川上監督 V9時代
土曜日の朝、テレビをつけると、先ごろ93歳でなくなった巨人軍の元監督、川上さんの「打撃の神様と言われた男・川上哲治 V9名監督の野球哲学」と云う特集番組が放送されている。遅く起きた休みの朝で、ボーっとした頭で番組を眺めていると、V9時代の川上監督の様々なエピソードの他、懐かしい後楽園球場や往年の巨人軍の名選手の写真が次々と画面に登場して、いつの間にか番組に引きこまれてしまった。ジャイアンツのV9といえば昭和40年から48年まで、当時は第一次オイルショックを前に日本が高度成長をしていた時代で、振り返ってみれば巨人軍の隆盛と日本の興隆が正にオーバーラップしていたのだった。
V9初期の頃は、日本でスポーツと云えばまず野球、子供達も野球に熱中したものだ。当時はリトル・リーグやら大人のコーチなどはもちろんなかったから、あちこちにあった空き地での草野球が少年達の唯一のスポーツの場だった。昼間は自転車に乗って遠征し、泥んこになって野球を楽しみ、夜8時になるとテレビの野球中継を見るのが日課だった時代である。当時、長嶋、王の活躍はもちろんだが、8時半の男と云われたリリーフ男・宮田征典、甲府の小天狗・若き堀内恒夫などの活躍に熱狂したもので、今でも目をつぶると、彼らがどんなフォームで投げていたか、どんな仕草をしたかそのシーンが脳裏に浮かんでくる。
ところがV9時代も後半になると、こちらも思春期から社会へ出る頃となって、川上監督の負けない野球、管理野球に対して、何となく疎ましい気持ちを感じたものである。その頃活躍したV9戦士と云えば、土井や高田など小柄でスマートな選手達で、我々も組織に入ると、あの様に目標に向かって細かく管理される駒になるのかと、社会に出る不安と巨人の野球が重なって見えたのだった。そんな中、昭和49年にジャイアンツが優勝を逃した際には、なぜかこちらまで肩の荷がおりた様に感じて、却ってホッとしたのが懐かしい。それにつけても今日のテレビ画面を見ていると、川上さんが監督を退いたのが50歳代の半ばで、当時は相当な年齢に見えたものだが、その年齢を現在の自分がはるかに超えているという事実に改めて驚くのである。
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