未完成交響楽
休みの朝ゆったりと音楽を聴く。今日手にとったCDはカール・ベーム指揮ベルリンフィルのシューベルトの未完成交響曲だった。久しぶりにこの曲を聞いたが、”未完成”を聞くたびにいつも疑問に思う事は、なぜこんな名曲が第2楽章で終了してしまうかという問題である。この疑問は誰もが思い浮かべる様で、古くから多くの評論家だけでなく、往年の映画「未完成交響楽」などでその謎解きが紹介されている通りである。今週末に読もうと思いたまたま買った月刊誌VOICE12月号(PHP研究所)に、作家である百田尚樹氏の「覚醒するクラシック」という連載コーナーがあり、”未完成”がなぜ未完成なのかを取上げていたのでこれを興味深く読んだ。
百田氏によると”未完成”が2楽章で終わった理由として ①完成した1楽章と2楽章で充分作品になっているとシューベルトが考えた ②恋人に捧げるつもりが失恋して中断した ③単に面倒になったなどと諸説があるが、そのうち百田氏は③番目が最も適当であろうと云う。他人に依頼されて書いた作品が多かったモーツアルトや、一度着想した曲を練り上げるベートーベンに対して、天才肌のシューベルトは典型的なきまぐれタイプで、創作の意欲が一旦下がるともうやる気をなくし、後は放っておいたのが真相ではないかと氏は推論する。この説は作家としての百田氏の体験から紡ぎ出されたものだそうで、音楽や小説を創る事が精神的にいかに大変な作業なのかを百田氏は教えてくれる。
これについて、私は素人論としてこんな風に常々考えている。”未完成”の第2楽章が完成したのは1822年だが、その時期にすでに畏友ベートーベンは第9の創作に取り掛かっていた。当時まだ小さな都市だったウイーンでその事を知ったシューベルトは多分にベートーベンの大作を気にして、美しいメロディーに満ち、安らかな緩除楽章で何かを暗示する様な”未完成”をほおりなげ、後に”グレート”と呼ばれるベートーベン的な大作ハ長調交響曲の創作に取り掛かったのではないか。多分専門家からみれば噴飯ものの珍説だろうが、”未完成”と”ザ・グレート”の曲想の違いを聴くと、31歳で夭逝する事を自身が予感していたかの様に、偉大な大先輩を意識し、それを超えんと生き急ぐシューベルトの姿を思い浮かべてしまうのである。
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