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2013年8月

2013年8月29日 (木)

土橋投手訃報

東映フライヤーズのエースだった土橋正幸氏がなくなった。江戸っ子で軟式野球出身、東映フライヤーズにテスト入団したが、その後長らくエースとし活躍し、昭和37年の日本シリーズで阪神を破り日本一になった際にはシリーズMVPにも輝いた名投手であった。そのフライヤーズは今ではニッポンハムファイターズとなって札幌に行ってしまったし、本拠地だった駒沢球場は東京オリンピックの際に取り壊されてしまい、土橋氏の訃報を聞くにつけ、フライヤーズ時代の痕跡が東京には何も残っていない事が思い起こされて残念である。


地元、駒沢で育った私には、野球と云えば何といってもフライヤーズで、今でも昭和37年の日本シリーズ優勝時のメンバー、1番サード西園寺・2番セカンド青野・3番ライト毒島(ぶすじま)・4番レフト張本・5番センター吉田(勝豊)・6番ファースト山本(八郎)・7番ショート岩下、8番キャッチャー安藤(順三)・種茂、ピッチャー土橋・久保田・尾崎・安藤元博という強烈オーダーを思い出す。張本のバッティング、青野の軽快なプレーや駒沢の暴れん坊・山本八郎(ヤマハチ)の猛プレー珍プレーなど、目をつぶっていても駒沢球場のカクテル光線と共に個性的なあの選手、この選手の姿が脳裏に浮かんでくるのである。
山本八朗の事

当時、世田谷の田舎、駒沢の弱小球団だったフライヤーズも、昭和36年に球界の紳士と呼ばれた水原監督が巨人から来て戦力が整い、怪童・浪商の尾崎や早慶六連戦のヒーロー安藤などの入団で、地元のファンとしてもこれは強くなるのでは、と期待に胸を膨らませたものだった。そんな中、初めてリーグ優勝した勢いに乗って日本シリーズを制し日本一になった昭和37年秋は、子供心に事のほか嬉しく、玉川通りの優勝パレードには深沢の合宿まで選手と一緒について行ったりしたものだ。そんな訳で私には、少年時代の思い出とともにフライヤーズがあるのだが、安藤元博氏はすでに鬼籍に入り、先般、優勝の中心だった尾崎氏が亡くなり今回また土橋氏の訃報を聞くと、また一つ昭和は遠くなりにけりか、と少し寂しい気分がするのである。

2013年8月26日 (月)

スポーツの秋

少し前の熱波が襲った頃に較べると、この週末は幾分涼しくなってきた。相変わらず朝早く起きて妻と一緒に皇居に走りに行くと、体がいつもよりやや軽く感じて、一周5キロのコースを久しぶりに20分ちょっとで走る事ができた。ちょっとした若い選手なら5キロを15~16分くらい(時速20キロ弱)で走れるが、一周20分は時速にすれば15キロという事で、60歳台としてこの速さは、まずまずなのかと満足する。この日の気温は31~32度とあって、まだ決して快適とはいえないが、思ったより速く走れたのは夏の暑さに体が慣れた結果だろう。

少なくともこの気温は、今夏の最盛期であった気温38度より6度くらい低いから、まず心理的に暑さがあまり負担にならなくなったに違いない。例えていえば、ちょうど6度くらいの気温が続く真冬の日々に、急に12度くらいになると春の訪れかと気持ちが良くなる様なものだ。生理的には、夏の暑さで全身の汗腺が活発に働き、体温の調節がし易くなったり、内臓の機能が順応したりする様なもので、とにかく人間の心身に備わる適応能力は素晴らしいものだと実感する。

さて、この様な暑い夏に体に負荷をかけておくと、秋になって自然に体が動くようになる。9月に入り気温や湿度が下がるにつれて、いざ体を動かそうとした時に、より速くかつ楽に活動できる感覚は、秋が来るたびに体験する一種の喜びである。厳しい暑さの中でわざわざ夏の合宿を行って大汗をかき、秋に備えて飛躍を期すと云う運動部の習慣も、こういう感覚を利用したものだろうが、これは日本の風土に根ざしたユニークなトレーニング方法だといえよう。また、暑い夏を乗りきって疲労もとれ、体も活動的になった頃を「スポーツの秋」と呼ぶ習わしは、日本の気候に合ったとても良い季節の表現方法だと、この時季になるといつも思うのである。

それはさておき、朝早くから走ると、昼にビールが飲みたくなって堪らない。
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2013年8月24日 (土)

トモダチ作戦

8月5日夕方、沖縄キャンプ・ハンセンで、米空軍のHH60G型救難米軍ヘリコプターが墜落し搭乗員1名が死亡した。(産経や読売以外の)メディアはやはり、またぞろ沖縄は危険と隣合わせであるとか、オスプレイの配備を延期せよなどとかまびすしい。そもそも今回は米軍施設内に墜落して外部に負傷者が出ていないし、このヘリとオスプレイには何ら技術的な関連性がないのに、米軍の事故と聞くと毎度、きわめて情緒的かつステレオタイプの報道がなされうんざりしてしまう。そもそもヘリコプターは滑空できない飛行特性の上に、山岳地帯で救難活動に使われたり、電線が張られた低空も飛ぶから他の航空機より事故率は高いのである。その上墜落したのは戦闘捜索救難ヘリと云い、敵地に墜落した友軍のパイロットを救ったり、同盟国の負傷者を救出する機種だそうで、当然訓練は厳しく、その点ではより危険なものだと思われる。しかし訓練場以外の通常の発着においては、他のヘリコプターと何ら変わりないだろうから、沖縄の米軍ヘリが危険だというなら、東京の上空を飛ぶ各種ヘリ、なかんづく事故現場に雲霞の如く飛来するメディアのそれなどは一体どうなのだと、思わず突っ込みをいれたくなる。


などと思っていたら、昨日8月23日の読売新聞の「論点」に、在沖縄米空軍司令官ジェームス・へカー准将司令官の投稿があった。それによると、事故をおこした部隊は東日本大震災で被災した東北地方に津波発生から3時間以内にHH60型ヘリと救難員51人を派遣し「トモダチ作戦」に参加した部隊で、被災者支援のために55件の任務で310時間の飛行を遂行し、約1.4トンの食糧、飲料水、医療物資を届けたそうだ。米軍に関連した事故が起きると、常々そのマイナス面ばかりが報道されるが、今回の部隊が米軍のトモダチ作戦に関わった事など寡聞にして知らなかったので、時宜を得た「論点」への投稿だと興味をもって読んだ。とくに注目したいのは、部隊が地震後3時間で被災地に派遣された事で、これは救難ヘリコプターの高い機動性と日頃の訓練の賜物であろうし、この特徴をフルに発揮する為には、訓練は過酷なものだろうと容易に想像できる。今回の事故は斯の様な厳しい訓練に由来するものなのか、通常のメンテや運用に起因するミスなのか、その原因を米軍はしっかり調査して欲しいし、メディアは単純な色わけで、米軍ヘリが危険でオスプレイも同様であるかのような報道をするが、これはどうかと思うのである。


「論点」でジェームス・ヘカー司令官は「我々は地元の人々と米隊員の安全を最大限に確保するため事故の究明に取り組んでいる。日本の方々の支援と賛同のもと、厳格な訓練を継続し、東アジア地域の平和と安定を維持し続ける所存だ。我々の同盟国であり、大切な友人である日本の防衛に強く関与し続ける。」と述べている。多分に日本人向けに米軍のプロパガンダが入っていると云う点を割り引いても、ほとんどのメディアが沖縄の米軍基地のマイナス面だけことさら取りあげて報道するなかで、この「論点」の中身は、地域と共存する決意を米軍側から表明したもので、なかなか意味深いと私は感じた。沖縄に極東アジアの防衛負担の多くを任せている現状について、もっと国民的な議論がおこっても良いと思うが、その為には特定の見方に基づく情緒的な米軍反対記事ばかりでなく、沖縄に展開する米陸・海・空・海兵隊各部隊の任務やその『訓練』、機材の運用やその特性をもっと詳細かつ正確に知り、地域の安全の為にはそれらがどう有効であるのか米軍の見解も含めて知りたいところである。台頭する中国の軍国主義を前に、沖縄の戦略的位置付けに対し、偏った思想によらない冷静な評価・分析が必要なのだと「論点」を読みながら考えた。

2013年8月22日 (木)

イチローの4000分の3

ニューヨーク・ヤンキースのイチロー選手が、日米通算で4000本の安打を放った。おめでとうと祝福したい。一部には日米の記録を通算する事について揶揄する向きもあるが、しょせん野球は相手があってのものだし、10対0で試合が決まってからの1安打も延長の末のサヨナラ1安打も同じヒットで、すべからく野球の記録とはそんなものである。時代によって球が飛んだり飛ばなかったり、バットの反発力が違ったり、はたまた球場が左右非対称であったりと、どの記録も違う環境の下で生まれていて、それは陸上や水泳の様な厳密なものとは違って良いのである。その様ないろいろな記録を比較し、数字を追いかけて楽しむのも野球観戦の楽しみの一つである。


と云う事で彼の4000本のヒットのうち、テレビでなく自分のこの目で見たのは一体何本だったのか、かつての手帳をあらためて繰ってみる事にした。オリックス時代にイチロー選手を見た事はなく、初めて彼のプレーをこの目で見たのは、2002年の6月12日のシアトルであった。それは彼が2001年にアメリカに亘った翌年で、出張で行ったシアトルで当時すでに話題だったICHIRO選手を是非見たいものだと思い、会食の誘いも断ってセーフコ・フィールドに出かけたのである。当時の新聞の切り抜きが手帳にはさんであったのでそれを確かめると、対戦相手はカージナルスで、この年にメジャーに初チャレンジした田口がカージナルス打線の代打で出場している。この日イチローは4打数1安打で打率3割7分5厘、試合はマリナーズが5対0で勝っているとその古新聞から判った。


次に彼を見たのがやはり出張で行ったシアトルのセーフコ・フィールドに於けるヤンキース戦で、2005年5月18日の事である。ここでもイチローはレフト前に1安打して、マリナーズが7対6で勝っている。この試合はイチローの他にマリナーズのピッチャーに長谷川が出て、さらにヤンキースの松井も3安打と縦横の活躍で、シアトルのゴージャスな夏の夕日とともに、彼らの活躍で幸福な気分を味わったものだった。きっと地ビールのレッドフックか何か飲みながら、イチローと地元マリナーズ、それに日本人プレーヤーの応援でもしていたのだろう。


そして直近は2011年8月12日の試合で、妻と行ったシアトルで見たレッドソックス戦であった。この日の試合は負けたもののイチローは1安打(2塁打)しているので、彼の4000本のヒットの内3本が生まれた際に、私はその場に居た事となる。それにしても野球に限らず、スポーツで日本の選手が海外で活躍するのを見るのは、日本人としてとても誇らしい気持ちになるものだ。ただかつての手帳を読むと、出張先では仕事の相手との出来事より、ゴルフのスコアや野球の詳細の方がそこには詳しく記載されていて、思わず苦笑してしまうのである。

2011年8月12日・シアトルでのイチロー
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2013年8月18日 (日)

週末雑感

暑い夏が続くので、この週末も相変わらず6時半に起きて、妻と早朝ジョギングを行っている。直射日光はまだきついものの、体も暑さに少しなれたのか、緩やかに吹く朝の風は肌に心地よく、それほど暑さが気にならない。昨日は10キロ、今日は15キロ走り、大汗かいて家に帰りシャワーを浴びると、やっとお楽しみの朝食となる。こんな日は、できればどんぶり飯にみそ汁、それに生卵の朝食をかきこみ、”わやー!夏~!”という学生時代の夏合宿を再体現したいところだが、妻は「えー、私がみそ汁こさえるの?」などと不満そうである。結局トーストにレタス、トマト、ベーコンのBLTと普段通りの朝食になるなか、朝から充分運動したのでレモンティーに遠慮なくたっぷりと砂糖を入れると、疲れた体に糖分が補給されている感じがして気持ちよい。


私の住んでいる区では60歳になると、「ふれあい入浴証」という銭湯の入浴券が全員に配られる。この入浴証を見せると月に4回、年間48回までは区内の銭湯を無料で利用できるので、週末は朝に走った後、夕方に銭湯に出かける事が時々ある。昨日もまだ明るい夕方4時頃に近所の銭湯に行くと、そこは元気な老人で一杯で、脱衣所もかなり込み合っている。利用しながらこんな事を言うのも気がひけるのだが、何も60歳過ぎたら全員に入浴証を配る事もなく、申請ベースにして本当に困っている人だけに無料券を配布したらどうか、とも思う。社会のインフラとしての銭湯の維持・存続の目的もあろうが、一回450円、全部利用すれば2万円以上する金券をすべての老人に配るより、その財源は子育てで金のかかる若い世代へ減税などのかたちで廻せないものか、などと考えつつ、ありがたく銭湯を利用させてもらう。


銭湯の後、昨晩は世界陸上のマラソン中本選手の5位入賞の走りをテレビで見た。なんでも彼は高校時代は県大会どまり、箱根駅伝は1回だけ出て7区17位、安川電機に入っても駅伝メンバーになかなか入れなかったそうだが、精進実った粘りの走りは立派と云う一言に尽きる。ゴール後のインタビューの受け答えをみていると、寡黙でまじめにコツコツ練習をこなすという長距離競走に必要な芯の強さを彼が持っている事がわかる。解説によると中本選手はどんな天候でも監督が提示した当初のメニューを黙ってこなすと云う事で、こんな不言実行の姿勢が私にもあったら、もっと走るのも強くなっていただろうか、爪の垢でももらいたいものだ。往年の君原選手を思い出す様な安定した中本選手の力走に鼓舞されて、こちらも勇気をもらった気がして今朝のジョギングも気合が入ったのであった。

2013年8月13日 (火)

終戦のエンペラー

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夏休み封切りのハリウッド映画「終戦のエンペラー」を見に行った。大東亜戦争が終わって進駐してきたマッカーサー率いるGHQが、東京裁判にあたり天皇を戦争の最終責任者として裁くか否かという問題について、史実に基づく経緯を物語の主軸にし、調査責任者であるボナー准将と日本女性との恋愛を物語の綾にして映画が展開する。トミー・リー・ジョーンズ扮するマッカーサー元帥の振る舞いやそのひととなりを含め、大筋のところ歴史はこんなものだったろうとストーリーの進め方については、安心感を持って見る事ができる作品であった。


ただいくつか見苦しい点を述べると、羽田昌義という俳優が扮する準主役の通訳・高橋が、終戦から半月も経っていないのに、現代風の長髪で登場しているのには驚いた。戦争もののドラマを見て常々思う事は、少なくとも準主役以上の出演者は、それなりのギャラを貰っているのだろうから、演劇のプロとして軍人なら坊主、一般人なら短髪と当時の”なり”くらいしなくては、見る方がしらけるというものである。また旧国鉄の蒸気機関車や列車が海外の保存鉄道を使った映像だったり、終戦からかなりの時間が経っても東京が瓦礫ばかりだったりと、ディテイルという点に関してはもう少し凝って欲しかったシーンも多い。


日本で人気があるトミー・リー・ジョーンズが主役の一人になっているあたり、多分に日本市場をターゲットにしたハリウッド映画なのは判るが、戦争責任については”DEVOTION”という言葉を使って、日本軍においては天皇や国体に対する”献身”が、しばしば行き過ぎて”残虐”な行為につながった、と日本人に喋らせているあたりもちょっと違和感がある。このあたり、いかにもアメリカ側から見たステレオタイプの日本人観で、テーマの重厚さの割には、いかにもハリウッド的簡易歴史観だと感じる。終戦を扱う映画としては若い頃見た「日本のいちばん長い日」の印象が強すぎて、もう少し重厚、かつ生臭いものを期待して映画館に出かけたが、主役のボナー准将(マシュー・フォークス)と日本人女性との恋愛が、あまりにも薄っぺらいストーリー仕立てで却って作品の面白さを削いでいた。


映画ではボナー准将とアメリカで恋人だった日本人女性は、お互いを慕いながらも戦争で生き別れになり、戦後、進駐軍の調査責任者であるボナーが来日して必死の捜索をしたが、米機の空襲で彼女は亡くなっていたというストーリーになっている。もし私がこの映画を作ったら、その女性は帰国後に日本的なしがらみの中で日本人の若者と結婚を強制され、夫は徴兵され特攻隊で戦死するが、それでも短い間でも夫との絆は終生を忘れない日本人に描くだろう。彼女はボナーの来日やその愛も身近に感じて、心はさんざん乱れるが、終生清くけなげに生きる選択をする、というストーリーにした事であろう。まあそんな事を考えながらも、娯楽として見ればまずまず面白い映画で、有楽町の映画館は老若男女で満員だった。学校の歴史教科書では教えないこんな終戦を、若い人にもっと見てもらいたいと思った。

2013年8月12日 (月)

猛暑の週末の正しい過ごし方

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(愛車の温度計はあっという間に37度、このあと38.5度に)

とにかく暑い。東京では土曜日の夜になっても気温が30度を下回らず、こんな事は観測史上初めてだそうだ。”今までに経験した事のない”暑い夜である。屋内にはエアコンがあるからまだ良いが、我々夫婦にとってこんな季節に問題になるのは週末のジョギングだ。いちおう月にミニマム200キロくらいは走りたいと思っていて、ふだんの週末は2日間で計20~30キロほど走る。ウイークデイには飲み会やら仕事やらも入るし、天気が悪い日もあるから、努力しても5日間で25キロくらいしか走れない。月4回の週末(+国民の休日など)X20~30キロと、4週間あるウイークーデイX25キロでかろうじて200キロ越えとなるが、毎月毎月これを実行するのは、好きでやっているとは言え、一応まっとうな(と本人は思っている)サラリーマンとしては結構しんどいものである。


勤め人ランナーとしては、週末こそ距離を稼ぐかきいれ時なのに、この暑さが到来である。冬の日、寒い分には厚着をすれば何とかなるが、暑さだけは走りの大敵である。それでも気温が32度くらいまでなら無理すればなんとか走れるが、それを越えるとインターハイの高校生ではあるまいし、都会のコンクリートジャングルでは走るどころではなくなってくる。ことにこの週末は、金曜から天気予報では東京は気温が35度を越えるので健康管理に注意をせよ、とさかんに言っている。恐れをなして、ふだん土・日には一緒に走る妻とどうしたものか相談した結果、両日とも朝の6時半におきて、まだ比較的すずしいうちに走ろうと云う事になった。ゴルフでもないのに週末の早い時間に何でこんな事をしなきゃならないのか、と一瞬夏が恨めしくなるが、我が家でもサマータイムを採用したと思って早朝練習をする事にした。


目覚ましに叩きおこされ二人して早朝の皇居に着くと、いつもは早くからランナーで賑わうコースも、この週末は暑さでさすがに走る人が少ない。それでも早朝から走っている人達は顔を真っ赤にして汗みずくで、健康オタクは「死んでもいいから健康に良いものを」と言うそうだが、走りオタクも「体を壊してでも走らなきゃ」という考えに取り付かれるている様だ。多分こちらもそれらと同類項、気合を入れて走り始めたものの、その気合もあまりの熱気にたちまちのうちに萎え、とにかく皇居一周をなんとか這うように完走したのだった。中でも祝田橋から大手町にかけて東京駅を右手に望むあたりは日差しをさえぎる物なく、アスファルトや皇居の玉砂利の照り返しで体感温度は最高潮だ。頭はクラクラしてここで倒れたら「還暦過ぎの男、無分別にもこの暑さの中、皇居で走って熱中症、自業自得!」などとニュースで放送されそうだ。それでも土・日とも朝8時には家にたどりつきシャワーを浴びると、大仕事を終えた様な気になって、妻と二人でテレビのニュースを見ては、「もう走ったからねいいもんね。これから日中どんどん気温が上がれ」などと昼からビールを飲んで気炎をあげていたのだった。
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2013年8月 9日 (金)

夏休み その5 (シンガポール)

スーパースター・ヴァーゴのクルーズ前後に都合3泊シンガポールに滞在した。以前は仕事で良く訪れていたが、2011年4月に飛鳥Ⅱで数時間立ち寄って以来で、ここに何日か滞在するのは久しぶりだ。考えてみれば1990年代初めに、初めて出張でシンガポールを訪れた際に、経済を含めいろいろな意味で、日本はこの国にいつか追い抜かれると思っていたが、「失われた20年」とやらで停滞している間に、想像していたよりも早く、あっさりと日本は抜き去られたのである。今やシンガポールの一人あたりのGDPは5万ドルを越えているし(日本は4万5千ドル)、私が従事してきた海運業も、かつてはアジアの中心と云えば圧倒的に日本だったが、船舶融資はもとより船舶メンテの拠点などがほとんどシンガポールへ移ってしまった。


という事で、海上を見やると沖には夥しい数の船舶が補給や修理、荷役の為に停泊しているし、陸には次々と高層ビルが建ち、毎度来るたびに町が新しくなっている。かつて出張で来た際に良く走ったジョギングコースはいまやF1サーキットの路面になってしまい、マリーナ・ベイ・サンズがシンガポール新名所になったと思ったら、その隣ではガーデンズ・バイ・ザ・ベイと云うさらに新しい公園がオープンしている。一方で伝統的なチキンライスや蝦麺をその場でこさえて売る屋台が減り、ホーカーズに代わって近代的フードコートばかりが目に付く様になった。以前ここに長期出張でいた妻は、風情がなくなった上に値段が高くなったと嘆くが、なにしろ経済成長に伴って物価も毎年5%くらい上昇しているから物が高くなるのは当然と云えよう。それにしても巨大ショッピングモールがあちこちにあって、一体何を購入したと云うのか沢山の人が紙袋を提げて歩いている。


シンガポールは東京23区と同じ位の大きさの島に、500万人の人が住んでいる。石油製品や化学品・IT機器や機械を輸出するほか、金融や観光・サービス業・海運業などで稼ぎ、その富は海外投資に回すという産業構造である。自由主義経済学者がしばしば引き合いに出すとおり、農業などなくても国は成り立つという典型的な例だといえよう。しかし、ここに永く住みたいか、というと私は否である。企業から派遣されて来た日本人も3年~5年で帰りたいと言う者が多い様だし、そもそもローカルの人間も息抜きにタイやマレーシアによく出かけて行く。国土が狭く、小さな社会と云う窮屈さをここに住む人間は感じるのだろう。科学技術はあり産業があり、プラナカン文化もシンガポールにはあるが、かつてハンチントンが唱えた様な、歴史や伝統と融合した幽玄な文化・文明の香りというものはあまり感じられない。”無機質”な繁栄という言葉が頭のすみをよぎりつつ、地下鉄も通じてますます便利になったチャンギ空港から帰国の途についたのであった。 

シンガポールといえばチキンライス(上)に蝦麺(ドライ)
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2013年8月 5日 (月)

夏休み その4 (スーパースターヴァーゴ②)

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新しいウオータースライダー

改修とメンテに大金を投じた様で、ヴァーゴは船がきれいで気持ちが良いのは昨日アップしたとおりである。さらにこの船はとてもプールが大きいのが、南の海でのクルーズ船らしくて良い。とかく水遊び用にジャグジーに毛が生えたくらいのプールしかない船もあるが、一応スイミングできる程度のプールを備えるのは客船にとって重要な要件だと思う。またRCIやディズニー船などで流行のウオータースライダーが最近この船にも設置され、私も妻も童心に戻ってトライしてみたところ、これがなかなか迫力があって面白い体験であった。


ブリッジの真上、ギャラクシー・ラウンジ最前部では、船舶識別システム(AIS)付きのレーダーの画面の他、電子海図(ECDIS)やエンジンモニター画面を見る事ができ、世界でももっとも船舶が輻輳するマラッカ海峡航行時には、生きたデータを見ながら、船の博物館を通行している様で船好きには堪らない。またブリッジの後部が、電車の運転席さながらガラス張りで後ろから見学する事ができるので、入出港の際には操船の様子などが手をとるようにわかる。クルーズ船では航海中に時々ブリッジ見学があるが、常時見学可能というところがこの船の面白いところである。という事でヴァーゴに乗船するなら、ついでに双眼鏡は必須アイテムといえよう。


さてヴァーゴは通常のスケジュールではシンガポール発マレ半島ー西側への3泊クルーズ(プーケットとランカウイまたはペナンなど)を行い、一旦シンガポールに戻り2泊(今回はマレー半島東側のレダン島、以前は西岸のポートクラン)クルーズを連続して行うが、この2つをつなげて5泊にしても良いようになっている。オーストラリア人などはほとんどが連続乗船しているが、日本人も含めてアジアからのツアーは、前半3泊だけにシンガポール観光をパックにした”豪華客船の旅”として販売している様だ。船内には日本人コーディネーターが1名乗船しているものの、彼女の業務はどうやら前半の3泊クルーズ中心で、日本語の新聞も前半のみであった。後半の2泊は「あれ?」という感じに何もサービスがなかったが、日本人向け料金が割高に設定なされているおり、もう少し後半にかけても日本人乗務員のサービスがあっても良いのではないか。


5年前、いきなり欧米の一流船に乗る前に、初の外国船を体験しようと選んだ当時のアジア随一、スーパスターヴァーゴだったが、今回久しぶりの5泊の乗船でも、クルーズ全体としては決して悪くはなかった。もちろんシックな音楽や優雅なダンスなどは船内にないし、乗客の織り成す雰囲気は ”ちょっと???”という感じではあるが、カジュアルな雰囲気、シンガポールの地の利を活かした「初のフライ・アンド・クルーズ」、あるいは「初の外国船体験」として乗るなら、スティルお勧めともいえる。ビーチリゾートだらけの寄港地と船内料理の美味さはオフセットとし、”豪華客船の旅”などと云う旅行社の誇大宣伝はまあそれとして、”カジュアル船のクルーズ”だと割り切って乗船する限りは、手軽で楽しいアジアのバケーションなのだと改めて感じたのであった。

ブリッジかぶりつき
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2013年8月 4日 (日)

夏休み その3 (スーパースター・ヴァーゴ①)

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ランカウイ(マレーシア)のヴァーゴ

マイレージの恩恵でシンガポールまで無料で行けるのは良いのだが、そこで一週間も滞在すると結構ホテル代が高くつきそうだ。昼は毎日プールに入ってブラブラし、夜はローカルのメシでも食っていれば大した事はあるまい、と当初はタカをくくっていたところ、予定していたホテル代や物価が思った以上に上がっていて、彼の地の経済成長とはこういう事かと改めて実感する。ではどうしようか、という事でシンガポール発着のクルーズ船を探してみると、頼みのロイヤルカリビアン・クルーズはこの時期シンガポールベースの配船がなく、ノーチョイスでスーパースター・ヴァーゴ乗船と云う事になった。この船は日本人向け料金設定が、ローカル向けより高いのが不愉快だが、シンガポールのホテルに連続宿泊するよりは割安感があり、かつ3食付きという事で海の上でゆっくり楽しもうという事にした。よってシンガポールのホテルに3泊、船上で5泊が今回の夏休みになった。


考えてみれば、我々にとって2005年に初の外国クルーズ船を経験したのがこの船であった。その後の8年間に様々なクルーズ船に乗る事が出来たが、最初に乗ったヴァーゴで味わったあの雰囲気は今はどうなっているのだろうか。また我々自身もクルーズという旅行形態に対し、その後の乗船経験で認識が変わっただろうか。ノスタルジックな気持ちと、ちょっとした原点を辿る様な気持ちを交錯させながら乗船である。という事でシンガポール・セントーサのクルーズターミナルで船内に踏み入れると、まず船体が思いのほかきれいに整備されているのに驚いた。1999年建造なので就航よりすでに14年近く経過しているが、内装も外観もほとんど劣化していない様だ。ふつう15才近い船では、あちこち錆で剥げた箇所をペンキで上塗りして隠したりするものだが、本船はドックで完璧なサンド・ブラストをうち徹底的に塗装をやりかえたのだろう。7階のチーク張りプロムナードデッキも素晴らしいままだし、船内の調度品もそれなりに代替しており、「お!これは会社はやっつけでメンテをやってない、本気だな」とスタークルーズの姿勢にまず好感を覚えた。


乗船する前の危惧は、この8年間で経済プレゼンスが以前とは比較にならない位大きくなった中国やインドからの乗客がどうかという点である。8年前にも相当数のインド人乗客が乗船していたが、それに加えて今回は中国本土からの大家族グループが多数なら、「クルーズ船の醸し出す雰囲気」はどう変わっているのか。正直に言って”難民船状態”であったらイヤだなあ、というのが今回乗船前の大きな心配であった。乗船してみるとやはりアジア特有の大家族が多数で、彼らは耳に障害があるのかと思うほど押しなべて大きな声でしゃべりまくる。子供達は廊下を走りまわるし、企業旅行らしき中国本土からの男性だけのグループは、一時代前の日本の温泉慰安旅行を見る様で何とも興ざめだ。しかしクルーも手馴れたもので、これらの乗客には列の順番を守らせるなど、うまく扱う術を身につけており、船内はそれなりにオーガナイズされているのが救いだった。欧米の高級船とは比べるべくもないが、それなりの料金ならばそれなりの雰囲気と云う事で、この辺は割り切って乗らねばしょうがないところだろう。


ただ料理はさすがアジアの船、総じて味付けは美味だしスープもおいしかった。シンガポールの出港風景を眺めながら屋外のテラスカフェ(タベルナ)で食べるスティームボート(有料)は、アジア船ならではの鍋とBBQの料理だし、有料の中華ノーブルハウスのコース料理もそれなりに満足であった。そのほかメインの食堂であるインターナショナルダイニングでの朝晩の料理(無料)は、下手な欧米のクルーズ船より味付けが我々にも合っているようで、食べものに関して云えば私にはヴァーゴに何も文句はなかった。また今回バルコニークラスで5泊する乗客には400ドルの船上クレジットがついていたので、船内の有料レストランでの食事やアルコール費消も結果としてすべて規定の料金におさまり追加がなかった。これらを考えると、当初感じたクルーズ料金の割高感もそれ程ではないのかと、ちょっと思い直したのであった。(続く)

甲板部員による木製デッキのメンテ
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潮風に吹かれながらアジア船ならではのスチームボート
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