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2013年11月

2013年11月27日 (水)

特定秘密保護法に賛同する

最近、霞ヶ関や日比谷を歩いていると、「特定秘密保護法に反対」として「国民の知る権利を守れ」だの「報道の自由の危機」などと叫んで、盛んにビラを配っている人たちがいる。不愉快なのでなるべく近寄らない様にしているが、私がよほど馬鹿ヅラでブラブラ歩いているのか、人通りが少ないと何とかビラを手渡そうと向こうの方から来る者がいて困る事がある。こんな時、あまりに面倒だと、手を振ってビラ渡しを拒んだ上、相手の顔を見て「法案には賛成だよ」と言うと、向こうはさすがにひるんだ様に後ずさりするのである。


と思うと昨日のテレビのニュースは、NHKはじめどこも法案の衆議院通過を「与党の暴挙」、「国会の恥」だとさんざんアジったあげく、これに反対する学者や評論家のインタビューばかり取り上げている。法案の目的や意義についてはほとんど解説がない上、賛成の立場の論者コメントがまったく放送されない有り様に、「ああ、またメディアがやっているよ」と妻とテレビを見ながら笑っていたのであった。朝日新聞などに代表されるマスコミは、戦前あれだけ戦争を煽った上に、戦後は国家が関与した証拠もない『慰安婦』問題をでっちあげるなど、偏った話を散々捏造してきた通りである。彼らが「報道の自由」や「知る権利」がなどと偉そうに言えば言うほど、笑止千万、片腹痛いとはこの事だと思うのである。


我が国が、日米同盟を基軸に安全保障を全うし国民の生命財産を守るために、この種の法律が必須なのは論を俟たないが、その内容は決しておかしなものではない事は、ちょっとネットで自民党案を調べてもわかる。国と国民の安全に関わる重要な情報、なかんづく防衛・外交・テロなどに関わる事項についてのみ、例えば潜水艦のプロペラの形状や戦車の装甲板の厚さ、国の機関への不正アクセスなどに関して、一部の公務員や防衛産業の社員が法の対象であって、凡そ普通の日本人が関わる事項ではない。ましてや報道機関に影響があるだとか原発問題も対象になるなどというのは、正に”タメにする””的はずれ”の議論である事がすぐ判る。60年安保騒動の時、あれほど「アンポ反対!」と叫んだ人達が、今やその安保体制にどっぷり浸かって安寧な生活を楽しんでいるのを見るにつけ、「特定秘密保護法があって良かった」と後年かならず評価されるに違いないと考える。

2013年11月24日 (日)

丸の内・新宿スカイライン

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東京を歩くと、以前に比べ町がきれいになったと感じる。ゴミやたばこのポイ捨てが減ったり電柱の地下化が徐々に進んだ上、古い町が再開発され、あちらこちらの風景が見違える様になっているのだ。失われた日本経済の20年などと云われていたが、東京の街に関して云えば、この間も確実に進化を続けてきたという事を肌で感じる。この週末も皇居にジョギングに行くと、秋空の下に丸の内オフィス街の景色が美しく、思わず足を止め写真を撮ってしまった。

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かつて丸の内のオフィス街は100尺規制によって、一律9階建てで高さが揃っており、その景観はそれで美しかったものである。「皇居内を見下ろせない様に」あの高さにしているとの説もあったが、実は地震対策でビルの高さが100フィートまでと規制されていた為だそうだ。しかし東京駅前にある東京海上ビルが1986年に完成した頃から新しいビルが次々と建てられ、今では丸の内の景観もすっかり高層化している。ただし日比谷通りに面する新しいビルは、皇居の方から見た面を9階建てとし、高層階はその後ろに造られていて、昔のスカイラインを残しているのが心憎い。丸の内でこの余裕のビル群を見るたびに、日本の豊かさがこれらのビルに凝集されている様に感じる。
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しかし丸の内や大手町の新高層ビル群は、なぜか長方形の同じ様なビルばかりなのがいささか残念である。容積率とか耐震構造など様々な要件はあろうが、ビルの形があまりにも画一的すぎて面白味がない。アメリカの町に行くと、高層ビルがそれぞれ設計者や持ち主の個性を演出している様で華やかでユニーク、その存在感を際立たせているのと対照的である。その点、東京でも都心に比べると新宿のビル群が、それぞれ違うデザインで個性を発揮している様に感じて面白い。特に代々木のNTTドコモタワーは、マンハッタンのクライスラービルを連想させる特徴的な建物だと見るたびに思うのである。こうして丸の内と新宿の違いなどに思いを馳せながら、東京の街が個性を活かしながら発展して欲しいものだと願いつつ皇居をジョギングしていた。

一番左が新宿のクライスラービルーことNTTタワー
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2013年11月19日 (火)

ケネディ新大使信任状奉呈式

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午後のひと時、オフィスの窓から皇居の方をジーっと見つめていると、若い女性社員達が「××さん、そこで何をたそがれているのですか~」と言って通りすぎていく。「バカ言っちゃあいけないよ。今日は皇居でケネディ新大使の信任状奉呈式があって、あそこの角を馬車のパレードが通るんだぜ」と言い返すと、「ひへええ~馬車ですか~」と彼女達は驚いている。「そうか、ネットにはケネディ大使の事はあんまり出ていないのか」と新聞を読まないこの世代の事を心の中で嘲りつつ、「ちょっと遠いけど、良お~くここの窓から見ておけよ」と言い残した我が足はいつの間にか日比谷の方へ向かっていたのだった。


5日前のブログで「日の丸と星条旗を持ってキャロライン・ケネディ新大使の認証式に行きたいものだ」と大見得を切ったものの、勤務時間中に会社から出るのに、ウキウキと小旗を持って外出するのはさすがに憚れる。ちょっとそこまで用を足すかの様に手ぶらで、受付の女性達と目が合わない様にこそっとビルを出て、足速にしばらく歩くと日比谷通りの馬場先門交差点である。しかし日頃馴染んでいるその辺りは、私が着いた頃にはパレードを待つ2重3重の人垣で、日比谷通りにおける年間最大イベントである箱根駅伝のゴールどころの騒ぎではない。


辺りを見るとメディアの取材陣以外は1時間も前に来たような暇そうな老人が多く、日比谷公園の水曜・金曜コンサートではないが、無料の催し物といえばシニアの集団に圧倒される今日この頃である。これから一体全体日本はどうなるのか?警備のオマワリさんも「ここに立ち止まるより、あちらの方が良く見えるから、そちらへ廻って下さい」と整理に余念がない。凄まじい人手に圧倒されるうちにパレード通過時間となったと思ったら、あっけないほどあっと云う間に馬車の隊列は通りすぎて行った。これではキャロラインさんを見るどころではないが、思い直してようやく二重橋で捉えた馬車の写真が下のものである。よくこの信奉式を見に来るという人がテレビの取材を受けているのを傍らで聞いていたら、「今日の人手は特別ですよ」と言っていたから日米の関係は特別かと安心し、「俺も暇な老人の仲間入りか」と複雑な思いを抱きつつ何食わぬ顔をして会社に戻ったのだった。

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2013年11月18日 (月)

飛鳥Ⅱ 都民クルーズと妻の思惑 

土曜日の夜、まったりしているとパソコンを見ていた妻が、突然、「今日飛鳥Ⅱが久しぶりに東京港から出たみたい。これは乗りたいと言っていた都民クルーズだよね。ワンナイトで明日10時に東京帰港らしいから久しぶりにフネを見に行こうよ」と騒ぎだす。ほおっておくと暫くして、「明日は天気も良いみたいだし、絶好の入港日和だ!」とすっかりその気になっている様だ。確かに我が家から晴海の客船ターミナルは、日曜の朝なら渋滞もなくクルマで行けば目と鼻の距離感覚だが、それにしても妻の思い付きに毎度付き合うのは気が重い。「10時入港だから9時までには家を出よう」と横浜で「サン・プリンセス」を見送った時に注目され味をしめた手製のUW旗と、無線受信機やデジカメを用意すると「明日は早いから」とさっさと寝てしまった。


その夜は曖昧に返事をしていたものの、翌朝は妻のセットした目覚ましが早々に鳴り、休みにも拘わらず否応無く起こされいささかムッとする。それでも外を見ると綺麗に晴れているから、まあ日曜の朝のドライブも悪くないかと気を取り直し、やっとエンジンがかかる私であった。朝飯もそこそこに、おっとり刀で9時半前に晴海埠頭に駆けつけると、飛鳥Ⅱはすでに岸壁の前面で回頭をしている最中で、妻は「飛鳥早過ぎ。いつも早めにつく浅井船長に違いない」などブツブツ言いながらパーキングに駐車するのも待てずに送迎デッキに飛んで行ってしまった。苦笑しながら追いかけていくと、逆光ながら朝日の中を悠然と着桟する見慣れた飛鳥Ⅱの美しい姿に、妻はUW旗を掲げつつ、望遠鏡で「おっ、今日は小久江船長も乗っている!」と傍らではしゃいでいる。


飛鳥Ⅱは送迎デッキのUW旗を見つけたらしく、答礼のUW1旗を掲揚してくれたようで、それを見て「フネもわかってくれたみたい」と妻は大喜び。フネが岸壁に付きブリッジがすぐ目の前に来たところで両キャプテンが私と妻に気づいた様で、「どこかで見た顔だな、きっと以前の乗客に違いない」とばかり愛想よく手を振ってくれるとは客船もサービス業である。一人で旗をもってあちこち動き回る妻は、「その旗、どういう意味ですか?」と他の見物客に質問されたりして悦にいっているが、どうもこんな所で目立つのも気恥ずかしく、私は3米くらい離れて「この人と私は関係ありません」風にたたずんでいたのだった。それでもUW旗が目立つのか、ワールドクルーズをご一緒した夫妻が下船前の船内から目ざとく我々を見つけてくれ、久しぶりに本船と送迎デッキ間で挨拶を交わしたのだった。


それにしても飛鳥Ⅱの入港を見て、顔見知りのフィリピン人クルー達とターミナルの出口で「マガンダン・ウマガ。コモスタカ?」 「オ~。Long time, no see。 フィリピンの家は台風で屋根が飛んでしまった、でも家族は大丈夫ね」 などと近況を話すうち、またこの船でロングクルーズに行きたいと旅心に火が着くとは正に妻の思う壷である。
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2013年11月17日 (日)

未完成交響楽

休みの朝ゆったりと音楽を聴く。今日手にとったCDはカール・ベーム指揮ベルリンフィルのシューベルトの未完成交響曲だった。久しぶりにこの曲を聞いたが、”未完成”を聞くたびにいつも疑問に思う事は、なぜこんな名曲が第2楽章で終了してしまうかという問題である。この疑問は誰もが思い浮かべる様で、古くから多くの評論家だけでなく、往年の映画「未完成交響楽」などでその謎解きが紹介されている通りである。今週末に読もうと思いたまたま買った月刊誌VOICE12月号(PHP研究所)に、作家である百田尚樹氏の「覚醒するクラシック」という連載コーナーがあり、”未完成”がなぜ未完成なのかを取上げていたのでこれを興味深く読んだ。


百田氏によると”未完成”が2楽章で終わった理由として ①完成した1楽章と2楽章で充分作品になっているとシューベルトが考えた ②恋人に捧げるつもりが失恋して中断した ③単に面倒になったなどと諸説があるが、そのうち百田氏は③番目が最も適当であろうと云う。他人に依頼されて書いた作品が多かったモーツアルトや、一度着想した曲を練り上げるベートーベンに対して、天才肌のシューベルトは典型的なきまぐれタイプで、創作の意欲が一旦下がるともうやる気をなくし、後は放っておいたのが真相ではないかと氏は推論する。この説は作家としての百田氏の体験から紡ぎ出されたものだそうで、音楽や小説を創る事が精神的にいかに大変な作業なのかを百田氏は教えてくれる。


これについて、私は素人論としてこんな風に常々考えている。”未完成”の第2楽章が完成したのは1822年だが、その時期にすでに畏友ベートーベンは第9の創作に取り掛かっていた。当時まだ小さな都市だったウイーンでその事を知ったシューベルトは多分にベートーベンの大作を気にして、美しいメロディーに満ち、安らかな緩除楽章で何かを暗示する様な”未完成”をほおりなげ、後に”グレート”と呼ばれるベートーベン的な大作ハ長調交響曲の創作に取り掛かったのではないか。多分専門家からみれば噴飯ものの珍説だろうが、”未完成”と”ザ・グレート”の曲想の違いを聴くと、31歳で夭逝する事を自身が予感していたかの様に、偉大な大先輩を意識し、それを超えんと生き急ぐシューベルトの姿を思い浮かべてしまうのである。

カールベーム・ベルリンフィルの未完成とザ・グレート2曲入りCD
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2013年11月14日 (木)

キャロライン・ケネディ新大使

昭和38年11月23日、勤労感謝の祭日でのんびりと起きた朝、テレビをつけると、白黒の画面から「今日、歴史上記念すべきアメリカからの初の衛星同時中継の日に、日本の皆さんに大変悲しいお知らせをしなければなりません」という趣旨の日本人特派員の中継が始まった。一体何が起こったのかとびっくりしていたら、「ケネディ大統領が狙撃されて亡くなりました」と放送は伝えているではないか。あわてて休みの朝寝を楽しんでいた父親をたたきおこし、「これは大変な事になった」と続々と送られてくるニュースを家族でながめ震撼した事を思いだす。その日は暫くするうち、ケネディ家の家族の写真が電波に乗り、美しいジャクリーン夫人やまだ小さいキャロラインちゃんの愛くるしい姿が、日本中の茶の間に流されていたのだった。あれからちょうど50年、そのキャロライン・ケネディさんがアメリカの駐日大使として日本に赴任するという嬉しいニュースが流れている。


ずいぶんと皺は増えたものの、いかにも名門家の出らしいキャロラインさんの顔が繰り返し放送されるうち、私は30歳代の後半アメリカに駐在で赴任した当初の事を思い浮かべた。当時はまだ一人で米国内あちこちに出張するのもおっかなびっくりの頃である。地方都市に向かう小さなプロペラ機の2列シートで、たまたま横に座った40歳くらいの上品な白人の婦人と会話を交わしたが、初めて行く土地で地理も不案内、空港でレンタカーを借りて訪問先の事務所に行く道順を尋ねた私が余程頼りなく見えたのだろう。この婦人は「レンタカーとはもったいない。クルマを借りるなら私が自分のクルマで連れて行ってあげるわ」と言う。「いやそれは悪いから」と固辞したのだが「その事務所の前で降ろすから、帰りは空港行きのシャトルバスにでも乗れば良いのよ」と、見ず知らずのヘンな英語を喋るアジア人に親切を施してくれたのだった。


いくら地方都市といっても、犯罪が多いアメリカである。我が国でさえ、飛行機の中で隣り合った男を目的地まで連れて行くなどという女性はまずいない。しかしヒッチハイクに象徴される様に、女性でも困っている人を見れば交通の便宜を与えると云うのが西部開拓時代以来のアメリカの伝統なのかと、その時いたく感激したものだった。今回キャロラインさんの顔をテレビで見るにつけ、隣に乗り合わせた品の良いアメリカ婦人の思い出が重なって浮かび、新しい大使には良きアメリカ、強いアメリカの女性流ホスピタリティを是非体現して欲しいものだと思った。彼女の父親は魚雷艇PT109で日本の海軍と戦ったが、日・米が世界でも有数の同盟国同士となった今、彼女の人気によって両国の絆が深まるならこんなに喜ばしい事はない。もし認証式の日程がわかるなら、東京駅から皇居にむかう新大使の馬車隊列に向かって日の丸と星条旗を合わせて振りたいものだ。

2013年11月12日 (火)

俺は絶対よけないからな!

月曜日の朝9時、始業の時間になるとオフィス中にパソコンのキーボードを打ち込む音が響く。沢山の人がおりながら、シーンと静まり返った広い空間にパチパチという打鍵音だけがこだまするのは、一種不気味にも感じる。かつてはこの時間になると一斉に日本各地の代理店や顧客からの電話が殺到し、「担当者は電話中です。少々お持ち下さい」というアシスタントの女性の声や、「○○さんより電話、PCB(プリーズ・コール・バック)というメモが飛び交っていたものである。斯の様に一般事務の場で、電話ではなくメールが多用される様になった事に、今更ながら隔世の感を強くする日々である。


知人の精神科医と話していたら、彼は「メール文化というのは困ったものだね」と言う。「本来、人との会話は相手の顔色や表情、声の調子などを無意識にでも判断し、その中で作り上げていくもので、商談も同様だろう。それに反してメールは活字による文章だから、最初から自分の主張や保全を前面に出してしまう事になる。これは人類が何千年に亘って培ってきた対話の文化を崩すものと云えるのではないか」と専門家らしく手厳しい。たしかに以前から苦々しく思っていた馬鹿丁寧化し慇懃無礼になる日本語は、メールの普及に伴って益々顕著になって来た気がする。


メールやインターネットは確かに便利なもので、現代人ならばその効用に広く預かっているのは論を俟たない。とは理解しつつ電車で座ると、対面の6~7人全員が無言でスマホの画面を食い入る様に見ているのはまことに異様な光景ではある。ある時そんなにスマホが便利なものなら使ってみるのも悪くないかと考え、量販店で尋ねた事がある。「家と会社にパソコンがあってネットに接続できるが、外でネットを見るのは六大学野球の途中経過をみるくらいで年に2~3回。それ以外に音楽やゲームを外でする気はなく、地図や電車の時刻もカンピュータで充分。第一、老眼が進んで画面などは極力外で見たくない…」と言ったら、店員は淡々と「ではお客様にはスマホは必要ないですね。何よりデータ通信料がかかり、今より基本料金が高くなってしまいます」となにやら笑っていた。


ああ、俺は古い世界の人間なのだなとわかってはいたが、これを聞いて自己を再認識するとともに、一抹の寂しさを覚えたのはいた仕方のないことか。それにしても歩きながらスマホを見ていてこちらに突っ込んで来る奴、俺は絶対にこちらからよけないからな!

2013年11月 9日 (土)

川上監督 V9時代

土曜日の朝、テレビをつけると、先ごろ93歳でなくなった巨人軍の元監督、川上さんの「打撃の神様と言われた男・川上哲治 V9名監督の野球哲学」と云う特集番組が放送されている。遅く起きた休みの朝で、ボーっとした頭で番組を眺めていると、V9時代の川上監督の様々なエピソードの他、懐かしい後楽園球場や往年の巨人軍の名選手の写真が次々と画面に登場して、いつの間にか番組に引きこまれてしまった。ジャイアンツのV9といえば昭和40年から48年まで、当時は第一次オイルショックを前に日本が高度成長をしていた時代で、振り返ってみれば巨人軍の隆盛と日本の興隆が正にオーバーラップしていたのだった。


V9初期の頃は、日本でスポーツと云えばまず野球、子供達も野球に熱中したものだ。当時はリトル・リーグやら大人のコーチなどはもちろんなかったから、あちこちにあった空き地での草野球が少年達の唯一のスポーツの場だった。昼間は自転車に乗って遠征し、泥んこになって野球を楽しみ、夜8時になるとテレビの野球中継を見るのが日課だった時代である。当時、長嶋、王の活躍はもちろんだが、8時半の男と云われたリリーフ男・宮田征典、甲府の小天狗・若き堀内恒夫などの活躍に熱狂したもので、今でも目をつぶると、彼らがどんなフォームで投げていたか、どんな仕草をしたかそのシーンが脳裏に浮かんでくる。


ところがV9時代も後半になると、こちらも思春期から社会へ出る頃となって、川上監督の負けない野球、管理野球に対して、何となく疎ましい気持ちを感じたものである。その頃活躍したV9戦士と云えば、土井や高田など小柄でスマートな選手達で、我々も組織に入ると、あの様に目標に向かって細かく管理される駒になるのかと、社会に出る不安と巨人の野球が重なって見えたのだった。そんな中、昭和49年にジャイアンツが優勝を逃した際には、なぜかこちらまで肩の荷がおりた様に感じて、却ってホッとしたのが懐かしい。それにつけても今日のテレビ画面を見ていると、川上さんが監督を退いたのが50歳代の半ばで、当時は相当な年齢に見えたものだが、その年齢を現在の自分がはるかに超えているという事実に改めて驚くのである。

2013年11月 5日 (火)

選手をほめてやる

優勝して「東北の子供たち、全国の子供たち、被災者の皆さんに勇気を与えてくれた選手たちを『ほめてやって』下さい」と楽天の星野監督が素晴らしいメッセージを発するのを聞いて、「選手をほめて”やる”って星野は良い事言うね」とテレビを見ながら妻と話していた。最近は子供におやつを「あげる」と言うのはまだしも、あろう事か飼い犬に餌をやるではなく「あげる」のだそうで、そんな日本語を聞く度に思わずのけぞってしまうのである。久しぶりに星野監督の正しい日本語に喝采していたら、日曜日に放送されたNHKのスポーツニュースでは、わざわざその談話に「・・・・選手達をほめてあげて下さい」と字幕がふってあり、テレビ局に抗議電話をしたい衝動にかられた。


私は、とにかく最近の「ばか丁寧化」するおかしな日本語に抵抗を感じるタチで、話題の「させていただく」口調の氾濫はもとより、テレビのグルメ番組で乱発される「○○をおいしくいただく」までもひどく気になって、「○○をおいしく食べる」で良いだろうといつもテレビに向かって罵っているのである。そのほか最近は男性が接尾語に「ませ」を使っているのを良く聞くが、立派な男子が人前で「○○をして下さいませ」など言っていると、俄かに違和感を感じて「おとこのくせにそんな言葉を使うな」と思ってしまう。


そういえばビジネス英語も、かつて我々がテレックス英語を習った頃より、かなり丁寧になっている様で、しばしば違和感を感じるこの頃である。テレックス時代には、文章を短くする目的もあって、取引会社に対して"Your Good Company"などと書くと、上司にGOODは不要とばかり赤ペンで横線を引かれて添削されたものだった。しかし最近は海外から来るEメイルの文章も、どんどん丁寧化して "Your Good Company" も随分と見かける様になった。また以前にも書いた通り、精算されない金などを督促するのに、やたらとGentle Reminderと銘打ったメールがやりとりされているが、余程の場合を除いて催促には"2ndとか3rd Reminder"の方が直裁かつ効果的だと私は思っている。どうも世界中で物事を丁寧で遠慮がちに表現する方向に進んでいる様で気になってしょうがない。

2013年11月 1日 (金)

第11回日比谷公園ガーデニングショー2013

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あと暫くすると、本当に「毎日が日曜日」の生活がやってきそうだ。「小人閑居して不善を為す」という言葉がそっくりそのまま当てはまりそうな私は、来たるべくその日から一体どうやって日々を過ごしたものかと時々真剣に考えてしまう。その点、永年続けてきたジョギングとは誠にありがたいもので、日中に1時間くらい走った場合は、準備・整理運動や着替え、シャワーやらで倍の2時間くらいはあっと云う間に過ぎてしまう。だが学生ではあるまいし、そうそう毎日毎日走ってばかりはいられないから、残りの有り余る時間をいかに有意義に使うかで、これからの生活の質がかなり違ってきそうな気がする。


とすると、子供の頃に親にひっぱたかれながら練習させられたピアノを、あの頃の復習(復讐?)とばかり再開してみようか、はたまた客船で初歩を習ったダンスを正式に習ってみようか等とさまざまなアイデアが浮かんでは消えるが、そんな事をぼそぼそと食卓でつぶやいていると、妻は「いいんじゃない」と他人事である。こうして日々を過ごす中、今週は日比谷公園に於いてガーデニングショー2013が無料で開かれているというので、昼休みにブラブラと公園をのぞいてみる事にした。これまで永い間マンション住まいでガーデニングなどは無縁だと思っていたが、ショーに参加した造園業者や園芸高校、趣味で緑を愛でる人達が、花木や石を使ってどう美しい作品を創作するのか、ちょっと興味が湧いたのである。


この日比谷公園ガーデニングショーは今年で11回目だそうで、広い園内では箱庭を大きくしたような様々な”ガーデン(作庭)”の他、壁につるしたバスケットを花で飾る”ハンギングバスケット”の部やコンテナガーデンのコーナーなどがあり、それぞれ見事に造形された多くの作品が秋空の下で庭園美を競っている。特にハンギングバスケットなら、マンションのベランダの内側でもひっそりと楽しめそうで、これを我が家でやって”日々花を愛で、丹精する穏やかな自分”というきたるべき姿をちょっと想像してみる。これなら今やっているジョギング(体育系)とこれから再開したいピアノ(音楽系)の他に、文化系の趣味としてあまり金もかからない上に人に迷惑もかけない趣味としてできそうな気がしてきた。「草木が育つにはそこそこ時間がかかるから、それまでに飽きちゃいそう」と直感的な感想を述べる妻の鼻をあかす為にも、”花を愛する心やさしいシニア”を演じてみようかと思ったりしている。

写真は作庭(上)、ハンギングバスケット(下・上)、コンテナガーデン(下・下)の作品

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