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2014年5月

2014年5月30日 (金)

平和ボケ

今日のニュースでは旧ソ連のロシアとベラルーシ、カザフスタンが、3カ国の市場統合を目指す「ユーラシア経済連合」を発足させる条約に署名したと報じている。ロシアと云えばかねてからプーチン大統領は、旧ソ連の再統合を最重要課題に挙げているそうだが、最近のウクライナでの政変やユーラシア経済連合発足の動きをみると、いよいよ彼はその念願に向けて歩みを始めた様だ。


一方でフィリピンと争う南沙諸島や我が国との尖閣領有権に加え、中国は南シナ海でベトナムとの争いに攻勢を加え、その領土への野望をここに来て性急かつ露骨に示している。これらウクライナや中国の問題に対して、アメリカのオバマ大統領の発言や行動は極めて消極的かつ抑制的で、それを見透かしたようにロシアや中国が軍事力を背景にますます勢力を伸ばそうと意気込んでいるのが最近の世界の構図であろう。


こうしてみると冷戦が終わって四半世紀が経過した今、世界では西欧+米 VS ロシア+中国という新たな対立軸があらわれてきた様だ。ただ以前と違って世界は貿易や様々な交流ではるかに有機的に結びついているし、中国は米国の国債最大保有国とあって事態はそう一筋縄にはいかない。一方でロシアはドイツに秋波を送り、アジアの国々も中国の顔色をうかがっているのが現状である。


かつて東西冷戦の時代に共産主義陣営に対する前進基地として奇跡的な復興をした日本が、この新たな東西対立の時代にいかにして自国の存亡と繁栄を図ればよいのであろうか。集団的自衛権や憲法改正を持ち出すと「戦争への道を進む安部政権」と一つ覚えの情緒的な言辞を弄する人々は、我々を取り巻く世界のパラダイム変化をどう見据えているのだろうか。世界の有り様がすっかり変わっているのに、平和憲法を後生大事に守っていれば、我が国がいつまでも安寧としていられるほど世の中は甘くはない。集団的自衛権でさえ揉めている様では先が思いやられるものだ。

2014年5月28日 (水)

やる気があるのか国産車

我々の青春時代といえば”とにかくクルマ!”の時代だった。早く運転免許をとって金を稼ぎ、クルマを買って隣に可愛い彼女を載せて走りたいというのが若者の夢であった。という事で、私も20歳になる前に免許をとって、これまで乗り継いだクルマを数えると国産車ばかり8台となった。若い頃はクルマで随分あちこちドライブや旅行に行ったものだが、東京に住んでいると運転は必ずしも必要ではないし、ましてや夫婦2人して酒好きときているから、会食の日には運転できずに最近は車にあまり乗らないのが実情である。それでも50歳代前半に買った日産スカイラインが10年近くたったし、買い換えとなると年齢的に人生であと2台くらいが限界だろうから、せいぜい気持ちの良い自動車に乗りたいという思いで2年前にクルマの入れ替えをしたのだった。


どうせ趣味でガソリンを撒き散らしながら乗るなら、6気筒の上質なセダンかスポーツタイプのクルマが良い、という事でその当時パンフレットなどを取り寄せたところ、国産車と来たらとにかくワンボックスカーかハッチバック車、それでなければやたら偉そうな大きなクルマばかりで、どうしても買いたいクルマが見当たらない。で、この先あと生涯で2台という事ならば、ここらでちょっと冒険してみるのも良いかと思い、人気のドイツ車BMWに乗り換える事にした。ただクルマにあまり高い金を払うくらいなら、その分で旅行したりクルーズ船に乗ったりしたいものだと思う我が懐具合である。米国などに比べて法外に高いBMWの新車はあきらめて、今回は正規代理店の走行距離の少ない中古車を購入する事にしたのだった。考えてみれば、これまでアメリカに居た時にはビュイックやシボレーに乗ったが、それ以外で外車を所有するのは生まれて初めての経験である。


こうして2年前に買ったBMWは、燃費はそう良いとは言えないものの特に故障もないし、ツインターボ直列6気筒のFR車特有のエンジンフィールが体に気持ちよい。何にもまして驚いたのは、このBMWディーラーのその後の売り込み方である。よほど宣伝・広告費に金をかけているのか、毎週の様にフェアやら新車発表の郵便が届くのは、売ってしまった後はあまり熱心でない国産車のディーラーと大違いだ。今回、下取りに出した日産車のディーラーは、登録が切れると同時に連絡もなしのつぶてとなったのだが、ここで日産が「残念、次はまたニッサンに!」とばかりうんとサービスを展開すれば数年後はまたわからないのである。都内では自家用セダンというと国産車より外車が目につく昨今である。こういう外車の戦略と彼らのカブリオレやスポーツモデルを含むフルラインアップをみると、価格は少々高くとも外車にしようかという消費者心理が納得できたのである。スマホなどよりクルマに興味あるおじさん世代としては、人生で最後の一台は国産車に復帰したいと願っているのだから、ワンボックス・カーばかりでなく上質な自家用セダンを作って欲しいものだと国産車メーカーに注文したい。

フル・ラインアップのBMW
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2014年5月26日 (月)

第93回陸上関東インカレ・慶応競走部・祝一部復帰

毎年この季節に気になる事と云えば、野球の早慶戦と陸上競技の関東学生対校選手権(関東インカレ)である。不思議なもので学生スポーツファンとしては、日本一を競ったり全国大会の結果がどうなるのかも大事なのだが、対校戦や関東の大会で母校が良い成績をあげるとより嬉しいもので、今春も神宮球場の六大学野球や陸上の関東インカレ(関カレ)の成績が気になってしょうがない。その関カレは今年で93回目、国立競技場が建て替えで使えないとあって、先週は熊谷、今週は新横浜で大会が開催されたので、遠い競技場まで足を運ぼうかどうするかと躊躇していたのだった。ところがふとテレビの番組表を見ると、この週末には読売系G+というスポーツチャンネルで、関カレを朝から夕方まで完全中継するとある。以前には録画された関東インカレが早朝や深夜の時間枠に放送されていたのだが、まっ昼間から学生陸上の完全中継とは多チャンネル時代で便利になったものだ。


関東インカレは予選を勝ち抜いた決勝種目の成績によって、1位8点・2位7点・3位6点、以下8位1点まで各校の獲得した得点を競うので、個人競技とともに団体競技の側面をもつ大会でもある。毎年男子では1部16校のうち下位2校が2部上位2校と入れ替わるので、選手たちは何とか1点でも多くの得点を挙げようと必死で競技を繰り広げるのも関カレ観戦の面白さと云える。母校の競走部もロンドンオリンピック代表の主将・山縣君をはじめ、東洋大にすすんだ桐生君に次いで実績をあげた小池君(立命館慶祥)などの新人が加わり、短距離陣はかなり充実している様だ。昨年はよもやの2部落ちだったが、中距離や跳躍陣も現在の陣容ならば順当にいけば一部復帰は固いだろうと、この週末はテレビの前にどっかと座って応援する事にした。


案の定、母校は2部校の中では圧倒的な強さを示し、Kマークのユニフォームが次々と上位で画面に映し出されるのが嬉しい。4日間の全日程を終えて2位の東京学芸大学に大差をつけ、悠々1部に返り咲いた場面を満喫し昨晩はビールも美味しかった。さて来年はまた1部校の中での熾烈な戦いになりそうだが、今後2部に落ちずに上位をうかがう事が出来るだろうか。1部と2部の競技は同じ日に同じ場所でほぼ同気象の条件で前後して争われるので、仮に母校の選手達が今年2部で出した記録を、直後に行われた1部校の決勝記録と比較すると、そのまま通用するものもある一方、1部であったら入賞は難しくなる種目もある。特に投擲種目の壁は高い上、何より長距離が今のままの競技力では点がまったく取れずまるで片肺飛行である。エースの山縣君が卒業した後、残った選手達が来年には一段と伸びて欲しいところだし、ここはあらゆる方策を試みて長距離や競歩の強化を望みたいと思った。

2014年5月24日 (土)

福山市

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久しぶりに瀬戸内の福山市に出張した。初めてこの町へ来たのは80年代初頭、日本鋼管(現在JFE)福山製鉄所からアメリカ向けに輸出する鋼材の船積み立会いに来たのだった。それから四半世紀、近隣の常石にある造船所にもよく来たし、松永地区の製材工場にも幾度か商談で訪れた馴染みの町だ。歴史的には福山市の南部、鞆の浦はちょうど瀬戸内海の中央部にあたり、大阪方面からの潮流と九州方面からの潮流がぶつかるので、古代沿岸航法の時代から潮待ちの港として賑わった場所だ。昔から物流や生産の拠点であった事から海運業が盛んになり、瀬戸内のこのあたりには船主業を業とする”イッパイ(一杯)船主さん”が多数いるのである。


一杯船主とは文字通り船を一隻(一パイ)だけ所有し、船員を乗せメンテナンス管理を行い、大手の海運会社に貸し出す(チャーターアウト)事を家業とする業態だが、どうしてどうして、今や何十隻もの大型外航貨物船を所有し、日本の海運会社だけでなく海外の海運会社に船舶を貸し出す大手の船主が瀬戸内沿岸に多数存在する。世界の海運界を見わたしても、所有・船員配乗・保守・管理する船主業と、運航(営業)する海運会社の関係がこれほど安定的に続く業態は、日本の他にはギリシャや台湾船主の一部で見られるくらいであろうか。これも瀬戸内の地元に造船所、シップファイナンスの金融機関、船舶用機器のメーカーやサービス網、船員教育を施す学校、検査機関や保険など一連の海事クラスターが揃っているからで、これを見るだけで日本の産業基盤は韓国などとは比べ物にならない広がりと奥行きを持っている事がわかる。


さて今回もそんな有力な瀬戸内の船主との会合に福山を訪れたのだが、仕事の話しは10分足らずで終わってしまう。後は「昔はどうだった、あの人は今何をしている?、あの時はお互い苦労したなあ」などと云う話ばかりで2時間、出張に同道した若い担当者があっけにとられているのを横目に雑談だけで大いに盛り上がったのであった。長い間、不況業種といわれ過去に幾度となくもう海運業から足を洗おうかと思ったものだが、こうして過去の遺産によって、思い出話だけで給料を貰えるとは幸せなものだと感謝するのであった。東京への帰り道に新幹線の指定席を取ろうとすると一時間待ちとの事で、その間に駅のすぐ横にある福山城を初めて見学する事ができた。戦災で焼け落ちて1966年再建された天守閣から人口50万のたおやかに広がる福山市を眺めていると、またこの辺りに妻とゆっくりと来たいと思ったのだった。

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2014年5月15日 (木)

ようそろ安倍首相

安倍政権になってから、おおむねわが国は良い方向へ向かっているのではないだろうか。続々発表される主要企業の業績は過去最高かそれに近いものだし、今春の消費税アップによる影響もどうやら限定的のようだ。TPP交渉は実質的に内々で合意されているとみられるし、一方で中国や韓国はやっとその本質をあらわし始めて、日本人も何が『主敵』なのか覚醒しつつある。今や中国や韓国というと「いやだね~」と顔をしかめる人が私の周りにも多くなったのが面白い。先日、中学の同窓会に行ったら、以前は韓流スターにキャアキャア言っていた同級生のオバちゃん達も、もう韓国にはまったく興味がうせたと眉をひそめていた。あとは安全の確かめられた原発の再稼動に加え、ロシアにも中国に対しても何もできないオバカなオバマ大統領が早く辞め、もう少しましなアメリカの大統領が出てくる事を望みたいところである。


こういう情勢の下、やっとここにきて憲法を改正したり集団的自衛権を認めようとする気運が盛り上がっている。何しろ戦後だけでもドイツは58回、アメリカは6回憲法を改正する中、わが国では時代が変化しようと一度も憲法が改正されていないのである。戦後間もなく、日本が何ものかわからず恐る恐る占領を始めた進駐軍が、わが国を骨抜きにするために即席でつくったのが今の憲法だが、パックスアメリカーナと東西冷戦の時代はその役目を充分に果たして来た立派な憲法だったと云えるであろう。しかし戦後も70年近く経過し、ソ連の崩壊や中国の台頭で世界の有り様が一変している中で、時代にそぐわなくなった憲法はなるべく早く改正した方が良いと、自民党員でもないが私もそう考える。なにしろ世界の人口は第2次大戦後の25億人が、今や70億人になる時代なのだ。


改めて現在の日本国憲法を読み直すと、まず奇異なのがその前文だ。「 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」いかにもアメリカ人の草稿を訳した様なまずい文章だが、台頭する中国の軍国主義を前に ”平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して” 我らの安全と生存を保持できるなどと考えるのは正に噴飯ものだ。また第九条も自衛隊の存在や日米安全保障条約の現実に合わせて適宜変えたらよい。それにしても日本人だけが憲法を変えると軍国主義になってアジアに災厄をばらまき、また来た道を繰り返すと何とかの一つ覚えの様に言う人々やメディアは、一体どこの国の視点でものを見ているのだろうか?我々はそれほど成熟していないのか、いや中国や韓国よりはるかにましだと私は自信を持って言いたい。

2014年5月 9日 (金)

継続は力なり? ねんりんピック2014

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帰宅すると公益財団法人・東京陸上競技協会と印刷された封筒が届いている。はて、陸連に登記登録していたのは30年くらい前までだったし、この季節に来年の東京マラソンのお知らせが来ることもないから、いったい何かといぶかりながら封を切ってみた。開けると「ねんりんピック栃木2014」と印刷されたパンフレットと、東京陸上競技協会長名で『 第27回全国健康福祉祭とちぎ大会(ねんりんピック栃木2014)・東京都代表選手のご推薦について(依頼)』とやや仰々しい題のレターである。良くも悪くも推薦される様な事を近ごろした覚えもないと思いつつ手紙を読むと、昨秋、大雨の中走った「第18回シニア健康スポーツフェスティバル」の結果によって、この秋(10月)の「ねんりんピック」の陸上の部で東京都代表選手に推薦したいとある。


さて「ねんりんピック?」って何だろうと同封のパンフレットを読むと『ねんりんピックは、60歳以上の方々を中心とした健康と福祉の祭典です』とあり、毎年各県持ち回りで大々的に開かれる大会のようだ。同パンフには「厚生省創立50周年を記念して昭和63年(1988年)の第1回ひょうご大会以来、毎年開催されています。卓球、テニス、囲碁、俳句などの交流大会や、美術展、音楽文化祭、シンポジウム、健康福祉機器展などのさまざまなイベントを通じて、地域や世代を超えて参加者の交流の輪が全国に広がっています。」とある。手紙には大会参加費用の個人負担概算の他、結団式の日程、東京都選手団のユニーフォームについて記載などがあるから、各県別に選手がユニフォームを着て国民体育大会(国体)の高齢者版の様な事をするらしい。あらためてその成績で選考されたという昨秋のシニア健康フェスティバルの要綱を読み直すと、たしかにそのレースは「ねんりんピック」の代表選考を兼ねますと記載されていたのを初めて知った。


都道府県代表にわずかでもカスったといえば、大学時代に毎年行われていた「都道県対抗東日本縦断 青森・東京間駅伝競走」(青東駅伝)の県予選会に出た事ぐらいだろうか。ただ当時は学生の目標である箱根駅伝の予選会と青東駅伝の開催時期が近いため、全員その後の選考は辞退したとマネージャーに聞いており、これまで代表選手などは遠い夢の存在だった。また陸上競技の国体代表は各県の優勝者クラスが出るので、私の様な凡ランナーには別次元だったから、この年になって高齢者の国体らしきイベントに東京代表で選ばれるとはまったく予想だにしない事だった。「ねんりんピック」は各県から中長距離3種目それぞれ60歳以上が2人づつ(東京は4人)代表に選ばれたそうで、そこに運よく入れたのは正に「継続は力なり」という事だろうか。こうなればこの夏は走りまくって体重を減らし、全国大会で同世代相手に一つでも上位に進もうかなどと野心も逞しくなるのだが、嬉しくなって一段と酒がすすみ体重は一向に減りそうにない。

2014年5月 5日 (月)

こいのぼり

子供の日である。昨日は初夏の様な晴天に心も軽かった。なぜか風に泳ぐ大きな鯉のぼりを見たいと思い、以前住んでいた東京の郊外にドライブに出かける。往時この季節になると、近郊あちこちの農家の庭先で真鯉、緋鯉に吹流しもついたフルセットの大きな鯉のぼりが、青空をバックに悠々と泳いでいたものだった。ところが、昨日はそんな大きな鯉のぼりを掲げている農家があまり見当たらない。たしかこの辺りにはあったはずと記憶をたどって運転するが、残念ながらこれという大きな鯉のぼりを発見できない。


妻いわく「農家も高齢化で、男の子がいてももう大人になっているんじゃない?子供がいなければ鯉のぼりなんて上げないものよ」。そういえば近郊農家の様相もかなり変化したのだろうか。あの狂乱のバブルの時代から早や四半世紀たった。バブルの頃は次々と農地が住宅に変わっていったが、そのブームに残された農地や山林が宅地化されるペースは以後かなりゆっくりになって、今でもあちこちに残る郊外の緑が目にまぶしい。逆に会社を定年となった高齢者が、郊外の一戸建てから便利な都心の高層マンションに回帰する現象も生じていると云う。世の変化を感じながらハンドルを握っていると、いかにも都市近郊を象徴するコンクリートで固められた河川に、地元青年団の鯉のぼりが気持ち良さそうに舞っていた。

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2014年5月 4日 (日)

臨時列車”あけぼの”の旅 (3) 青函連絡船 八甲田丸

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弘前で花見をした後に、真っ直ぐ東京に帰ると云うのは、お金の面でも時間的にもまだちょっともったいない。で、妻は青森駅にある青函連絡船メモリアルシップ”八甲田丸”を見学に行きたいと言いだした。青函連絡船なら少し前まで東京(お台場)の船の科学館に同型船の”羊蹄丸”が係留されていたが、オリジナルの青森桟橋で余生を過ごす連絡船を見るのもよいかと、青森新幹線に乗るまでの間、しばし見学に時間を割いてみた。青函連絡船は学生時代に合宿や旅行で数往復乗った後、社会人となってからは北海道は飛行機で往復したから、私にとってもこれは昭和を感じさせるノスタルジックな乗り物である。


”八甲田丸”はJR青森駅の突端、かつてはホームがそのまま海に突き出して桟橋になっていた場所の近くに係留されていた。(写真・下) そういえばかつて青森でも函館でも夏のシーズンには、連絡船を降りてからホームに横付けしていた急行列車の座席を確保する為に、この桟橋を一生懸命走った事を思い出した。当時は上野から旧型客車急行「八甲田」や「十和田」で12時間あまり、青森というと地の果ての様にも感じたのだが、今や東京から飛行機で1時間、新幹線”はやぶさ”で3時間で来られるとは隔世の感がある。そんな時代の変遷を見つめるかの様に、船体下部を黄色に塗られた”八甲田丸”は余生を静かに青森の桟橋で送っているのだった。


見学料を払って船内に入ると、かつてお台場の”羊蹄丸”の船内に展示されていたジオラマ「青函ワールド」が展開する。これは「昭和30年代の活気あふれる青森駅前と行き交う人々でごった返した連絡船待合室の様子をジオラマで再現」(パンフレット)したものである。その他、展示船におなじみのブリッジやエンジンルームを見学した後に、ちょっと珍しい鉄道車両甲板へ見学者は誘導される。そこは「世界的にも珍しく、国内では八甲田丸でしか見ることの出来ない・・・」(パンフレット)展示場所で、どうやって鉄道車両を固縛したのかなど、意外に知られていない鉄道連絡船の世界を垣間見る事ができる。さて前夜、寝台列車で過ごした我が身は、ちょうどこのあたりで毎日のオツトメをモヨオシたのだが、”八甲田丸”のトイレに行くとそこは綺麗に整備・清掃されていて、この船を守る人達の気概を肌身で感じたのであった。

車両甲板と郵便車
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青森駅の鉄道可動橋
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2014年5月 3日 (土)

臨時列車”あけぼの”の旅 (2) 弘前さくら祭り

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弘前城とさくら
今回は寝台列車に乗るのが旅の目的だったが、連休中に青森までただ行って帰って来るだけではもったいない。という事で、我々はさくら祭りで賑わう弘前で”あけぼの”を下車し、一ヶ月前に東京で見た桜をもう一度楽しむ事にした。弘前は弘前藩の城下町で現在の人口は33万人、津軽地方の中心都市として栄え、明治維新後は短い間だが県庁所在地でもあったそうである。青森県と云えばかつて八戸市に仕事でしばしば訪れた事があるが、八戸(旧南部藩)と津軽は距離は近くても遠い間柄で、同じ青森県内でも今でも南部地区と津軽地区は言葉も違えば食べ物・文化も違うというのが面白い。


旧弘前城城内にあたる弘前公園に植えられた2600本の桜は、ソメイヨシノが中心で我々が訪れた5月1日には満開をわずかに過ぎた頃であった。すでに葉桜になった木もそこここに見られる一方、日当たりのあまり良くない場所では、ちょうど今を盛りと桜の花が咲き誇っている。風がざわめくと散りゆく桜が歌舞伎舞台の様に頭上に降り注ぎ、お堀に散った花びらは水面をピンク色に染め上げて、まるで一幅の絵画を見ているようである。ここは東京で云えば千鳥が淵や上野公園にあたる場所だが、さすがに歩く人もそれほど多くはなく、ゆったりと花を愛でられるのが気持ちよい。


私も最近は、昼の会食などで極力アルコールは飲まない様にしているものの、天気にも恵まれた上に見事な花を見ながら酒もなしに昼飯をとるのでは桜の神様に誠に申し訳ない。という事で屋台で焼き鳥やらホットドッグにビールなどを買って、しばし「みちのく」の遅い春を楽しんだのであった。帰路は妻の希望で公園近辺にあるカトリック弘前教会(1910年明治43年建築)や、プロテスタントの日本キリスト教団弘前教会(1875年明治8年創立)の立派な建物を見学し、あらためて明治維新の前後には文明開化の波が、江戸や京都からも遠い東北の町にも及んでいた事に驚いたのだった。

カトリック弘前教会
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2014年5月 2日 (金)

臨時列車“あけぼの”の旅(1)

長岡~青森間を牽引するEF81
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観光列車的な”北斗星”などを除き、最後の寝台特急(ブルートレイン)となっていたのが ”あけぼの”である。定期運用が終了する前のこの2月に乗るつもりだったが、乗車予定の数日前に降った大雪で列車が運休、乗り損ねた事は先にアップ(「あけぼの幻の乗車 2014年2月21日」)したとおりだ。ただ、ここであきらめては”テツ”の末席を占めるのも名がすたるというもので、このゴールデンウイークに運転される臨時の”あけぼの”に妻や会社の仲間たちとリベンジ乗車して弘前の桜を楽しんできた。といってもこの特急、他の列車の合間を申し訳ないようにゆっくり走る臨時のダイヤ設定で、上野から青森まで上越・信越・羽越・奥羽本線経由で772キロ余り、なんと14時間46分かかる鈍足列車である。


連休の谷間、仕事を終えて上野駅に駆けつけると、臨時”あけぼの”が尾久からおなじみ推進運転でホームに静々と入線してくる。ブルートレインではあるものの、ソロ寝台1両含みわずか6両のB寝台編成(+電源車)で、食堂車は無論のこと車内販売もないから、駅のコンビニでアルコールやつまみ、それに朝食まで買い込んで乗車しなければならない。24系(25形)の初期に製造されたウバ桜車両をかき集めたような編成は、外板の腐食も目立つし内装もいかにも”昭和”を感じさせるレトロな車両たちであった。乗客はと云えば「いかにも」と云うオタク風の男子一人旅が多く、駅につけばほとんどが撮影やら録音に夢中の様子。開放式寝台の一画を占めて酒を飲みながら盛り上がる我々は、やや部外者かの如く白い眼で睨まれたのである。


ただ老齢車といえども整備は素晴らしく、車内がきれいに清掃されているのは当然として、不快なタイヤ・フラットなども皆無である。ロングレールでない区間では客車列車おなじみの”ガタッ、ゴトン、ガタン”とジョイントを刻む音が軽快に響き、「ああ、夜行の客車列車に乗っているなあ」とノスタルジアを満喫できるのが嬉しい。上野から長岡までのEF64・1052号機に換わったEF81・137号機も35歳の老齢ながら運転宜しきを得て、停車・発車の衝撃もないので朝8時頃に秋田県に入る頃までぐっすり寝てしまった。飛行機や高速道路の旅と違って、在来線の旅は景色がゆっくりと田舎や山から町に、町から田舎へと流れ心地良い。こうしてゴトン、ゴトンとのんびり車窓の景色を楽しんでいると、旅が点から点でなく面と面で繋がっている様で、あっという間に桜が咲き誇る弘前に到着したのだった。

くたびれた24系客車
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