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2014年1月 4日 (土)

大島合宿(1)

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40年ぶり大島ゴルフコース・今は小湧園とは関係ないらしい。

今年3月の名古屋ウイメンズマラソン(旧名古屋国際女子マラソン)に出場予定なるも、仕事とかでほとんど練習をしていない義妹と、4月の霞ヶ浦フルマラソンに出る義弟の夫婦とともに、我々夫婦もお正月の走り込みという事で伊豆大島の大島温泉ホテルで4日間の合宿を張った。これまでにも年末・年始には宮崎シーガイアや石垣島などでキャンプをしてきたが、今年は災害復興支援も兼ねて、近くて便利な伊豆大島である。大島といえば、最近は箱根駅伝に出る大学のチームなどもよく合宿を行う場所だが、私にとっても40年ぶりに訪れた思い出の地である。


かつて大島北部のゴルフ場の一画に、日本体育協会(体協)か日本陸上競技連盟(陸連)か、どちらの所有か忘れたがオンボロな宿舎があって、大学競走部時代に毎冬に一度、1週間ほどの合宿に来ていた。起伏のある芝を走るファルトレックと云う練習の為に作られた施設で、球がびゅんびゅん飛び交うコース脇で、ゴルファーの間を縫って芝を走るのだから危険な事この上ない。走る方も走る方だが、これを正式に認めていたゴルフ場もゴルフ場で、よくこれで誰も大怪我をしないなあ等といつも思っていたのだった。さすがにこんな危ない練習施設は閉鎖になったものの、ちょっと前までは安全面など配慮されず、トレーニングもずいぶん無茶苦茶だった訳である。


今回久しぶりに、ここに合宿所があった筈という跡を訪れると、当時の様々な思い出が一挙に蘇る。そう云えばご飯はゴルフ場を運営していた小湧園ホテルで食べる事になっていたから旨かったものの、木造2階建てのオンボロ宿舎は風が吹き込みとにかく寒いばかりだった。練習が終わって皆で「寒い、寒い」と言いつつ、段ボール箱のみかん早食い競争をした光景がフラッシュバックする。そういえばある年、たまたま実業団のトップクラスの駅伝チームと合宿が重なり、10キロの合同タイムトライアルをやった事も強烈な出来事であった。日本がまだそれほど豊かでなかったから、優秀な高校生の競技者は揃って実業団に進んだ時代である。


その時は「ヨーイ、ゴー」で一斉にスタートすると、実業団の選手は400米競走かと思う様なダッシュで突っ走って行ってしまうのにまず面食らった。落ちこぼれるまでこのスピードで押し通すのか、というすごい速さに驚愕しつつも、そのままどこまで行けるのかと後ろから行くと、案の定後半になってフラフラになった選手が落ちてくる。日本のトップクラスの集団でも調子の悪い者や疲労がたまっている数名は、平均ペースで走っている我々学生のチームの上位に抜かれてゴールする結果であった。すかさず監督の指示は 「学生に抜かれた者は昼食ぬきでもう一回10キロのコースを走れ」と云う事で、生活がかかっている実業団の厳しさを身近に感じたものだった。かつて宿舎があったと思われるゴルフ場脇の草っ原にこうして40年ぶりに立つと、走る事が中心だった学生生活を思い出して懐かしい。

ゴルフコース脇・かつて合宿所があった辺りの今
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