長屋の花見
桜の花も満開と云う事で、会社の若者たちから昼休みに公園に花見に行きましょうと誘われる。「それは名案だね!ところで酒はどうするんだい?会社の昼休みだけどまあ適当に飲もうぜ。『長屋の花見』じゃあるまいし。」と最年長の私の提案に一同はきょとんとしている。「あれ、君たち落語の『長屋の花見』を知らないの?」と言うと「そんな難しい話はわからないのですが・・・・」と皆の困ったような顔。TOEICなどは私の若い頃には想像もつかない良い点をとって入社し、ITの扱いに長けた若者たちも、かの”大根のかまぼこ”や”卵焼に見立てた沢庵”を知らないのかと苦笑したのであった。
この調子じゃ彼らは目黒で本当にさんまがとれると考えてしまうのかと、話が通じない相手に今更ながら世代の差を感じたのである。そういえば最近は寄席にも行かなくなってしまったが、若い時分は新宿の末広亭などによく繰り出した。友人の中にはアメリカ駐在の際、長時間ドライブに落語のカセットを何本も持参していた者がいたし、私もかつて「寿限無、寿限無、ごこうのすりきれ、かいじゃりすいぎょのすいぎょうまつ、うんらいまつ、ふうらいまつ・・・・・」とえんえんと暗記したものだった。今でもクルマで環七の堀の内にある妙法寺あたりを通りかかると、落語「堀の内」に出てくるお祖師さん参りのあわて者が頭に浮かんで、ハンドルを握りながら一人笑ってしまうのである。
そういえば、江戸落語の「井戸に落っこった」と云うお約束の落ちも、最近は落ちる様な井戸がなくなったし、なにより「長屋」と聞いてもそれがどんな建物かわからない若者が増えている。町がきれいに整備されるのは多とするも、こうして江戸や明治の情緒がだんだん忘れ去られていくのは寂しいものだ。そんな中、時々通る本郷三丁目交差点角の小間物屋かねやすに「本郷もかねやすまでは江戸の内」としゃれた銘版が掲げられているのがおもしろい。なんでも江戸の大火の後にこのあたりから南の神田や江戸市中は火事を配慮した建物が奨励され、町の様子がここから違った事に由来するそうで、風情ある案内が掲げられ往時の江戸を想像させて呉れるさまに心和むのである。
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