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2014年2月

2014年2月28日 (金)

アザマラ・ジャーニー@東京晴海

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シンガポールで飛鳥Ⅱと並ぶアザマラ・クエスト

やっと訪れた春の陽気に誘われて、会社の昼休みを利用し東京・晴海の客船ターミナルに入港中の”アザマラ・ジャーニー”を見に行った。アザマラクルーズはセレブリティクルーズの別ブランドで、倒産したルネサンスクルーズが所有していた8隻のRシリーズ(3万トン)から本船と姉妹船(現”アザマラ・クエスト”)の2隻を購入して、プレミアムクラスより少し上級のクルーズを世界中で展開している。そういえば2011年の飛鳥Ⅱワールドクルーズの際、最初に寄港したシンガポールのセントーサ客船ターミナルで向かいに停泊していたのが”アザマラ・クエスト”だった。同船に乗船していたアメリカ人の乗客と「こちらは次がモーリシャスだけど、そちらはどこへ行くの」などと話した事が懐かしく、姉妹船”アザマラ・ジャーニー”を晴海で見ようと思いたったのだった。


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いつからか下部を濃紺に塗りわけた”アザマラ・ジャーニーの船体は、小粒ながら相変わらずスタイリッシュで客船らしく良くまとまったデザインである。客船は見て美しくなければいけないと私は思っているが、かっちりした隙のない上部構造は本船の「筋肉質」的な量感を醸し出しているし、「青い海」を意味するアザマラにちなんだファンネル周りのブルー基調のデザインもシャープで美しい。現代の客船らしくずらりと並んだベランダ付きのキャビンは、本船の高級感を演出しており、バルコニーの間口が廻りよりちょっと広いスイートには、一体どんな客が乗っているのかとこちらの好奇心が刺激される様だ。なんでも内部の意匠は「伝統的な雰囲気のメンバー制のカントリークラブの様」で、「料金はオールインクルーシブ、ハウスワイン飲み放題」「バトラーサービス付き」(ダグラスワード本2011年版)と高級感あふれるサービスである。


今回はアジアクルーズ途中の東京初寄港で、上・下船する乗客を観察していたらいわゆる白人の中高年カップルが多く、いずれもそれなりの雰囲気だ。調べると本船のクルーズ料金は、一泊で200ドル~350ドル以上からと結構なお値段である。ただダグラスワードによると「後部のキャビンはフルまたはそれに近いスピードで航走する時や入出港の際に振動が結構ある」そうだし、シャワーがせまくバスタブはスイート以上だけである。こうして考えると、もう少し料金をはりこめば大浴場つきの日本船にも乗れる事に思いがいたる。なにより”アザマラ・ジャーニー”には全通する木製のプロムナードデッキがない事がいかにも残念で、この点では”クリスタル・クルーズ”から転進してきた”飛鳥Ⅱ”がやはり優れたフネであると再認識する。同じ高い金を払う覚悟があるなら、アザマラの様な世界のラグジュアリー船を選んで本場の雰囲気を味わうか、木のデッキでジョギングして大浴場に飛び込める”飛鳥”を選ぶか、ここは思案のしどころでもある。

プロムナードデッキは小さく木張りでないのは残念
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2014年2月24日 (月)

東京マラソン 2014・ボランティアの記(参加してこそ・・・)

昨日開かれた8回目の東京マラソンは3万人のフルマラソンランナーが東京の町を駆け抜けた。例年30万以上の人が応募しているから当選確率は10倍以上の狭き門という事で、案の定これに外れた妻と義妹は、今度は何を思ったのかレースのボランテイアに応募していた。お祭りは見ているだけでは駄目、参加してこそ意味がある、ということだそうだ。ボランティアはスタートやゴール地点での誘導や荷物管理の他、沿道でコース整理や給水・給食を担当するが、応募する際には活動場所しか選べないそうである。「新宿・飯田橋ブロック」を第一希望にしていた所、その中で2人に割り当てられたのは5km地点の給水所の担当であった。さすがにトップクラスの選手のスペシャル・ドリンクは専門の陸連の係員が行うが、それ以外の多くのランナーが立ち寄る給水所で、水やスポーツドリンクをテーブルに並べ、ランナーが取った後に適宜補充する役目である。この場所なら、走り始めて間もないためトップランナーと最後尾のランナーの差がそれ程開いておらず、活動場所として人気の高い「銀座・日本橋ブロック」や「蔵前・浅草ブロック」に比べると格段に拘束時間が短いそうである。
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レース前日の土曜日には大会ゴールとなる有明の東京ビッグサイトで、説明会とボランティアユニフォームである帽子とコートが配られた。これを着用していると当日は地下鉄の改札の中のトイレもフリーパスで使わせてもらえるそうで、妻と義妹は前夜から青いキャップとコートを試着してみてはウキウキしている。そして日曜日、休みの日だと云うのに、彼女らは早起きをして勇んで指定された給水所へ向かって行く。その給水所に集まったボランティア達は、お互い見知らぬグループ同士ながら、ベテランのリーダーの指揮の下で備品のチェックやテーブルの設営などの準備を極めてシステマチックに手早く行わったのだそうだ。単なる給水といえども永年の知恵がそこかしこにあって、分刻みでコップや備品( 給水台用のテーブルや、ランナーが捨てたコップをかき集めるための熊手もある )、水のペットボトルが大型トラックで届き、秒単位でテーブルにコップを敷き詰めて水を注ぎ、その上に板を置いて更にコップを置き、最終的にはコップの山を三段作っておくのだそうである。こうして効率よくコップをランナーに配っていき、さばけ具合を見ながら、足りなければ後方部隊が新しいコップに水を注ぐのである。

三段に重ねたコップ
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2人が働いた給水ポイントはレースの序盤なので、サブスリーやサブ3.5のランナー達は目もくれず通り過ぎるが、次第に水やスポーツドリンクを手にするものが増えるのが自然の成り行き。ただ日差しがなく肌寒いコンディションだったため、例年に比べ出た水の量はかなり少なく、その分ランナーにたっぷり声援をおくることが出来たそうだ。給水のボランティアは、水だけでなく笑顔でランナーを応援するのも大切な役目なのである。最後尾のランナー達が行く頃には同じテーブルで一緒に働いた仲間達に一種の連帯感が生まれてきて、来年も抽選に外れたらまた参加しようねと思う様になるらしい。私は知人の応援の為にレース前にちょっと2人の働く給水所をのぞいただけだったが、準備に忙しい現場を見ていると、警察や消防、大会関係者だけでなく実に多くの人がレースを支えてくれている事に改めて感動した。ただ帰宅するなり妻は 「 オレサマ軸で、奉仕の精神があんまりないあなたこそああいう経験をすべきよ。来年また抽選に外れたらあなたの分も一緒に申し込んどくわ。 」と鼻の穴をふくらませて自慢げなのはちょっぴり癪である。

ボランティアが影の主役です
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2014年2月21日 (金)

「あけぼの」幻の乗車

会社のオジサンたち鉄ヲタ4人で有給休暇をとって、この3月で運行を終了する寝台特急「あけぼの」に乗ろうと切符を買っていた。「あけぼの」は高崎線・上越線・信越本線・羽越本線・奥羽本線を経由して上野から青森まで、延々776キロを12時間半かけて走る24系寝台の夜行特急列車(ブルートレイン)である。今やこの列車以外の寝台特急は「トワイライトエキスプレス」や「カシオペア」の様に観光を目的とした列車か、電車による特急「サンライズ出雲・瀬戸」が運転されるのみで、いわゆる交通機関としてのブルー・トレインは「あけぼの」が最後の定期列車となってしまった。ここは運行をやめる前に、開放式B寝台の4人ブロックを占拠し、宴会で盛り上がりつつ完乗しなければ”鉄っちゃん”の名がすたると、会社ではそれなりに重鎮の4人の意見が一致したのであった。


そういえば、おじさん世代が子供の頃は航空機などは別世界の乗り物、ちょっと思いだしてみれば、九州に行くにも北海道に渡るにも夜行列車のお世話になった時代である。あまたの寝台列車の中にあって秀眉が九州行きブルートレイン20系客車で、夕刻に田町からEF58に牽引されて東京駅の14番線・15番線に回送されてくる「あさかぜ」や「はやぶさ」「さくら」などを、子供心に憧れのまなざしで見入ったのだった。特に食堂車の従業員が入線する際に、一斉にホームに向かってお辞儀をしている姿は印象深い光景だった。そんな一世を風靡したブルートレインが、この3月の「あけぼの」運転廃止で終了するとは、時代の変遷とはいえ寂しいものである。


さて予定された乗車日は先日の大雪の後で、その日の天気予報は「くもりのち雪もあり」である。という事でオジサン4人は今や車内サービスもない「あけぼの」にお酒や弁当の他、予備の非常食やらバレンタインで貰ったチョコを積み込もうと浮き浮きとプランを練る。まるで遠足前の児童の様だが、これはれっきとした大人の遠足である。推進運転の上野駅入線は必見だから退社後にその時間に集合する事として、終着の青森で下車した後は自由行動で北海道へ行く者、会社に直帰する者、駅から徒歩でいける「あおもり駅前温泉」でのんびりする者などそれぞれ計画と準備も怠りない。”ピイー”と遠くで鳴る機関車のホイッスル、床下から聞こえる客車列車独特のジョイントを刻む音など、最後のブルートレインを楽しむべく旅の場面をあれこれ夢想しながら前夜は床についた。


ところが、である。朝おきると空も晴れていてほっとする間もなく、以前に降った大雪の影響で、上り・下りの「あけぼの」は”本日運休”とJRのホームページに掲載されるではないか。好事魔多し。「え~、もう雪は除雪されたのではないの?」と東京近辺の景色から勝手に想像するも、上越国境や北国の長い列車の行程を考えると、それもやむをえないのだろうか。ここは天を恨むわけにもいくまい。そもそもこんな時期にすき好んで「あけぼの」に乗り通す客などほとんどいないだろうし、急ぎの人は飛行機か新幹線かバスで行くのだろうから、運休したところでほかに大した影響もないのかもしれない。やけくそでその日は東京駅地下(エキチカ)で伝統の旅のお供、「崎陽軒」のシュウマイの大箱(30ヶ入り)を買い、缶ビールを手始めとして越後の日本酒・「八海山」を片手にシュウマイをつつきながら、居間のカウチで鉄道ビデオを見ながらひとりで旅の気分を盛り上げたのだった。

崎陽軒の30個入りシウマイ
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衛藤発言は間違っていない

首相の靖国神社参拝に関し米国が失望したと言った件について、安部首相の側近・衛藤首相補佐官が「かえって米国に失望した」と皮肉を述べた事がまたぞろ問題になっている。ただ先に当ブログでもアップしたが、ケネディ大使を始め米国は、正しくは『大切な同盟国である日本の指導者が、周辺諸国との摩擦を悪化させる行動をとった事』に失望したと発表している通りである。これはあくまで米国が日本対中・韓の対立という構図から批評したもので、彼らは「日本に失望」している訳ではないし、DISAPPOINTという単語自体は大した意味がない弱めの表現であると解説する識者もいる。


それにしても首相の靖国参拝をあれだけ事前に米国に根回しをしたのに、もはや機能不全に近い弱腰なオバマ政権から出されたコメントに 「失望した」 という衛藤補佐官の気持ちも理解できる。この事で笑ってしまったが、日頃あれだけ 「アメリカの顔色ばかりうかがうのか」 「なんでも米国の言いなりか」 と自民党政権を避難するメディアやサヨクが、今度は 「アメリカも怒っている」 「アメリカと溝を作ってよいのか」とまるでアメリカが味方かの様なコメントを出す事である。彼らこそ普段通りの文脈なら 「よくアメリカに文句のひとつも言った」 とこの補佐官をたたえて然るべきところだろう。靖国について政府は「我々の心の問題、内政干渉をするな」と毅然として米中韓国に対応すれば良いだけの話である。


そういえば以前、建国記念日が国民の祝日になった際に、明治時代の紀元節が復活して日本は軍国主義に逆戻りするとトンチンカンな議論が巻き起こったが、軍国日本はその後どこに復活したのだろうか。さかのぼれば60年の日米安保改訂で「アンポ反対!」と叫んでデモした人達は、対中国に関してアメリカの同盟頼りという現状をどう思っているのだろうか。先の秘密保護法の時も然りで、自分達はぬくぬくと現在の日本のあり余る自由と繁栄を享受しながら、何かと云うと戦前に逆戻りが心配だ、自民政府のやる事は何でも反対と思考停止の何とかの一つ覚えの人達がいる。月間 "WILL" 3月号に「臆病な日本のジャーナリズム」と題して、元ニューヨークタイムスの東京特派員だったヘンリー・S・ストークスが書いている。「アメリカで日本に関心を持つ人は(昔も今も)少ない。・・・・それは残念なことだが、逆にいうなら 、アメリカ人が『失望した』と言ったとしても、日本のことも靖国の事も理解しておらず、単に中国の反応を見ての発言だろうから、深い意味はないと言える」。こんなのが本当のところだろう。

2014年2月16日 (日)

にっぽん丸 OASIS ( 横浜沖レストラン船)

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吹雪の出港

大荒れ天気のこの週末、金曜日夕方から”にっぽん丸”のOASIS2泊3日クルーズに乗船した。2年半ぶりの”にっぽん丸”だが、金曜日は朝から雪のため、普段クルマで行く大桟橋に電車で向かう事にする。タクシー・電車を乗り継いでやっと乗船したと思ったら、船の外は吹雪で視界がきかず、全長160米以上の船舶は浦賀水道の航路規制で東京湾を出る事ができないと番留船長の放送である。と云う事で全長167米の本船はやむなく横浜沖に錨を降ろして金曜の夜は錨泊となった。夜になっても吹雪は止む気配がない上、東京湾外は低気圧による大時化とあって、土曜日に航海を続ければこのクルーズの目玉であるゲストシェフのフレンチ料理やチョコレート職人(ショコラティエ)、コーヒー専門家(コーヒーハンター)の技と味を楽しむどころではなくなるだろう。どうするのかと思っていたところ、土曜日朝に船長から、この日は終日横浜沖にとどまるとのアナウンスがあった。安全のためにやむをえない判断だろうが、一日中東京湾の同じ景色とあって、本船はクルーズ船というより横浜港沖・美食遊覧船と化したのであった。


もともと我々夫婦は”にっぽん丸”でクルーズに慣れ親しんだものの、ここ数年間は国内では”飛鳥Ⅱ”に乗る事ばかりだったので、”にっぽん丸”の雰囲気はどうだったのかちょっと興味を持って今回の乗船である。と云うところで久しぶりの”にっぽん丸”も、ほとんどのサービスクルーが代わってしまい顔見知りが少ない上に、彼らの対応にちょっとよそよそしさを感じたのが不思議だった。例えばこちらが船上で覚えたたどたどしいタガログ語で挨拶すると、飛鳥Ⅱのクルーは「上手デスネー」などと大げさに喜び、新しい単語を教えてくれたりするが、この船のフィリピン人ははにかんだ様なシャイな笑顔を返すものが多い。日本人クルーも会釈する際にちょっと視線をそらして遠慮がちなのが気になる。以前”飛鳥”常連の友人が初めて”にっぽん丸”に乗船した際に、「クルーと乗客に距離がある」と言っていた通り、”飛鳥”では良く言えばクルーがフレンドリー、人によってはちょっと馴れ馴れしいと感じる様な接客態度なのに、”にっぽん丸”では節度ある対応というべきか親密さにやや欠けるものを感じた。


さてこの船は『食のにっぽん丸』と云われるが、ディナーのメイン料理はさておき、サラダのドレッシングや朝食にでる野菜のクルーム煮などちょっとした料理の味付けが絶妙で、思わず朝からサラダのお代わりをしてしまう。料理を美味しく提供するのはこの船の300名~400名位の定員が適しているのだろう。リドテラスのハンバーガーも飛鳥Ⅱのリドグリルのそれより美味しく味わった。また以前はデッキのジョギング禁止で我々は運動不足になって困っていたが、フィットネスのマシンが最新鋭のものに代わり、そこで走れたのは注目すべき改善点であった。それでも”飛鳥Ⅱ”に比べると船体やキャビンの設備差はいかんともしがたく、やはり早晩本格的な新しいクルーズ客船が欲しいと思いつつ 『横浜沖クルーズ』 から下船したのだった。そういえば、この船でかつて大時化の際、カクテルパーティが中止になった夜がフリードリンクとなって「お、粋だね!」と思ったものだが、気象のせいとは云え今回の様に予定外の航海の日も飲み放題とすればまたファンも増えようと云うものだ。高齢者や女性客も多いから皆がそうガブガブ飲む訳でもなし、バンカー(燃料油)のセーブに比べたらタカがしれている。ファンを増やすチャンスなのに、”にっぽん丸”もちょっと商売っ気がないものである。

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2014年2月 9日 (日)

日曜日の朝に

おっちょこちょいで短気なため、人生でどれほど損したか計り知れない。若い頃から会社でも一言多くて、煙たがられたであろう事は想像に難くない。ちょっと前まで、飲食店に行った際もサービスが期待と違ったり、意に沿わなかったりすると、すぐに店員に嫌味をたれるので、妻は 「お願いだから黙っていて。そんな事に腹を立てて文句をつけても何も変わらないでしょ 」と私を諭していたものだ。それでも60才を過ぎてから、自分でだいぶ怒りをコントロールできる様になって、「俺も丸くなったものだ」と自画自賛していたこの頃である。


さて今日は久しぶりの雪道を妻と都知事選の投票に行き、帰り道にお茶でも飲むかと、二人で近所のスタバに入った。日曜日の朝はパソコンをいじったり新聞を読んだりする人でそれなりに席が埋まっているなか、一隅だけポツンと空いたテーブルがあるので、妻に注文を頼んで一人でそこを確保する事にした。と、数メートル離れたところに一人で座っている中年女性が、数分おきになにやらブツブツ意味不明の事を呟いている。それとなく見ると、携帯で電話をしているわけでもなく、空中に向かって一人話しているのが気持ち悪い。そのまわりは、と見るとちょっと離れた席で新聞を屏風の様に立てつつ、「 私には絶対関わるな 」と、無言で意思を示すかの若者が一人いるのみの状況。


この場面、混んだ電車でたまたま空いている一隅を見つけ、これ幸いと腰をおろすと何やら”やばい”人がお隣で、そこだけ空いていたと云う時の様だ。そのうちこの女性は一番近い席にいるこちらの顔を見ながら、人質がどうのこうのと訳の判らない事をさかんに喋りかけてくる。コーヒーを持ってきた妻は事態がのみ込めず困惑していたが、他に移動する席もないので聞こえぬふりである。しかし気が短いのは江戸っ子の性分、しばらく我慢していたが、妻を安心させねばとむかっ腹に火がついた。「 誰に向かって喋ってるんだ、うるさいんだよ。独り言か?それなら正面向いて喋ってろ、こっちを向くな 」 (妻の注:本当はもう2ノッチくらい過激な喧嘩口調だったとの事 )と中年女性に一言ほえると、一瞬ぶつぶつと何かを言いつつも彼女はトイレかどこかへ消えてしまった。


多分先ほどからこの客をマークしていたのだろう、事態を遠巻きに観察していた店員がすかさず私達に、「お客様、大変失礼しました、席が空きましたからあちらへどうぞ」と遠い席に誘導してくれたのには助かった。ちょっと向こうに座っていた男性が、ホっとした笑顔で「気持ち悪いですよね」などと話しかけてくる。いつも私の態度にバツの悪い思いをする妻も、「 今まであなたがキれた時はハラハラするしかなかったけど、この十年で初めて『よく言ってくれた』とスカっとしたわ 」と珍しく誉めてくれた。「俺だって相手がこわそうなお兄さんだったら、さっさとこちらから店を出るさ、反撃されるかどうか位は観察済だ」と余裕のある処を妻に見せつつ、「あんなのがいるから血圧が上がって困るよ」と苦笑すると「血圧が高いからこそ、そういう反応をしてしまうのよ」とさっき持ち上げたと思ったらすぐに切り返された日曜の朝だった。

2014年2月 5日 (水)

江戸橋倉庫ビル 

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日本橋から東に向かってぶらぶら歩いて昭和通りへ出ると、通りの向こう側の日本橋川沿いにレトロで由緒正しそうなビルディングが目に入る。かつてここでハシケから建物へ荷物が直接揚げ降ろしされていたのだろうか、以前は川面へ向かってビルの側面からクレーンを吊るす幾筋かのレールが突き出ていて、建築マニアでなくともちょっと興味を引かれるビルであった。この建物は1930年に完成した三菱倉庫の江戸橋倉庫ビルで、日本で初めてトランクルームが併設され、最近は東京都選定歴史記念物にも指定されている由緒正しき建築物だそうだ。


このあたりは日本橋川に沿い江戸時代には左岸(北側)に河岸が開け、時代が下って明治になると右岸(南側=江戸橋倉庫ビル近辺))に三菱の倉庫が並んだ日本の物流の中心地であった。一帯は関東大震災(1923年)で被災し、その後造られた幅の広い昭和通りが地域を分断してしまった上、東京オリンピックに際して急遽造られた首都高速道路が不細工に街中に立ちはだかってしまい、昔の風情がほとんど残っていない様だ。最近は日本橋再生計画が進んで街が整美されているのが喜ばしいものの、幾つかある有名海苔屋やこの江戸橋倉庫ビルがかつての興隆を偲ばせる数少ない存在で、すっかり町が変わってしまったのがさびしいものだ。


その江戸橋倉庫ビルも再開発計画の只中で、旧建物の外観を保存したうえで、地上18階地下1階建てのオフィスビルに間もなく建て替わると云う。かつてビルの屋上にあった船のブリッジを模した様な屋上塔は今はどこかに保管されている様だが、今夏ビルが完成した時点で再びそのユニークな姿が見られる事になることだろう。丸の内の整然とした街を散歩するのも気持ち良いが、まだ下町然とした日本橋から三菱倉庫ビルを右手に見つつ、人形町や水天宮、さらには甘酒横丁から明治座あたりへと、いにしえの繁華街をそぞろ歩くのもなかなか風情があって良いものである。

上は昭和通りから見た江戸橋倉庫ビル、下が再開発完成予想図。

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2014年2月 2日 (日)

映画 永遠の0(ゼロ)

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遅ればせながら映画になった「永遠の0(ゼロ)」を有楽町マリオンまで見に行った。封切り以来一ヶ月以上経っているのに今日も映画館は満員で、この作品の人気の高さが判ろうというものである。ベテランの俳優だけでなく若手の好演技と、空母”赤城”などは本物かと思うほどのCGの出来栄えで、開演からただちに画面に引き込まれてしまった。予想通り後半は館内あちこちでハナをすする音、それも今日は男性のそれが多く聞こえてきた様な感動的な作品だった。私と云えば隣からティッシュを差し出す妻に「いらないよ」などと強がりながら、涙をこらえる為にヒーローの娘である風吹ジュンの実年齢と、年代の整合性などを一途に考えながら気を紛らそうとした2時間半であった。


その原作を読んだ我が2010年8月 1日 (日)のブログ 『百田尚樹 永遠の0(ゼロ)』はこう記している。

『久しぶりに後味のさわやかな小説を読んだ。百田尚樹の「永遠の0(ゼロ)」講談社文庫である。「2009年最高に面白い本大賞第1位」との帯もあながち誇大広告とはいえないと感じた。物語はゼロ戦を操って先の大戦を生きぬいたものの、終戦直前に特攻で亡くなったパイロットの孫である姉弟が、多くの戦友を訪ね祖父の生きざまを聞き出すという設定になっている。今まで何も知らなかった祖父の事を探るにつれその驚くべき実像が徐々に明らかになるのだが、読者も毀誉褒貶の差が激しい主人公である祖父の、本当の姿を知りたくて物語の展開にぐいぐい引き込まれていく。

超人的な操縦技術を持ちながら「生きて帰る事が大事」と広言し、戦場では不要な戦いを避け、当時の理不尽な軍隊のやり方に時には批判的であった主人公は臆病者であったのか。彼が守ろうとしたものは何なのか、戦友たちの証言にその伏線がちりばめられ、物語の終盤に仕掛けられた展開に読者はあっと驚くのである。作者は戦友の証言という形をとって、兵隊を消耗品としてしか扱わずロジスティックを無視した旧軍隊を痛烈に批判する一方、朝日新聞の記者と想定される姉の恋人を登場させ、散々戦争をあおったあげく戦後は手のひらを返した大新聞や、戦後の薄っぺらい平和主義に強く不快の念を示している。

私が常々感じている事は、現在の視点で旧軍隊や明治憲法下のさまざまな行動を批判するだけにとどまらず、近隣の国に謝罪をすべしと主張する人たちの心の貧しさや想像力の欠如である。帝国主義の時代に日本があの道をとらなければ一体その後の日本はどうなっていたのであろうか。もちろんその過程で不足したり行き過ぎの行為が多々あったであろうから、その事を検証する事は日本人としては大切であろうが、中国や韓国を念頭において謝罪と反省を迫る自虐史観をもったメディアや政治家には驚くばかりである。

「永遠のゼロ」は戦争の不条理を描きつつ、われわれの祖父や親の代が今の人となんら変わらないセンチメントを持っていた、いやそれ以上の”愛”を持っていた事を示そうとしている様だ。我々と同じ心を持ったかつての日本人一人一人の兵士がいかに戦ったのか、下手なドキュメントより命の重さを浮き立たせてくれる素晴らしい小説であった。この作者に注目だ。』


映画化に当たっては、上記の「朝日新聞の記者と想定される」若者に代わり、合コンの仲間が主人公を批難すると云う演出に変わっているのはかえって残念であった。ただそれ以外では、結末を知っていても充分”泣ける”作品で、原作者の百田氏が作った日本人の琴線に触れるテーマを、上手に映画化した点が素晴らしかった。原作が作られたのは2006年、作中にもある様にあと10年もすれば、先の大戦を経験した人がいなくなってしまうのである。今こそ我々はあの戦争の真相を連合国側から見た史観だけでなく、日本人として一から考え直さなけらばならないと映画を見て実感した。

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