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2014年7月

2014年7月30日 (水)

飛鳥Ⅱ九州島めぐり・長崎花火クルーズ(2)おれんじ食堂

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クルーズ4日目、朝6時頃目を覚ますと本船はすでに長島海峡を通り抜けて八代海(不知火海)を静々と八代に向かっている。飛鳥Ⅱは以前に一度チャータークルーズで入港した事があるが、通常のクルーズで八代に入るのは初めてだと浅井船長は言う。それにしても天草諸島を左手に、九州本土を右に見て進むこの海は、朝日に映える美しい海岸線が続き、日本には多島美に溢れた場所が多い事にあらためて気がつかされる。以前、飛鳥Ⅱで訪れたバルト海などもきれいだったが、日本の海岸や島々の美しさは、それに勝るとも劣らぬ大変な国民的資産であると感じるのである。クルーズに適した海が日本にはまだまだ数知れずあると云えるだろう。


さて八代でのオプショナルツアーの目玉は、肥薩おれんじ鉄道の「おれんじ食堂」乗車だ。これは九州新幹線開業後に旧鹿児島本線の八代・川内間116.9キロを引き継いだ第三セクターおれんじ鉄道が運行する気動車列車で、海岸線を見ながら沿線の旬の食材を車内で楽しむという企画である。今回は飛鳥Ⅱの乗客40名で貸切る人気ツアーとあって、鉄道ファンの我々としては見逃すわけにはいかないと申し込んだのだった。本船からのツアー一同はいったん新八代から「おれんじ食堂」の出発駅・川内まで新幹線で移動し、11時過ぎにいよいよ2両編成の気動車に乗車となった。ここから八代まで3時間40分かけて戻る車中、海を見られる様に改造された専用車両で、沿線の各駅で積み込む地元の様々な料理を楽しむ趣向となっている。


最初の停車駅・薩摩高城では、沿線で保線や草刈をする鉄道の職員が大勢で歓迎してくれ、この列車に対する会社の意気込みが感じられて嬉しい。列車の運転台は開放的なつくりなので、停車中には運転士とも気軽に会話を交わせ、次々に供される食事を楽しみながら、かぶりつきから運転士にも色々訪ねたいと大忙しの車中である。一方でかつて幹線として東京からの寝台特急「はやぶさ」などが駆け抜けた線路で、のんびりと豪華な料理を食べつつ遊ぶのも、鉄道ファンとしてはちょっと複雑な心持もする。それでも薩摩高城、阿久根、水俣、佐敷の各駅で次々と積み込まれる地元の黒豚を使った料理や新鮮な野菜は食べ切れないほどのボリュームで、車窓を堪能しつつあっという間に終点の八代に到着したのであった。


さてこの「おれんじ食堂」に乗車するには、通常は運賃+ランチ料金で一人2万1千円だそうだが、飛鳥Ⅱの本船ツアーの価格は3万9千円である。仮にこの列車に個人で乗車しようと考えると、八代港と駅との往復タクシーに約5千円(2人ならこの半分)、新八代~川内間の新幹線指定席に4000円ほど掛かるから計約3万円となる。飛鳥Ⅱの設定した1万円ほどのプレミアムに価値があるかどうか、船内で友人との茶飲みの話題になったが、本船からの貸切バスや係員のフルアテンド、何より船の入港が遅延した際、または列車が大きく遅れた時に個人で対処せざるを得ない事を考えると、その値段設定はまあリーズナブルであろうと自分なりに得心する。ただしその晩はお腹が一杯で船上での豪華夕食はパス、リドグリルで暮れ行く海峡の景色を眺めながら簡単にお好み焼きとざるそばにしたのだった。

車上で味わう沿線の旬の食材
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おれんじ食堂用の気動車
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2014年7月29日 (火)

飛鳥Ⅱ九州島めぐり・長崎花火クルーズ(1)種子島宇宙センター見学

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世界で最も美しいロケット発射場と云われる種子島宇宙センター

飛鳥Ⅱの「九州島めぐり・長崎花火クルーズ」に乗船して一週間。明日は横浜で下船というのに、この間ブログをまったくアップできなかった。8泊のこのクルーズは終日航海日が僅か2日だけで、毎日の様にどこかに寄港する旅程となっている。我々にしては珍しく今回は各港で本船の様々なオプショナルツアーに参加したので、この一週間は船上と陸上の楽しみに呆け、夜になるとどっと疲れて熟睡してしまった。という事で、ブログ作成どころではなかったが実情である。


さて横浜から乗船して丸一日の航海日の後、最初の寄港地は種子島であった。以前”ぱしふぃっく・びいなす”で屋久島クルーズに乗船した際、対岸遠くに見えた平らな大きな島が鉄砲伝来の種子島か、という程度の知識しかもちあわせていなかったが、初来島で参加したツアーは「種子島宇宙センター施設内見学」と云う事にした。前日に本船内で行われた同センターの元所長・園田昭眞氏の講演を聞いた事で、ロケット打ち上げに対する興味をにわかにかきたてられた上で、当日は宇宙センター行きツアーバスに乗車したのだった


飛鳥Ⅱの着いた港、種子島の北部にある西之表港から島南端の宇宙センターまでは約50キロ、のどかな景色やバスガイドの名調子を楽しむ中、ほどなく観光バスはセンターに到着した。JAXA(宇宙航空研究開発機構)の専門職員の案内で見学した総合司令塔はテレビニュースなどで見るよりはるかにコンパクトである。この司令塔や使用されなかったH-Ⅱ型ロケットの実物が展示された大崎第一事務所に入るには、普通は事前許可が必要だそうだが、こうして船から気軽に訪問できるのがクルーズのメリットである。遠くに見える大型ロケット発射場は周囲の景色ともよくマッチしており、ここが世界でも最も美しい射場であると云われるのも納得である。


最後に訪れた宇宙科学技術館では、様々な展示物を通じて他国のものを含むロケットや人工衛星のしくみや働きなどを知る事ができる。人工衛星は世界でも限られた国しか打ち上げられないそうで、ここを見学すると創意と独自の工夫でロケットを開発した日本の技術にあらためて誇りを感じるのだった。財政多難な折り、社会主義的なバラマキ予算編成を改め、科学技術の振興や衛星の商業化にもっと多額の予算を振り向けるとともに、様々な分野でテクノロジーの優位を誇れる国であって欲しいとセンター見学を通じて強く感じたのだった。

コンパクトな発射司令所
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2014年7月20日 (日)

第27回ねんりんピック(全国健康福祉祭)栃木2014選手団説明会

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今日は午後1時より四谷駅前のスクワール麹町で10月に行われる「ねんりんピック栃木2014」の東京都選手団説明会があった。予選会や各種競技団体の推薦で選ばれたさまざな競技の東京都代表選手約二百数十名のユニフォーム採寸と、大会参加に関する諸ガイダンスが、東京都体育協会や選手団をあっせんする旅行社によって行われた。そもそも練習の一環として出た昨秋の駒沢公園のレースが、この「ねんりんピック」と云う全国大会の予選を兼ねていたとは知らなかった私は、いまだに「ねんりんピック」が何の試合で、陸上の”東京都代表”がいかなるものなのかまだピンと来ていなかったのだが、今日の説明会を聞いてこの大会が大変な予算を使って全国的に開催されているという事に驚いた。


そもそもねんりんピックという大会自体が私には耳慣れないので、ウイキペディアを見ると「全国健康福祉祭(ぜんこくけんこうふくしさい)は、60歳以上を中心とするスポーツと文化の祭典である。愛称はねんりんピック。厚生労働省、開催都道府県および政令指定都市、長寿社会開発センターの共催で開催されている」とされている。国民体育大会が文部科学省の所管で若者を中心に行われているのに対して、こちらは厚労省の管轄・予算で60歳以上を対象に行われているのがミソらしいが、毎年各地持ち回りでこれまで26回の大会が開かれ、全国から1万人の選手・役員が開催県に訪れて、大会期間中は観客や協賛イベント含めのべ50万人の人が関わるという結構な催しものらしい。


今日配布された冊子によると、とちぎ大会の基本方針は(長寿社会になって)「人が輝き、絆を育み、地域を創り・・・」という事で、テーマは”咲かせよう!長寿の花を栃木路で”だそうである。ただマラソン・水泳やテニス・サッカー・ゴルフなどスポーツの他に、囲碁・将棋やマージャンなどの文化交流も大会に組み込まれているのが今一つ大会の根拠を希薄にさせている様に感じるのだが、高齢者の生きがいを促進するという事でこれはこれで意味があるのだろう。大会の開会式には皇族のご臨席の下、それぞれのユニフォームをまとった全国各都道府県の選手団の入場に続き厚生労働大臣の挨拶もあると云うから、なにやら高校時代にマネージャーで参加した全国高校総体(インターハイ)以来のビッグイベントの様だ。「継続は力なり」というが、還暦すぎてから皇族も来られるようなスポーツイベントに再び参加できるとは人生は判らないものである。


この夏の暑さの中でのジョギングにもちょうど良い目標があることは嬉しいし、このあと9月の東京都選手団の結団式に始まり、選手一同東京駅から団体行動で栃木に乗り込み皆で同宿するとの事で、何だか若い頃の遠征の様でちょっと心がウキウキもしてくる。しかしながら周りをみると皆シニア世代とあって、ガイダンス後半には飽きて私語を始める声はやたら大きいし、くしゃみも老人特有の大音声”バーックション”である。全国規模の大会に出られるのは望外の喜びではあるが、自分も世間から見るとそちら側の人間になったかと思うとやや複雑な気持ちもするのである。

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2014年7月16日 (水)

飛鳥Ⅱ 2015-16年世界一周クルーズ(南極南米ワールドクルーズ)

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飛鳥Ⅱの2015-20162016年ワールドクルーズのパンフレットが先ごろ届いた。といっても今回は地球を東から西へ一周ではなく、南太平洋からケープホーンを通り南極圏を航海した後、南米大西洋岸を北上しパナマ運河を通って太平洋に帰ってくる100日間のいわば南北世界一周航路である。地球の南の方の国や島はおおよそ世界どこに云ってもそう大して雰囲気に変わりがない、などとひどく雑把な印象(偏見?)を持っている私からしてみると、大枚をはたくにはいささか躊躇する航程なのだが、父親の転勤で子供の頃にブラジルで過ごした妻はやけに前のめりでこれにはちょっと狼狽する。


で、一応、妻の手前は詳細にこの”南極・南米、世界一周クルーズ”のパンフレットを眺めてみようと云う事にした。たしかに南の国々と一口に云っても、ラバウルなどは日本人として是非とも訪れたい場所だし、イースター島にあるモアイ像も生涯で一度は見ておきたい気がする。材木の仕事でしばしば訪れたオークランド(ニュージーランド)はとても懐かしく、その他に出張で行ったチリやアルゼンチン、カリブ海のキュラソー島などもう一度行っても良いような気が何となくしてきた。妻はかねてから子供時代を過ごしたブラジルのサンパウロにノスタルジックツアーに行きたいとよく漏らしていたので、このクルーズで行ってしまえば将来の出費がセーブできると傍らでなにやら一人ブツブツつぶやいている。


と云ってもパナマ運河ももう何回も通ったし、アカプルコやホノルルも2011年の飛鳥Ⅱ世界一周で寄港したばかりだから、南米大西洋岸のコロンビアあたりで途中下船して帰ってくるという手段もある事はある。外国船による世界一周クルーズでは、ぐるっと完乗するより好きな部分だけを楽しむ人達がかなりいるそうだが、そうすると船内でせっかく仲良くなった友達と途中で手を振って別れてしまうので味気ないし、何より1泊あたりの値段は通しで乗らないとぐんと割り高になるに決まっている。


パンフレットを眺めていると妻の思う壷か、ちょっと行ってみたい気持ちが湧き上がってきたものの、人生すべからく先憂後楽すべし、倹約を旨とすると云う想いも脳裏に去来する。一方で体が元気で環境が許すならば、遊べる事は出来る時にやっておけという考えも浮かんでくるが、その時は金のかかるクルマは手放すか等と一介のサラリーマンの私は青いパンフレットを前に逡巡するのである。究極のディスティネーション、南極クルーズは単独でも日本から行くと約200万円だそうで、それを考え、かつ飛鳥Ⅱならば決しておかしな金額ではないが、ウムムム・・・・・。

2014年7月14日 (月)

皇居の百日紅とジョギング

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百日紅(サルスベリ)の花が咲く頃になった。この季節から夏の間、100日くらい鮮やかな赤やピンクの花をつけるというのがその名の由来だそうだが、同時にサルもすべるほどに木の幹がツルツルなのでサルスベリなのだという。皇居一周5キロのジョギング周回コースにも所々に若いサルスベリの街路樹が植えられているが、この花が咲く頃となるとジョガーには辛い季節が到来したと云えそうである。なにせ都会の真ん中のコンクリートに囲まれた空間で、気温が30度を超えると走る気力もぐったり減退するのである。


と言う事でこの週末は気力を奮い起し、竹橋をベースに皇居コースでそれぞれ15キロは走ろうと思ったが、土曜日は気温が33度もあって体がまったく動かない。こんな時はだらだらと走っているうちに次第に調子が出てくる事もあるので、1周目はゆっくりしたジョッグで廻り、2周目はタイムをあまり気にせず竹橋から科学技術館前の坂を駆け上がる事にする。といってもランナーたるもの、どんな時にもやはりタイムは気になるもので、2周目の1キロの所で時計をみると「うん?? キロ5分!」もかかっている。このコースは竹橋から1.5キロの半蔵門近くまでだらだらと上り坂が続き、その間の標高差は約25メートルもあって最急の勾配地区は1000分の25パーミル以上なのである。昔のSLなら上るのに難儀するほどの急坂といえよう。


なので竹橋や大手町から皇居のコースを走り始めると、この最初の急勾配をいかに楽にこなすかで一周の記録が大きく違ってくる訳で、ここ1キロを時計も見ずに楽に走って、4分半くらいなら調子がまあまあだし、逆に今回の様に5分もかかるとその日の体調は悪いという事がわかる。5分かかった先の土曜日は、これでは遅すぎと途中で心を入れ換え半蔵門からの下り勾配を結構とばしたものの、結局皇居1周の5キロを23分半もかかって汗だくで息も絶え絶えとなってしまった。暑さに体が慣れていないのだろうが、これでは来たる大会に60歳以上とは云え東京都代表に選ばれたランナーとしては恥ずかしいというものだ。


で、比較的涼しく気温が30度以上に上がらなかった日曜日は前日のリベンジという事で、今度は祝田橋を起点に2周目は平坦地は1キロ4分ペース、竹橋からの上りは4分10~20秒ペースで必死に走り、結局20分半ほどで皇居を1周する事ができた。40歳くらいまでは皇居一周5キロは17分から18分で走っていたから、それに較べると最近は老人のヨタヨタ走りといえようが、それでも還暦をかなり過ぎても平地なら5千米を20分以内で走れれば良しと自ら納得する事にした。人間は歳には勝てないのだ。で、5キロ20分台でちょっと気分よくなった所で日曜の夕食にはビールとワインを楽しんだら、夜の8時前に熟睡モードに入り、月曜の朝は4時から目が覚めて1週間がやけに長い生活である。

2014年7月 7日 (月)

豆苗をいただく

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以前は中華料理店でしかお目にかからなかった豆苗(トウミョウ)も、最近は工場から出荷される水耕栽培のものが安い価格でスーパーなどで売られている。手軽に調理できるので我が家でもよく買ってきて、中華風に炒めてはビールのつまみにしたりする。トウミョウはエンドウの若芽だそうで、パックから一度収穫して食べてしまった後にもう一回芽が伸び、一度で二回楽しめる野菜なのである。この季節、パックを台所に置いて二度目の収穫を見守っていると、窓から注ぐ夏の光りを目がけて芽がぐんぐん伸びていくのがわかる。


トウミョウは陽の光りに向かって伸びる指向性が強く、窓ごしの太陽めがけて成長したところでちょっと意地悪してパックを陽の来る向きと逆に置くと、数時間後に芽は身をよじって新たな光源に向かって再び伸びていく。二度も発芽する力やエネルギッシュなその伸び方を見ていると、家にいながらこの植物の強い生命力を感じるのだが、事実トウミョウにはホウレンソウを凌ぐβカロチンや各種ビタミン、植物繊維などが豊富に含まれているそうである。


それにしても目の前で懸命に伸びていく若芽を見ると、2度も刈りとってビールと共に食べてしまうのは何だか申し訳ない気がしてくる。考えてみれば毎日毎日、我々は他の動物や植物の命を「いただき」ながら生きている訳で、トウミョウの生命力はこのごく単純な事実を今更ながら想い起こさせてくれる。普段加工された食品ばかりを買っていると忘れがちなのだが、他の生き物の生命を奪いながら生きている分、我々はその事に大いに感謝し、食べ物をおいしく味わいながら「いただき」たいものだとトウミョウを見ながら思ったのだった。

2014年7月 5日 (土)

2014 体育会同期会

金曜日は一年ぶりの大学体育会の同期会であった。大学を卒業して40年あまり、当時36あった運動部の同期生280名ほどのうち、今年は100名ほどの参加だからかなり集まりの良い年代だといえる。今年は三田校舎の中に出来たカフェテリアで開催とあって、金曜日は仕事もそこそこに切り上げて会場に向かうと、6時半のスタート時点でほぼ全員が揃っての開始である。企業に勤めている者は、今やほとんどが第二、第三の職場とあって、時間の都合もかなりつくのだろうか定時の集合となる。恒例の各位あいさつも済んでいよいよ乾杯かと思うと、その前に現役応援指導部の指揮で校歌(塾歌)の斉唱で、そういえば昔から「塾歌は酔っ払って歌ってはいけない」と云われた事を思い出す。


野球部の友人とは、先の六大学野球春のリーグ戦優勝の話に華が咲いたのを始め、他の部の顔見知りやら高校時代からの友人など会場では多くの懐かしい仲間と話しが尽きない。来賓の体育会理事の挨拶によると、今や慶応の体育会には全塾生の1割が加入しており、かつ体育会の学生もゼミなどに加入して勉強しているとの事で、これを聞いて一同から「ほー!」っと驚きの声が挙がる。現在の学生数が3万人くらいだから、その一割だと3000人ほどが体育会という事で、これを約40の部で割ると、一つの部あたり平均80人も部員がいるという事になる。我々の頃の塾生は約2万人、体育会員は1000人ほどだったと記憶しているから、その割合は僅か5%ほどであった。各部とも女子部員が昔と比較にならないほど増えた事が大きな要因だろうが、競技生活をしながら学業も頑張る若者が多いというのは、運動→睡眠→運動に明け暮れて合宿所でごろごろし、勉強どころでなかった(と弁解していた)我々の頃とは隔世の感である。


酒に酔ううち会場のあちこちで各部の垣根を越えた話の輪が広がり、応援に駆けつけた現役チアリーダーの愛くるしいパーフォーマンスにオジサン達の目じりが下がりあっという間に時が過ぎてしまった。最後は吉例「若き血」と「慶応賛歌」の大合唱でお開きとなり、また来年の再会を誓ったのである。最近、新聞を開くと我々の同期が有名企業の社長に就任すると云うニュースを多く目にするが、そういえば集まった体育会の同期からはそんな高名な経済人が出ていないようだ。運動部出身者・体育会系は出世する、などと世の中では言われるものの、現実の社会は運動をしていたからと言って特別扱いしてくれるほど甘くはないのである。むしろ大学時代に後先を考えず勉強もろくにせず汗を流していたという少数派は、結局のところちょっとズレていたと云うのが体育会出身者なのだろうか?。もっとも「苦しい、辞めたい」と思いながらも、4年間継続した事が、40年後にこうして楽しい集いになって結実するのが人生のおもしろいところでもある。

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