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2013年9月

2013年9月30日 (月)

視界良好なれどなぜ衝突?

伊豆半島と大島の間の海で去る27日未明、日本の内航貨物船とシェラレオネ籍の貨物が衝突し、内航船の乗組員が多数亡くなった。沈没した日本の貨物船「第十八栄福丸」は、名古屋から千葉の市川港に鋼材を、相手船の「ジイアフイ」号は、シェラレオネ船籍というものの実質中国船のようで、川崎港を出港して韓国の釜山に向かっていたと云う。現場はちょうど東京湾を出て西日本に向かう船舶が、伊豆半島の神子元(みこもと)島にある灯台をめがけて針路をとる航路上の様だ。逆に西日本から東京湾に入る船も同じルートを通るから、事故の起きた海面は海原であっても、面ではなく線上の様なものといえよう。事故後の海上保安庁の検証によると、両船は左舷同士で正面から衝突しているとされているから、正に線上での事故という事になる。


沈没した「第十八栄福丸」は総トン数498トン、いわゆる499(よん・きゅう・きゅう)と呼ばれる船型で、500総トン/以上の船舶と比べ、船員資格や乗組定員の要件が有利なことから経済船型と呼ばれている。経済性と効率性のバランスに優れた船型で、各種工業用原材料をばら積みするほか、今回の様に鋼材を運ぶ事も多い。新聞記事によると、ちょうど現場付近を航行していた東九フェリー「オーシャンノース」の当直2航士が午前1時15分頃、左舷前方800米付近で、2隻の船の航海灯の動きが止まったのを確認し通報したという。当日の天気は晴れ、月齢は22日の半月、波高3米程度で、やや波は高いものの大島を望む海面は明るい月に照らされていた事だろう。


「オーシャンノース」の2航士はレーダーでも2隻の動きがなくなったと言っており、どうやら「栄福丸」と「ジ」号が衝突コースを対向している事をフェリーのブリッジでも認識していたのかもしれない。「オーシャンノース」の運航スケジュールを東九フェリーのホームページで確認すると、徳島を出て事故のあった27日の早朝に東京港に着くダイヤとなっているから、時間的に「栄福丸」を現場付近で追い抜こうとでもしていたのだろうか。フェリーのブリッジのレーダーでは周囲の船の針路も表示されるから、同航船の栄福丸のコースが、対向船の針路次第でどう変わるのか注視していたかもしれない。この様に2つの船がまっすぐ対向する場合には、両船が互いに右に舵を切って避けるのが海のルールだが、一瞬早く右転を始めた「栄福丸」に対して、「ジ」号の回避が遅れ結局「栄福丸」の左舷後方に「ジ」号がぶつかった様である。


この時間、「ジ」号は船舶の輻輳する東京湾を抜け、浦賀でパイロットをおろしてほっと一息の頃、船長もブリッジの操船を当直航海士に任せていた事であろう。一方の内航船も昼間の荷役に疲れている上に、月明かりの慣れた航海とあって、回避行動が遅れたのだろうか、海難審判で事故の原因を充分解明してほしいところである。それにつけても考えるのはレーダー波やカメラなどを使って、船舶が衝突を回避する装置が普及しても良いのではないかと云う事である。すでに自動車ではぶつからないクルマや、高速道路でレーンをはずさないクルマが実用化されている時代である。洋上の船、あるいは岩礁などとぶつからない様に、乗員に『積極的』に注意を促す装置は、それほど技術的に難しいものではあるまい。過酷な労働を強いられている内航船や、いろいろな国のサブ・スタンダード船が交錯する我が国周囲の海域を安全なものにする為に、最新の技術を使った安価なより確実な衝突防止装備が欲しいものである。

2013年9月27日 (金)

いつか来た道?

我が国が憲法や集団的自衛権の見直しを進めようという昨今、中国や韓国の他、国内でも一部から、日本は昭和初期の戦争に向かう「いつか来た道」を再び歩んでいるのかと批難の声があがる。的はずれの馬鹿げた批評だと思っていたところ、9月22日読売新聞「地球を読む」で、政治・歴史学者の北岡伸一氏が極めて明快に、それはありえない、と反論していて胸がすっとした。その論旨は戦前の日本が戦争に向かった諸条件として、①地理的膨張が日本に必要だとする当時の考え ②相手(中国)が弱いという認識 ③国際社会や国連は無力だという判断 ④政治の軍に対する統制の弱さ ⑤言論や報道の自由がなかった事 という5つを挙げ、今の日本はその様な状況にはまったくないと説いている。さらにこの5つの条件がそっくりそのまま当てはまるのが、今の中国だとの北岡氏の指摘にその通りだと納得するのである。


考えてみれば、日本人でこれから中国や韓国に攻め入ろうとか、国連を無視して軍事行動を起こそうと云う人はまずいないが、中国は隣接するほとんどの国と諍いを起こしながら、強面で軍事大国の道を歩んでいるのである。もっとも先にアップしたとおり日高義樹氏の「アメリカの新・中国戦略を知らない日本人」などを読むと、経済成長を背景に中国軍の軍事的プレゼンスが増しても、彼らの実際の戦闘能力はとても米軍に対抗できるものでは無い様だ。たとえば中国はウクライナで造られた中古の空母を購入したが、艦載機の訓練や地上基地、他の護衛艦との連携など、実戦に役立つレベルまでは相当課題があると云われている。潜水艦も多数建造しているがソナーの性能が劣るし、開発中のステルス戦闘機もアメリカのそれに比べると能力が雲泥だそうである。


太平洋の西半分は自分達の庭にして、好き放題やりたいという中国の野望も、軍事面でいえば当分米軍のプレゼンスが圧倒的に優位な様だ。それにも増して、仮に金に明かせて最新兵器を揃えてみたところで、高度な作戦を展開する現代の戦いを、現実に中国の軍隊が遂行できるであろうか。仕事で、中国の商船や中国人クルーのかなりお粗末な仕事ぶりに呆れ、およそ先進国では起こらない奇妙なクレームに悩まされる身としては、今の彼らのレベルで、訓練や兵站を考えつつ作戦を展開するのは無理なのではないかとさえ思う。実際、彼らは船舶に必要な法令の遵守や機器のメンテを怠ったり、安全航海のために決められた国際ルールを守らぬ事があり、欧米の港で出港禁止になる事がしばしば起こる。何よりそれらの検査で「船内が非衛生だ」と指摘を受けると、司馬遼太郎が「坂の上の雲」で、艦内の非統率ぶりや仕事に対する誇りの欠如を描いた清国の戦艦”定遠”の時代から、彼らの文化は何も変わっていないのだと思うのである。

「アメリカの新・中国戦略を知らない日本人」本年3月19日

2013年9月25日 (水)

やられたらやり返す、10倍返しだ

視聴率が40%を越えた人気番組、「半沢直樹」の最終回が終わった。その終わり方をめぐって、「 視聴者は不完全燃焼 」「 続編希望 」などの声がテレビ局に多数寄せられているそうだが、私はあれはあれで想定範囲内のエンディングだと思った。もし半沢の仇敵である大和田常務が左遷され、半沢が大出世するかの様なハッピーエンドにしてしまえば、単純な勧善懲悪の劇になりすぎて却って物語の面白さを削いでいた事だろう。


我々も8月の世界陸上をはさんでこの3ヶ月間、日曜の夜になると夫婦二人してテレビの前に座り、「これって会社であるある!」とか「これは実際にはないよね!」などと言いながら「半沢直樹」を楽しませてもらった。私も妻もそれぞれの業界で大同合併の経験があり、特に妻はメガ・バンクにいたので、何となく身につまされる場面も多かったものである。二人とも原作は読んだ事がないから、最終的にどんな終わり方をするのか予想はつかなかったものの、毎回の半沢の「倍返し」に胸のすく思いをして見ていたのだった。


「敵の敵は味方」の様なサラリーマンの出世競争・派閥争いである。特に合併した会社においては、相手の部下を引き上げ、自分の部下は切り捨てる事で相手の歓心を買い、ひいては自分の地位を安泰にする、などと云う上司を実際に私は見て来たから、頭取が合併相手の筆頭役員である大和田常務を切らず、平取締役に降格させるだけという筋の展開は充分想定できるのである。取締役会の場で説明役の担当社員が、常務を土下座させるなどというのはテレビのお遊びとしても、合併したメガ組織の力学として、相手方の実質的に水に落ちた役員に温情を見せかけ、できる中堅や出そうな杭はつぶしておくという頭取のやり方は、いかにも老獪かつ正しい人事の方針といえよう。


それにしてもこの話、大和田常務役の香川照之や、国税・金融庁役人役の片岡愛之助らの演技ぶりにも感心した。ちょっとした顔の筋肉の動かし方で、いかにもそれらしい表情を作るのは歌舞伎役者ならのうまさなのだろう。その他、ほとんどのバイ・プレイヤーの名演技に、妻と二人「嗚呼、花の応援団」ではないが「役者やのう!」と茶の間のテレビに叫んでいたのだった。さて「半沢直樹」とともに楽しんできた「じぇじぇじぇ」のあまちゃんも、この9月末で終わってしまうから、秋からはテレビがつまらなくなりそうで困るね、と妻と話しているこのごろである。

2013年9月22日 (日)

BACK to THE 1980's

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クルマの雑誌など最近とんと買わなかったが、本屋の店頭にあるベストカー・プラス、10月18日増刊号・総力大特集 "BACK to THE 1980's"という本がふと気になり手にしてみた。「日本のクルマが最も熱かったあの時代」 というタイトルと、掲載された数々の懐かしのクルマの写真を見て、ちょっと立ち読みした後に迷わず購入してしまった。なぜ珍しくこんな雑誌を買ったかというと、この雑誌の巻頭の言葉に代表される、「1980年代。日本も元気だったが、クルマはもっと元気があった。」「あの頃日本のクルマには『夢』も『希望』も『羨望』もあり・・・」 「メーカーもユーザーも一緒に祭りに参加していたような、ちょっとおかしい、だけど絶対的に楽しかった時代・・・・」 と言う1980年代を振り返りたくなったのである。また最近のクラウンの妙なフロントグリルや、フーガのうねったボディを見るにつけ、シルビアやジェミニ、カリーナなど、あの頃のすっきりしたクルマのデザインに郷愁を覚えるのも購読の理由である。


そういえば年号が昭和から平成に変わったのが1989年、その年の暮れに東証の日経平均株価が3万9000円近い史上最高値になった様に、1980年代日本はバブルに浮かれていた。クルマではハイソ・カーブームやシーマ現象がおこり、国内向けの需要によって、日本車がガラパゴス的に発展する事が許された時代でもあった。その頃を懐かしむ自動車評論家のコメントを読んでいると、当時の世相や自分の若い時代を思い出し、「ああ、そうだったよね」と思わず膝をうち、余りにも画一化され、効率一辺倒になった現代と比較してしまうのである。誌上対談で評論家の一人は 「(80年代は)自動車の進歩といろんな足並みが、偶然も含めてぴったり合ったという感じがしますね。団塊の世代で子供の頃ハングリーで、大人になって頑張るというもろ肉食系の世代の人達の確固たる需要があって、というようにいろんなものがきれいにシンクロしましたよね。」 と述べている。


熱気ムンムンの当時を振り返り、別のクルマ評論家は、「ケシカランことに近ごろの若いものは、好きな女の子をドライブに誘って、一気に仲よくなろうという 『ピュアな野望』 は抱いてはいないようです」 「ああ、なんて嘆かわしい。クルマなんてものは野望や下心を抱いてナンボです」とし、「言っちゃなんですが、今50歳前後の世代は、誰よりも強くクルマの神通力を信じ込んでいます。それは多感な若かりし頃に、クルマが今よりもずっと輝かしい存在だったからかもしれません」と書いているが、この評論家より10歳以上年上の我々世代は、より一層クルマへの思い入れが強いといえよう。事実、私も80年代は新車が出ると自動車誌を買ったり、パンフレットを取り寄せたりで、結局10年間で4台もクルマを乗りついでは、いつもピーピーしていた事を思い出す。それにしても、こうして過去のクルマを振り返ると、自分のこれまでの来し方や、過ぎ去った人生を思い出して懐しいし、雑誌とは云えクルマの発展を纏めて回顧してみると、それだけでちょっとした機械文明論を読んでいる気がするのである。

もう一度乗りたい超感覚スカイラインR32
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2013年9月19日 (木)

振り逃げ逆転さよなら

秋の東京六大学野球リーグ戦、開幕日の14日(土)、夏の日差しが残る神宮球場に慶応-立教第1回戦の観戦に行く。毎年毎年、半世紀に亘って春と秋になると始まる我が恒例の神宮球場通いである。ここのところ、スポーツ推薦を復活させて強くなった立教野球部。出場する選手の出身校を見ると帝京、興南、浦和学院、大阪桐蔭、横浜など野球強豪校の名前がずらっと並ぶ。対する我が慶応義塾はほとんどが慶応高校の出身者。慶応では、高校で野球に秀いでた子供をかなり入学させている様だが、大学も彼らばかりで、全国の高校から選手が集まって切磋琢磨する他の大学に対して、どうも最近劣勢なのは否めない。以前は慶応が全国区で、立教が立教高校出身者ばかりだったから、すっかり立場が逆転してしまった感がある。


このカード、今春はリーグ緒戦で立教と対戦し、慶応は勝ち点を落とし、そのままずるずる東大以外の各校に負けて5位になってしまった。立教も慶応が相手だと元気が出るのか、この10年くらい、いつも接戦を繰り広げる嫌なカードである。慶応先発の白村投手は、相変わらず初球から球速147キロと速いものの、立教のバッターにタイミングをあわされ、毎回先頭打者を塁に出してはこつこつ打たれる。しまいには変化球のリリースまでおかしくなって、とんでもないワンバンドの球が多くなり、本人もマウンドで首をひねるばかり。攻撃の方もランナーは出すものの、タイムリーが出ず結局9対1で立教に一方的に負けてしまい、「これはこの秋もあかんなあ」と足取りも重く神宮球場を後にしたのだった。


ところが台風で中2日空いたのが良かったのか、2回戦は延長の末に立教を破ると、昨日は投手の頑張りに、何といわゆる「三振振り逃げ」による逆転サヨナラ勝ちで2勝目をあげ、勝ち点1をゲットしたそうだ。報道によると試合は立教に一点リードされた9回裏の攻撃で、連続ヒットで無死2・3塁とした後に次打者が三振。ただそのボールが正規捕球でないため(下記)、バッターが一塁に走った処、キャッチャーが一塁に暴投し、球が外野を転々とする間に2人ホームインして逆転という珍プレーだったらしい。それにしても3塁走者だけでなく、2塁走者までがホームに帰ってくる1塁への暴投というのは私はこれまで見たことがない。立教キャッチャーの平本君(4年・報徳学園)は肩の良い選手だな、と思っていたので、敵ながらこんな失策で負けるのもちょっと可哀想な気がしてくる。平本君、これで気を落とさず、今度は残る明治、早稲田、法政を破ってくれよ等と思いたくなる。


<バッターアウト>
野球規則6.05(b):第3ストライクと宣告された投球を、キャッチャーが正規に捕球した場合。正規の捕球ということは、まだ地面に触れていないボールがキャッチャーのミットの中に入るという意味である。

<(キャッチャーが正規の捕球していない場合の)バッターアウト>
野球規則6.05(j):バッターが第3ストライクの宣告を受けた後、・・・・1塁に触れる前に、その体または1塁にタッチされた場合。

<バッターがランナーとなる場合>
野球規則6.09(b):ランナーが1塁にいないとき、またはランナーが1塁にいても2死のとき、キャッチャーが第3ストライクと宣告された投球を捕らえなかった場合。(注:正規の捕球をしなかった場合)

2013年9月15日 (日)

寝台特急カシオペア

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秋になったらどこかちょっと旅行したいね、と妻と話していたら、彼女は寝台特急の「カシオペア」に乗りたいという。できれば展望室タイプのカシオペアスイートの切符をゲットしたいそうだが、これは人気が高くなかなか手に入らないものらしい。あれやこれや旅行誌やら鉄道誌を比較しつつ、実現する可能性があって、彼女なりに「一番おトク」だと結論付けた部屋はカシオペア・デラックス(広さ8.2㎡)。この部屋はカシオペア・スイート(広さ11.5~11.7㎡)の寝台料金よりも一人7000円以上も安い上に、スイートと同じく、シャワーがあり、ウエルカム(アルコール)ドリンクサービスが付くそうだ。それにしてもカシオペアに1室しかない部屋だから人気がありそうだという事で、ゲット出来る確率がより高そうな札幌発上野行きの上り列車にターゲットを絞って最寄駅のみどりの窓口に行ってみた。


発車一ヶ月前の10時に予約開始とあって、発売の10分ほど前にみどりの窓口に切符を申し込むと、受付はまだうら若き女性である。用紙に記入した内容を真剣な眼差しでコンピューターの端末に打ち込み、10時4分くらい前から窓口を閉鎖していわゆる「10時打ち」に備えてくれる。時計の針が10時を過ぎること15秒ほどだろうか、この時間のもどかしさを毎度の事ながら感じつつ窓口で待っていると、「お客さま取れました!内容をご確認下さい」とこの女性駅員は、本人が当たった様な嬉しそう顔で告げてくれる。「どうもありがとう」と礼を言いつつ発券してもらったが、さて帰りは良いとして札幌までの行きはどうするのか、これからじっくり考えねばならない。この夏の初め、新日本海フェリーの新造船「すずらん」に乗船するために渡道した際は、羽田から千歳空港に行き千歳アウトレットで買い物をしたから、今回は乗車まで秋の道央を少し時間をかけて楽しむか、はたまた東京から八戸まで新幹線で行って、八戸~苫小牧のフェリー新造船に乗ってみるかなどと旅の計画が膨らむ。


それにしても「北斗星」に「トワイライトエキスプレス」、商船三井フェリーに太平洋フェリー、新日本海フェリーと、我々はただ乗り物に乗るためにロクに観光もせずに、北海道ばかりをここ数年往復している事となる。そんな折、JR九州では「ななつほし」という、クルーズ船の列車版の様なディーゼル列車の運転を始めるそうだが、時間がたっぷりあるシニア世代の退職者が増える昨今、東京から西日本方面にも乗って楽しい列車や船が運転(運航)されないものかと願うのである。かつてブルートレインと呼ばれて人気だった九州連絡の夜行寝台特急は姿を消してしまった。航空機や新幹線網が発達した上、JRが発足して経営が各社に任された結果、多社に亘る機関車や寝台車の保守運用に手間と金がかかるので、九州連絡だけではなく夜行の寝台客車列車は衰退の一方である。しかし客車による列車の乗り心地は電車より格段に快適だし、夜行列車の車窓から流れ行く軌条や信号の明かりを眺めるのは、とても旅情をかきたたせるものだ。かつての食堂車の華やかなざわめきなどを思い出すにつけ、少々追加料金を払ってもよいから寝台客車特急列車の復活をのぞみたいところである。

「トワイライトエキスプレス」ジョイント音とJR東のカシオペア牽引機(樫釜)EF510(上)

2013年9月10日 (火)

この日のために・東京オリンピック

2020年のオリンピック開催地がいよいよ東京に決まった。1964年の前のオリンピックから49年、半世紀近くが過ぎたわけだ。東京オリンピックは、私にとって少年から思春期に入ろうかという多感な時期の開催とあって、大会の印象はひときわ強烈で、振り返るとその後の人生は、オリンピックからいささか影響を受けた面さえあると思っている。殊に記憶に残るものは、テレビで見た陸上男子10000米レースで、本命ロン・クラーク(豪)とチュニジアのガムーディの一騎打ち、そしてその間を割って優勝したアメリカのミルズ勝利の場面だ。インディアン(ネイティブ・アメリカン)であるミルズの物語は後に映画になったほどで、私が陸上競技を部活に選んだ理由は、あの感動的なデッドヒートに刺激された事が大いに関係ある。という訳で60歳を過ぎて、今だに走っている我が原体験は、東京オリンピックにありそうだ。


さて、そんな東京大会の事を思い出していると、あの時代の事が次々と蘇る。たしか1964年のNHK大河ドラマは”赤穂浪士”で、長谷川一夫演ずる大石内蔵助の「おのおのがた、討ち入りでござる」というセリフが即座に浮んでくる。もっともこの台詞、後年物まねの桜井長一郎が演じたのがうけたので、本当に長谷川一夫自身のセリフだったのか、桜井のつくったものなのか、ごっちゃになっている可能性も・・・・・・。そういえば当時はやりのホームドラマといえば”ただいま11人”で、松尾嘉代の艶っぽい姿を、白黒テレビを通じて焦がれて見ていたのが懐かしい。その他つらつら往時の記憶を辿ると、桂小金治の司会によるオリンピックショウ「地上最大のクイズ」というクイズ番組が大人気だった事を思い出す。回顧にふけっていると「地上最大のクイズ」で毎週流されていた「♪この日のためにみがいた技と、この日のために鍛えた体、・・・・♪」というオリンピックの歌が記憶の端から蘇ってきた。「この日のために」は、今回の吉報まで半世紀近く遠ざかってきた歌で、若い頃の歌が体のどこかに記憶されていた事に今さらながらびっくりした。


それはそうと、私の周りでは7年後のオリンピックは見て楽しむだけでなく、自分たちに何かボランティアなどのお手伝いができないのだろうか、等と皆が話している。私は特にとりえのない人間だが、その歳なら体は多分まだ元気だろうから、マラソンや競歩、はたまた自転車レースの観衆整理などの手伝いはできるかもしれない。どこかでボランティア募集がないものだろうか、と思いつつオリンピックの開催で、こちらまで活性化されそうな気分になってくる。2020年には選手や役員、関係者だけでなく、国民一人ひとりがホスト国の主人公になってオリンピックが盛り上がったら、きっと素晴らしい大会になる事だろう。それと共に世界から集まった一流アスリートに刺激されて、多くの子供たちのスポーツへの関心やモチベーションが高れば、そんな中から次々代のヒーローが多数生まれてくるに違いない。

YOU TUBE 「この日のために」

2013年9月 7日 (土)

東京オリンピックマーチ

久しぶりに少し気温が下がり、ちょっと過ごしやすくなった金曜日、昼前に会社を抜けて日比谷公園に一人そそくさと向かう。春・秋に野外音楽堂で行われる東京消防庁音楽隊による恒例・金曜コンサートの、秋の部が今日から始まるのである。都心にあっても緑に包まれている野外の客席には、近所の勤め人より、わざわざコンサートを聴きに来た老人の方が多くて、何だか神宮球場で行われる東京六大学野球の観客席のようだ。会場で配られる簡単なプログラムでは、ジョン・フィリップ・スーザの”サウンド・オフ”やヨハン・シュトラウスの”常動曲”に始まって、最後に東京オリンピック・マーチを演奏するとあるので今日のコンサートは楽しみである。


コンビ二で買ったサンドウイッチをつまみつつ、秋の気配が訪れた公園の昼下がりにゆったりと音楽を聞けるのは、東京都心ならではのちょっとした贅沢というものである。司会の女性によると、この週末にいよいよ2020年のオリンピック開催地がアルゼンチンのブエノスアイレスで決まるので、東京が選ばれる事を祈念しての東京オリンピック・マーチだという。ブリリアントな東京オリンピック大会のファンファーレに続き、いよいよ演奏されたオリンピックマーチは、イントロの分厚いハーモ二ーの演奏がぴたりと息が合って、思わず「うまい」と観客席で一人拍手したくなる。こうして東京消防庁音楽隊の演奏を聞いていると、アベベ・ビキラや円谷幸吉、チャフラフスカや東洋の魔女の姿が脳裏に浮かんで来そうだ。


それにしても焼け野原になった東京で、戦後わずか19年で、アジア初のオリンピックが開催されたわけで、我々の父祖の代の日本人の意気込みには今さらながら感服し、東京中の道路が掘り起こされ、町が変わっていったあの頃の熱気を懐かしく思い出すのである。そしてバブル後の20年間に亘って失われた日本の活力を取り戻し、次世代に向かって進むために、東京が2020年大会の開催地に再び選ばれてほしいと、コンサートを聞きながら思っていた。当選した暁には新しい曲など作らず、メロディシアン古関裕而氏作曲のこの素晴らしい東京オリンピックマーチや、三波春夫の東京五輪音頭が再び都の空の下で演奏されたらなあ、等と思いながら会場を後にした。
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2013年9月 4日 (水)

日本の客船ビジネス (月刊誌・海運より)

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総合物流情報誌として永年出されている月刊誌「海運」(日本海運集会所刊)の9月号に『JAPAN客船ビジネス最前線 』-日本人による日本人のためのクルーズをどう深耕するか-という特集が掲載されていたので興味を持って読んでみた。ぱしび、飛鳥Ⅱ、にっぽん丸とそれぞれの客船会社社長へのインタビュー記事の他、旅行業界や造船所から見たクルーズ船の現況特集で、日頃あまり一般に馴染みのない客船設計の基礎知識や、クルーズマスター制の事なども伺い知る事ができて面白い。しかしこの特集の中核である日本のクルーズ船三社社長へのインタビュー内容は、残念ながら少々失望を覚えるものであった。


世界のクルーズ人口は2000万人とこの10年で倍になり、米国だけでなく欧州も「1年に1社クルーズ船会社が増える盛況」(飛鳥Ⅱで昨年知り合ったドイツ人乗客)、アジアでも中国人をターゲットに欧米のクルーズ資本が本格的に事業展開を始めようという矢先、日本のクルーズ人口だけは年間20万人から漸かに増えただけと云う有様である。この日本市場にも今年から米国のプリンセスの他、外国船のチャータークルーズ等が殴りこみをかけようとしているのに、インタビューにおける邦船三社社長のコメントからはクルーズ産業の振興に関して、あまり覇気が感じられない。いわく「日本の客は、シニアが中心できめ細かいサービスを期待」「日本人の休暇の考え方が違う」と細々と営業している日本船の現状をそのまま追認し、「我が国は海に馴染みがない」「日本船の規制が多すぎる」と事業環境の悪さを嘆く。そこからは外国船の日本市場参入を機に自らのビジネスモデルを大きく変革し、事業を飛躍させようと云う気概があまり伝わってこなかった。


現状維持で良いと考える証左に、新造船計画については、ぱしび「まだまだ使える、船を増やす計画はない」、飛鳥「このサイズが適正、隻数も増やさない」、にっぽん丸「現在の船でサービスの中身を進化」と3社とも明確に否定しているが、ガラパゴス化した現在のビジネス形態で、この先一体どれだけ地平を開く事業展開ができると云うのだろうか。そこには親会社に負担をかけない程度にそこそこやっていれば良い、という本音が透けて見えそうだ。例えば外資と組んで日本クルーズ人口は3年で倍にしてみせるとか、外国船を追い落とすとか、国の規制何するものぞなどと云う攻めの姿勢が記事からはまったく見えない。とまれ現状維持を良しとする業界は、流れについて行けずに、遠からず自ら消え去っていくのが世の常である。40年前、航空機の発達の前に船は時代遅れと誰もが思った時に、今のクルーズ事業を思いついたのは米国の一アントレプレナー(起業家)だった。百田尚樹の「海賊とよばれた男」ではないが、現状を大変革してクルーズを一大産業にし、そこで勝負する破天荒な日本のクルーズ会社が現れないものかと、特集を読みながらいささか寂しく思った。

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