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2013年6月

2013年6月29日 (土)

都民コンサート 木陰の散歩道

以前にもアップした事があるとおり、最近、水曜日の昼と金曜日の昼はなるべく日比谷公園のコンサートを聞きに出かけている。水曜日は警視庁、金曜日は消防庁の音楽隊による”都民コンサート”である。梅雨の中休みだった昨日も、昼休みにコンビニで弁当を買って日比谷公園小音楽堂(屋外)に行ったところ、ちょうどこの日が850回記念の金曜コンサートであった。会場で配られているパンフレットによると、「昭和24年4月に警視庁音楽隊が開始した『公開練習』、同年9月に消防庁音楽隊が開始した『レクリエーションコンサート』を前身とします」とあるから、かれこれ64年ほどもこのコンサートは続けられている事になる。私も新入社員時代から親しんでいるから、古いファンの一人といえよう。


そういえば若い頃は今は亡き黛敏郎氏が司会をする「題名のない音楽界」のファンで、渋谷公会堂で行われる公開録画によく行った事を思いだした。公開録画は2週間分の収録を隔週の金曜日夕方に行い、申し込んでおくと毎回必ず案内のはがきがテレビ局から送られて来ていた。クラシックやポピュラー、はたまた演歌など、それぞれの部門の有名な演奏者や歌手が出場する際は会場に行くのが楽しみだったが、なにせ当時はペーペーの若手社員で、週末を前に片付けなければならない仕事に迫られ、泣く泣くハガキを無駄にする事も多かった。それでも収録に間に合った日は、黛敏郎氏の憂国の情あふれる歯切れの良い司会に感動し、音楽のもつ様々な面白さを知りつつ週末の到来を喜んだのだった。保守派の論客、黛氏が生きていれば現在の日本を何と語るのだろうか、その卓見を是非聞きたいものだと今でも思うのである。


さて850回記念となる昨日の金曜コンサートはアメリカ特集で、グレン・ミラーのナンバーや定番スーザのマーチが演奏されるのを木漏れ日の観客席で楽しんだ。警察のバンドは各国にあるが消防のバンドは世界でもそうないとの事、音楽の事は素人ながら消防庁の音楽隊は安定した高い技量に違いなく、音量も充分で安心して聞いていられる。金曜コンサートはこの日が春シーズンの最終コンサートで、観客も手拍子や口笛で参加する恒例 「木陰の散歩道」 の演奏でお開きである。退職したら有り余る時間、子供の頃に無理やりやらされていたピアノを改めて練習しようと考えているが、吹奏楽を聞くと管楽器も趣味で習ってみたいものだ、いやこの歳では無理なのか等と思いながら会場を後にした。

金曜コンサートのお開きは恒例「木陰の散歩道」(Youtube動画へのリンク)

2013年6月24日 (月)

陸と海と空 その6 関が原編

フェリー”すずらん”を敦賀港で下船したのは夜8時半、頑張れば京阪神にもその夜に到達できるが、我々は急ぐ旅でもなし、敦賀駅前のビジネスホテルにゆっくりと宿泊する事とした。翌朝は起きぬけに市内に鎮座する気比神社に詣出て、気比の松原まで往復約一時間のジョギング。気比神宮は北陸道の総鎮守府・越前国一ノ宮の大社、気比の松原は三保の松原・虹の松原と並ぶ日本三大松原だそうで、邪気を払った後に朝の気を吸ってとても心地良い。朝食後はJR北陸本線で米原を経由し、彦根城を見学して東京に戻る事にした。彦根城は姫路城、松本城、犬山城と共に天守が国宝指定された数少ないお城との事で、城内やきれいに整備された城下町を半日かけてぶらぶらと興味深く見て廻った。

気比の松原
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かねてから彦根や近江路を機会があれば訪れてみたいと思っていたのは、新幹線の車窓から見る景色にある。いつも出張で東京から新幹線”のぞみ”に乗車すると名古屋までがぐっすりと睡眠の区間、だいたい名古屋に停車する震動で目を覚ましてからトイレなどに行くうちに、”のぞみ”は濃尾平野を突き抜けて関が原の上り勾配にさしかかっている。このあたりで目を窓の外にやると山の端が迫り、そこを東海道本線の線路が右に左に新幹線に迫っては遠ざかる景色が続く。高速で疾走する”のぞみ”から、みどりの中を銀色の線路がうねって続くさまを見ていると、なんとなく日本の農村風景の原点がそこにある様な気がして、私は新幹線で随一と云われる浜名湖よりも関が原の方が好きだった。で、いつか機会があったら、在来線に乗ってゆっくりと近江平野から関が原を通ってみたいとの願いを抱いていたのである。

彦根城
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今回の旅はフェリーのおかげで敦賀で宿泊できたのを幸い、かねてから気になっていたこの区間の旅を在来線で実現すると云う訳である。という事で彦根から米原まではJR西日本の普通電車を利用した後、米原からのJR東海区間では大垣まで各駅停車で関が原の下り勾配を行き、大垣より名古屋までは名古屋圏の新快速の旅を堪能してきた。関が原の垂井駅付近では大東亜戦争中に敷かれたと云う勾配越えの本線を初めてゆっくり見る事が出来、これが鉄道クイズで頻繁に出るポイントかと今更ながら感心したり、最後に乗車した新快速では運転士も車掌も女性で運転されて、時代の変遷を感じたりしつつ名古屋に到着、そこから新幹線で帰京したのだった。暇にまかせた週末利用の「陸と海と空」の旅、乗り物本位の行程もなかなか楽しいものだった。

米原発大垣行きの電車
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2013年6月20日 (木)

陸と海と空 その5 フェリーすずらん 船内

エンジンの快い振動音に身を任せて熟睡した翌朝、部屋のカーテンを明けると”すずらん”は秋田県沖を順調に南下している。朝食前にさっそく朝風呂という事で、大浴場へ行けるのは日本のフネの醍醐味で、特にこの時期は乗客もがらがらだから、広い設備を独り占めできて気持ち良い。大浴場の一角にある本船自慢の船上露天風呂から凪いだ日本海を眺めなつつゆっくりお湯に浸かっていると、初夏の海風がほほをなでて何とも幸せな気分になってくる。露天風呂を大浴場に設置するのはとても良いアイデアで、今後日本のクルーズ客船にもどんどん採用してほしいものだ。その他、専用シアターこそないものの、本船にはフィットネス、カラオケ、キッズルームやドッグフィールドなどのパブリック諸設備が完備し、航海中はビンゴゲームやコンサートのサービスもあって船内生活に退屈する事もない。朝食後、さっそく我々もフィットネスで7キロほどゆっくりジョギングを楽しんだのだった。

(露天風呂は最上階の6デッキにある。ガラスの向こうと天井がオープンで気持ち良い風が顔に当たる。)
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ジュニアスイート以上の乗客が朝・昼・晩と三食利用できる(それ以外の乗客も料金を払えば利用可能)グリルのサービス・クルーはとても良く気がきくし、それ以外のクルーも決め細やな対応で実に快適である。また料金に入っているグリルの食事は写真の通りで、味も客船並みに美味しかったのは特筆ものだ。ツーリストクラスも雑魚寝でなくすべて独立した寝台になっているのが進歩的で、最近のフェリーは豪華になったものだと感じる。本船は二重反転プロペラを使ったアジポット推進の効果か、高速で走っても船体に変な共振やビビリ音を感じる事がなかったし、エンジン音も他船よりやや小さい様だった。苫小牧・敦賀860キロ(460マイル)を21時間で結ぶうえ(苫小牧行きは19時間)、敦賀湾内は減速するから日本海を航行中は平均すると25ノット近い快速で走っている事になる。

(グリルの昼食、春爛漫の一皿)
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その反面、高速で走る為という理由で航海中は最上部のデッキはおろか、遊歩甲板や船尾のデッキも一部を除き閉鎖され、潮風に吹かれる場所はごく限られてしまう。我々は部屋にベランダがあったのでまだ海の気を味わえたものの、ほとんどのデッキの立ち入り制限はあまりにも味気なく、少なくとも夏場は開放したらどうだろうか。通常フェリーや客船が航走する速度である20ノットに較べても、対地速度にしてみたら僅か2~3米/秒増えるだけだから、これで重大な危険を招くとも思えない。内装はせっかくの船体に対して、銀色を多用したギンギラの内装がちょっと興ざめ、レセプションホール中央のモニュメントも随分とチープな感じで、カーペットも高級感が感じられず、船内からは”シック”とか”気品”とか云う雰囲気が伝わってこなかったのがとても残念だ。飛鳥Ⅱやダイヤモンド・プリンセスなどを作った三菱長崎造船建造だから、船主と造船所でアイデアを出し合ってもっと粋な内装にして欲しかった。西欧のフェリーに乗るとしばしばアコモデーションが素晴らしい事に気づくが、船内インテリアという点ではまだまだ我彼の差は大きいようだ。

(反航する僚船とのすれ違いがフェリー乗船の楽しみ、向こうは姉妹船”すいせん”)
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2013年6月19日 (水)

陸と海と空 その4 フェリーすずらん乗船

霧の中から現れたフェリー”すずらん”は長さ224.5米、幅26米と飛鳥Ⅱ(長さ240米、幅29.6米)と大きさはさして違わない。ただ船が着いているターミナルは乗船する車両が並び、ヘルメットに作業着の係り員が忙しく誘導作業中で、いかにも「働くフネ」という感じである。フェリーの出港は客船の華やかさとはまったく違うが、それでも船旅の始まりとなると乗船の瞬間はワクワクだ。ターミナルのエスカレータを上り、”すずらん”の乗船口から本船に乗り込むと、目の前に3デッキをぶち抜いたエントランスホールが開け、まるで新しいクルーズ船に乗った様な気分がする。さっそくエレベーターでかねてから予約してあった6デッキのジュニアスイートルームへと進んだ。

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ジュニアスイートはスイートルームに次ぐキャビンで、本船には2つあり専用バルコニーにバス・トイレ付きとなっている。今回の旅は「新造の大型フェリーを楽しむ」というテーマなので気張って上級船室にしたのだが、さすが本船の最高級であるスイートは高すぎてハナから考慮外である。ジュニアスイートの苫小牧-敦賀の料金は41,000円、繁忙期以外は「ペア88割引(大人の男女2名の年齢合計が88歳以上であれば30%割引)」の適用を受けられ28,700円となる。その上ジュニアスイート以上の部屋では専用グリルでの3食が付いているので、デラックスA(28,500円×70%)にランチ(3,500円)とディナー(4,500円)を付けた27,950円とほとんど変わらない事となり、お得なジュニアスイートで船旅をすると云うのが今回のこだわりである。

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カード式ルームキーを使って入室すると、キャビンは一泊21時間の船旅には十分すぎる広さで、専用バルコニーにウッドが貼ってある所がぐっと船旅気分を盛り上げてくれる。部屋のユニットバス・トイレはやや小さいものの、風呂はすぐそばの大浴場へ行けば良いし、それ以外の調度はごく標準的かつベッドも適度な硬さで気持ち良い。荷物をとりあえず収納するうち出港時間となり、船内の売店で購入した北海道ワインで乾杯しつつ、専用テラスから霧の中のちょっと幻想的な出港風景を楽しんだ。せっかくこんな部屋にしたのだから、夜中の11時半などに出ないでもう少し早く午後8時頃出て、明日は明るい夕方6時頃に敦賀に着けば良い、いやゆっくり走って明後日の朝に着いたらもっと良いなどとこちらはクルーズ客船気分だが、貨物中心のフェリーはそうもいかず、フネは霧笛を鳴らしつつ静々と闇夜の苫小牧東港を出て行くのだった。

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2013年6月17日 (月)

陸と海と空 その3 苫小牧連絡バス編

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という事で、羽田空港からJALの777機に乗って千歳空港に到着したのは午後4時過ぎ。午後10時に苫小牧駅から出るフェリー連絡バスまでは、たっぷり時間があるのでここ南千歳にあるアウトレット”レラ”で時間をつぶす事にした。御殿場のアウトレットなどでは人の多さにうんざりして、妻の買い物時間中はクルマで待っている私でも、土曜日と言ってもここではさすがに場内が閑散としていて気持ちが良い。アウトレット内のラーメン店で妻と二人で本場サッポロ味噌ラーメンに舌鼓をうち、午後8時の閉店時間までゆっくり買い物ができた。私は普段買い物など余りしないから、なにか数年分のショッピングを楽しんだ様な感じで少々疲れた。でも気合を込めて買ったもの物は、宅配便で自宅へと便利な世の中になったものだ。


8時過ぎに一旦空港に戻り、空港から40分程バスに揺られて苫小牧駅に着いたのが夜の9時すぎ。繁華街に行って軽くスシでもつまむか、とも思ったが勝手知らない町だしそれほど時間も残っていない。結局駅の売店で缶ビールと日本酒、それに蒲鉾を調達してしばしフェリー連絡のバスを待つ事にした。それにしても駅前のバスターミナルは午後10時にもなれば、ほとんどの最終便が出た後で、蛍光灯に薄暗く照らされるバス乗り場はまるでゴーストタウンの様だ。16番「新日本海フェリー」行きと書かれた乗り場はおろか構内には我々以外に人の気配もなく、本当にバスが来るのかと心配になる。定刻10時にやってきたバスの運転手は、発車するなり「乗客2名」とどこかへ報告していたから、我々がいなければそのまま営業所へ帰って今日の業務は終了、という事だったのだろう。


苫小牧東にある港までは、10分も乗れば着くのかと軽い気持ちで乗った連絡バスだが、貸切状態のまま行けども行けども漆黒の闇を突き進むばかり。この夜は鉄道が遅れるほどの濃霧が辺りをすっぽり包み込み、苫小牧の町の灯りははるか夜霧の彼方へ消え去る中、このままこのバスは霧に包まれて異次元に行ってしまうかと云う気分にさせてくれる。黙って白っぽい闇を見つめる運転手の背を見つめながら「これ本当にフェリー乗り場に行くのだろうか?・・・と、運転手が『お客さん・・・』と後ろを振り向いたら・・で、で、出た~、のっぺら坊」など妻をちょっとからかうと、妻は「やめてよね」と真剣な顔をしている。これはとても女一人では乗れない感じである。そんな我々の気持ちもどこへやら、闇夜を疾駆したバスの前に、やがて霧の彼方からうっすらと巨大なフェリーのフェンネルが浮んできた時には、トワイライトゾーンから抜け出た様な気持ちがしたのだった。それにしても苫小牧からバスは走りに走って45分、とても苫小牧とは云えぬ辺鄙な場所(厚真)にあった新日本海フェリーターミナルへの小バス旅は、日常からの脱出感を十分に演出してくれたのだった。 

こんな音楽が似合う苫小牧東港行きの連絡バス(青字をクリックすると再生)
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2013年6月13日 (木)

陸と海と空 その2 京急編

旅の序章は京浜急行。京急蒲田駅が昨年10月に高架になり、列車が空港線へ乗り入れする方法が変ってから初めて通る事になる。かつて現役だった頃は出張で月に何回もここを通っていたのに、「そうかそんなに飛行機に乗っていなかったのか」と嘱託社員の我が身を顧みてふと寂しくなる。一方で新しい蒲田駅を通るとなると、その運用や配線がどう変ったのかと、好奇心もちょっとくすぐられるものだ。折りしも乗ったのは地下鉄浅草線から来た快特・羽田空港行き。以前は日中に運転されていなかった空港行き快特が頻繁にやって来て、空港線の糀谷・大鳥居・穴守稲荷・天空橋のローカル駅を通過するので便利なダイヤになった。これも蒲田駅改良の成果だろう。余談ながら空港線の他の3駅が下町らしい風情ある駅名なのに、天空橋とはなんと薄ぺらい名前をつけたものかといつも思う。


問題の蒲田駅は、かつて一時期は単線の空港線が本線の下り線から分岐していた上に品川方面のみに接続されていたから、横浜方面からの空港直通列車は一度蒲田駅上りホームで停車した後に少し品川方面に走って向きを変え、ポイントを亘って下り本線から空港線に乗り入れていた事もあった。また空港から品川方面に向かう上り直通列車は蒲田を出発後、下り本線に設けられたポイントを亘って上り本線に向かうので、その間は蒲田に接近するすべての下り本線列車が信号待ちとなり、ラッシュ時にここを通ると事故もなく運転されるアクロバティックなダイヤに感心したものだ。さらに蒲田駅に平行する国道15号線を空港線が横切るため、ここはお正月の箱根駅伝の時は選手の通過と踏み切りの遮断が重ならないか注目の場所だった事もあって京急蒲田駅の工事は急がれたのだった。

さて初めて通った新しい京急蒲田駅は高架線3階が下り線専用ホーム、2階が上り線専用ホームになって、品川方面から空港へ向かう列車、又は空港から品川に向かう列車はそれぞれダイレクトに直通する様に改良された。一方で横浜方面から来た空港直通列車は、駅手前のポイントを亘って2階空港側ホームへ入った後にスイッチバックして空港線に向かう様だ。また空港から横浜方面への直行列車は3階ホームでスイッチバックして横浜に向かうのだろう。新しい蒲田駅は随分便利となったものだが、どうやらまだややトリッキー面も残っていて、それもこれもここががY字型の配線になっているためだが、こればっかりは完全な市街地になっているなかで、根本的な線路の付け替えは無理なのであろう。しかし空港線の列車本数からすればこの程度の運用は京急にとってはお茶の子歳々であろうし、駅伝の難所も解消された事になったのである。

2013年6月11日 (火)

陸と海と空 その1

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昭和37年ごろ毎週日曜の朝「陸と海と空」というテレビ番組があった。三遊亭小金馬氏の司会でスポンサーはプラモデルのマルサン、模型の話と共に最新鋭の陸・海・空の乗り物特集が毎週あって、当時全日空に導入されたビッカース・バイカウント機などが紹介されていた。その頃の日本はまだ貧しく、子供にとって特急や飛行機の旅などは夢のまた夢の時代である。乗り物ファンの少年としては、テレビ画面に登場する日航のコンベアジェットや東海道線を疾駆するこだま型の電車を眺めては、早く大人になってあこがれの乗り物の客になりたいと夢を膨らませていたものだった。


さて飛鳥Ⅱの世界一周クルーズから早や2年経ち、日常生活に埋没するこのごろ、また乗り物に乗りたいという原初的な願望が頭をもたげてくる。ことに60歳すぎの再就職の職場は所詮ライン外の業務とあって、海外どころか国内出張もなく、飛行機や新幹線もここ一年余りとんとご無沙汰して寂しいものだ。職場と家を往復をするなかで、ふと上空を見やると飛行機雲が流れていて、矢も盾もたまらず旅行がしたくなってきた。という事で、この週末は妻と二人で飛行機で北海道へ飛び、苫小牧から福井県・敦賀まで新しいフェリーに乗船し、敦賀から北陸本線や東海道線の在来線を乗り継ぎ帰ってくる、という乗り物三昧の旅を実施した。 我が「陸と海と空」である。


で、土曜日の昼に羽田から千歳までJALのトリプル7、苫小牧から土曜日深夜にフェリーが出るまでは千歳のアウトレットでSHOP TILL YOU DROP! 買い物嫌いの私はショッピングになるといらいらして妻と喧嘩になるのだが、今回はフェリーの時間まで待つと覚悟を決め、普段ちょっと欲しかった自分のジャケットなどをゆっくり買うぞと気合を込めた。フェリーは新日本海フェリーの新造船”すずらん”、ジュニア・スイート(3食特別食付き)を奮発しゆったりと日曜日の夜に敦賀着。その晩は敦賀のビジネスホテルに泊まって、翌朝に気比の松原でジョギングを楽しんだ後は、彦根城を見学し在来線を可能な限り利用し帰京、という時間と金の大浪費作戦である。最後は少なくとも豊橋まで新快速を利用しようかと思ったが、さすがに運転士の真後ろのかぶりつき乗り詰めに疲れ、名古屋から新幹線を利用したのはちょっと残念ではあった。それにしても乗り物の”大人買い”の旅は、子供時代の夢を実現している感じがして面白いものである。

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2013年6月 7日 (金)

皇居ラン・9か条のルール

今までこのブログで幾度か取り上げた皇居ランの混雑に関して、地元・千代田区などからなる官民の委員会がこのほどマナー9か条を設定したと報じられている。交差点がなく走り易い皇居5キロコースを40年近く走っている我が身としては、一日1万人ものランナーが走る最近の皇居ラン隆盛ぶりに驚く一方、場所によっては追い越しにも苦労する混雑ぶりにしばしば困惑している日々とあってこのニュースは注目だ。今回つくられたマナーは、歩道は歩行者優先で狭い所は一列になるなど道をふさがない、周回は反時計周りの一方通行とし、タイムよりゆとりを持ち音楽を聴きながらの通行は控えるなどとされている。


一方、このコースで毎週の様に開かれる競技会やイベントについてはスタート・ゴールは桜田門広場のみ、スタートは1回百人までで間隔をあけるなどの新たな規制を導入するそうで、事故を防止し皆が楽しく走る為にはこれらのルール作りも大筋では止むを得ないところだろう。ただ今回設定したものは法令に基づかないマナーの類と云いつつも、音楽を聴きながら走るか否かなどは個人の趣味の領域に入るもので、これをルール化するのはいささか無理があるのではないか。また一度走り始めたら後戻りできぬという事は、5キロ走り切らなければならない訳で私としてはちょっと当惑してしまう。たとえば12キロ走のために2周して更に1キロ走り、最後に1キロ逆走してスタート地点に戻る事などはできなくなり、これからは10キロの上は15キロという練習距離にしなければならない。1キロ行ってすぐ戻る初心者などはどうするのだろうか?


以前から何回かアップしたとおり、私はこのコースはまず歩道の拡幅や整備を急ぐべきだと思っている。皇居周回の5キロは管理者が都や国など複雑に錯綜しているので省庁間の調整も大変だそうだが、一日1万人もが利用する歩道などは日本全国見てもそうあるものではない。特に宮城前から皇居東御苑に至るあたりは日本でも有数の観光スポットだから観光客も多いのでランナーと交錯しやすく、こんな箇所は歩道とランナー用走路を完全に分けた方が良いだろう。そのほか桜田門広場は夜間の照明が十分でなくトイレも日没以降閉まってしまうなど、整備が必要な箇所はまだまだ多いと感じている。世界からやってきた観光客に整然と区分けされた走路と歩道を示して日本の豊かさを感じてもらう為に、ルール作りと相まってハードの為に予算を振り分けて欲しいものだ。

写真は大手町にある皇居東御苑出入り口に差し掛かるコース
狭い歩道上で大勢のランナーと観光客が交錯する。
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2013年6月 4日 (火)

おいしいチャーハンの作り方(3)

何回もお馴染みチャーハンの作り方その3。今回は今まででベストである。

材料:ご飯、市販の焼き豚、長ネギ、卵2ヶ、かまぼこ(一番安いのでよい、ただし今回は在庫がなく竹輪2ヶ使用)
    ご飯は2人前一合見当。焼き豚、長ネギ、かまぼこは”男の料理”ゆえそれぞれ適当な量。

調味料:醤油、サラダ油、ごま油、中華オイスターソース、塩、コショウそれぞれ適宜。(今回ラードなし)  

ご飯は固めに炊く。炊きたてより一晩経った方が米のぬめりがとれて良い。ご飯は炒める直前に電子レンジで暖めておく。
焼き豚、長ネギ、かまぼこをミジン切りし、今回はこれらだけさっと炒め火を通しておいた。(これは中華なべを暖める効果もあり)

中華用の大なべにサラダ油を多めに入れ熱しておく。溶いた卵2ヶを強火で一気に炒めかき回してほぐす。
20秒以内に暖めたご飯を投入し卵とからませる。醤油を加え40秒間なべを振っては卵とご飯を混ぜる。
炒め開始から1分で先に火を通した具を投入しオイスターソースを加える。更に30秒ご飯と具を豪快に混ぜ塩・コショウする。

コツ1:ごはんは固めに炊く。すべて1分30秒~40秒でいため終わる事。(前回ブログでは2分10秒・前々回は2分30秒。この際、なべの淵からバラバラと食材が飛び散って、奥さんが嫌な顔をしても無視し豪快に混ぜていく)

コツ2:すべて目分量いい加減だが塩・コショウは気持ち少なめにする。塩からいと取り返しがつかないが、少ない時は皿に盛ってからパラパラと追加する事ができる。

コツ3:気合でつくるので少々失敗しても「うまい、うまい」と言いつつ、美味しそうにホカホカのチャーハンを豪快に食べる。

コツ4:すべて終わってからコンロや食器を洗うと妻が褒めゴロシ、またトライしようという気になりまたウマイ。


材料費は2人前でしめて600円であった。以前のブログにも書いたが、大学の期末試験で何も書けない時「おいしいオムレツの作り方」を答案用紙の裏までびっしり書けば、なんとか最低点は貰えると云う都市伝説があった事を思い出し出し調理するのだった。

2013年6月 2日 (日)

5月の目標達成

5月は210キロほどジョギングする事ができた。ここ数ヶ月は月200キロ走破と云う努力目標に届かず、ちょっと残念だったのでホッと一息である。距離を稼げるはずの連休にコスタ・ビクトリアに乗ってしまったため、一体今月はどうなる事かと思っていたところ、幸い済州島・長崎・鳥羽と上陸したのでそれなりに走れたし、この船のプロムナードデッキは広い上にオモテからトモまで全通しているので走りやすいのが良かった。デッキでのジョギング禁止のにっぽん丸や小さいラグジュアリークルーズ船ではこうは行かなかっただろう。クルーズに行くなら走る事など考えるな、とも思うも50年間かかさず行ってきた事は、すでの生活の一部となっているのである。


本格的にマラソンを目指している人から見ると200キロ/月という距離はいかにも少ない様に思われるが、それでもいい年して毎月毎月この距離を踏むのはそれなりに大変だとしみじみ感じる。一ヶ月の中で週末や祭日などの休みは10日くらいあって、ここで一日10キロ以上走る様にしているものの、雨の日もあれば冠婚葬祭や雑用もあってせいぜい週末や休みには120キロ/月ぐらいが精一杯だ。もっとも今はすっかりご無沙汰のゴルフもサラリーマン現役時代には最低でも月2回はあったから、その時に比べれば遥かに走る事に時間やエネルギーを割けるのは助かる。残り80キロを5日間のウイークデイX4~5週でこなすとなると、毎週の月曜から金曜日のなかで15キロから20キロ以上走る必要があって、これがなかなか難儀なものだ。


大体、かなりの友人達は勤め人人生の第一線を退いているので、結構夕方早い時間から飲みのお誘いはあるし、以前の会社のОB会なども多い。現在勤めている会社では若者達の送別会やパーティやらが平均すると週に一度はあって、それぞれ誘われるとあまり不義理もできない。必然的にウイークデイのなかで勤務後に走る事ができる日も限らてしまうので、その分は朝の出勤前に何とか帳尻を合わせようと眠い目をこすりながらエッチらオッチら必死にジョギングする。ただ朝は体が動かないから同じ距離を走るのに、時間がかかって非効率な事この上ない。「しなければならない」と云う義務感から開放された方が良いと知りつつも、これを取ると怠惰な私は途方もなく生活がいい加減になってしまいそうで、最後の砦とばかり還暦過ぎても走る事だけは気合をいれているのだ。それでも久々に体重計に乗るといつもより2キロも重く、運動とは何と割りに合わぬものかと嘆くのである。

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