛鳥Ⅱ 九州島巡り・長崎花火クルーズ(5・完)釜山寄港

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福江港の飛鳥Ⅱ

このクルーズの最終寄港地・釜山は10時について16時出港である。飛鳥Ⅱやにっぽん丸など日本の船に外国人船員を乗せる事について、海員組合との協定か国交省の指導か寡聞にして知らないが、とにかく日本のクルーズ船は一定期間に一度は海外の港へ寄る事を義務づけられている。しかし釜山での僅か6時間の寄港時間には入出港の為の手続きも含まれるから、乗客が上陸できる時間は実質的に5時間にも満たなくなる。その間に(当然と云えば当然だが)本船はちゃかりと日本国内より安い燃料(バンカー)を補油しており、釜山入港は云わば、形式的かつ一方的に船の都合による”寄港の為の寄港地”と云えそうだ。


せっかくこのクルーズでは種子島から八代、福江、長崎と九州の素晴らしい港や海岸線を観光してきたのだから、最後に船の都合で釜山や済州島なぞに寄港するより、佐世保でも唐津でも伊万里でもクルーズ船のディスティネーションとして魅力的な港が九州には溢れているではないか。すでにプリンセスクルーズなど海外資本の外国籍大型船がカボタージュ規制に抵触せずに日本の市場に本格的に進出している時代である。訪船クルーズ各社は関連諸機関と粘り強く折衝し、外国人船員が乗船していても一定の条件を満たしているのなら、韓国などに延航しないで済むように尽力願いたいものだ。


さてこのクルーズの乗船客は600人ほどで、途中の長崎で100人強が下船したが替わりにほぼ同数の乗船客が後半のクルーズに加わった。ちょうどこのくらいの人数だと船内もゆったりしていて心地よい。我々はいつも通り夕食はセカンドシーティングだったが、ダイニングルームは適度に食事を楽しむ人がいるという感じで、混雑もしていなければ閑散ともしていない。朝食時のリドカフェで、食事を選ぶ前にテーブルにハンカチやバッグをおいて席とりをするというマナー違反の人もごく一部に見られたものの、船内では見知らぬ同士が行き会う際に会釈を交わす場面も多く「乗客の醸し出す雰囲気」も総じて落ち着いた上質なものを感じた。我々にとってはちょっと懐に厳しい8泊のクルーズだったが、クリスタルハーモニーを引き継いだ設備的に一流の船上で、楽しくかつ ”のんびり忙しく” 夏休みを過ごす事ができた。

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釜山港の飛鳥Ⅱ。小さい船がバンカーバージ(タンカー)で、本船に燃料油を供給している

2014年8月 3日 (日)

飛鳥Ⅱ九州島めぐり・長崎花火クルーズ(4)長崎

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香焼工場から市内方面を望む(工場内は撮影禁止)

クルーズ6日目、キャビンで目を覚ますと飛鳥Ⅱは、既に長崎港の出島岸壁に係留作業中であった。ちょうど”ながさきみなとまつり”の真っ最中とあって、隣接する松ヶ枝客船ターミナルはぺーロン競漕の観客席が造られていて客船の着桟はできず、イベントが終わる5時ごろに本船は出島岸壁から松ヶ枝岸壁にシフトする予定となっている。長崎は昨年のゴールデンウイークに”コスタ・ビクトリア”で訪問したばかりだったが、今回は初代飛鳥や飛鳥Ⅱも造った三菱重工の長崎造船所本工場および香焼工場を訪れる半日ツアーがあるので上陸も楽しみである。最近はプリンセスクルーズなど外国の大型船が日本市場に進出しており、我々もしばしば外国船に乗るものの、船内の講演会のレベルや造船所見学などショアエクスカーションの充実という点では日本船に一日の長ありといえよう。


さて9時前に出島岸壁を出発した観光バスは、30分ほどで最初の見学地である三菱重工の香焼工場に到着し、そのまま工場の案内の方がバスに乗り込んで構内を廻る。仕事がら造船所はしばしば行った事があり、貨物船や大型のフェリーの建造なども間近で幾度も見たが、巨大なLNG船やドイツのアイーダクルーズに引き渡す12万トンのクルーズ船”アイーダプリマ”の建造行程を実地に見るのは興味深い。ただ、ここでちょっと残念だったのは、造船所内は撮影禁止とあちこちに注意書きがあるのもかかわらず、まったくお構いなしにパチパチと写真を撮りまくる一部のツアー客がいた事である。クルーズ船に乗る事ができる程の余裕と、モラルや規範は別の次元のものなのだろうか、飛鳥の船客も様々だ。案内の人は 「 場内は撮影禁止です。もし撮るなら個人的に家で楽しむだけにしてネットなどには絶対に流さないで下さい。以前、修学旅行の高校生が建造中の客船の映像をネットに流して大問題になった事があります」と苦肉の注意喚起である。


その後、香焼工場からそのままバスに乗って30分、飛鳥Ⅱが着岸している出島岸壁の対面にある長崎造船所の史料館を一時間ほど見学する。長崎造船所で建造された数々の商船や軍艦の資料のなかには、かつて新入社員時代に関わった貨物船に関するものもあって見学時間が足りない程であった。さてこうして興味深く半日ツアーを終えたが、ここ長崎では造船所の他に世界遺産候補の軍艦島ツアーも人気だったとの事である。通常、本船主催のツアーと云うと寺社仏閣や自然観察の観光が多い中、これからはさまざまな現役工場や産業の遺構見学を本格的に組み入れたたらどうであろうか。私もこれまで造船所の他に製鉄所、自動車工場、精錬所やセメント工場など様々な施設を見学する機会を得たが、とにかく百聞は一見にしかずで工場見学は多くの驚きと発見が詰まっている。


本船に戻ってほどなく次港・ブサン寄港の為に乗船客の出国対面審査が船内のクラブ2100で行われ、クリアランス手続きが終了したのが4時過ぎであった。この後は横浜帰港まで本船は外航船資格となるので、日本の酒税や消費税は免税となり、ここまで648円で売られていた船内のビールは400円で楽しめる。外国船では通常ショアーから船内に酒類の持ち込みが不可か、又は1本だけなどとごく限られるところ、あまり酒で稼ごうとしていないのも日本船の良いところである。日本船に乗ると国内各地に寄港の度ごとにコンビニやスーパーで安いビールや地元の酒を仕込んで船に持ち帰り、部屋の冷蔵庫で冷やしてよく飲んでいる我々も、ビールが安くなるならと長崎からは船内で購入する事にする。ただしその晩は”ながさきみなとまつり”の花火を船上の特等席から楽しみつつ、”飛鳥Ⅱ 縁日&盆踊り”と云う事でビールや缶チューハイが無料でふるまわれたから、すっかり気持ち良くなって出来上がってしまった長崎の夜であった。

船上の花火
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2014年8月 2日 (土)

飛鳥Ⅱ九州島めぐり・長崎花火クルーズ(3)五島福江島の灯台と教会

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大瀬崎灯台

九州各地には出張や観光で幾度となく来た事があったが、天草諸島や五島列島を訪問する機会はなく、いつの日か来島したいものだとひそかに思っていた。で、夏休みに九州島めぐりの飛鳥Ⅱに乗船したのも、このクルーズが五島列島の福江に寄港するのがその理由の一つであった。五島と云えば隠れキリシタンとなるが、殊に宗教心のひたすら薄い私でも、遠藤周作の「沈黙」はかつて2度ほど読んだ事がある。若い日に感銘を受けた小説の舞台がこの地である事から、五島と聞くと今でも何やら特別な響きを胸に感じるのである。


飛鳥Ⅱが接岸できる大きな桟橋がない福江港には本船のテンダーボートで上陸である。港から30キロあまり離れた島の反対側にある大瀬崎灯台を見学し、かつ妻が希望する4箇所の教会を半日で廻るにはレンタカーが必要、という事で港に程近いレンタカー屋で予約していた車をピックアップする。島の道はほとんどが50キロ制限で集落に入ると40キロとなり、レンタカー屋の話ではスピード取り締まりは結構厳しいとの事だから、カーナビに従いまずゆったりと大瀬崎を目指す。すれ違う車も少ない快適なドライブを小一時間続けると断崖絶壁の向こう、島の西端に立つ大瀬崎灯台を望む駐車場につく。かつて遣唐使がわが国の見納めと振り返ったであろう岬の灯台まで、この先の駐車場から1.2キロの山道を歩かねばならない。


「地元の人でも滅多に灯台のある先端までは歩かないよ、まして夏は暑くて行かない」「時々、修学旅行の生徒が駐車場から灯台まで歩かされてるけど、あそこまで行くと疲れてしまい、その晩は皆おとなしく寝るから」と後から港の売店のおばちゃんに聞いた通り、30度を越す蒸し暑い日に灯台への往復は汗だくの苦行である。しかし7世紀には遣唐使の為に防人が夜間にかがり火をともし、明治9年に近代的な灯台が建てられた岬から一望する東シナ海は、わざわざ山道を難業して来る価値がある絶景であった。因みにかつてここには日露戦争の際、ロシアのバルチック艦隊が対馬海峡に向かうのを最初に発見した信濃丸の「敵艦見ユ」の無線を中継した無線局もあったそうである。


さて帰船の時間も心配になるという事で、「日本最古のルルド」があると云う井持浦教会に急ぐ。ルルドとはフランスの地名で、その地の洞窟に聖母マリアが出現し数々の奇跡を起こしたとされており、世界でその洞窟を模したものをルルドと云うそうだ。次にやや離れて島の北側にある白亜の水の浦教会に立ち寄ったが、ここは木造教会としては全国でも最大級だそうである。続いて赤レンガの重厚な楠原教会を訪れるものの、幼児洗礼を受けた妻と違って私はこのあたりで 「 どれも教会の中はそんなに変わらないから車で待ってるよ 」 と云う心持ちになっていく。最後に五島のシンボリックな存在である堂崎教会へカーナビが示すまま道を取ると、地元の人も稀にしか通らないような狭い山道が延々と10キロも続いて、私は教会よりもむしろカントリードライブが印象に残ったと云う俗人であった。

楠原教会
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