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2014年6月

2014年6月28日 (土)

空理・空論 集団的自衛権

「政治的儀式」としても、ここのところの集団的自衛権に関する議論など、あまりに空理・空論の連続で、呆れ果てて新聞が届いても見出し以外まともに読む気がしなかった。他国と同盟を結んでいるまともな国家なら、世界のどの国でも持っているごく普通の権利が、なぜ日本だけが制限されるのかまったく理解に苦しむ。中国や韓国がそれを云うならまだわかるが、国内で集団的自衛権なるものに反対する人達のコメントを聞いていると、あなた方はどこの国の人なのかといぶかるのである。自国を貶めて面白がる不幸な人達が世の中には少なからずいるのだろう。

そう言えばちょっと前まで「非武装中立」が日本の生きる道だと叫んでいた人達が大勢いたが、そんな人達は今やどこへ消えてしまったのだろうか。同様にいま「米軍基地反対」だの「一国だけの平和主義」などと唱えている人達は、日本が何をやろうとアメリカが自動的に守ってくれ、日本は未来に亘って安泰だと本当に思っているのだろうか。肝心かなめのアメリカは大統領のオバマがアホで、弱体化がはなはだしいから、個別だ集団だなどと馬鹿馬鹿しい議論に時間を費やすくらいなら、さっさと憲法を改正したら良い。


先日、関東のある港に仕事で行った際、港の管理者が「事故をおこすのはほとんどが中国船。操船も無茶苦茶な上、岸壁や港の設備を壊しても報告せず当て逃げする中国人が実に多い」と嘆いていた。また我々貿易に携わる業界では、有価証券(権限証券)である船荷証券にまつわる詐欺まがいの事件が、中国が国際貿易に本格的に進出してきたこの20年で信じられないくらい頻発する状況となった。

日本のごく近くには、我々とまったく違った生き方の人々による異なる体制の国があって、その国が大国化するにつれて、地域の安全保障や国際的秩序が従来の枠組みでは統制できなくなっているのである。なにせ相手は、前々世紀の遺物、柵封体制時代の大中華帝国の復活をもくろみ、軍備急拡大に余念がないのだそうだから。そんな状況の変化を考えず「安倍政権は戦争への道をひた走る」などとおよそ情緒的な解説をしたり顔で述べる一部の政治家やメディア、識者らにのけぞるばかりだ。


この夏は、冷夏予想から一転して暑くなると最近の予報である。原発が止まっている今、今年はもし日本のどこかで大規模な停電がおきたらどうなるのか、などと不吉な考えが頭をよぎる。あるいは中国の戦闘機が自衛隊の偵察機に対して、新たに設定した中国の防空識別圏付近で発砲でもしたらどうなる事だろうか。原発反対やら集団的自衛権が戦争への道などと空想的理想論を奉じる人達も、現実の困難がふりかかれば、このままでは我が国は持たないと「空気」が一挙に大きく振れる気がする。ちょうどかつての共産主義礼賛論者や非武装中立論者が消えた如く。

考えてみれば石原都知事が尖閣列島寄金を募集した行動がきっかけで、中国の実態がより鮮明にあぶりだされたのが数年前の事である。現実に事件が起こらないと人々の認識はなかなか変わらないものなのだろうが、中国の実態を知れば知るほど、我々には災厄が間もなくやってくる様な気がしてくる。何やら盧溝橋事件当時を思い起こさせる様なきな臭い日中の情勢や、先の見えない北朝鮮問題の中で 相変わらず神学論争のごとき稚拙な集団的自衛権に関する議論を聞いていると、日本人は本当に平和ボケをしているものだと暗澹とした気分になってくる。

2014年6月21日 (土)

日比谷公園ツリーウォッチング(2)

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東京のプラタナスの父なる木

日比谷公園の多くの樹木のうちクスノキ、イチョウなどと並び目につくのがスズカケ(プラタナス)の木だろう。テニスコート近くにあるこのアメリカスズカケは園内でも最も背が高い木で、明治37年(1904年)に目黒の林業試験所(現・林試の森公園)から移植されたそうだ。説明板には明治37年にはすでに数才の幼木だったとあり、今では110才以上の樹齢の大木である。当時、街路樹の新種としてプラタナスが外国から導入され、この木から挿し木で都内のプラタナス街路樹が増やされたとの事で、現在都内の街路樹の15%がプラタナスだと云うから、東京の道路に沿って植えつらねた緑の親分のような木なのである。


その他、大木の中でもケヤキが園内あちこちに目立つが、ケヤキの木を見ると真っ黒になって遊んでいた子供の頃を思い出す。その頃、家の近所にケヤキの大木があって、その幹の根元から1米程の高さのところに平らになった部分があった。そこに軟式野球のボールを当てて遊んだのだが、正確にその平面に当たればまっすぐ戻ってくるし、ちょっとコントロールをそらすと幹のラウンドした部分にボールが当たって球はこちらに跳ね返ってこない。当時の子供の常で遊びといえば野球、暇があるとケヤキの大木に向かって投球ごっこをしていたもので、公園に来るとあのケヤキの大きな根元を懐かしく思い出す。


野球と云えばヤマトアオダモの木で、この木の仲間のアオダモは材質が堅く粘りがあるので良質のバット材になる。東京六大学野球のリーグ戦試合前には、バット原料になる北海道のアオダモ林育成をプロモートする「アオダモ資源育成の会」の映像がバックスクリーンに流れ、その最後で一塁側と三塁側スタンドに陣取った両校の応援団が、一斉に「バット・フォーエーバー!」と叫ぶのが今では神宮球場の風物詩にもなっている。で、公園のアオダモの木を見ると、私もつい「バット・フォーエバー!」と云う文句が口に出てしまう。社会人になってから何十年も身近に在った日比谷公園だが、あらためて気持ちを込めて観察すると今まで知らなかった様々なものが見え、時に思わぬ感慨が呼び起こされるのがおもしろい。

バットフォエバー!ヤマトアオダモ
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2014年6月20日 (金)

日比谷公園ツリーウォッチング(1)

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定年退職した友人が 「 おれはITも得意ではないし、これから暇をもてあまして何をしたら良いのだろう?つい時間が余って酒を飲みすぎてしまう 」とこぼす。「何だって興味ある事をすれば良いのさ 」と答えるものの、こちらだってそんなに大した趣味があるわけではない。まあ今はジョギングで毎日1時間~2時間くらいつぶれるが、そう連日走れるわけでもなく、天気の悪い日やもっと歳をとって体が言う事を効かなくなった時のために、静的な趣味をもっていたいものだと時々考える。


という事で、50年ぶりに始めたピアノもブルグミューラーの一番(題名:素直な心)から先に進まず、小学生の姪っ子には「おじちゃまはまだ、一番から卒業できないの?」とからかわれる始末だ。「そう、心が素直すぎてこの曲から離れらないんだよ」などと与太を言っているうちに、電子ピアノの上にホコリがたまってしまうこの頃である。こうしてみると趣味を身につけるのはなかなか難しいものだとは思う。とはいうものの興味を引かれる事は廻りに幾つかあって、仕事の合間や昼休みなどに散歩する日比谷公園でのツリーウォッチングもその一つである。


以前は日比谷公園に入ると、都心には珍しくうっそうと茂る樹木が何だかおどろおどろしく、視線は花壇に咲き乱れる色とりどりの季節の花に向かっていたものだ。しかし開園から100年以上経った公園の立派な樹木とその幹に掛かった木の名前、ところどころに設置された樹木の説明版を読んでいるうちに、それぞれの木の特徴に注意がいき、いつしかその違いに興味を持つようになった。生い茂る公園の巨木たちは花壇に咲き誇る草花よりはるかに地味だが、その一本一本に歴史がありそうだし、影がやなせる根元にはミミズなどの小動物やヘビが生きており、拡がる枝葉には鳥が遊んで都心のオアシスを提供してくれるさまが嬉しい。


現在、日比谷公園内の数万本の木々のうち、中高木だけで142種3200本あるそうで、こうして趣味となったツリーウォッチングもなかなか見ごたえがあっておもしろい。園内で一番太いのが松本楼前にある「首賭けイチョウ」で、もともと日比谷見附付近にあって道路拡張で伐採されそうなところを、公園の設計者・本多静六博士が「首をかけても園内に移植する」と言ってここに植えたそうである。東京都の木であるイチョウのほか園内にはクスノキ、ヒマラヤスギ、スズカケ(ポプラ)、ケヤキなどの大木がうっそうと緑の木陰を作り出し、木の名前を復唱しながら一人森の中を歩くのは気持ちが良いものだ。木に関心を持つ様になると最近は町を歩いていても街路樹に目が行って、これはユリノキかなどと一人ブツブツつぶやいてしまうくらいで、興味を持てば楽しみはやっぱりどこにでも転がっていそうである。

首賭けイチョウの巨木
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2014年6月18日 (水)

虎ノ門ヒルズ

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森ビルによる52階建ての新しい建物、虎ノ門ヒルズがこのたび完成した。虎の門ヒルズの高さは247米(最高部255.5米)で、東京では248米の六本木ミッドタウンに次ぐ第2の高層ビルだと云う。52階建てのビルにはオフィス・飲食店のほかにホテルも入り、この辺りの新しいランド・マークになる事だろう。何といってもこの虎ノ門ヒルズの特徴は、新しい道路をビルの下に通す工事と一体となって建てられた事で(過去の記事:マッカーサー道路の完成間近(2014年1月29日))、道路が地下に潜って余剰となった地上の部分は緑の広場として使われる。


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早速、虎ノ門ヒルズをぶらぶらと訪れ、マスコットキャラクター”トラのもん”とご対面である。中で飲み食いをすると豪華なビルのテナント料を料金に上乗せされそうで、ざっと飲食店や緑いっぱいの広場を歩いてひやかした後は、愛車でビルの下に開通した道路の走り初めとする。東京都の環状2号線は新橋近辺では外堀通りとなっていたが、このビルの地下を走る新しい道路とその地上部分である新虎道路が、これから2号線の役目を担うそうだ。築地の市場が豊洲地区に移動した後には、新虎道路と勝どきや有明地区を結ぶ橋も繋がる予定で、そうなると四谷や赤坂からお台場地区へのアクセスが便利になる。


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東京も丸の内一帯が三菱地所によってすっかりきれいになり、日本橋も三井不動産による日本橋再生計画が進行している。港区では森ビルなどによるビルの建て替えが進んでおり、2020年の東京オリンピックの頃には街の様子もかなり変わっている事だろう。こうなると都民として望みたいのが東京都心の川の再生で、特に日本橋や江戸橋から早く首都高速道路の無粋な橋げたを地下に移してほしいし、できれば都心にかつての水の空間を再導入し、本当の数寄屋橋や京橋などが蘇ればなお素晴らしいと思う。それにしても地下鉄に乗ると、川越や飯能から来た電車が横浜まで行くとあって、私は若干の違和感と時代の変遷を感じ「東京も日々進歩しているなあ」と一人ごちるのである。

2014年6月15日 (日)

フェリーさんふらわあ・昼の瀬戸内感動クルーズ(完)

フェリー”さんふらわあ ごーるど”は「ダイヤモンドフェリー」の新造船として2007年に三菱重工下関造船所で竣工した1万1千トン・長さ165.5米・幅27米・速力23ノットの大型フェリーである。商船三井系のフェリー再編に伴い会社名は「フェリーさんふらわあ」になり、”さんふらわあ ごーるど”は通常は神戸六甲と大分を夜行で結んでいる。本船は瀬戸内の平水区域をもっぱら航行水域とするため、税金面で有利な様に車両甲板の開口部を広くとっているのがやや不恰好だが、それ以外は新しい大型フェリーが備えている設備をもった船だといえよう。特徴として専用テラス・バストイレ付きのデラックスルームが8室あるので、以前から私達もこれは利用したいものだと気になっていたのだが、定期便で使われる夜行の旅ではバルコニーを利用する時間があまりない。今回は奮発してデラックスルームを予約したのも、昼の瀬戸内感動クルーズなら、デラックスルームの設備をフルに活用するチャンス到来とみたからである。


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(ベランダは良かったが海まで距離が・・・・)
予想通り専用テラスはなかなかゆったりとしたスペースで、初夏の潮風をあびながら瀬戸内の景色を堪能するには絶好の場所であった。ただデラックスルームのキャビンが船の中央部にあって舷側からかなりセットバックしており、専用テラスの先から舷側まで距離があるため船の直下の海が見えなかった。クルーズ船などに乗っている間は、船が造りだす引き波が様々に変化するのを飽かず眺めつ、引き波から発生するシュワーというしぶきの音を聞いていると私は非日常を感じるので、今回はテラスの先から海を覗き込めないのはとても残念であった。新日本海フェリーの”すずらん”の様に、船側にベランダ付きの客室を配置しているフェリーもあるのだから、本船もそういう設計にならなかったものか。またせっかくのキャビンの手洗いシンクが、INAXやTOTOでなく見慣れぬ韓国製だったのは、造船コスト削減を象徴しているかの様でいささか白けた。
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(なぜ韓国製のシンク?)


この昼の瀬戸内感動クルーズの為に用意された食事はおいしく、クルーもきびきびとしてとても気持ち良かったが、もう一点、設備的には前方を見るサロンなどが配置できなかっただろうか。絶景の続く瀬戸内国立公園を行くなら前方を向いて景色を眺めるパブリックスペースがあれば尚一層クルーズ気分が盛り上がった事だろう。もっともこれらの私が気がついた点はこの昼のクルーズを前提にしており、通常営業のフェリー夜行便では何ら差し障りのない点なので注文する方が無理というものかもしれない。

さて前方の視界と云えば、今回の企画クルーズに乗船して感動した事から、素晴らしい観光資源を利用して小型の純客船を準備し、定期・定点クルーズがこの海域でできないものかとふと思いついた。瀬戸内海というと今やフェリーばかりの時代なのだが、社会の変化でゆっくりと旅を楽しみたいとする需要も増えてくるはずである。小豆島・塩飽諸島・しまなみ街道・鞆の浦や尾道港・音戸や宮島など、いずれの名所も由緒ありで、ここを小型豪華なクルーズ船で数泊ゆっくり旅が出来たら素晴らしい事だろう。かつて”さんふらわあ”の前身でもあった関西汽船が、くれない丸・むらさき丸など3000トンの客船で展開していた観光便の現代版をあらためて望みたい。
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2014年6月11日 (水)

働くタグボートの世界:神戸”布引丸”

”さんふらわあ・ごーるど”を神戸・六甲ターミナルで早朝下船した日は、神戸港で念願のタグボート乗船である。永い間、海運界に身をおき、またクルーズ船に乗船した際にはタグボートの活躍を目にしながら、実際にその船内ではどういう作業が行われるのか、タグから見た本船はどんなものなのか体験した事がなかった。昨年10月初めに苫小牧で停泊中のタグボート船内を見学する機会を得て大いに勉強になったのだが、何といっても動いているタグを是非見みたいものだと思いが強まった。


無理を承知でタグボート会社に働く知人に乗船をお願いしたら、ありがたい事に我々夫婦の申し入れを受け入れてくれ、”布引丸”という最新鋭のタグの実際の作業見学を許可された。小型船舶1級の操船免状を持つ妻は、夢がかなったとばかり乗船前から興奮している。


見学は”布引丸”に乗って、客船ターミナルにほど近い基地から、ポートアイランドのコンテナバースで荷役を終えた一万トンクラスのコンテナ船を引き出し、基地に帰投するまで一行程である。2012年に竣工した”布引丸”は、長さ34米・208総トン・3600馬力で、当日は基地を出て港内を行きかう他船や神戸空港を離発着する飛行機などを眺めつつ、コンテナバースで荷役をするコンテナ船へ向かった。


コンテナ船から10米ほど離れた沖で待機していると、ほどなく荷役も終わり岸壁にはパイロットを乗せた車が来て、係船索をはずすラインズマン達が現れるといよいよ出港作業の開始となる。コンテナ船のブリッジに上がったパイロットと無線の感度を確認する間もなく、パイロットから布引丸に「頭をつけて下さい」と指示が飛び、タグボートのタイヤ張りの船首がコンテナ船に接舷する。コンテナ船のデッキからするすると細いロープが垂らされ、その端に布引丸の係船索(ホーサー)の先端が結ばれると、タグボートとコンテナ船は一本のロープをとおして息を通わせた一つの有機体になった様な感じがする。
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コンテナ船のスクリューが海面を掻き乱し始め「布引丸、デッドスローの2分の1で引いてください」などと船内のモニタースピーカーにパイロットの声が響き、布引丸の船長はトーイングウインチを操作しながらホーサーのくり出す長さとその張力を調整している。タグ前面のガラス窓を通して、ホーサーが怖いほどぴいんと張り、タグの牽引力が大きなコンテナ船に伝わっていくのが体感できる。布引丸はただ真後ろに引くのでなく、強力な牽引力を効率良くコンテナ船に伝わるかの様に、ややジグザグとバックしていくのがプロの技らしい。
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入船で接岸していたコンテナ船を引き出し回転させるまでの約10分間、布引丸の船内でも4人のクルーが息を合わせて作業を進めるうち、ほどなくコンテナ船の船首が港外に向かう針路に定められた。両船を繋ぐホーサーがはずされ、今度はコンテナ船の船首に廻って辺りを警戒しつつ併走する布引丸から「周囲には特に危険な船は見当たりません」と報告をパイロットに送ると本日の業務もお開きとなる。今日はコンテナ船をいとも簡単に引き出したかに見えたが、プロの腕をしても風の強い日などな大変な作業に違いない。
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布引丸は基地に到着する直前でも6~8ノットほどの速度で岸壁に直角に近づく。あわや岸に激突かという瞬間に急減速と回頭で岸壁にピタっと横づけさせる船長の腕とゼットプロペラ推進による布引丸の敏捷な性能にひたすら驚いたのだった。


余談:案内をして頂いた担当部長の方に「他にタグの見学者はしばしばあるのですか?」と聞いた処「いや新入社員の研修くらいですかね。」とのご返事。どうも我々の興味は人とはちょっと違うのかもしれないと苦笑いながらも貴重な体験であった。担当の部長殿、布引丸船長に感謝する次第である。

2014年6月 9日 (月)

フェリーさんふらわあ・昼の瀬戸内感動クルーズ(3)

日本人なので国の始まり、国造り神話については一通りの関心があるのだが、肝心の高千穂峡はこれまで訪れるチャンスがなかった。南九州を支配した勢力が出雲の勢力を抑え、東方に進出してヤマト王権を造ったという定説に従って、飛鳥地方の古墳や遺跡はかつてよく訪ねた事があるし、出雲地方も何度か行った事があったが、肝心の高千穂峡を東京から訪れるには、どうにも交通の利便が良くないのである。そこに”さんふらわあごーるど”の昼の感動瀬戸内クルーズを利用しての、天岩戸神社・高千穂峡日帰りツアーが催行されるという事で、一も二もなく即決でこのツアー参加を決めたのだった。


大分港でホテルシップとなった”さんふらわあごーるど”を朝7時半に下船すると、フェリーターミナルにはこのツアー用の観光バスが待っていた。「天岩戸神社・高千穂峡・心尽くしの料理神仙&竹田温泉の旅」ツアー参加者は僅か13名だったが、嬉しい事に日野セレガの最新モデルの大型バスなので車内はゆったりである。運転手はベテランで実にスムースなハンドルさばき、おまけに地元のバスガイドがしゃべりがうまく、「いやー、プロとは言え、ガイドさん話が上手だねえ」と思わず途中下車の際に誉め言葉が口をついて出てしまう。ガイドの名調子に酔ううちに九州のナイアガラ「原尻の滝」を経て、昼前には山深い天岩戸神社にバスは到着した。岩戸神社からは天照大神が隠れたという洞窟が谷越しに僅かに望めるが(これはご神体ゆえ撮影禁止)、うっそうと繁る樹木のなかで特に杉の巨木が多いのが、この辺りがとりわけ神聖な神社の地として選ばれたゆえんであろうか。
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(九州のナイアガラ、原尻の滝)

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(天岩戸神社から500m程のところにある天安河原。天照大神が岩戸に隠れた際、困った八百万の神々が集まって相談したと言われる洞窟)


高千穂峡は阿蘇山の噴火で流れ出た火砕流が固まってできた柱状節理と、五ヶ瀬川の侵食による深い谷からなる渓谷で、その狭い谷に落ちる真名井の滝はたしかに幽玄である。ただ水面に多くの貸しボートが遊弋し、それが輻輳しているさまは田舎の遊園地の様な雰囲気でちょっと残念な気持ちがした。滝の真上の池でチョウザメが泳ぐのも???の気分だ。せっかく神話の上では日本人のルーツの地なのだから、もう少し深遠な演出があっても良いのではないだろうか。しかし大分から高千穂への往復には、瀧廉太郎の「荒城の月」で歌われた竹田の岡城跡もあり、我々関東人には普段あまり訪れる機会のない名所が多い。JR九州のクルーズトレイン”ななつ星”などでゆっくり廻ってみたいが、この列車はあまりに高額すぎてとても手が出ないから、せいぜい昼の瀬戸内感動クルーズに乗船して、また来たいものだと思った。

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(期待していた分少々興ざめの高千穂峡)

2014年6月 6日 (金)

フェリーさんふらわあ・昼の瀬戸内感動クルーズ(2)

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<この景色に美味が加われば、昼からでも酒を飲まねば瀬戸内の神々に申し訳がたたぬ>

”さんふらわごーるど”は三菱重工下関造船所で平成19年に建造された1万トンクラスのフェリーである。瀬戸内のフェリーとしては珍しく最上階のデッキに木製のバルコニー付きキャビン(デラックスルーム)を8室備えており、いつも外国クルーズ客船などでは気張ってバルコニー付きキャビンを指定する我々は、今回もデラックスルームを予約してしまった。

この感動クルーズでは神戸六甲ターミナルを朝の11時前に出港した直後、昼食としてすぐに船内で「なだ万」特製のお弁当が配布される。潮風に吹かれながら部屋のバルコニーで、配られた高級弁当を味わっていると何ともいえない贅沢な気分になって、わざわざ東京から来た甲斐もあったと感じたのであった。日頃アルコールはなるべく少なくしようと心に誓いながらまったく実践できない我々だが、やはりこの景色を前にビールでも飲まなければ、瀬戸内海の神様に申し訳ないというものだ。


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<冊子と航路図>

瀬戸内感動クルーズでは、瀬戸内の名所である架橋やさまざまな島に関する解説冊子と、海図をベースにした航路図が乗船前に配られる。これらの配布物を見るだけで「フェリーさんふらわあ」がいかに本気でこのクルーズに取り組んでいるか意気込みが伝わってくる。黄砂で遠くの景色が春霞の様に見えるのがわずかに残念だったが、梅雨前の晴天に恵まれて、次々と目前に展開する絶景を昼の陽の下で眺められるのは、飛鳥Ⅱなど本格的なクルーズ客船でもなかなか味わえない経験である。

明石海峡大橋、瀬戸大橋、来島海峡大橋と3大架橋を昼間くぐるのも素晴らしいが、圧巻は右に左にと次々と本船に迫る大小の島々で、配られた冊子と持参の望遠鏡を手に目はこれらの景色に釘付け状態となってしまう。そのためせっかくの船内コンサートも宝塚レビューも見る暇がなくなり、唯一参加したイベントはブリッジ見学だけというのが現実であった。


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<小豆島・地蔵崎>

デッキから眺めるその島影は、淡路島や小豆島を皮切りに、産業廃棄物問題で話題になった豊島(てしま)へと続く。しばらく左舷遠くに四国・高松の屋島の平たい山頂を見つつ穏やかな海面を行くと、瀬戸内海が日本で初めての国立公園に指定されたという歴史も納得できる。直島の美術館や日比の精錬所を遠望した後、船は塩鮑諸島から住友財閥の島である四阪島沖を通る。いつしかしまなみ街道の島々を望みつつ、来島海峡を通過する頃には夕陽を前面に受け、このクルーズでもクライマックスといえる情景の中を”さんふらわあごーるど”は航行した。

夜のとばりがおりる頃、伊予灘を西下する本船のレストランでは特別クルーズ限定、九州の郷土料理も入ったディナーバイキング(料金は1540円)である。本船特売の神戸ワイナリーのワインを飲みつつ腹も一杯になると、早くも船窓には大分の町の灯りや新日鐵の高炉の火が映ってきたのであった。嬉しい事にはその晩は大分に着いても焦って下船する必要もなく、ホテルシップとして船でゆっくり翌朝まで睡眠がとれるのである。(続く)
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<来島海峡>

2014年6月 5日 (木)

フェリーさんふらわあ・昼の瀬戸内感動クルーズ(1)

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元瀬戸内の女王・くれない丸(現ロイヤル・ウイング)

昭和35年、瀬戸内海航路を運営していた関西汽船に、”くれない丸”と”すみれ丸”という3000トン級の純客船が就航した。当時は内航客船の世界でも戦後の混乱がようやく一段落した頃で、神戸の新三菱重工で新造された”くれない丸”と”すみれ丸”は、スマートなうぐいす色の船体に豪華なキャビンやサロン、ダイニングルームを備えて世間の注目を浴びたものだった。私も昭和30年代の後半に家族で何度か憧れの両船に乗船した事があって、阪神と別府を結ぶ航路を「観光便」と銘打って20ノット近い快速でサービスするさまは、まさに”瀬戸内の女王”と云う愛称にぴったりだったと記憶に鮮明である。
Exくれない丸に関するブログ「ロイヤル・ウイング(2010年3月13日)」


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大分港のさんふらわごーるど

時代は世知辛くなって、現在では瀬戸内海を航行して九州と阪神を結ぶフェリーはどの会社の便も夜行となってしまったが、憧れの別府航路開設100年記念として、2011年から旧関西汽船の後継会社でもある「フェリーさんふらわあ」が、年に4便だけ昼の瀬戸内便を復活させて評判を呼んでいる。かねてよりこの再現「観光便」に乗船したいものだと考えていたところ、6月1日神戸発の昼行便 ”さんふらわあごーるど”のバルコニー付きデラックスキャビンが取れると妻が興奮して言っている。この便は”昼の瀬戸内感動クルーズ”として午前11時前に神戸六甲のフェリーターミナルを出港、瀬戸内の昼の景色を愛でながら船内で開催されるクラシック音楽や宝塚の小規模なレビューなどを鑑賞しつつ、午後10時に大分到着後はそのまま翌朝までホテルシップになるのというので妻と勇躍乗船する事とした。ありし日の”くれない丸””すみれ丸”の夢よもう一度という趣向である。


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ただ、わざわざ神戸まで行き大枚を投じて船に乗るだけでは余りにも芸がない、と云う事でフェリー系列の「さんふらわトラベル」社がこの昼のクルーズを利用して企画した、岩戸神社・高千穂峡の日帰りツアーにも参加する事とした。古事記や日本書記に記された国造り神話の舞台となる高千穂地方は、幾度となく訪れてみたいと思っていた場所だが、高千穂は宮崎、熊本と大分の県境にあって山深い九州山地の懐である。かつて九州に出張した際にちょっと足を伸ばしてみるかと考えたものの、仕事にあまり差し支えずかつ会社に旅程を誤魔化して訪れるには、高千穂はちょっと遠すぎる場所であきらめてきたのだった。今回のツアーは、大分港に停泊する”さんふらわあごーるど”に一泊した後、高千穂峡まで貸切バスでの往復、帰り道に懐石料理の昼食や温泉に入浴した後に大分に戻り、停泊中の”さんふらわあごーるど”号がその夜に夜行定期便になるのを利用して神戸まで戻るという絶好の企画なのである。(続く)

2014年6月 4日 (水)

慶応野球部 34回目優勝おめでとう

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先週末は関西や九州に妻と旅行に出かけていて、旅空の下NHKテレビによる早慶戦の全国中継放送で慶応の優勝を知った。応援しながら言うのも何だが、今春の慶応野球部は東京六大学野球リーグ戦で優勝できる戦力とは思っていなかった。よって早慶戦で勝った方が優勝というところまでこぎつけたのは出来すぎか、と云うのが放送前の偽らざる本心である。チームはシーズン開幕前のオープン戦こそまずまずの成績だったが、昨年春の5位、秋4位から大きく戦力アップしたとも思えなかったし、東大以外の各校は変わらず多くの甲子園球児による充実したラインナップを誇っているのである。と云う事で今春は4位か5位がせいぜいと危ぶんでいた上、新たに指揮をとる竹内監督が病気入院とあって、まずここは秋に向けてのステップアップ・シーズンと捉えれば良いかと云う程度の期待感であった。新聞や雑誌各紙(誌)論評も慶応の優勝を予想するものはまず見当たらなかったのである。


それが開幕から一分けをはさみ、あれよあれよとチームは序盤に六連勝した。だが、私がこの春リーグ戦に3回ほど神宮球場に足を運んだうち、4月20日の東大戦は東大の辰該投手の好投に序盤苦しみ、4月27日の明治戦は勝ちムードの中で終盤追いつかれてプロ併用日で引き分け、5月18日の立教戦では押さえの三宮投手(3年・慶応)が9回に連打を浴びるあわやの展開とあって、とても相手を圧倒できる力ではない事を実感した。案の上、立教3回戦で澤田投手(2年・大阪桐蔭)に押さえ込まれて勝ち点を落としたあたりで、今春のチームもここまでかと思えたのだった。それでも最終週は勝ち点を挙げた方が優勝という展開に持ち込んで早慶戦に挑んだが、正直に言えば昔から「早慶戦は弱い方が勝つ」というジンクスが唯一の頼りか、と一人考えていた情けないファンなのである。


という事で、投は有原(4年・広陵)、打は武藤(4年金沢泉が丘)を筆頭とする打棒ワセダにはかなわないのではないかという思いで、旅空の下、日曜日は2回戦のテレビ中継の前に座った。前日1回戦の慶応・加藤(2年・慶応)と早稲田・有原の投手戦に次いで、この日の2回戦は慶応はなぜかここまでエース格の加嶋投手(3年・慶応志木)ではなく三宮投手の先発であった。前のカードの立教2回戦で相手バッターに外角球を狙い撃ちされた事をワセダが学んだのか、序盤から三宮は打たれて大荒れの模様。不思議な事にプロ出身の江藤監督(監督代行)はベンチに5人しか投手を入れないから、投手繰りがどうなるかといつもながらハラハラの展開である。しかし早稲田も有原以外の投手に絶対的な力がなく、辛うじて慶応が乱戦をものにして連勝し、6季ぶり34回目の優勝を果たした。下馬評は高くなかったチームがここまで来た裏には、素人の一ファンからは計り知れない皆の努力と工夫があったと想像し、まずは優勝を喜んで旅先で妻と乾杯したのだった。ただ6季ぶりの優勝、それも早稲田に連勝とあって、「野球は甲子園球児を集めれば勝つわけではない」とつい杯が進み、旅の翌日が辛かった事は言うまでもない。

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